読書日和

お気に入りの小説やマンガをご紹介。
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日々のできごとやフォトギャラリーなどもお届けします。

「毛利元就 第十二回 元就暗殺指令」

2018-09-12 23:53:12 | ドラマ
今回ご紹介するのは大河ドラマ「毛利元就 第十二回 元就暗殺指令」です。

-----内容&感想-----
結婚初夜を別々の部屋で寝て過ごした元就と美伊(みい)は翌日の朝を迎えます。
小屋で寝ていた元就が外に出ると摘んだばかりの蕗の薹(ふきのとう)を持った美伊が来て朝ご飯に食べましょうと言います。
しかし小屋の寒さに参っていた元就はあまり相手にせず美伊は不満げになります。
そこに杉が現れ、美伊が殿(元就)は心から好いた女でなければ申し訳ないと寝所を別にし、まことに立派なお心に感じ入りましたと力説します。
すると元就が慌てて先ほどまであまり興味がなさそうだった蕗の薹を手に取って「美味そうな蕗の薹じゃなあ」と言っていたのが面白かったです。

美伊の侍女の藤野は吉川に毛利の有りようを逐一報告しようとしていたため、元就が寝所を別にしたと聞いて慌てます。
藤野は同じ床で寝れば言ってはならぬことの一つや二つ漏らすはずだという思惑があります。
「美伊様、今宵は殿を押し倒しなされ」ととんでもないことを言っていて面白かったです。

元就と美伊は毛利本家の郡山城に挨拶に行きます。
幸松丸(こうまつまる)の母で亡き毛利興元(おきもと)の正室、雪が「元就殿、心強い御方様じゃの」と言うと元就は「よお眠り、よお食べ、元就より肝が据わっております」と言い、美伊が気まずそうなのも面白かったです。

郡山城から帰った美伊と藤野がちっぽけな城だったと言い合っていると元就に聞かれて気まずくなります。
美伊が元就に私ならこの猿掛(さるかけ)城を本拠にすると言ったのは興味深かったです。
山が険しく良い構えになると言い、元就も「さすがは吉川の娘じゃ」と感心していました。

重臣の井上元兼(もとかね)が杉のもとを訪れて美伊のことが気にかかると言います。
杉も実は私もだと言い、元兼は勢い込んで大内義興(よしおき)はじきに京都を出て、尼子経久(つねひさ)を自ら叩き潰すため山口に帰ると言います。
近々戦になり、その際毛利が美伊に仕切られ尼子方に付くのではと案じられてならないと言います。
すると杉は「何じゃ、左様なことを案じておったのか」と言い、侍女の久(ひさ)が美伊は毒蛇のような女子だと思っていたのにあの目の輝きと肌の艶に杉様は驚いておられると解説します。
杉が「杉もあのようになりたいものじゃ。井上殿、何かよい方法はないものかの」と言い、元兼が「何と馬鹿なことを!」を呆れていたのが面白かったです。

重臣の渡辺勝(すぐる)が通りかかった藤野に、最近見たこともない人達が城の周りをうろついていて、吉川の間者(かんじゃ)だろうと言います。
藤野が「証拠もないのにそのようなことを申されては迷惑千万。仮に万が一吉川の間者だとしても、戦国の世の習いとして当然至極のことでござる」と強がります。
すると勝が藤野の肩を掴み「肩の力を抜いて、楽になられよ」と言い微笑みます。
放心状態の藤野は勝に恋心を抱いたようでした。

美伊が井戸から水を汲んで花に水をやろうとすると元就が来てそんなことは美伊がやらなくて良いと言います。
美伊は自身は体を動かすから丈夫で、体の弱い幸松丸ももう少し体を動かして丈夫になったほうが良いのではと言いますが元就は「余計なことじゃ。昨日来たそなたにそのようなことは言われとうはない」と言います。
ムッとした美伊が「されど美伊は、子が生まれた暁には強く丈夫に育てまする」と言うと元就は「子などできぬわ」と言い捨てて去って行きます。
この言い争いから二人はろくに口もきかなくなり、それぞれ気まずい思いを抱えながら日々を過ごします。

元就が美伊のところに来て一緒に夕ご飯を食べないかと言います。
美伊も藤野も殿と同じ席で食べるなど聞いたことがないと言っていて、この時代の食事の摂り方は今とは違うのが分かる場面でした。
美伊は自身から謝らなければならないのに殿は優しいと言い感動していました。

元就は美伊の叔母の萩は尼子経久の正室で、尼子と毛利では家の格も宝も領地も比べ物にならず美伊が気の毒だと言います。
すると美伊は「殿は生きる気合では叔父上には負けてはおりませぬ」と言い、さらに「さすれば、後は若い分、殿が勝ったようなものにござります」と言います。
「勝ったようなものにござります」は美伊の口癖で今回の話で三回も言っていました。

寝所で眠る美伊を二人の暗殺者が襲撃します。
狙いは元就の暗殺で、美伊しかいないことでしくじったと思い、一人がならば妻女だけでもと美伊を殺そうとします。
しかしもう一人が命令を受けたのは元就の暗殺だけだと言いやめさせます。
その隙を突いて美伊が逃げて助けを呼びます。
毛利家家臣達と二人の斬り合いになり、美伊の殺害をやめさせた方の暗殺者がもう一人を逃がし自身は自害しようとします。
その寸前で美伊が「小三太(こさんた)!刀を納めなさい!」と言い、元就にこの者は小三太という吉川の間者で、私が間違っていたから何卒お許しくださいと言います。
元就は「行け」と言い暗殺者を見逃しますが、実際には吉川の間者ではなく武田元繁(もとしげ)の残党だと気づいていて、美伊になぜ嘘をついたと聞きます。
美伊は暗殺者は自身を斬ろうと思えば斬れたのにそんな命令は受けていないと刀を納めたので、それほどまでに信義を守る男ならいつか必ず殿のために働いてくれると思ったと言い、元就は感銘を受けます。
元就は「美伊がここで一人で寝るのは危ない。今宵より、わしはここで寝る。よいな」と言い美伊も承諾します。


