今回ご紹介するのは大河ドラマ「毛利元就 第二十一回 百万一心」です。
-----内容&感想-----
1529年(享禄2年)1月、この頃安芸の国一帯では築城ブームが起きていました。
西国一の守護大名、大内義興(よしおき)が亡くなり戦国の嵐が刻々と近づいていることの現れであり、元就も郡山城(こおりやまじょう)の拡張工事に取り掛かっていました。
当時城を建てたり拡張したりする時はどの城主も人柱を埋めていたとのことですが元就はそれをやめ、「百万一心(ひゃくまんいっしん)」と彫った巨大な石碑を埋めます。
百万の人々が心を一つにするという意味ですが、軍事担当の重臣の桂元澄(もとずみ)が百と万の字が間違っていないかと元就に聞きます。
すると元就は「一日一力(いちにちいちりき)とも読めよう。一日一力一心じゃ。百万の人間が、時と心と力を一つにせんと、そう願いを込めて考えた字じゃ」と言います。
これを聞いた筆頭重臣の志道(しじ)広良は「殿。志道広良、惚れ抜きましたぞ」と言い感銘を受けていて元就の名将ぶりが際立っていました。
しかし正室の美伊(みい)と息子の千代寿丸(ちよじゅまる)、娘の可愛(えの)が遊んでいるところにやって来た元就は不機嫌で、美伊がどうしたのかと聞くと重臣の井上元兼の手の者が誰も工事を手伝いに来ないと言います。
元兼は自身の力で元就を城主にしたと思っていて、元就が名将ぶりを発揮して自身の意のままにはならないと分かってくるにつれ言うことを聞かなくなってきました。
元就が「元兼一人抑えられぬわしが何が百万一心だ」と不貞腐れ気味に言うと、美伊は「元兼の手を借りずとも、どんどん城はできてるじゃないかと、美伊ならそう考えまする」と言い、二人の性格の違いがよく分かる場面でした。
そこに忍の小三太がやって来て不審な人物が拡張工事中の郡山城の見取り図を持っていたことを知らせます。
そこには元就の他には限られた者しか知らないはずの道も描かれていました。
小三太は不審な人物を斬り、その人物は高橋家の領内に入ろうとしていたと言います。
高橋家は亡くなった元就の兄、興元(おきもと)の正室の雪の里です。
元就が雪に話を聞くと「甥の高橋興光(おきみつ)が致したことに相違あるまい」と言い元就に謝り、高橋家は今家中が揉めていると伝えます。
元就は雪が知らないところで起こったことなのだから気にしなくて良いと言い慰めます。
郡山城で評定(ひょうじょう)が開かれ、経済担当の重臣赤川元保が元就に、高橋家を探らせたところ元光亡き後興光が当主になったものの、いとこの盛光が不満を持ちいがみ合っていてお互い討ち殺す機会を狙っていると言います。
外交担当の重臣の児玉就忠は興光は郡山城の絵図面を尼子に流すつもりだったのだろうと言います。
さらに高橋は尼子方で、毛利家は尼子から大内に鞍替えしたので尼子は毛利を恨んでいて、興光は絵図面を流すことで尼子に恩を売り盛光を討つ援護を頼もうとしたに相違ないと言います。
元保は幾度となく煮え湯を飲まされている高橋を討つには揉めている今が好機だと言い、高橋は領地も大きく毛利より格も上で、今高橋を討てば国人領主の中で毛利が一歩前に出ることになると言い、就忠も千載一遇の好機だと言います。
しかし元就は動かないと言い、元保が「なにゆえ!?」と言うと広良が雪殿がこちらに居る以上元就は兄嫁の実家を討つわけにはいかないからだと言います。
元保は「そんな甘さで好機を逃してはなりませぬ!今、今しかござらん!」と言います。
広良は「雪殿は散々辛い目に遭うてこられた。それを思えば、高橋には手は出せん」と言います。
