lurking place

ニッポンのゆる~い日常

国の文化財「仕分け」する難しさ

2010-05-13 07:41:10 | 正論より
5月13日付    産経新聞【正論】より



国の文化財「仕分け」する難しさ   社会学者・加藤秀俊氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100513/stt1005130341001-n1.htm



ワシントンの「アメリカ歴史技術博物館」にほとんどカンづめ状態になって研究していたことがある。この博物館はその実態からいえば「生活文化博物館」とでもいうべきもので、そこには大は機関車から小は食卓のスプーン、開拓時代の縫い針にいたるまで、アメリカ人の日常の暮らしにかかわるおびただしい量の物品がたくさんの展示室にみごとにならべられていて、いっこうに飽きることがなかった。




 ≪博物館の第一義的な役割≫


 だが、こうしてこの博物館に通勤し、収蔵品カタログのカードを調査していてわかったのは、この博物館で「展示品」として公開されているものが、じつは「収蔵品」のごく一部にすぎない、ということであった。たとえば南北戦争のころの鍋、釜類、ブロードウエー・ミュージカルの衣裳(いしょう)や小道具、おどろくほど多種多様なものが収集されているのだがこれらの「収蔵品」の大部分は人目にふれないところで保管されていたのである。

 なにしろ、アメリカ全土からあらゆるガラクタを収集して、それらの物品によって歴史を語らせるというのがこの博物館の趣旨なのだから、毎日のようにどんどん搬入される品物をワシントンの一等地に保存しておくことは空間的にも財政的にも不可能である。だから人里はなれた場所に巨大な敷地を確保し、そこに倉庫群をつくり、ひとつひとつ分類整理して収蔵してあるのだ。

 この博物館にかぎらない。世界じゅう、どこの博物館でも収集されたものの大部分は「収蔵庫」のなかに眠っている。その「収蔵品」の一部を特定の期間だけとりだしてきて「特別展」「企画展」などをすることもあるが、「収蔵品」の多くは文字どおり「収蔵」されているだけで「展示」されることがないのである。

 だいたい博物館という施設は「収集」と「保存」がその第一義的な役割だ、とかんがえたほうがよい。「展示」はその付帯的サービスなのである。大規模な博物館なら「展示品」の数百倍の「収蔵品」がその倉庫のなかにある、とみるのがただしい。




 ≪1機だけ保管されたYS11≫


 美術館もおなじこと。収蔵されている数万点の美術品のうち何百かは「常設展」として一般市民のために開放されているが、大部分は収蔵庫のなかで保管されている。相手が文化財なのだから、温度、湿度などの管理も完璧(かんぺき)を期さなければならないし、ものによっては点検整備など維持費もかさむ。文化財保護というのはおカネもかかるし場所もとるのである。

 例の「仕分け」によって国立自然科学博物館にあるYS11保存のための予算が打ち切られる可能性があった、という報道を読んで、わたしはこうした博物館や美術館のことを思いだした。

 ご存じのかたも多かろうが、この飛行機は戦後日本の技術が結集した大傑作。かつて「ゼロ戦」や「川西大艇」といった軍用機の設計、製造で世界の最高水準に達していた日本の航空機技術はアメリカ占領軍によってことごとく凍結されていた。

 切歯扼腕(せっしやくわん)していた戦前からの技術者たちが1957(昭和32)年の凍結解除を待って、ふたたび挑戦して完成させたのがこの双発ターボプロップ機なのである。国内はもとより海外でも評判になってほうぼうの航空会社がこの飛行機を導入した。

 1964年の東京オリンピックではこの国産飛行機がアテネから聖火をはこんだ。わたしじしんも国内線でずいぶんこの飛行機に乗った。




 ≪「展示」になければムダ?≫


 だがこの名機はすでに生産中止。ほとんど退役である。とすればこのYS11一機を国がだいじに保存しておくのは当然のことであろう。もとより、この飛行機がいまも自衛隊などで訓練用に使用されていることは知っている。また成田、所沢など数カ所で屋外展示、つまり雨ざらしで保存されていることも承知している。だが完全な状態で屋内収蔵されているのはこれ一機だけである。やたらに「展示物」として公開しないのもあたりまえだ。