元就と美伊(画像はネットより)。

大内義興が10年間に渡る京都滞在を終え尼子討伐のために山口に帰国します。
正室の綾と嫡男の亀童丸(きどうまる、後の大内義隆)が迎えます。
京都に発つ朝はまだ赤ちゃんで軽々と抱けていたのが今は凛々しい少年に成長し、義興は「抱けぬわ、抱けぬわ」と言ってとても嬉しそうでした。

尼子経久は杵築(きずき)大社(出雲大社)を新たに建立して33年おきの遷宮を実現し、その権力と財力を全国に示します。
尼子家重臣の宇山久兼(ひさかね)は「尼子が出雲大社を造営したということは、尼子が山陰の平定を確実にしたということを世に知らしめたのでござる」と言い、重臣の亀井秀綱、正室の萩も機嫌良く笑っていました。
私は出雲大社を造ったのが尼子経久だということに驚きました。
さらに今までは「出雲の平定」だったのが「山陰の平定」とあったのにも驚き、尼子の力が大きく伸びているのが分かりました。

負けてはいない義興は伊勢神宮の御神体を分けてもらい山口に見事な伊勢神宮を造営します。
義興が「亀童丸、これは戦じゃ。血を流さずとも尼子との戦すでに始まっておる」と言っていたのがとても印象的でした。
大内家重臣の陶興房(すえおきふさ)は国人衆の多くが尼子に傾いているため今少し地固めが必要と言います。
すると義興が「水軍じゃ」と言い、密かに動いて水軍をことごとく味方につけるように言います。
この水軍は「村上海賊の娘」(著:和田竜、2014年第11回本屋大賞受賞)で大活躍した村上水軍のことで、水軍の名前が登場してかなりワクワクしました。

元就が見逃した暗殺者が元就と美伊のもとにやって来て、大内と尼子の戦が近く尼子は西国の国人衆を次々と味方につけ、大内は水軍を味方につけようと動いていると伝えます。
今回は今までにない大戦になるのは必定で、近々両軍から使いがくるからどちらに付くか心積もりをしておくのが良いと言います。
暗殺者は帰ろうとしますが元就が呼びとめ、まことの名は何と言うのかと聞きます。
答えない暗殺者に元就は「ではわしが名づけてやろう。今日よりそちは、小三太じゃ」と言います。
美伊も嬉しそうに「小三太、よい名であろう」と言い小三太は「はい」と言って微笑みます。
美伊が言っていたとおり小三太は元就のために働いてくれるようになりました。
元就は「美伊、今までにない大戦じゃ」と言い不安と覚悟の混じった表情をしていました。


今回は元就と美伊の仲が良くなったのと大内と尼子の戦が近づいたのが印象的でした。
前回から「今までにない大戦」という言葉が何度も登場しているのも印象的です。
毛利にとって巻き込まれるのは避けられない戦で、元就がどう動くか楽しみにしています。


各回の感想記事
第一回  妻たちの言い分
第二回  若君ご乱心
第三回  城主失格
第四回  女の器量
第五回  謀略の城
第六回  恋ごころ
第七回  われ敵前逃亡す
第八回  出来すぎた嫁
第九回  さらば兄上
第十回  初陣の奇跡
第十一回 花嫁怒る
第十三回 戦乱の子誕生
第十四回 巨人とひよっこ
第十五回 涙のうっちゃり
第十六回 弟の謀反
第十七回 凄まじき夜明け
第十八回 水軍の女神
第十九回 夫の恋

夏の長い距離の散歩

2018-09-10 21:26:58 | ウェブ日記


※「長い距離の散歩」の記事をご覧になる方はこちらをどうぞ。

ゴールデンウィークに続き、お盆休みに帰省した時もダイエットをしようと思い毎日歩きました。
雷雨で夕方歩けない日もありましたが朝は毎日歩くことができました。


8月12日 朝4キロ 夕方2キロ 合計6キロ
8月13日 朝6キロ
8月14日 朝6キロ
8月15日 朝6キロ 夕方4キロ 合計10キロ
8月16日 朝6キロ(2キロはランニング)
8月17日 朝8キロ(4キロはランニング) 夕方4キロ(2キロはランニング) 合計12キロ
8月18日 朝8キロ(4キロはランニング) 夕方4キロ 合計12キロ

全合計 58キロ(12キロはランニング)


朝歩いていると部活動でランニングをする中学生達によく「おはようございます」と声をかけられました。
野球部、ソフトボール部、テニス部などが走っていました。
私も「おはようございます」と声を返し、気持ちが明るく爽やかになりました
そして走っていく中学生達を見ているとこちらも長い距離を歩く活力が湧いてきました。

今回は80キロくらい歩きたかったのですが雷雨で夕方歩けなかったり暑さで夕方に思ったより距離を伸ばせなかったりで58キロになりました。
ただし今回は途中からランニングもするようになりました。
ランニングはゆっくりで良いので止まらないように走りました。

