シュルイがある通りは商店街なのでアーケードがある。
とぎれとぎれだし超古い。
今日、出勤したらとなりの食堂の前の柱が曲がってた。
アーケードの屋根が崩れ落ちそうです~。
ジャッキみたいなモノで支えてました。
そりゃ、雨の日は便利ってのはわかるけどさ。
ひどすぎるよ、あのアーケードは。
サビだらけだし、ボロボロだもん。
さびれた商店街がますますわびしいわ。
コレは「アーケード」というモノだけでなく、
このままではいけない、変わらなくては!
と誰もが思う市の中心地の現状なのに
一向に変わろうとしない、このもどかしさを表しているよーな気がする。
中心地活性化の色んなアイディアはあるけれど、一人じゃ出来ない。
もやもや。
三島駅前は気が付いたらスクランブル交差点になってたんですけど
それって必要だったんですか~?
キレイに整備された事はもちろん良いことだけど
これだけ不便だったのがこれだけ便利になりましたとか、
そーゆー結果があったのかしら?
やはり相当のお金をかけたのだろーから
「成果」を市民が感じられないのならば意味が無い。
そんな、上っ面の整備じゃないんだよ!
街を変えるのは。
自治体でも国でも、政策を考える際に
その政策の先のビジョンをもっと明確に示して
国民に希望を持たせる様にしてくれれば良いのに、と常々思う。
駅前の整備をしました。
駅前がキレイになりました。
良かったでしょ?
はい、この件はこれで終わり。
これじゃ市民には全然関係無いよね。
例えば、こういう整備をしたおかげで
障害者やお年寄りや赤ちゃん連れのお母さんがとても歩きやすくなりました、とか
ロータリーが整備されてバスの出入りがしやすくなったので
バスの本数を増やしてもっと沢山の人がバスを利用しやすくなりました、とか
駅から続く商店街がにぎやかになりました、とか
それによって一般市民に何かしらのメリットが無くてはならないはずだ。
もし、実際にこういう成果があったならば
きちんと数字としてなど、わかりやすく表すべきだと思う。
そうしなければ市民は「あ~また無駄にお金を使ってる」と思ってしまう。
スウェーデンに「ナチュラル・ステップ」という環境教育団体があって
その創始者が提唱している考え方に「バックキャスティング」というものがある。
それは「将来こうしたい」というビジョンを描き
そうなる為には今何をすべきかを計画し、実行する。
今をAとし、経過をB、Cで成功した未来をDとするならば
D→C→B→Aと、成功した姿から
やるべき事をさかのぼって考えるのである。
そうすると理想の未来を実現しやすい。
反対は「フォアキャスティング」。
これは「今までこうだったから、この先もこうだろう」という考え方。
起きるかもしれない不都合なコトに目をつぶって
結果に責任を負わなくて良いならば実に楽なやり方である。
が、しかし今の様々な政策は
フォアキャスティングに基づいたモノであるよーに思う。
楽観的な予測と惰性で経済その他が成長できた時代はもう来ないだろう。
例えば今、暫定税率をどーするかで国会はワーワー言ってるんですが
税率を下げたくない与党や各都道府県は
税金とって作ってきた道路をもっと作ろうよ~
今まで出来たんだからまだまだ出来るよね~?
てな感じでフォアキャスティングな考え方なのではなかろーか。
もちろん、本当に必要な道路ならば作るべきだと思うけど
ただ単に公共工事をしたいがための道路ならば
もちろん作らない方が良い。
未来永久に公共工事をし続けるなんて事は
財政的にも環境的にも不可能だからだ。
経済、環境、福祉などにおいて持続可能な未来のビジョンを描けない様な
政策は進めるべきではない。
バックキャスティングに当てはめて書こうと思ったら
日本の政治家は将来の姿さえも明確にしていない、とわかってしまったよ。
前総理ではあるが「美しい国」などと漠然とした事で将来が見えるかっつーの。
ホントにね、ぼんやりした言葉で質問に答えるの辞めて欲しいよ。
ところで「粛々と」って何!?
ちょっと前はあまり聞かない言葉だったと思うんだけど
小泉さんか誰かが言ったらそれ以来、頻繁にマネされてますね。
いつの間にか「はっきり言えないな~」という質問には
「それについては、粛々と考えていきたいと思います」
と言うのがポピュラーになった様だ。
アンタの考えを具体的に答えなさいよ!!
一人では質問にも答えられんのかい!?
横から「頭が真っ白に・・」とか教えてもらえないと
しゃべれないのかい!?
ふ~・・・熱くなってしまった。
「粛々と」で濁しているのを聞くと異様に腹が立つのは私だけですかい?
