教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

今日何したっけ

2005年09月14日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は、まず『帝国教育』を使った帝国教育会年表の作成(大正12年)。大正12年といえば、9月1日、関東大震災。帝国教育会の事務所も壊滅。『帝国教育』10月号の原稿は全部パアになり、10月号は発行されていません。また、帝国教育会の資料も、このときにすべて燃えてしまったそうです。事務所倒壊の状況は、帝国教育会編『震災と教育』(文化書房、1924年)にリアルに描かれています。この本を読んだとき、あまりのリアルさに私は背中がゾクッとしました。文学的な余計な表現などがないので、むしろリアルに感じました。大正期の教育を研究されている方は、読んでみても良いかもしれませんね。『帝国教育』の復刻版シリーズにも含まれているので、大学図書館には所蔵されていると思います。
 関東大震災は東京中心部に未曾有の損害をもたらし、事後には様々な闇の事件が起こりました。大災害後のパニックは恐ろしいものです。煽動する人がいるとさらにタチが悪い。関東大震災から80年以上経ちましたが、最近大地震の予想が次々に出されています。地震がおこるのはしかたないならば、被害を最小限にしないといけない。そのとき大事なのは、実は一人一人がパニックにならず、冷静に行動することなのです。
 さて、半ば自分に言い聞かせている言葉はおいておいて… 年表作成の後は、注文していた本を引き取りにいきました。そのうちの一冊に、永嶺重敏『雑誌と読者の近代』(日本エディタースクール出版部、1997年・OD版2004年)がありました。これは近代日本の活字メディアが民衆に如何に受容されたかを明らかにした本ですが、私はこの中で第2章「田舎教師の読者共同体」に注目しました。教育史の内容的な記述は微妙なところがありますが(史料部分以外)、その内容は教育会史研究にも重要な示唆を与えます。というのも、永嶺氏は、明治三十年代以降に郡部の小学校教員たちが雑誌購読を通して、知識を共有し、意見交換することで読者共同体を形成したとしています。小学校教員が購読できる雑誌は限られていましたが、購読雑誌は教育雑誌を中心として構成されていたといいます。特に教育会雑誌は、読者に地域共同体の成員としての意識を喚起し、統合していく機能を果たしたのだとしています。結論の実証は少々怪しいところがありますが、出された事実は納得できますので、興味深い示唆だと思います。
 この研究書を読み、少し参照しながら、『広島大学教育学研究科紀要』の原稿を完成させました。できあがった論文を見て…前よりよくなったなあ、と自画自賛(笑)。学会発表時のものよりという意味と、今まで書いてきた論文よりという二つの意味で。確実に成長している、と思う。
 英文要旨もとりあえずできあがり。英語力は成長していない(笑)。私の英語力は最悪なので、後で誰かに見てもらわないといけませんなあ…
 ま、とりあえずいっちょ上がり
コメント
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