また今回は真夏だったので物凄く暑く、歩くとすぐに汗が吹き出しました。
そのため熱中症対策として途中で自動販売機でお茶を買って飲むようにしていました。

7日間ウォーキングとランニングをした結果はゴールデンウィークに55キロ歩いた時と同じで思ったようには痩せなかったです。
やはり80~100キロくらいは歩きたいなと思います。
それでもランニングも止まらずに走ることができ、体力はかなり向上した手応えを持ったので、この調子でよく歩くようにしてダイエットしていきたいと思います

「サマータイム」佐藤多佳子

2018-09-09 14:00:13 | 小説


今回ご紹介するのは「サマータイム」(著:佐藤多佳子)です。

-----内容-----
佳奈が十二で、ぼくが十一だった夏。
どしゃ降りの雨のプール、じたばたもがくような、不思議な泳ぎをする彼に、ぼくは出会った。
左腕と父親を失った代わりに、大人びた雰囲気を身につけた彼。
そして、ぼくと佳奈。
たがいに感電する、不思議な図形。
友情じゃなく、もっと特別ななにか。
ひりひりして、でも眩しい、あの夏。
他者という世界を、素手で発見する一瞬のきらめき。
鮮烈なデビュー作。

-----感想-----
「一瞬の風になれ」で2007年第4回本屋大賞を受賞した佐藤多佳子さんのデビュー作を読みました。
小説の題名が夏で、夏が終わる今ふと読んでみようと思いました。

「サマータイム」
8月、語り手の伊山進(すすむ)は小学5年生だった6年前の夏を思い出します。
市民プールで進はおかしな泳ぎ方をしている男の子に出会います。
進は男の子には左腕がなく、それで泳ぎ方がおかしくなっていることに気づきます。
男の子の名前は浅尾広一(こういち)と言い、中学一年生で進と同じ団地に住んでいますが建物同士は距離があります。
団地は桜台という場所にあり、東京都練馬区の桜台のことかなと思います。
雷雨になりプールからの距離が近い広一が家に来いと誘ってくれます。

広一は母との二人暮らしで母はジャズのピアニストをしていて仕事でよく旅行に出ています。
広一はその母が結婚することになりもうすぐ引っ越すと言い、部屋にあるグランド・ピアノで「サマータイム」という曲を弾きます。
冒頭で高校二年生の進が思い出していたのは広一の弾く「サマータイム」だと分かりました。
広一は4年前に自動車事故で左腕を失い、運転していた父は亡くなりました。

進が家に帰ると1つ年上の姉の佳奈が進を心配して迎えに行こうとしていたことが分かります。
進は佳奈を暴君のように表現していますが意外と優しい面もあるのかも知れないと思いました。
しかし進を探しに外に行ったせいでずぶ濡れになった佳奈はとても不機嫌になっていました。
進はそんな佳奈を見て次のように思います。
こんな時の佳奈のきげんをとるのは、でかい氷の塊に空手チョップをくわすようなものだ。
これはびくともしないか、こちらが手を痛めるということだと思います。
面白い表現だと思います。

進が広一に借りた服を返しに行くと母親がピアノを弾いていました。
部屋にはアルコールの臭いがしていて、進に気づいた母親は広一は雷雨の日のずぶ濡れで高熱が出て入院したと言います。
母親の名前は友子と言い、彼氏に振られ失恋してやけ酒のジンをボトル半分空けてしまっていました。

進と友子は広一のお見舞いに出掛け、こっそり進の後をつけて来ていた佳奈も一緒に行くことになります。
その途中で友子が「サマータイム」を歌い、元は黒人の子守歌だと分かります。

病室に行くと広一は進が思っていたより元気でした。
広一はもう全然平気だと言って笑顔を見せますがその時に無理に笑ったように見え、病室に来たことを歓迎されていない気がして進は不安になります。
広一は無理に笑う気遣いをする面で大人びたところがあり、進は本心からの笑顔ではないのを見抜く面で鋭いところがあると思います。

友子が広一に「結婚、だめになっちゃった。ごめんね。広一、あの人、好きだったのにね」と言った場面で進は次のように感じます。
その時の広一くんの顔って、ぼくは今でもよく覚えている。
大人の顔だった。すごく色々な感情が一気に浮かび上がり、そのどれもをひっこめようとやっきになっている感じがした。

これを見て広一は実際には友子の彼氏のことが好きではなかったのだと思いました。

広一が佳奈の来ている真っ赤なサンドレスを「カンナみたい」と言い、どんな花なのか気になりネットで調べてみました。
赤やピンクなどの花が出てきて、普段名前を聞かないカンナの花の雰囲気が分かりました。

夏休み最後の日、進が桜台のショッピングセンターに行くと広一に遭遇します。
二人並んでベンチでチョコミントアイスを食べながら広一は本当は友子の結婚が無くなって嬉しいことを打ち明けます。
進は病室で友子が結婚が無くなったことを言った時の広一の顔を見て本心を少し察知していたので小学5年生なのに凄いと思います。

佳奈と広一が二人で会うようになります。
片手のため自転車に上手く乗れない広一に佳奈が特訓をしてあげます。
しかし11月の中頃、佳奈が広一と喧嘩をして帰って来ます。
その直後から進が広一の家に何度行っても留守で会えなくなります。
やがて隣に住む広一の叔母から二人が引っ越したことを聞きます。