この評定は兄嫁の実家でも討つべきだという戦国時代の凄まじさが分かる緊迫した場面でした。
大内義隆は九州の少弐資元(しょうにすけもと)を討つため因島の村上水軍に援護を求め、大内の館に村上虎吉(とらよし)、加芽(かめ)、野田次郎を招きます。
しかし加芽が大内はみんな無礼で、力を借りたいというのに物を頼む態度ではないと言います。
さらに義隆にもたとえ義隆でも物を頼む時は頭を低くするのが道理だろうと言い、陶隆房(すえたかふさ)が爆笑して「お見事!」と言い愉快そうに加芽を見ます。
隆房は「わが殿、大内義隆殿は、頭では分かっておっても頭を低くしたことがござらぬゆえ、やり方がよう分からんのじゃ」ととんでもないことを言い、父の陶興房(おきふさ)から「殿に対してその言い方はなかろう」と注意されます。
出雲では尼子の内輪揉めが深刻になり、尼子経久(つねひさ)の三男の塩冶興久(えんやおきひさ)は城主としては三千貫しか経久から与えられていないのを不満に思っています。
月山富田城(がっさんとだじょう)で経久の孫の詮久(あきひさ)は興久が経久を討つ噂があるのを経久に伝えます。
経久も承知していて、詮久はいずれ自身が家督を継ぐ以上興久の恨みは自身にも向くはずだと言い、もし興久が謀反を起こせば経久に我が子を手にかけるようなことをさせるわけにはいかないので自身が討つと言います。
こちらも戦国時代の凄まじさがよく現れた場面でした。
詮久が去った後重臣の宇山久兼(ひさかね)と亀井秀綱が現れると、経久は「興久が悪いわけではない。戦、戦、戦で、家を空けてばかりおった。父親としての思いを通わすことなく育ってしまった」と寂しそうに言います。
久兼が謀反は噂であって確かなことではないと慰めると、「わしは大きな領土を得て、小さな息子に殺されるかも知れん。それはそれで面白いか」と言っていて経久の抱える虚しさが分かりました。
高橋家では当主興光が盛光を討ち、盛光誅殺の知らせが雪にも届きます。
絶望した雪は元就と美伊に「もはや悲しみに会いとうはない」と言い、毛利家を去り京都に行って世を捨ててひっそり暮らすと言います。
雪が去る時に認知症の広俊が陽気に「雪殿、嫁に来て、幸せじゃったか」と聞くと雪は「はい、幸せにござりました」と微笑んで言います。
私にはとてもそうは思えず、広俊のために言ってあげた言葉に見えました。
(雪の方。画像はネットより)
その夜元就と美伊は雪のことを話し、二人とも雪が元就に高橋家を討たせるために毛利家を出て行ったことを悟っていました。
雪は興光が小さい頃から器量が小さく、高橋家は今や昔の見る影もなくなりいずれどこかの国人領主に討たれるだろうと話していて、それならば元就に討ってもらうのが一番良いと思っていました。
元就はついに高橋を討つ決意をします。
京都に向かったはずの雪は高橋興光の館に行きます。
雪は興光に今日からこの屋敷に置いてくれないかと頼みます。
雪が自身は働いて役に立ちたいが毛利家には働ける場所がないから出たと言うと、興光がそんな嘘を信じるとお思いかと言いこの場面はヒヤリとしました。
しかし直後に雪が高橋にいれば毛利が討ってくることもなくなるから高橋を守るために毛利を出たと察しがついていると見当違いなことを言っていて、器量が小さいはそのとおりだと思いました。
1529年5月、毛利軍が高橋家に攻め込みます。
毛利軍が興光を討ち取るとそこに雪が現れ、その直後に現れた元就は驚愕します。
元就がともに毛利に帰ってくれと頼むと雪は元就に刀を突きつけ、そのまま燃え盛る炎の中に消えて行きます。