 それをムダだ、というのは博物館の「収蔵品」と「展示品」との区別を知らない無知のなせるわざである。あるいは博物館の役割を「展示」だけに求める錯覚である。ルーブルをはじめ世界の美術館の収蔵庫にはおびただしい数の絵画彫刻が保存されているが、それが「展示」されていないのはムダなのであろうか。

 現代に生きているわれわれがごくふつうに目にしている工業製品も、何十年、何百年か先の社会では過去を知るための重要な文化財になる。YS11だって、いずれは重文指定、あるいは国宝になるかもしれないのである。

 ムダ退治は結構だが、文化行政の中身については、ムダどころか逆にその貧困を恥じるべきであろう。わたしはワシントンの博物館ですごした日々を回想しながら、彼我の文化政策の懸隔を思ったのであった。(かとう ひでとし)









  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

首相は戦後教育の失敗例

2010-05-13 07:31:44 | 鳩山由紀夫


首相は戦後教育の失敗例   鳩山首相に申す  櫻井よしこ氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100513/plc1005130344003-n1.htm



 鳩山由紀夫氏の存在は、戦後日本の家庭教育および国民教育の失敗の代表的事例として、歴史に刻まれるだろう。

 普天間飛行場の移設問題に関連して、首相は「政権を掌握する中で、野党の時代には見えなかったものが見えてきた」と語った。

 沖縄の米海兵隊が日本に対する脅威への抑止力として機能していることに気づかなかったが、「学べば学ぶほど」「海兵隊のみならず」「米軍の存在全体の中で」「すべて連携して」「その中で抑止力が維持できる」ことがわかったと吐露したのである。

 野党時代にはわからなかったというが、野党になる前は与党自民党最強の派閥、政権中枢のポストを握り続けた田中派の一員だったではないか。「ワシントン・ポスト」紙で「ルーピー」という侮蔑(ぶべつ)的形容詞を首相に冠したアル・ケイマン氏流の表現を借りれば、「おい、ユキオ君、君は一体、何十年間政治家をしてきたんだい」ということになろう。

 1986年の当選から今日まで24年間、実に四半世紀近く衆院議員として「国民の皆様」の「いのちを守りたい」として働いてきた結果が、抑止力について基本的な理解さえ身につけずに現在に至ったのだとすれば、失礼ながら、首相にお支払いした幾億円かの議員歳費は文字どおりの無駄金だった。こういう歳出こそ、まっ先に事業仕分けしてほしい。


 それにしても「名門」鳩山家には首相を務めた祖父一郎氏も、外相を務めた父威一郎氏もいた。

 一郎氏は米占領軍による公職追放を解除され、政界に復帰したとき、政敵吉田茂氏と激しく対立した。吉田氏の抜き打ち解散総選挙で、吉田氏が経済復興を掲げたのに対し、一郎氏が憲法改正と再軍備を主張したのは周知のとおりだ。

 だが、首相の座を手に入れた一郎氏は、憲法改正にも再軍備にも関心を寄せず、日ソ国交回復に走った。国防の重要性に貢献する気迫も見せず、貢献もしなかった。一郎氏は安全保障にも国防にも真の関心はなく、その限りにおいて首相としての資質を欠くと言われても仕方がないだろう。

 父の威一郎氏は1976年12月から77年11月まで、福田赳夫内閣の外相を務めた。冷戦最中に外相の重責を担ったわけだ。時あたかも、ソ連は米中接近を警戒しつつ、西欧を狙った中距離核ミサイルSS20を、東欧諸国に配備した時期だ。西ドイツでシュミット首相と会談した福田首相が、SS20の脅威について問われたとき、SS20について全く知らなかったのはあまりにも有名な逸話である。