進はピアノ教室に通うようになります。
佐藤多佳子さんの作品ではよくピアノなどの音楽が登場し、佐藤多佳子さん自身音楽と縁があるのかも知れないです。

進は17歳になり高校でジャズ研に入ります。
そこで「サマータイム」に再会し自身の手で弾きたいと思い、再会がきっかけで猛烈に二人に会いたいと思うようになります。

8月の終わり、何と広一が進の家を訪ねてきます。
広一は19歳の大学一年生になり家族と離れて進の家の近くに下宿しています。
友子は再婚し広一は妹が出来ました。

ぼくにとって広一くんがピアノであるのと同様、佳奈にとって、彼は自転車だった。という言葉がありこれは印象的でした。
喧嘩をしたまま何年も離ればなれになりましたが、佳奈は広一に自転車の特訓をした日々が忘れられなかったのだと思います。


「五月の道しるべ」
小学一年生になったばかりの佳奈が語り手です。
佳奈はピアノが嫌いなのに習わされていて可哀想だと思いました。
嫌がっているものを無理に習わせてもあまり効果はないと思います。

佳奈の4月の誕生日プレゼントはアップライトピアノでした。
しかし佳奈はピアノなど欲しくありませんでした。
対する進の5月の誕生日プレゼントは新品の自転車で、自身の自転車は同じ団地に住む従姉のお下がりだったため激怒します。
この時佳奈は次のように語ります。
わたしは、ずっとずっと小さい時から、弟が自分よりいい思いをしないように、気をつけて見はっていたのだ。
とても勝手な考えですが子供の頃にこう思うことはあると思います。

佳奈がピアノを弾いていると進が「アマダレ、アマダレ。下手くそのこと、アマダレって言うんだよ。あまだれぇ」と憎まれ口を言います。
「サマータイム」では佳奈が暴君のように表現されていましたが、佳奈の視点で見ると弟が憎らしく見えているのが分かりました。

ある日佳奈は道沿いのツツジの花を一つ一つ蜜を吸いながら大量にむしっていきます。
母親に原っぱや道端の雑草以外は取ってはいけないと教えられていましたが、よくツツジの花をむしり取ってはラッパのように口にくわえ、かすかに甘い蜜を吸っています。
ふと後ろを振り向いた佳奈はむしり取ったツツジの花が道しるべのように連なっていることにドキドキし、もっと長くしようと考えます。
しかし自転車で通りかかった進がその道しるべを轢いてしまい佳奈は怒ります。
何でこんな馬鹿な弟がそばに居るのだろうと憤りますが、やがて悪いのはツツジの花をむしり取って捨てていた自身だと気づきます。

悪いのは自身なのにそれを棚に上げて「何してくれてるんだ!」と怒り出すのは子供時代によくあることだと思います。
私は学校で悪いことをした人が誰かに悪行を先生に伝えられ、「誰がちくりやがったんだ!」と怒りながら先生に伝えた人を探しているのを見たことがあり、佳奈と同じだなと思います。
自身が悪いことに気づいた佳奈は少しだけ内面が大人に近づいたと思います。


「九月の雨」
語り手は16歳の広一です。
冒頭で友子が「セプテンバー・イン・ザ・レイン(九月の雨)」という曲を弾いていてどんな曲なのか気になりました。
曲を聴いている時は雨が降っていて広一は九月の長雨に触れ、私が小説を読み感想を書いている今も連日雨が降っているので「セプテンバー・イン・ザ・レイン」にとても興味を持ちました。

友子が種田さんという付き合っている男の人が家に来るから広一も居てくれと言います。
広一は今までの友子の恋人には必ず「音楽家」「渋いハンサム」という二つの共通点があることに気づきます。
それは亡くなった父にも共通していることで、広一は友子は父の面影を探しているのだと思います。
友子は連日「セプテンバー・イン・ザ・レイン」を弾き、広一はピアノの音を聞いて友子が何かに悩んでいることに気づきます。

「セプテンバー・イン・ザ・レイン」の解説があり、
古い映画の主題歌でセンチメンタルな回想の歌とありました。
盲目のピアニスト、ジョージ・シアリングのテーマ曲ともあり、9月の今ぜひ聴いてみたいと思います。

今回の友子の恋人の種田一郎は珍しく音楽家でも渋いハンサムでもないです。
広一は「なんとも冴えない、どこといって取り柄のない、灰色の貧乏神のように不景気な小男」と評していて種田が嫌いです。

今年の夏、広一と友子は高原の避暑地にある友子の友人の別荘で過ごしました。
友子は別荘の近くの小さなホテルのバーで1ヶ月間ピアノを弾きました。
普段の夏ならどこかのバンドのメンバーとなって日本全国を演奏して回るのですが、今年はバンドの人間関係が壊れてメンバーをクビになったためその仕事をしていました。
広一は普段なら怒って荒れるタイプの友子が疲れてメゲている様子なのが気になります。

友子の友人で別荘のオーナーで著名なコラムニストの女性が弟を連れてやって来て、それが種田でした。
広一は友子に種田と一緒にピアノを聴きに来るように言われ二人でホテルのバーに行きます。
友子が「サマータイム」を弾く場面で広一は三年前の夏を思い出します。
広一は自転車の特訓をしていた時に次第に佳奈に怪我をさせるのが怖くなり練習をやめようと言いそれで喧嘩になりました。

今回の友子はいつもの恋をした時の楽しそうな友子とは違ってイライラしていて、広一はそんな母を見て人生に疲れて風よけが欲しくなって結婚するのではと思いイライラします。
ある日種田が家を訪れて三人で夕飯を食べます。
夕食後に友子は「セプテンバー・イン・ザ・レイン」を弾き、その時の外の様子が音のしない小雨が、闇をぬらしている。とありました。
そして別の曲を弾いた後に今度はきっと降っているはずなのに音も届かないほど、めそめそした雨なんだ。とありました。
雨の描写が続けて登場したのが印象的で、広一が「セプテンバー・イン・ザ・レイン」をきっかけに雨をとても意識しているのがよく分かりました。

友子が出張で京都に出掛けます。
種田が訪ねてきて一緒に友子のピアノを聴きに京都に行かないかと言います。
戸惑う広一に種田が広一は冷めた言葉ばかり使っているがもっと感情を出しても良いのではと言います。
さらに種田は広一の父親になりたいと言います。

ふと広一は種田に自転車の特訓に付き合ってもらうことを思い立ちます。
種田に手伝ってもらい広一はついに自転車に乗れるようになります。
種田のことを酷評していた広一ですが自転車の特訓に親身に付き合っていて良い面もあり、最初の印象が全てではないということだと思います。
そしてこの特訓の時にも雨が降っていて、鬱陶しそうにしていた九月の雨に「自転車に乗れるようになった」という思い出が加わったのではと思います。


「ホワイト・ピアノ」
語り手は14歳の佳奈です。
2年前に広一から引っ越したことを告げる手紙が来た時佳奈は返事を書けませんでした。
広一と喧嘩したことを後悔している佳奈が早く大人になりたいと思う場面があります。
その言葉を見て、「かがみの孤城」(著:辻村深月、2018年第15回本屋大賞受賞)「平成マシンガンズ」(著:三並夏、2005年第42回文藝賞受賞)でも同じ言葉が登場したのを思い出しました。
佳奈は「大人になれば、つまらない喧嘩をしたり、つまらない手紙をもらったりしないだろう」と語っていました。
これは子供時代はそう思っても、大人になると今度はそれがとても尊い日々で青春だったのだと気づくのではと思います。

佳奈は父親が「ノナカ・ピアノ・サービス」という会社の社長をしている野中亜紀と友達です。
佳奈が亜紀の家に遊びに行くとホワイト・ピアノという絵本の話になります。
ホワイト・ピアノは雪でできていて鍵盤は氷で、お姫様は悪い魔法にかけられて長い眠りについています。
世界で一番熱い心を持って姫を愛する若者がこのピアノを演奏すると魔法が解けて二人は結ばれるという物語です。

ノナカ・ピアノ・サービスの展示場には亜紀がホワイト・ピアノのようだと言うピアノが展示されていて二人は見に行きます。
亜紀は佳奈を好きな子がいなくて男の子に対してツンツンしているところが眠り姫のようだと言います。
佳奈は広一との喧嘩以来そうなっていました。

二人がホワイト・ピアノを見に行った時、千田義人(よしと)という26歳の調律師が対応してくれました。
佳奈は千田を広一と似たところがあると評していて、広一を忘れられずにいるのがよく分かりました。

物語の最後、佳奈は自身が眠ってなどいないことに気づきます。
ずっと起きていたとあり、これは学校で好きな子がいないように見えたのはずっと広一のことが好きだったからということです。
「サマータイム」の最後で19歳の広一の自転車の荷台に18歳の佳奈が横座りして自転車が走り去って行った場面につながり、良い終わり方だと思います。


佐藤多佳子さんのデビュー作はピアノの音楽とともにあるという印象を持ちました。
作品を読んでいると音楽も聴きたくなってきます。
「サマータイム」の物語の最後のようにもう会えないと思っていた思い出の人とまた会えたら嬉しいだろうなと思います。
その人にまつわる音楽もさらに思い出深い音楽となって心に残ると思います。


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※図書ランキングはこちらをどうぞ。

「毛利元就 第十一回 花嫁怒る」

2018-09-07 19:50:10 | ドラマ
今回ご紹介するのは大河ドラマ「毛利元就 第十一回 花嫁怒る」です。

-----内容&感想-----
冒頭、毛利元就が初陣で武田元繁(もとしげ)を打ち破ったことで「元就の武勇は一挙に中国地方全土に広まったのです」とナレーションがありました。
ついに元就が名を轟かせて嬉しかったです

杉は元就が名を轟かせたことをとても喜び、元就に「神社に詣でても寺に参っても元就様の噂で持ちきりじゃ」と言っていました。
さらに毎日元就を褒めてくれた人の数を紙に書いていて元就に見せていました。
元就は戸惑いながらこれ以上自身の噂が広まれば毛利は危ないと言います。
盟約の国人衆は毛利が急に強くなったと思い警戒し、そうなれば毛利は動きが取れなくなると言っていて、さすがによく見ていると思いました。

出雲の月山富田城(がっさんとだじょう)では重臣の宇山久兼(ひさかね)が尼子経久(つねひさ)に盟約の国人衆への調略が順調に進んでいると言います。
一国ずつ切り崩していき孤立させれば毛利を大内から切り離すのは容易いと言っていて、早くも尼子によって盟約が弱体化していました。

月山富田城に吉川国経の娘で吉川家当主の元経(もとつね)の妹、美伊(みい)がやって来ます。
経久は美伊が苦手で到着の知らせを受けると「寒気がすると思った。あの子はどうも苦手だ」と言っていました。
普段は策略家の風格たっぷりの経久が美伊の天真爛漫な振る舞いに圧倒されてたじたじになっているのが面白かったです。
経久の正室の萩は美伊と親戚です。
とても美伊が苦手そうな浮かない顔をしていた経久ですが、美伊を元就のもとに嫁がせることを閃きます。
国経を呼び出した経久はぜひ美伊を元就のもとに嫁がせるように言い、国経が武田元繁を打ち破ったと言っても毛利にはまださほどの力はなくさらに元就は次男で、当家にとっても尼子家にとっても大した力にはならないのではと言います。
経久はそれでも構わないから元就に嫁がせろと言い、国経がなぜそんなに元就にこだわるのかと聞くとにんまりと微笑んでいて、策略を立てているのが分かりました。

毛利家に縁組の話が来て評定(ひょうじょう)が開かれます。
後ろに尼子が居る美伊と元就が縁組すれば大内は不快に思うことが予想されます。
亡き興元(おきもと)の正室、雪が毛利と大内とのつながりを知りながらこんな縁組の話を持ち出してくるとはどういうつもりかと言うと、重臣の桂広澄(ひろずみ)が尼子は既に吉川を取り込んだと考えるべきと言います。
筆頭重臣の志道広良(しじひろよし)は尼子の調略が進み盟約の国人衆はもはや当てにはできない現状だと言います。

元就は家臣と雉狩りに出掛けます。
すると何とそこに尼子経久が待ち伏せていました。
「第一回 妻たちの言い分」で元就が幼少時代に遭遇して以来の再会です。
経久が「武田元繁(もとしげ)を殺したは流れ矢と言ったそうだな」と言い、元就は「はい、まことに運良く流れ矢が当たってくれました」と言いますが経久は全く信じないです。
二人の話の中で生き方についての考え方の違いが興味深かったです。
元就は「小さな国の領主として、某(それがし)は家族を守り、つつがなく細く長く生きるのが武将として最も難儀なことと思うております」と言います。
経久は「わしは太く長く生きる。60歳のわしにとって、全てはこれからだ」と言い、太く短くとせず太く長くと言っていたのが印象的でした。
そして還暦を迎えてのこの野望の持ち方は凄いと思いました。
経久は「わしと手を組まぬか」と言います。
元就は「逆らえば、矢が飛んでくるのでござるか」と言い、周囲に弓矢を構えた経久の家臣達がいるのを察知していました。
しばし無言で向き合った後経久は去って行きます。
緒形拳さん演じる経久はやはり風格が素晴らしく、こんな人が天下を狙って動けば凄いことになるという気がします。

元就は美伊との縁組を受けることを決めます。
経久に待ち伏せをされ、ひとたび合図をされれば即座に矢が飛んできて撃ち殺された状況はまさに今の毛利家のようだったと言い、尼子と毛利の圧倒的な力の差を感じていました。
その尼子が後ろにいる縁組では受けるしかないと覚悟を決めたようです。

吉川の館では縁組の噂を聞いた美伊が侍女の藤野に「立派な家の御方様になって凛々しい子供をたくさん生むのじゃ」と意気込みを語っていました。
しかし国経と元経にわずかな領地しかない元就のもとに嫁ぐように言われ怒ります。
それでも経久が縁組に関わっていると察知した美伊は経久に逆らえば吉川家のみならず萩も困るだろうと言い嫌々ながら嫁ぐことを承諾します。
国経は「今尼子の力は急速に伸びておる。吉川としてはその下に付き、安芸も出雲も石見(いわみ)もまとめたいのじゃ」と語っていて、まさに政略結婚だと思いました。

郡山城で元就と美伊の縁組が整ったことが伝えられます。
その後で元就は重臣の井上元兼と話をし、大内とのことを頼むと言います。
「毛利本家は大内殿との縁を保つのじゃ。わしは毛利分家として、吉川と尼子とつながる。毛利はな、大内とだけつながっても、尼子とだけつながっても立ち行かぬのじゃ。そこで元兼、おぬしが頼りなのじゃ」と言います。
さらに「元兼はな、大内殿より多大な信頼を得ておるであろう」と言い元兼をまんざらでもない雰囲気にさせていてこれは上手いと思いました。

元兼は京都から帰国途中の大内家の重臣、陶興房(すえおきふさ)から内々に呼び出されます。
興房は元兼に「実は、御館様(おやかたさま、大内義興(よしおき)のこと)の帰国は、尼子経久を直々の手で成敗いたすためじゃ」と伝えます。
元兼が「戦になりまするな」と言うと興房は「今までにない大戦じゃ」と凄んだ声で言います。

1518年(永正15年)、美伊が毛利家に嫁いできます。
その夜、元就と美伊の掛け合いは印象的でした。


元就と美伊(画像はネットより)。

寝所で元就が休もうかと言うと美伊が裸になり「このとおり寸鉄も帯びてはおりません。床入りの作法として父より教えられました」と言います。
これは色仕掛けで暗殺しに来たわけではないから安心してくれということだと思います。
しかし元就は美伊に着物を掛けてあげ、「わしはやはり、そなたとは同じ床では休めぬ。別の部屋で休む」と言います。
すると美伊が激怒して元就を平手打ちし、「無礼者!裸にまでなったというに、何たる無礼!帰る!」と言って出て行こうとします。
元就は必死に美伊を引き止め、「わしはな、今の今まで同じ床で休むつもりでおった。じゃがな、裸になって身の証を立てる女と分かって己が恥ずかしゅうなった」と言い、ここで美伊がはっとした表情になります。
さらに元就が「わしはかねてより惚れた女子と結ばれたいと思うておった」と言うと、美伊は「美伊も今、殿のことは好きでも嫌いでもござりませぬ。同じ床に入らずに済めば、かように嬉しいことはござりませぬ」と言います。
元就が戸惑いながら「はっきりしていてよいな!」と言うと美伊は「殿も正直でよろしゅうござりまする」とふてぶてしく言い、元就は怒りながら「ゆるりと休むがよい!」と言って寝所を出て行きます。
結婚初夜にして物凄く気まずくなりましたが、元就が出て行った後美伊は「無礼者め」と言いながらも微笑んでいました。
微笑む様子を見て元就に好印象を持ったことが分かり、夫婦仲が良くなることが予感されました。