出雲の月山富田城では詮久が「元就め。よくも高橋を潰してくれた。当家が興久殿のことで動けぬことを知ったその隙を縫うとは、何と姑息な男じゃ」と激怒します。
経久は「いや、元就は姑息ではない。あれは鷹だ。獲物を、爪にかけた」と言います。
さらに「名将と呼ばれる者は、みな、悪徳と背中合わせに生きておる」と言っていたのがとても印象的でした。
綺麗な理想を掲げるだけでは強敵がひしめき味方も誰が裏切るか分からないような世の中で生きてはいけず家を繁栄させることもできないのだと思います。
郡山城では元就が茫然とした様子で柱に寄りかかって座り込みます。
元就の目が「戦国の世はむごい」と語っていることを美伊は感じ取っていました。
今回は戦国時代の凄まじさを強く感じました。
相手が兄嫁の実家や親子関係であっても時として躊躇わず討たないといけないとは恐ろしい時代です。
最後の元就の茫然とした様子が印象的で、経久に鷹と呼ばれていてもやはり辛いのがよく分かりました。
そして美伊はそんな元就を支えていく決意をさらに強くしていて、殿である元就が茫然とした顔を見せられるのは美伊であり、元就が辛さに直面して飲み込んでいくのに美伊の支えは凄く重要と思いました。
各回の感想記事
第一回 妻たちの言い分
第二回 若君ご乱心
第三回 城主失格
第四回 女の器量
第五回 謀略の城
第六回 恋ごころ
第七回 われ敵前逃亡す
第八回 出来すぎた嫁
第九回 さらば兄上
第十回 初陣の奇跡
第十一回 花嫁怒る
第十二回 元就暗殺指令
第十三回 戦乱の子誕生
第十四回 巨人とひよっこ
第十五回 涙のうっちゃり
第十六回 弟の謀反
第十七回 凄まじき夜明け
第十八回 水軍の女神
第十九回 夫の恋
第二十回 隠し女
-----内容&感想-----
1529年(享禄2年)1月、この頃安芸の国一帯では築城ブームが起きていました。
西国一の守護大名、大内義興(よしおき)が亡くなり戦国の嵐が刻々と近づいていることの現れであり、元就も郡山城(こおりやまじょう)の拡張工事に取り掛かっていました。
当時城を建てたり拡張したりする時はどの城主も人柱を埋めていたとのことですが元就はそれをやめ、「百万一心(ひゃくまんいっしん)」と彫った巨大な石碑を埋めます。
百万の人々が心を一つにするという意味ですが、軍事担当の重臣の桂元澄(もとずみ)が百と万の字が間違っていないかと元就に聞きます。
すると元就は「一日一力(いちにちいちりき)とも読めよう。一日一力一心じゃ。百万の人間が、時と心と力を一つにせんと、そう願いを込めて考えた字じゃ」と言います。
これを聞いた筆頭重臣の志道(しじ)広良は「殿。志道広良、惚れ抜きましたぞ」と言い感銘を受けていて元就の名将ぶりが際立っていました。
しかし正室の美伊(みい)と息子の千代寿丸(ちよじゅまる)、娘の可愛(えの)が遊んでいるところにやって来た元就は不機嫌で、美伊がどうしたのかと聞くと重臣の井上元兼の手の者が誰も工事を手伝いに来ないと言います。
元兼は自身の力で元就を城主にしたと思っていて、元就が名将ぶりを発揮して自身の意のままにはならないと分かってくるにつれ言うことを聞かなくなってきました。
元就が「元兼一人抑えられぬわしが何が百万一心だ」と不貞腐れ気味に言うと、美伊は「元兼の手を借りずとも、どんどん城はできてるじゃないかと、美伊ならそう考えまする」と言い、二人の性格の違いがよく分かる場面でした。
そこに忍の小三太がやって来て不審な人物が拡張工事中の郡山城の見取り図を持っていたことを知らせます。
そこには元就の他には限られた者しか知らないはずの道も描かれていました。
