住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

住まいの安全性、食物の安全性、政治の危険性、感動の共有
心と体のリラクゼーション、誰かに秘密を話すストレス解消

 『ある愛の詩』

2015年04月24日 | 日記

  昨今、外国人による考えられないような、消費生活を称して『爆買い』と名付け、マスコミで、持て囃している。
マスコミ業界に身を置いている人々の、詳しい収入実態は知らないが、大手マスメディアに関して云えば、少なくても平均年収1400万円程度は有るのだろう。  その上で、貧乏人の心情を煽るのであれば、何か下心が有るのであろうが、そう云う事でないのならば、余りにもその下衆な卑しい品性を嘆かざるを得ない。  

  一か月100万円程度の収入が有って、どの程度社会に還元しているのかは、知る由も無いが将に『ガキ畜生道』まっしぐらの先に、何もない『虚無』だけという事が解らないのだろうか・・・。  人間関係、もっと具体的に言えばお互いの信頼関係、お互いがお互いの事を心配する人間関係、これが連綿と続いてきたのが、大和の国では無かったのか・・・。  目で見える体裁だけを整え、とどのつまりが、暗に云うところの『俺の方がエライ』こんな消費生活の中でも、夫々の遺伝子に刻み込まれた、人間が増えて来たのだろう・・。 或は、上流側の人々の、卑しい心持が伝搬したとでも云うのだろうか・・・。


  ≪ウタダヒカル≫のツィッター、筆者は肉感的な彼女が好きなので、何となく見てしまう一人であるのだが、彼女は何時か「お金は、幾ら有っても足りない・・・」とか何とか、言っていたような気がする。
こんな事を言っては彼女に失礼かもしれないが、たかが芸人(勿論芸人でも、哲学者は居るが・・)、日本の主義主張をリードすべきマスコミが、その程度の人間性では困るのではないだろうか・・・。  勿論、政治家もこんな消費社会の『爆買い』をうらやましく思う様な、言動はどう見ても日本人の品性を、貶めることを国外の人々に疑念を持たせるには充分であろう。


  話は変わりますが、我が家の冷蔵庫の奥のほうに賞味期限が3月26日の2丁のパック詰め豆腐が、隠れて保存されておりました。
普通なら食べないのですが??、実験と言う意味を込めて今日4月24日、パックから取り出し煮沸して見ました。  勿論、発見時にはパックのビニールも膨らんでないし、豆腐を入れている水も、舌先では異常な味はありませんでした。  間違っても、持病の有る我が子には食べさせられませんが、自分では、体に絶対の自信を持っていることもあり、実験方々、食べて見ようという事に成るのです。 サ○コー食品でしたので、GMOとか防腐剤とかは調べたら解るのでしょうが、異常が無ければ調べるつもりはありません。

  つくづくと筆者を、健康に産んでくれて、健康に育ててくれた『父と母』には、いくら感謝しても感謝しすぎるという事は無いと云う思いが沸き上がります。  勿論、それを食べて明日の朝冷たくなることは覚悟の上ですが、精神的に味が気持ち悪いと思うだけで、さして、新品と違う味とも思えませんでした。  明日の朝まで、生きていることを期待して、今夜は休みたいと思います。




  以上、他愛のないブログ内容、あまり、今夜のメインテーマに関係なくなってしまいましたが、『ある愛の詩』、何回か本ブログで引用しましたので、知っている方は知って居られるのでしょう。  これは、他人に訴えるというより、自分に言い聞かせる意味で取り上げ、再度アップするものです。  くどいと思われる方は飛ばして戴いて結構です。

 *** 以上引用  下記URLより ***
  http://www.geocities.jp/nkkagosu100/page014.html  

  大きなことを成し遂げるために 強さを与えてほしいと
   神に求めたのに 謙遜を学ぶように 弱さを授かった

  偉大なことができるようにと 健康を求めたのに
   よりよきことをするようにと 病気を賜った

  幸せになろうとして 富を求めたのに
   賢明であるようにと 貧困を授かった

  世の人々の称賛を得ようとして 力と成功を求めたのに
   得意にならないようにと 失敗を授かった

  人生を楽しむために あらゆるものを求めたのに
   あらゆるものをいつくしむために 人生を授かった

  求めたものは一つとして与えられなかったが 
   願いはすべて 聞き届けられた
 
    私はもっとも豊かに祝福されたのだ

   ***  以上引用  終  ***



  求めるものを全て手に入れ、消費生活に疲れてきたら、どういうことに成るのだろうか。  求めるものに限界は無いのが、人間の欲望と云うものであり、それが有るためにここまで物質文明が進化したものと思われることもある。  だがしかし、生きて行く上で大切なのは、物質より人間関係、信頼関係という基本に戻るのだろう。  そう有ってほしいと思うのは、筆者だけの幻想であろうか・・・・。  

  ある愛の詩・・・中部地方で難病を患い若くして亡くなられた、看護婦さんがノートに書き込まれて、折にふれ力にされたと言うことで、本ブログでも何回か取り上げたが、検索を掛けてもその引用オリジナルにたどり着くことは出来なかった。 時の経つのは早いものである。

  病気を神から賜った『我が息子』、今年は年男の年齢にたどり着くことが出来た。
その『ある愛の詩』と云う≪詩≫を眼にしてから、概ね20年、あと何年生きるか知らないが、生きているうちに、お金よりあるいは物より人間同士の信頼関係が大切だと、云う思いにたどり着いてほしいものである。