今回は元就の正室となった美伊がとても印象的でした。
美伊は「第八回 出来すぎた嫁」で元就が言っていた「雪(聡明さ)と杉(天真爛漫さ)の二人によく似た女子を娶る」を体現してもいると思います。
まだ気まずい二人が仲良くなっていくのが楽しみです


各回の感想記事
第一回  妻たちの言い分
第二回  若君ご乱心
第三回  城主失格
第四回  女の器量
第五回  謀略の城
第六回  恋ごころ
第七回  われ敵前逃亡す
第八回  出来すぎた嫁
第九回  さらば兄上
第十回  初陣の奇跡
第十二回 元就暗殺指令
第十三回 戦乱の子誕生
第十四回 巨人とひよっこ
第十五回 涙のうっちゃり
第十六回 弟の謀反
第十七回 凄まじき夜明け
第十八回 水軍の女神
第十九回 夫の恋

縮景園 新緑の良さ その3

2018-09-06 17:20:16 | フォトギャラリー
※「縮景園 新緑の良さ その1」のフォトギャラリーをご覧になる方はこちらをどうぞ。
※「縮景園 新緑の良さ その2」のフォトギャラリーをご覧になる方はこちらをどうぞ。

縮景園は縮む景色の園と書きます。
縮景とは自然の風景(多くは名所や四季絵)を模して庭園内に作られた風景のことです。
縮景園の名称は幾多の景勝を聚め(あつめ)縮めて表現したことに由来し、中国杭州の西湖を模して縮景したとも伝えられています。
とても良い日本庭園で歩けばたくさんの緑や花、古風な建物などが迎えてくれ、景色にも工夫が見られ、私は縮景園が好きです


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沢の流れを横に見ながら、歩いて行きます。




白龍泉(はくりゅうせん)。
井戸水を使用したとても小さな滝です。


右上に茅葺き屋根の建物が見えます。




「その2」に登場した明月亭です。
今回は別の道から到着しました。


新緑の道を進みます。


再び濯纓池(たくえいち)という池のほとりに来ました。


正面に見えるのは「その1」に登場した超然居(ちょうぜんきょ)という島にある四阿(あずまや)です。
池の反対側まで歩いてきました。


池に浮かぶ小さな島には亀が上ってきて甲羅干しをしています。


清風館と跨虹橋(ここうきょう)。






原爆慰霊碑。
一枚の写真を手がかりに昭和62年(1987年)7月31日この地に埋葬されていた原爆死没者64人の御遺骨を発掘しました。
御遺骨は同年8月6日に平和記念公園内の原爆供養塔に納骨されました。
原爆供養塔は「平和記念式典前日の平和記念公園」のフォトギャラリーなどに登場します。




祺福山(きふくさん)。
広島藩5代藩主浅野吉長はここに稲荷神社を建立し、広島藩内の平穏無事と子孫繁栄を祈願したと伝えられています。
昭和20年(1945年)の原子爆弾投下によって消失し、現在は広島市にある饒津(にぎつ)神社内に復元されています。


跨虹橋は半円型のぽっこりとした形が特徴です。




池には大小14個の島があり、そういった島々のことを島嶼(とうしょ)と言います。


島は長寿を祈願して鶴と亀をかたどっています。
写真は亀の形の島です。


丘を新緑とツツジが彩っています




16時近くになり西日になってきました。


この丘一帯は「臨えい岡(りんえいこう)」と呼ばれ、この場所から宮島を望むと雲のかかった弥山(みせん)山頂が見えたと言われています。


この場所は写真奥が明るい新緑で陽の気に満ちているように感じ、とてもワクワクしながら歩きました


跨虹橋は階段になっていますが摑まるものがないので気をつけたほうが良いです。


色鮮やかに咲くツツジ。


天高く飛翔するような新緑。


水面すれすれで曲がっている松の木。
木が自身で水に沈まないように向きを変えるのだと思います。


悠々亭。
茅葺き屋根の四阿です。


有年場(ゆうねんじょう)。
小さな水田で、藩主が田植えをしてその年の五穀豊穣を祈願したと伝えられています。






大銀杏。
樹齢は推定200年以上で、昭和20年(1945年)の原子爆弾投下後の火災から生き残った木の一本です。


看花榻(かんかとう)。
座席はロクロ式に作られ回転するようになっていました。
この場所で藩主が対岸の東照宮に続く桃林の花や京橋川を行き交う川船を眺めていたと言われています。


香菜圃(こうさいほ)。
宇治茶と藩内の有名品種の茶を植えている茶畑です。


毎年八十八夜前後に新茶摘みが行われています。


写真奥の高くなっている場所は「迎暉峰(げいきほう)」と言います。
園内最大の築山で富士山を縮景したとも言われています。
またこの頂上から広島城下や広島湾、遥か宮島まで望むことができたと言われています。


迎暉峰からの眺めです。
縮景園を広く見渡すことができます。


縮景園、とても明るい気持ちで歩くことができました。
緑、花、大きな池、建物などのどれもが目を引き、見ていると自然と気持ちが明るくなっていくのが素晴らしいです
ぜひまた歩きに行きたいと思います


