住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

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あきらめた・「婚活」

2009年07月11日 | 日記
 いろんな理由から、私はクレジットカードを持たない。 これが結婚サイトで前に進めない大きな理由の一つであろう。 10数年前なら、プロバイダーに依頼された「サクラ」が多いと思い、気にも懸けなかった。 それがここにきてネットの普及もあり、かなり素人の方だと思われる人が多くなったようである。 そして、お付き合いしてもいいかな~という人も。

 私は、小さいときから人前に出ると極度に緊張する。 恐らく、性格的なものと、育て方によるものと、物事に対する覚悟の無さ、経験の無さなどが複合的に作用し有っているものと思われる。
スポーツは人生のメーンデッシュではなく、スパイスの役割(喜怒哀楽の疑似体験上)ということは早くから思い続けていたが、それが経験と一緒に理解できるようになったのは、20歳を過ぎてからである。 中学高校と継続して、クラブ活動のスポーツをやり、特に団体で競技するときは、手も足もガチガチ、まるで自分の体ではないようで、気持ちまでも上ずって自分が何処に有るのか、完全に見失っていた。 

 それが、20歳を数年過ぎた頃である。
この世が、『全て神の見えざる手によって運行されている』と思い込むことによって、全てが怖くなくなっていた(別にアダムスミスに感化された訳ではないが)。  努力する事も自分に与えられた道であるし、勝負に負けることも決まっていた道であるし、勝った時にはシナリオ通りであるので驕り高ぶる事はない、そんな思い込みが出来るようになっていた。 それを身につけるには、自分で見たこと聞いた事以外の世界を信じる事が出来る、柔軟な思考を身に付け、信ずるに足るものを自分の心に持たねばならない。 その対象が、ご先祖様でも、達磨大使でも、神様でも、目の前の石でもかまわない。エリア51でも。  毎日毎朝祈る事によって、其の行動に自然と心もそのように導かれる。 いわゆる、『啓示』という事である。

 高校では3年生の就職が話題になり始めた。 今年の求人率が、0.4位である。 10人の生徒のうち、好む職業にも好まざる職業にも就く事ができるのは、今のところ10人中たった4人である。
上記、結婚サイトで気に入った人はそれと比べたら率が低いが、カードなしでメールを打てないので話にも何もならない。 大まかに私に近い50歳前後の人を見ると、どうしても先々の安定を求めたいのだろう。 求める年収が、1000万とか、800万とか田舎ではありえないような年収を要求している。 あるいはそういう人は遊び感覚かもしれないが、私とは、肌合いが本質的に違う。
私の思いは、相互保険的意味でパートナーを探しているのである。 子供が今世間に出ようとしている時に、心置きなく父を捨てて行ける様にとの準備の意味である。

私は、これからも目の前のことを飽きもせずとつとつと行い、他人に迷惑をかけぬように、出合いがあったらその人と淡々と生きる。 そのへんにいる“ダンゴムシ”のように自分の生を全うできれば、云う事はない。 
政治なんていうのは「空気」のようなもので、意識しないで生きられれば、これほど幸せな事はない。 だれでも『衣、食、住、家庭』を持てれば、右往左往することは無いのだろうが、生きる事も難しくなった。グローバルに成ったという事か。 


責任を政治に帰結させれば、すなわち一人ひとりに責任が問われることになる。


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