首相「決めるべき時は決める」安保法案審議打ち切り示唆
オリンピックなどのスポーツは、元々参加することに意義があった。しかしそれが現今では、勝つことに血道をあげ、メダルや優勝旗を手に入れることに奔走してしまっている。
それは過酷な練習を押し付けることになり、そのために体を壊す者が後を絶たない。それを名誉の負傷と言って、称賛している。
だがこうした行き過ぎた練習の押し付けは、いじめであり虐待と言える。
何故なら、個人個人にはそれぞれに備わった技量しかもっていない。それを同じように持っているとみなして一律に強制するのは、行き過ぎている。
個人個人の能力や技量に会った練習させることが、もっとも大切になる。
国会では、安保法案の取り扱いが、往境に達している。慣例になっている審議時間を超えたから、決める時には決めると決議を急いでいる。
しかしこの法案、国民の理解を得ていない。
何せこの法案に対する質疑で政権与党は、曖昧な答弁に終始している。いつでも誤魔化し、逃げ道だらけの答弁に終始し、その誤魔化しや逃げ道だらけの曖昧な答弁に審議時間を取って、これで審議を終了させて決議すると言うのでは、何のための審議か判らない。
こうしただらだらな曖昧答弁のために、国会開会中の費用ばかりを税金で賄おうとしている。
議案にもそれぞれに会った理解を得られるべきであり、一律に審議時間によって縛るのは、それをなおざりにするのは、いじめと虐待手段と言っていい。
http://news.goo.ne.jp/article/asahi/politics/ASH7C62G0H7CUTFK00C.html
首相が安保議論で語る「幸せ」とは…歴代首相との違いも
安保法制整備などする世界観、グローバル化は、日本国の国民の誇りを失墜させる。
その何よりも日本国憲法を誇りとして持たず、改憲させようとすることにも見られる。
安倍首相がこの安保法制によって、国民の幸せと安心を守ると言うが、それならば何故このように国内社会は乱れ、痛ましい犯罪ばかり起きているのだろう。
安倍首相の言い分を聞くと、こうした国内社会の乱れを放置したまま、これをそのまま守っていく方針としか受け取れない。
ここに安倍首相には、日本国民の一人としての誇りがない事を、物語っている。
http://news.goo.ne.jp/article/asahi/politics/ASH7136JMH71UTFK005.html