 当時、西欧と米国にとってSS20は最も深刻な脅威ととらえられていた。この種の重要な軍事情報を官邸に上げ、日独首脳会談で、西側陣営の一員としてどう対処する用意があるのか、自由と民主主義にどのように貢献するかを、常日頃から首相に具申するのが外務省の役割である。だが、首相が知らなかったということは、外相が助言していなかった、つまり、外相も全く知らなかったということであろう。


 安全保障への無関心が祖父と父の特徴であったのか。いずれにしても政治家一家鳩山家での祖父、父、息子の会話で、国家論や外交論が語り合われ、祖父や父が残した教訓や戒めがあるのかと疑わざるを得ない。国と国民を守るために首相や外相として全責任を負って果たすべきこととは何か。身につけるべき素養、心構えは何か。そうしたものの根本をなす価値観の受け継ぎがなかったのだろうと推測する。

 衆院議長だった曾祖父和夫氏から4代続く「名門」政治家一家の、なんという空疎であろうか。その空疎の前ではいかなる富の蓄積も無意味である。政治家が命をかけて築き守っていくべき国家のその根本は外交と安全保障である。そのひとつについて、うつろな目で無知の暗闇に漂う由紀夫氏の姿は、経済的豊かさに満足し、自立と名誉を忘れた鳩山家の、さらにいえば、戦後日本の、恥ずべき姿そのものだ。その意味で首相は戦後日本の国民教育の失敗の最も顕著な具体例なのである。

 自国の安全を、かくも長きにわたって他国に依存し続けること自体、日本はまともな国ではない。鳩山家も戦後日本社会も、米国依存を当然ととらえてきた。さらに悪いのは、米国に依存しているという意識さえ薄れさせ、米軍に基地を貸与してやっているのだから、あるいは「思いやり予算」を払っているのだから、米軍が日本を守るのは当然だというような認識さえ持つに至ったことだ。首相は『新憲法試案 尊厳ある日本を創る』(PHP研究所)の中で、憲法改正の必要性を指摘し、こう書いている。

 「戦後の憲法論議を迷走させてきた空想的平和主義あるいは国家主義的ノスタルジアなど、左右両翼の感情論のいずれをも排し」「新たな憲法を創りたい」

 だが、首相の一連の発言と行動こそ、空想的平和主義の産物に他ならない。


 去る3月22日、首相は防衛大卒業式で、命を賭して職務を遂行することになる安全保障の中核者としての若者たちにこう語った。

 「諸君に私が言いたいことは、自らが活躍することになるこの世界のことを正しく知れ、ということである」


 その言葉をそっくり、首相に献上したい。4月8日、東シナ海で中国海軍が日本の海自艦船に異常接近したことを、なぜ、12日の日中首脳会談では、全く触れなかったのか。そのときの首相の物言わぬ姿勢が、5月3日に海上保安庁の測量船が日本国の排他的経済水域内であるにもかかわらず、中国の調査船に追尾された。初めて起きたこの異常事態をどう考えるのか。「東シナ海を友愛の海に」と首相が語っても、世界を正しく見詰めるならば、現実はほど遠いことを、「正しく知れ」と言わなければならない。


 中国の異常な軍拡によって、西太平洋とインド洋はまさに、21世紀の世界の覇権争いの主舞台となる。シーレーンの安全確保が日本を含む諸国の生命線となる。


 世界のタンカーが運ぶ1年間の物流70億トンの内の10億トンを日本が占めている。この10億トンゆえに国民生活が成り立っている。国民の「いのちを守りたい」と連呼した首相は、この物資がインド洋のシーレーンによって運ばれることを「正しく知」っているのか。インド洋を開かれた安全な海として守り通すことが日本と日本国民の「いのちを守る」ことに欠かせないと「正しく知」っているか。空想的平和主義の産物、無知の海での漂流は、もうお止(よ)しになるのがよい。








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする