5月28日付 産経新聞【正論】より
「同化せぬ移民」別世界の危険性 比較文化史家、東大名誉教授・平川祐弘氏
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100528/plc1005280418007-n1.htm
■「同化せぬ移民」別世界の危険性
西洋へのイスラム移民の急増で現地社会との軋轢(あつれき)がにわかに強まっている。西欧では約4億の総人口のうち1700万人がイスラム教徒の移民と子孫である。人口に占める割合はフランスのマルセイユで25%に達し、パリでも10%を占める。数は増大する一方で、ロンドン生まれの2人に1人は母親が外国人といわれている。
≪妻帯しても溶け込まず≫
西欧は労働者移民の入国は打ち切ったが、家族の合流は認めた。その人道主義が裏目に出た。それで外国人花嫁がドイツだけで年に3万人近く入国する。北アフリカから複数の妻を呼び寄せる者もいるらしい。教育は低く言葉は通ぜず、西洋を祖国と思わない。イスラム同胞に連帯感を抱き、イスラム教を大事にし、これだけが真の宗教で、改宗は許さず、改宗者は死刑に価すると考える者もいる。
当局は当初は若者も妻帯すれば同化するだろうと予測したが、イスラムの人たちは、なかなか西欧社会に溶け込まず、国内国家ともいうべき社会の別階級を形成しつつある。そうした家庭に生まれた子供も社会に溶け込みにくい。それが各国で大問題となり、ついに選挙の争点となった。日本における朝鮮学校は北朝鮮の金父子の肖像を掲げる異質の別世界だが、もしもその人口が年々増大したら、不安に思うだろう。
≪オペラの上演まで自粛して≫
西欧では住みついた女たちがベールで顔を覆うことが問題となった。フランスは市民の平等をうたう。平等とは、国家が人種・宗教により人を別扱いしない世俗主義が公教育の基本であり、イスラム教徒の女子生徒の校内でのベール着用を認めない。着用にこだわれば非宗教性の原則違反で退学になる。半面、同様の原則で、公共建築物から古くからついていたキリスト教の十字架も取り外している。
オランダでは「公共の場所ではイスラム教徒もベールを取るように」と移民相が言明した。しかし移民の半数以上はベール着用が望ましいとしており、「ベールを取れ」と最初に提案した議員は「殺すぞ」という脅しを何度も受けた。ベルギー議会はベールの禁止を可決した。
イタリアのテレビ討論で女性議員が「ベールは宗教的シンボルでもなくコーランで定められたわけでもない。女の顔を隠すベールが自由のシンボルであったためしはない」と発言するや、同席したイタリア在のイスラム教導師が「無知なる者の不信心な発言だ。あなたにコーランを解釈する権利はない」といきりたち、他の導師は「憎悪の種を播(ま)く女」ときめつけた。この宣告はイスラム社会では死刑に相当する。
イタリア内務省は同議員に警官を常時つけて身辺保護に当たらせた。1988年に『悪魔の詩』を刊行したインド生まれの英国人小説家ラシュディは「教祖マホメットを諷刺しイスラム教を冒涜(ぼうとく)した」としてイラン当局によって死刑を宣告され、その訳者の五十嵐一筑波大学助教授は学内で殺された。そんな宗教テロが思いだされる。「触らぬ神に祟(たた)りなし」で言論表現の自由は萎縮(いしゅく)する。
ベルリンではモーツァルトのオペラの上演も自粛した。メルケル独首相は、劇場関係者のそんな自己規制を「まだ脅迫もされないうちから白旗を掲げたようなもの」と批判した。
≪恐ろしい「国内国家」形成≫
西洋の女の裸の露出度に眉を顰(ひそ)める非キリスト教国民は多い。イスラム系男性が故国から花嫁を迎えるのは、西洋社会の道徳的頽廃(たいはい)に「汚されていない」女性と結婚するためと主張する。「うまそうな生の肉を外に出しておけば、猫が来てさらって食う。女も家の中にとどまりベールで顔を覆っていれば、問題は起きない」とイスラム教のお偉いさんが発言した。だがこんな主張はイスラム圏の外ではもはや通用するまい。
ところが欧米左翼のフェミニストは排外主義者と呼ばれたくないから、腰がひける。米国の女性小説家エリカ・ジョングは「イスラム教徒が西洋でもベールをつけるのは、1960年代にヒッピーが長髪をしたようなものでしょう」と答えた。記者が「ベールをつけるのはイスラム人コミュニティーの圧力のせいではないか」と問い詰めると、「欧米の病院でお産すればベールへのこだわりも減るでしょう」とかわした。出産となれば、ベールも服も脱いで医師に肌を見せるからの含意だろう。だがイスラム女性を治療しようとしたイタリア人男性医師は診察室に押し入った夫に殴打された。
グローバリゼーションは「文明の衝突」を加速する。よそごとではない。日本も移民の受け付けは上限を設け、社会への同化をはからないと只事ではすまなくなる。移民が集団で国内国家を形成し、旧態依然たるアイデンティティーにすがりつき、「差別された」と騒ぐことほど恐ろしいことはない。先ごろニューヨークの中心部に爆薬をしかけたのは米国に帰化したパキスタン系の男で、イスラム原理主義に感化された一児の父だった。(ひらかわ すけひろ)
