さて、春のセンバツ高校野球大会のブログを書いてきましたが、「練習・トレーナー活動 編」は少しおいておき、春の北信越大会関連のブログを先に更新します
現時点で、星稜高校は夏の石川県予選ベスト8まで進んできました
この春の大会、星稜高校野球部にとっては夏の石川県大会に向け、いろんな意味で大事な大会となりました。どの高校も練習をされレベルアップしてきてますが、星稜と同じく春のセンバツ大会にベスト8進出を果たした日本航空石川高校がやはり大きな壁となりますので、そこを破って優勝し勢いをつけることが必要な大会でした。
甲子園という場所に出場すると、やはり甲子園病ではないですが調子を崩すことがあるようです。それはチームもそうですし、個人個人が感じるものだそうですが、私には残念ながら分かりません
星稜もご多分に漏れずに調子を落とします。大会が始まる前まで練習試合等を見ていて、「これで大丈夫か??」という心配の種が私の心に芽生えてました・・・それくらい調子がいいという感じではなかったです。
そこにカンフル剤といいましょうか、発酵・熟成を促進したのは実力ある新1年生の入部でした。夏の大会でも背番号をもらっている、内山君、荻原君、寺西君を中心として元気な1年生が入り、チーム内のレギュラー争いがいい意味で激化し、さらに進化したチームに仕上がっていきました。
昨秋の北信越大会決勝の大敗春のセンバツ出場一年生の加入=チーム星稜熟成中ってところでしょうか
そして、この春の大会の最後には、彼らはさらに進化・成長した姿を見せてくれることになります。
第138回 北信越地区高校野球石川県大会
~2回戦~ 星 稜 寺 井 4月28日 石川県立野球場
寺 井 000 000 000 0
星 稜 300 010 01X 5 投手;竹谷君-寺沢君 二塁打;竹谷君・鯰田君
~3回戦~ 星 稜 小松明峰 4月30日 石川県立野球場
明 峰 000 000 000 0
星 稜 000 030 04X 7 投手;寺沢君 三塁打;内山君
~準々決勝~ 星 稜 金沢商業 5月3日 石川県立野球場
金 商 020 000 000 2
星 稜 300 100 20X 6 投手;奥川君-山口君-佐藤君 三塁打;南保 3
~準決勝~ 星 稜 金沢学院 5月5日 石川県立野球場
学 院 020 100 001 4 H8 四7 E4
星 稜 203 200 02X 9 H8 四8 E1
投手;竹谷君(7回)-寺沢君(1回)-奥川君(1回)
三塁打;南保君(この日、4打点)、山本君
決 勝 星 稜 日本航空石川 5月6日 石川県立野球場
航 空 000 000 000 0 H4 四1 E0
星 稜 010 003 00X 4 H8 四4 E1
投手;奥川君(完投) 12奪三振
二塁打;内山君、奥川君、山瀬君 打点;東海林君2、山本君2
星稜高校 : 北信越地区高校野球石川県大会 優勝 (2季連続 37回目〈春 2年ぶり〉)
今大会、大きかったことは主将でピッチャーの竹谷君の活躍があり、調子を戻してきたことです。甲子園でも際どいところ、際どいところを責められ、なかなか打たせてもらえませんでした。おそらくゲームを動かすことのできる打者であるから相手も気を使ってくるのでしょう。いろんな理由があり、今一つ調子の上がらなかった彼がピッチングも打撃も復調してきたことはチームにとって大きなことです。
打撃では、甲子園を経験している南保君、鯰田君、竹谷君、東海林君なども活躍しましたが、1年生ながらショートを任され(中学時代はキャッチャー)上位打線で奮闘した内山君や、セカンドで新たに台頭してきた山本君などの活躍は、打線の幅を広げるものでした。
投手陣では、奥川君以外の投手が結果を出し、勝ち進めたことが大きく。最後の決勝戦のピッチングに繋がったと思います。竹谷君の復活、寺沢君、山口君、佐藤君の安定、そして奥川君の成長、これが大きな力となっています。
決勝戦の奥川君のピッチングはストレートに磨きがかかり、変化球も甲子園より精度が上がっていました。結果、散発4安打、12奪三振で完封という素晴らしいピッチングでした。
そして、この日本航空石川高校との決勝戦を制したことは、選手たちの大きな自信に繋がり、歩んできた道の確かさを確認できたのではないかと思います。
春の甲子園で学び、置き忘れてきたものを再び夏の甲子園へ取りにいくために、彼らは地道に練習し進化・成長した姿を見せてくれました。
まだまだ成長します
監督・コーチ・部長はじめチームスタッフの皆さんは、様々な努力をされてチーム作りをされていることだろうと苦労が伺えます。簡単に勝つことなんかできないからです。
そして、多くの部員の心が一つになって試合に臨むことだできているからこそ、チーム星稜は勝利を掴み取っているのだと感じます。
春の北信越地区高校野球大会は石川県開催でした。
私は全日本鍼灸学会学術大会への参加と重なり、今回はトレーナー帯同はできませんでしたが、さらに進化した姿となり歴史を作っていくのでした。
後日、本大会のブログをアップしたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございます