青い鳥の世界へ

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自衛隊海外派遣 恒久化議論

2008年02月16日 | 短歌に政治や社会
沖縄において、米兵による中三暴行事件が発生した。こうした事件は、初めてではない。過去には何度もあり、このために沖縄県民の怒りは、煮えたぎるほどであろう。
これは何も沖縄だけのことではない。他の米軍基地のある、基地のある町では起こりえることである。先日行われた岩国市長選挙の結果にも、艦載機移転賛成派の市長が誕生したとはいえ、市民感情としては穏やかではあるまい。
そしてそうした中で「自衛隊海外派遣恒久化」が議論されつつある。

それにしても何故これほどまでに事件が起こり、問題にされ、そうしてなお「自衛隊海外派遣恒久化」などを議論しなければならないのだろうか。
この疑問に私は、一言で「国民や政府が独立心や自立心を持たないからだ」と結論つけた。
我国は、国民としても国家としても独立国家意識を持っていないといえる。それは「日米安全保障条約」に見られるように、田に寄り掛かるようにして独立国家ぶっている。簡単に言えば、それだから国内に他国の基地の存在を許すことになっているし、共同防衛条約なども必要になってくる。
こういうと、現憲法が自主制定憲法ではなく、押し付け憲法だからというかもしれない。そして改憲が必要だと。
だがこういう論説は「自主」という語の意味を、取り違えている。「自主」というのは、自分の「都合の良いように」ということではない。「内」から見ても「外」から見ても、良きもので無ければならない。
例えば人の生き方も、自分都合の良いような勝手な生き方をすれば、前防衛事務次官やいい年をした校長がわいせつ行為や製品偽装に食品偽造をして逮捕されるように、社会という外から見ても良き行いでなければならないのと同じように、「自主」とは自他を兼ね備えたものでなければならないのである。
現憲法は占領軍によって立案されたものだが、占領政策的な自由抑制も人権平等迫害もなく、伝統文化も継承されている。言わば「内から見ても外から見ても」優れたものと言わなければならない。
それを改憲し、自衛隊海外派遣恒久化を図ろうとするのは、独立国家、自立国家の放棄を願うのだろうか。
よしんば改憲するならば、この地上に生きる人として、この地に仮に住まう者達のための法として、より良き憲法を定めてもらいたい。この土地が「永遠に我が物である」ということは、あり得ないのだから。

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