「同化せぬ移民」別世界の危険性 比較文化史家、東大名誉教授・平川祐弘氏
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100528/plc1005280418007-n1.htm
■「同化せぬ移民」別世界の危険性
西洋へのイスラム移民の急増で現地社会との軋轢(あつれき)がにわかに強まっている。西欧では約4億の総人口のうち1700万人がイスラム教徒の移民と子孫である。人口に占める割合はフランスのマルセイユで25%に達し、パリでも10%を占める。数は増大する一方で、ロンドン生まれの2人に1人は母親が外国人といわれている。
≪妻帯しても溶け込まず≫
西欧は労働者移民の入国は打ち切ったが、家族の合流は認めた。その人道主義が裏目に出た。それで外国人花嫁がドイツだけで年に3万人近く入国する。北アフリカから複数の妻を呼び寄せる者もいるらしい。教育は低く言葉は通ぜず、西洋を祖国と思わない。イスラム同胞に連帯感を抱き、イスラム教を大事にし、これだけが真の宗教で、改宗は許さず、改宗者は死刑に価すると考える者もいる。
当局は当初は若者も妻帯すれば同化するだろうと予測したが、イスラムの人たちは、なかなか西欧社会に溶け込まず、国内国家ともいうべき社会の別階級を形成しつつある。そうした家庭に生まれた子供も社会に溶け込みにくい。それが各国で大問題となり、ついに選挙の争点となった。日本における朝鮮学校は北朝鮮の金父子の肖像を掲げる異質の別世界だが、もしもその人口が年々増大したら、不安に思うだろう。
≪オペラの上演まで自粛して≫
西欧では住みついた女たちがベールで顔を覆うことが問題となった。フランスは市民の平等をうたう。平等とは、国家が人種・宗教により人を別扱いしない世俗主義が公教育の基本であり、イスラム教徒の女子生徒の校内でのベール着用を認めない。着用にこだわれば非宗教性の原則違反で退学になる。半面、同様の原則で、公共建築物から古くからついていたキリスト教の十字架も取り外している。
オランダでは「公共の場所ではイスラム教徒もベールを取るように」と移民相が言明した。しかし移民の半数以上はベール着用が望ましいとしており、「ベールを取れ」と最初に提案した議員は「殺すぞ」という脅しを何度も受けた。ベルギー議会はベールの禁止を可決した。
イタリアのテレビ討論で女性議員が「ベールは宗教的シンボルでもなくコーランで定められたわけでもない。女の顔を隠すベールが自由のシンボルであったためしはない」と発言するや、同席したイタリア在のイスラム教導師が「無知なる者の不信心な発言だ。あなたにコーランを解釈する権利はない」といきりたち、他の導師は「憎悪の種を播(ま)く女」ときめつけた。この宣告はイスラム社会では死刑に相当する。
イタリア内務省は同議員に警官を常時つけて身辺保護に当たらせた。1988年に『悪魔の詩』を刊行したインド生まれの英国人小説家ラシュディは「教祖マホメットを諷刺しイスラム教を冒涜(ぼうとく)した」としてイラン当局によって死刑を宣告され、その訳者の五十嵐一筑波大学助教授は学内で殺された。そんな宗教テロが思いだされる。「触らぬ神に祟(たた)りなし」で言論表現の自由は萎縮(いしゅく)する。
ベルリンではモーツァルトのオペラの上演も自粛した。メルケル独首相は、劇場関係者のそんな自己規制を「まだ脅迫もされないうちから白旗を掲げたようなもの」と批判した。
≪恐ろしい「国内国家」形成≫
西洋の女の裸の露出度に眉を顰(ひそ)める非キリスト教国民は多い。イスラム系男性が故国から花嫁を迎えるのは、西洋社会の道徳的頽廃(たいはい)に「汚されていない」女性と結婚するためと主張する。「うまそうな生の肉を外に出しておけば、猫が来てさらって食う。女も家の中にとどまりベールで顔を覆っていれば、問題は起きない」とイスラム教のお偉いさんが発言した。だがこんな主張はイスラム圏の外ではもはや通用するまい。
ところが欧米左翼のフェミニストは排外主義者と呼ばれたくないから、腰がひける。米国の女性小説家エリカ・ジョングは「イスラム教徒が西洋でもベールをつけるのは、1960年代にヒッピーが長髪をしたようなものでしょう」と答えた。記者が「ベールをつけるのはイスラム人コミュニティーの圧力のせいではないか」と問い詰めると、「欧米の病院でお産すればベールへのこだわりも減るでしょう」とかわした。出産となれば、ベールも服も脱いで医師に肌を見せるからの含意だろう。だがイスラム女性を治療しようとしたイタリア人男性医師は診察室に押し入った夫に殴打された。
グローバリゼーションは「文明の衝突」を加速する。よそごとではない。日本も移民の受け付けは上限を設け、社会への同化をはからないと只事ではすまなくなる。移民が集団で国内国家を形成し、旧態依然たるアイデンティティーにすがりつき、「差別された」と騒ぐことほど恐ろしいことはない。先ごろニューヨークの中心部に爆薬をしかけたのは米国に帰化したパキスタン系の男で、イスラム原理主義に感化された一児の父だった。(ひらかわ すけひろ)