小三太は不審な人物を斬り、その人物は高橋家の領内に入ろうとしていたと言います。
高橋家は亡くなった元就の兄、興元(おきもと)の正室の雪の里です。
元就が雪に話を聞くと「甥の高橋興光(おきみつ)が致したことに相違あるまい」と言い元就に謝り、高橋家は今家中が揉めていると伝えます。
元就は雪が知らないところで起こったことなのだから気にしなくて良いと言い慰めます。
郡山城で評定(ひょうじょう)が開かれ、経済担当の重臣赤川元保が元就に、高橋家を探らせたところ元光亡き後興光が当主になったものの、いとこの盛光が不満を持ちいがみ合っていてお互い討ち殺す機会を狙っていると言います。
外交担当の重臣の児玉就忠は興光は郡山城の絵図面を尼子に流すつもりだったのだろうと言います。
さらに高橋は尼子方で、毛利家は尼子から大内に鞍替えしたので尼子は毛利を恨んでいて、興光は絵図面を流すことで尼子に恩を売り盛光を討つ援護を頼もうとしたに相違ないと言います。
元保は幾度となく煮え湯を飲まされている高橋を討つには揉めている今が好機だと言い、高橋は領地も大きく毛利より格も上で、今高橋を討てば国人領主の中で毛利が一歩前に出ることになると言い、就忠も千載一遇の好機だと言います。
しかし元就は動かないと言い、元保が「なにゆえ!?」と言うと広良が雪殿がこちらに居る以上元就は兄嫁の実家を討つわけにはいかないからだと言います。
元保は「そんな甘さで好機を逃してはなりませぬ!今、今しかござらん!」と言います。
広良は「雪殿は散々辛い目に遭うてこられた。それを思えば、高橋には手は出せん」と言います。
この評定は兄嫁の実家でも討つべきだという戦国時代の凄まじさが分かる緊迫した場面でした。
大内義隆は九州の少弐資元(しょうにすけもと)を討つため因島の村上水軍に援護を求め、大内の館に村上虎吉(とらよし)、加芽(かめ)、野田次郎を招きます。
しかし加芽が大内はみんな無礼で、力を借りたいというのに物を頼む態度ではないと言います。
さらに義隆にもたとえ義隆でも物を頼む時は頭を低くするのが道理だろうと言い、陶隆房(すえたかふさ)が爆笑して「お見事!」と言い愉快そうに加芽を見ます。
隆房は「わが殿、大内義隆殿は、頭では分かっておっても頭を低くしたことがござらぬゆえ、やり方がよう分からんのじゃ」ととんでもないことを言い、父の陶興房(おきふさ)から「殿に対してその言い方はなかろう」と注意されます。
出雲では尼子の内輪揉めが深刻になり、尼子経久(つねひさ)の三男の塩冶興久(えんやおきひさ)は城主としては三千貫しか経久から与えられていないのを不満に思っています。
月山富田城(がっさんとだじょう)で経久の孫の詮久(あきひさ)は興久が経久を討つ噂があるのを経久に伝えます。
経久も承知していて、詮久はいずれ自身が家督を継ぐ以上興久の恨みは自身にも向くはずだと言い、もし興久が謀反を起こせば経久に我が子を手にかけるようなことをさせるわけにはいかないので自身が討つと言います。
こちらも戦国時代の凄まじさがよく現れた場面でした。
詮久が去った後重臣の宇山久兼(ひさかね)と亀井秀綱が現れると、経久は「興久が悪いわけではない。戦、戦、戦で、家を空けてばかりおった。父親としての思いを通わすことなく育ってしまった」と寂しそうに言います。
久兼が謀反は噂であって確かなことではないと慰めると、「わしは大きな領土を得て、小さな息子に殺されるかも知れん。それはそれで面白いか」と言っていて経久の抱える虚しさが分かりました。
高橋家では当主興光が盛光を討ち、盛光誅殺の知らせが雪にも届きます。