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縮景園 新緑の良さ その2

2018-09-04 21:01:02 | フォトギャラリー
※「縮景園 新緑の良さ その1」のフォトギャラリーをご覧になる方はこちらをどうぞ。

縮景園は国の名勝に指定されています。
名勝とは日本における文化財の種類の一つで、芸術上または観賞上価値が高い土地のことです。
縮景園を歩いてみるとその良さがよく分かります


-------------------- 縮景園 新緑の良さ その2 --------------------


縮景園を進んで行きます。


盆栽のような形の松の木。


花の数が少な目のツツジがありました。


同じツツジでも種類が違うのだと思います。
ピンク色が綺麗です


この場所は苔(こけ)も生え、少し古風な雰囲気を感じます。




緑やツツジの花が池に映っています


手前にある赤色のツツジが目立っていました。


輝くような新緑。
生命力を感じます


藤の花が咲いていました。


藤の花の落ち着いた雰囲気も良いと思います


白色の藤の花もありました。




藤棚の下にも赤色のツツジが咲いていました。
花が小さめなのが特徴です。




ここにはたくさんのツツジがありました。


濃いピンク色のツツジ。


白色のツツジ。


ピンク色のツツジ。


たくさんの蝶が飛んでいるような雰囲気のピンク色のツツジ。


茅葺き屋根の小屋。


切った枝から新芽がたくさん出ていてこれも生命力を感じます。


池のほとりからの眺めです。
奥に清風館が見えています。




左手を見た眺め。


右手を見た眺め。


明月亭。
数奇屋造りで屋根は茅葺き、ひさしは杮(こけら)葺きです。
月を鑑賞する場所のため明月亭と名付けられました。




園内にはたくさんの新緑があり、その鮮やかさに見入ることが何度もありました。


見上げれば向こう側から太陽の光を浴びた新緑が明るさと静けさを兼ね備えた雰囲気になっていて、この雰囲気も好きです


小川も流れています。


小川はやがて池に流れ込みます。
ふと前を見ると景色が開け清風館が見えるこの造りはとても良いと思います。
さすが名勝だと思います

このフォトギャラリーの最後の写真を撮ったのは15時頃で、徐々に夕方が近づいています。
この後は縮景園の残りの部分を歩き、隅々まで見て回ることができました。
新緑や花を見ながら明るい気持ちで歩くことができ、所々に景色を楽しめる工夫もあり、素晴らしい日本庭園だと思います

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縮景園 新緑の良さ その1

2018-09-02 16:58:53 | フォトギャラリー
4月21日、広島県広島市にある日本庭園の縮景園に行きました。
縮景園は広島藩初代藩主浅野長晟(ながあきら)により元和(げんな)6年(1620年)に別邸の庭園として造られ、原爆投下で一度は荒廃しましたが再建されました。
前回山陽に住んでいた時以来の縮景園は春の日差しを浴びる新緑がとても綺麗で陽の気に満ちていました。
その中を歩くと気持ちも明るくなります
※以前作った「名勝 縮景園」のフォトギャラリーをご覧になる方はこちらをどうぞ。


-------------------- 縮景園 新緑の良さ その1 --------------------


縮景園にやって来ました。


素晴らしい青空です


清風館。
数奇屋造りの建物で、屋根は杮葺き(こけらぶき)です。
この建物は従来「壱之御茶屋」と呼ばれていましたが、広島藩7代藩主浅野重晟(しげあきら)の時代、文徴明(ぶんちょうめい)筆の「清風」の額に因んで清風館と呼ばれるようになりました。


灌花井(かんかせい)。
広島藩12代藩主浅野長勲(ながこと)の時代に江戸屋敷から持ち帰ったものと言われています。






ツツジの花。
盆栽型のこんもりした咲き方のイメージがありますがこのツツジは樹木型の咲き方をしていました。


清風館を回り込んで行きます。


後ろはこのようになっています。
昔の家なので障子を開けるとかなり風通しが良くなると思います。
また中から景色を見られるように壁の一部が円形にくり抜かれています。


濯纓池(たくえいち)。
取水は京橋川から満潮時に取り込むように造られていて、上流からの真水と海水が混ざり合って流れ込むため水質は汽水(弱塩水)です。
そのためコイ、ボラ、スズキ、チヌが一緒にいる池になっています。


綺麗な青空と綺麗な新緑で清々しい気持ちになります




桜並木の上から降り注ぐ木漏れ日の雰囲気が良いです






八重桜はまだ咲いているものもありました。




曲がりくねった松の木がありました。
その横に新緑の小さな木があり、縮景園の歴史を感じました。


こちらの道の奥には清風館が見えます。


ツツジの花。
こんもりとした盆栽型で、私はツツジの花にはこの印象があります。




もみじの新緑。
明るい黄緑色がとても良いです




かつて濯纓池から流れ出た水は、南に流れて流川(ながれかわ)という川を通り広島湾に出ていました。
現在は流川は埋められ繁華街となり名前のみが残っています。


楊貴妃型石灯籠。
形が唐の楊貴妃(ようきひ)が付けた冠に似ていることからこの名前が付きました。


橋を渡って島に行きます。


この島は超然居(ちょうぜんきょ)という名前の園内最大の島です。
中央に杮葺きの屋根の四阿(あずまや)があります。


超然居からの眺めです。






遠くから見ると清風館は意外と広さがあると思いました。


今回は縮景園を隅々まで見て回りたいと思いました。
この後は超然居から道に戻り、景色を楽しみながら進んで行きました。
新緑の明るさに見入り写真を撮りながらゆっくり進み、時間が経つのを忘れるほどで、新緑の良さを改めて感じました

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