シュルイのブログ「エコ魂」

スケールの大きい小心者のこの私。地球の未来を憂いて早四半世紀。地域活性と持続可能な社会を目指す日々を綴ります。

私がオバアさんになっても

2018年02月17日 | 持続可能な社会
介護の仕事で日々お年寄りに接していて
更に、ここ数年はとても身近な人を亡くす経験をして
ますます終末期について考えるコトが多いです。

まぁ上記のような条件がなくても
年齢的に人生の折り返し地点あたりなので
自分のためにも、まわりの人のためにも
終末期や万一の時のためにどうしたいかを
考えたり決めたり伝えておいたりする必要が生じてきたなぁと感じます。

回復の見込みが無い場合、延命措置を施すかどうか・・
とか、そういうコトですね。

基本的には何もせず、苦しまないように緩和ケアはしてもらいたいなぁ。

理想の死に方は多くの人が望むようにピンピンコロリ。
しかしそんな幸せな死に方をする人はどのくらいの割合なのだろう。

足腰が弱って身体が動かなくなったり
はたまた身体は元気でも認知症で生活が不自由になったりするかもしれない。

自分では「子供の世話にはならない」と言っていても
そうなったら世話にならざるを得ないワケで、
私の場合は子供がいないので
近い血縁者だったり福祉関係の職員やボランティアかもしれないけど
とにかく、ある程度の高齢になったら誰かしらの支援を受けるであろー。

で、特に認知症になってしまった場合、程度にもよるだろうけど
本人よりまわりの人の意見を優先してしまいがちなのが現状。

なので「♪私がオバアさんになっても~」なのである。
「私の意見を聞いて」と。
私の人生なのだから、可能な限り私の希望で生活させて欲しい、と。

今はまだ高齢者ではなく、ただの健康な中年なので一人暮らしも寂しくないし
何の不便も無いのだけど、ゆくゆくはシェアハウスで
みんなで助け合いながら暮らすのも良いなぁと思っている。

色々共有した方がエコだし!!

でも、一人暮らしの気楽さも良いし、この先誰かと暮らしても
死別などでまた一人になるかもしれない。

もし私が家で一人で亡くなったとしても
決して「孤独死」とは言わないで欲しい。
ピンピンコロリが理想だけど、何かしら患っていたにせよ
ワタシはワタシの人生を楽しんで全うしているはずなので
一人暮らしでも孤独ではないし、あるいは孤独を楽しんでいると思う。

でも亡くなってから何日も気づかれないで・・・となると
その後のコトでまわりの人に迷惑をかけるだろうから
毎日、何かしら生きてるよーという信号を出してると良いなぁ。
例えばこーゆー風にブログを書く、とか。
今は月に2回くらいだけど、色々リタイヤして時間ができたら
ブログとかSNSとか、毎日やろーかなー。

うーん、リタイヤ・・・勤めだったら20年くらい先になるかなぁ。
その頃はSNSとかネット環境とか終末期医療とか人々の死生観とか
色んなコトが今とは全然違うだろうなぁ。

でもどうなっているにせよ、誰かの助けを借りるので
人には優しくせにゃーと思うのでありました。
まぁ見返りを期待して優しくするワケじゃないけど
「情けは人の為ならず」ってコトですね。