絶望した雪は元就と美伊に「もはや悲しみに会いとうはない」と言い、毛利家を去り京都に行って世を捨ててひっそり暮らすと言います。
雪が去る時に認知症の広俊が陽気に「雪殿、嫁に来て、幸せじゃったか」と聞くと雪は「はい、幸せにござりました」と微笑んで言います。
私にはとてもそうは思えず、広俊のために言ってあげた言葉に見えました。
(雪の方。画像はネットより)
その夜元就と美伊は雪のことを話し、二人とも雪が元就に高橋家を討たせるために毛利家を出て行ったことを悟っていました。
雪は興光が小さい頃から器量が小さく、高橋家は今や昔の見る影もなくなりいずれどこかの国人領主に討たれるだろうと話していて、それならば元就に討ってもらうのが一番良いと思っていました。
元就はついに高橋を討つ決意をします。
京都に向かったはずの雪は高橋興光の館に行きます。
雪は興光に今日からこの屋敷に置いてくれないかと頼みます。
雪が自身は働いて役に立ちたいが毛利家には働ける場所がないから出たと言うと、興光がそんな嘘を信じるとお思いかと言いこの場面はヒヤリとしました。
しかし直後に雪が高橋にいれば毛利が討ってくることもなくなるから高橋を守るために毛利を出たと察しがついていると見当違いなことを言っていて、器量が小さいはそのとおりだと思いました。
1529年5月、毛利軍が高橋家に攻め込みます。
毛利軍が興光を討ち取るとそこに雪が現れ、その直後に現れた元就は驚愕します。
元就がともに毛利に帰ってくれと頼むと雪は元就に刀を突きつけ、そのまま燃え盛る炎の中に消えて行きます。
出雲の月山富田城では詮久が「元就め。よくも高橋を潰してくれた。当家が興久殿のことで動けぬことを知ったその隙を縫うとは、何と姑息な男じゃ」と激怒します。
経久は「いや、元就は姑息ではない。あれは鷹だ。獲物を、爪にかけた」と言います。
さらに「名将と呼ばれる者は、みな、悪徳と背中合わせに生きておる」と言っていたのがとても印象的でした。
綺麗な理想を掲げるだけでは強敵がひしめき味方も誰が裏切るか分からないような世の中で生きてはいけず家を繁栄させることもできないのだと思います。
郡山城では元就が茫然とした様子で柱に寄りかかって座り込みます。
元就の目が「戦国の世はむごい」と語っていることを美伊は感じ取っていました。
今回は戦国時代の凄まじさを強く感じました。
相手が兄嫁の実家や親子関係であっても時として躊躇わず討たないといけないとは恐ろしい時代です。
最後の元就の茫然とした様子が印象的で、経久に鷹と呼ばれていてもやはり辛いのがよく分かりました。
そして美伊はそんな元就を支えていく決意をさらに強くしていて、殿である元就が茫然とした顔を見せられるのは美伊であり、元就が辛さに直面して飲み込んでいくのに美伊の支えは凄く重要と思いました。
各回の感想記事
第一回 妻たちの言い分
第二回 若君ご乱心
第三回 城主失格
第四回 女の器量
第五回 謀略の城
第六回 恋ごころ
第七回 われ敵前逃亡す
第八回 出来すぎた嫁
第九回 さらば兄上
第十回 初陣の奇跡
第十一回 花嫁怒る
第十二回 元就暗殺指令
第十三回 戦乱の子誕生
第十四回 巨人とひよっこ
第十五回 涙のうっちゃり
第十六回 弟の謀反
第十七回 凄まじき夜明け
第十八回 水軍の女神
第十九回 夫の恋
第二十回 隠し女
百万一心・碑の頁を編集しています(ので)。
時間あるときに、よければ覗いてください。
http://yutaka901.fc2web.com/page5cmx03.html
百万一心・碑の頁、見てみました。
防府の毛利庭園でもこの言葉を見たことがあり、また見に行ってみたくなりました