中国語で、これは何ですか? ということを
ジィシー、シェンマァー→と語尾を上げます。
揚州生まれの鑑真は弘法太子の生まれる、チョット前の753年大伴古麻呂の好意によって遣唐使の船に乗せてもらい日本を訪れることができた。 実は彼は何回かの訪日に失敗し、失明に近い状態であった。
彼はどうやって日本語を理解する事ができたか? そして、彼は日本を征服する為に日本にやってきたか? Non ! 彼の『心情』が、今の政治家に必要なのでしょう。
この辺の鑑真の経緯を考えたら、日本の英語教育(外国語教育)がどうして一般人に定着しないのがよく理解できる。
英語の先生が、英語を言葉としてではなく、学問として紹介しそれを権威付けたため英語が定着しないと思って間違いではないようです。
其の国のリーダーが、自国の言葉の発音もままなら無い様でも困りもんですが、語学学習はこの辺にヒントがあるのでしょう。
学生時代、電車で外国人を見つけたら、これ幸いに練習で話しかける“スワ”クンという男が居たが、ひとかどの者に成ったといううわさは無い。ナツカシイ~。
同時通訳の人が言っていました。 大まかな意味を掴めばいいんです。 一つ一つの言葉に拘り過ぎてはいけません。 まさに其の通りではないかと思います。
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