とぎれとぎれだし超古い。
今日、出勤したらとなりの食堂の前の柱が曲がってた。
アーケードの屋根が崩れ落ちそうです~。
ジャッキみたいなモノで支えてました。
そりゃ、雨の日は便利ってのはわかるけどさ。
ひどすぎるよ、あのアーケードは。
サビだらけだし、ボロボロだもん。
さびれた商店街がますますわびしいわ。
コレは「アーケード」というモノだけでなく、
このままではいけない、変わらなくては!
と誰もが思う市の中心地の現状なのに
一向に変わろうとしない、このもどかしさを表しているよーな気がする。
中心地活性化の色んなアイディアはあるけれど、一人じゃ出来ない。
もやもや。
三島駅前は気が付いたらスクランブル交差点になってたんですけど
それって必要だったんですか~?
キレイに整備された事はもちろん良いことだけど
これだけ不便だったのがこれだけ便利になりましたとか、
そーゆー結果があったのかしら?
やはり相当のお金をかけたのだろーから
「成果」を市民が感じられないのならば意味が無い。
そんな、上っ面の整備じゃないんだよ!
街を変えるのは。
自治体でも国でも、政策を考える際に
その政策の先のビジョンをもっと明確に示して
国民に希望を持たせる様にしてくれれば良いのに、と常々思う。
駅前の整備をしました。
駅前がキレイになりました。
良かったでしょ?
はい、この件はこれで終わり。
これじゃ市民には全然関係無いよね。
例えば、こういう整備をしたおかげで
障害者やお年寄りや赤ちゃん連れのお母さんがとても歩きやすくなりました、とか
ロータリーが整備されてバスの出入りがしやすくなったので
バスの本数を増やしてもっと沢山の人がバスを利用しやすくなりました、とか
駅から続く商店街がにぎやかになりました、とか
それによって一般市民に何かしらのメリットが無くてはならないはずだ。
もし、実際にこういう成果があったならば
きちんと数字としてなど、わかりやすく表すべきだと思う。
そうしなければ市民は「あ~また無駄にお金を使ってる」と思ってしまう。
スウェーデンに「ナチュラル・ステップ」という環境教育団体があって
その創始者が提唱している考え方に「バックキャスティング」というものがある。
それは「将来こうしたい」というビジョンを描き
そうなる為には今何をすべきかを計画し、実行する。
今をAとし、経過をB、Cで成功した未来をDとするならば
D→C→B→Aと、成功した姿から
やるべき事をさかのぼって考えるのである。
そうすると理想の未来を実現しやすい。
反対は「フォアキャスティング」。
これは「今までこうだったから、この先もこうだろう」という考え方。
起きるかもしれない不都合なコトに目をつぶって
結果に責任を負わなくて良いならば実に楽なやり方である。
が、しかし今の様々な政策は
フォアキャスティングに基づいたモノであるよーに思う。
楽観的な予測と惰性で経済その他が成長できた時代はもう来ないだろう。
例えば今、暫定税率をどーするかで国会はワーワー言ってるんですが
税率を下げたくない与党や各都道府県は
税金とって作ってきた道路をもっと作ろうよ~
今まで出来たんだからまだまだ出来るよね~?
てな感じでフォアキャスティングな考え方なのではなかろーか。
もちろん、本当に必要な道路ならば作るべきだと思うけど
ただ単に公共工事をしたいがための道路ならば
もちろん作らない方が良い。
未来永久に公共工事をし続けるなんて事は
財政的にも環境的にも不可能だからだ。
経済、環境、福祉などにおいて持続可能な未来のビジョンを描けない様な
政策は進めるべきではない。
バックキャスティングに当てはめて書こうと思ったら
日本の政治家は将来の姿さえも明確にしていない、とわかってしまったよ。
前総理ではあるが「美しい国」などと漠然とした事で将来が見えるかっつーの。
ホントにね、ぼんやりした言葉で質問に答えるの辞めて欲しいよ。
ところで「粛々と」って何!?
ちょっと前はあまり聞かない言葉だったと思うんだけど
小泉さんか誰かが言ったらそれ以来、頻繁にマネされてますね。
いつの間にか「はっきり言えないな~」という質問には
「それについては、粛々と考えていきたいと思います」
と言うのがポピュラーになった様だ。
アンタの考えを具体的に答えなさいよ!!
一人では質問にも答えられんのかい!?
横から「頭が真っ白に・・」とか教えてもらえないと
しゃべれないのかい!?
ふ~・・・熱くなってしまった。
「粛々と」で濁しているのを聞くと異様に腹が立つのは私だけですかい?