息子が、予定通りに行けば農業高校を来春卒業する事になる。 私たちの頃の高度経済成長期と違って、就職口が極端に少ないと言う先生の話であった。 私も景気が悪いのは肌で感じすぎるほど感じている。 そもそも、農業高校を選んだのは、彼の成績が公立の高校にはここしか入れないと言う中学校の先生に従っただけであった。 勉強しない息子も情けないが、私立の普通高校に入れる金を稼ぐ事のできない自分はもっと情けなかった…。 それから、三年『アッ』という間であった。 勉強も其処で抜きん出て伸びたということも無かった。
三者面談という就職相談会では、親として障害を抱えた息子は肉体労働に耐えられるか心配なので、大学に入れて将来は「ディスクワーク」に付かせたい旨を、先生に申し立てた。 もちろん実業高から現役で公立大学に入れるほど世の中は甘くは無い。 そして、推薦で農大に入る事も、遠まわしながら先生に拒否されているような感じであった。
そもそも、人の一生なんて振り返ってみれば、ほんの一瞬で其の一瞬を悩むのも、年を経るに従って意味の無い事だと思えるようになる。
其の一瞬を、いかに生きるかということに尽きる。 人間も地球上の他の生物同様、子孫を残して自由に生きられる事がその望むところである。
農業で生計が成り立たず、過去には自分の娘を金で売ったり、教育もそこそこに幼くして働かせたり、過去の悲惨な例を挙げるまでもなく、近代までの農村は激しく貧乏だった。 其の農民の立場を知りすぎるほど知って改革に乗り出したのが、田中角栄であった。
彼の行動の原点が、地方における貧困の追放、そしてその解決策を『農工両全』という言葉に求めた。 地方の末端まで、新幹線、高速道を張り巡らし、都会と地方のインフラ格差を無くそうとしたが、正に其れは大正解であった。
時代が進むに従って地方の貧困さは忘れ去られ、再び若者は農業の大規模化とあいまって都会へ流れ出した。 其の原因は、一つだけでなく、少子化と高学歴化で都会の大学に進学する事も一つの大きな原因となった。 彼等若者たちは、地方で起業しようという志は置き忘れ、今都会に有る既成の高度な仕事にあこがれ、其処に残るのである。
鯨は、其の全体重の1/1000が脳細胞、 人間は全体重の約1/40が脳細胞、 ネズミはちょっと比率が高くて1/28が脳細胞であるらしい。
人間社会を、マクロで見ればどのくらいの比率が脳細胞の役割をしなければいけないのだろう。 京大の山科霊長類研究所に聞けば、その種の何パーセントが、脳細胞の役割を果たしているのか、明確に答えを出してくれるだろう。
日本社会における脳細胞に当たる大学卒業者が、何割か知らないがザックリといえば多すぎるのではないか。 社会を構成するには脳細胞だけでなく、手の細胞にも、足の細胞にも、内臓の細胞にもなる人が居なければ、一個の生命体として成り立たない。 地球そのものを一個の生命体と見た場合でも、事情は同じである。
そんな訳で、不肖私の息子は地方で、一個の生命体の中の手足として重要な役割を持って生きてゆけるように、進路を誘導いければいいかな~なんて云う事でした。 起業させます、引かせます 『 ビンボークジ 』。