子供が、喉がいらいらすると言ってから、十日余りになる。 一般的な言葉で言えば、風邪なのだろう。 免疫不全の子を持つ親にとって、単に風邪だからと言って油断が出来る症状ではない。
親は常に子供の生き死にを、頭のどこかに入れて置かないと、立ち直れないほどに急激な症状変化に対応できない状況に陥るのが常だからである。 ≪諸行無常≫と云う仏教用語も、正にこの様な状態を指していると言っていいほど、その疾患の健康状態はおぼつかないものでもある。
免疫状態を操作する薬や、痛みを抑える薬等を常時服用している子供にとっての発熱状態も、体のだるさも、ある程度作られた状態であるので、一般の健常者と同じレベルで症状を判断することは出来ない。
ここ一週間くらいは、子供は夜っぴて『セキ』が止まらなく、その上、たんが出るらしく、度々、夜中にトイレに入り込む。 聞けば、そのタンの色は黄色に成ったり、緑になったり、無色に成ったりと一定ではないらしい。 そして、下痢が重なる。
このままでは、体力が持たないのではないかと思われるほど、夜中のセキが激しかった(ロクに、眠れて無いのだろう)。 筆者は、枕が有れば昼でも、あるいはどんなに賑やかな環境でも寝ることが出来るのだが、今のままでは患児の体力が持つのかどうか懸念される様な、毎夜、毎朝であった。
そんな危急存亡の気持ちを持ち続け、日々、もしこの子に万一の事が有ったら・・・との気持ちがパンクしそうになっていた時であった。 外国に住む別れた妻から電話があった・・・。
子供の体から、『 SOS 』の緊急電磁波の発信でも有ったのだろう。 千里の道の向こう側で、その電磁波は受信されたようであった。
『ワ・タ・シ、 子供、元気・・・・?』の突然の電話。 吾ながら情けないが、ついつい毎日の不安な心情を、涙ながらに話すことと成った。 別れたとは言え、血の道は疑いようが無く、子供に対する思いも昔からの親子の情愛も変わりは無かった。 国籍は違っても、これが親子の、見えない赤い糸の確かさに、肩の荷が半分になった。
金曜日、予約診察の日で風邪の症状の手当てはして戴いたのだが、 次の週にもセキもタンも改善されずに、良くなる気配も無かったので、水曜日の担当医が診察の日を選んで診察して戴いた。 抗生物質は2種類目になり、新しい薬も処方して戴いた。
そのせいであろう、10日余り経った日曜日の朝方、咳は1/5程に減り、今朝方は、だいぶ睡眠時間が多かったような気がした。 ここへ来て、やっと快方に向かったという手応えを掴んだ様な気がした。 セキが収まったわけではないが、症状の経過を、文章に起こす気持ち的な余裕も、出てきたような気がする。
テーマに挙げた、山上憶良の唄『「瓜食めば子ども思ほゆ、栗食めば、ましてしぬはゆ、いづくより来りしものそ、まなかひに、もとなかかりて安眠し寝さぬ」』
この歌が、突然頭の中に湧き上って来たという事を、理解出来ない人は居ないのではなかろうか・・・。 元妻は、どういう胸騒ぎが有ったのか、未だ聞いてはいないが、親子の緊急の状態の、 所謂『虫の知らせ』。 こんな科学で証明出来ない事でも、筆者の様に心細くなって居るときは、寄りかかっても良いのでは無いだろうか・・・・。