教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

運動団体としての帝国教育会

2005年11月04日 20時37分51秒 | Weblog
 今日の寝起きは、四段階評価(A:よい、B:まあよい、C:あまりよくない、D:悪い)でCです(笑)。前日に疲れすぎたからかも。昼前に登校できたので、まだいい方ではあるのですが。
 今日は何日かぶりに年表作成(昭和11年)。この年の帝国教育会は、運動っ気(なんだそれは)ですさまじく活気づいていたようです。年頭に機関誌『帝国教育』の改良を行って、編輯委員をおいて毎月批評と方針を議論したり。2.26事件後に組織された新内閣で、永田秀次郎会長が拓務大臣に就任したり。教育塔を完成させて大阪で教育祭を開いたり。義務教育年限延長運動(義務教育6年を8年に!という運動)を開始したり。翌昭和12年開催予定の第七回世界教育会議の準備を本格的に開始したり。幹部達はあっちこっちに飛び回って非常に忙しそう。大正後期~昭和初年(というより三浦藤作編輯主任時期)の『帝国教育』には会報がまったく載っておらず、帝国教育会は何をしている団体かよくわからなかったけど(会報なしにもそれはそれで意味はあるのだけどね)、昭和11年の帝国教育会となるとまさに「教育運動団体」って感じになってしまいました。帝国教育会の先行研究で、この時期の帝国教育会に注目するものは多い気がしますが、それも「運動団体」としての帝国教育会に魅力を感じてのことでしょうか。私もこういう状態の帝国教育会を興味深く思いますが、私はそういう視点とは別の視点で帝国教育会を分析したいので、少し複雑に思いながら年表作成してました。
 年表作成を始めるのが遅く、会が活発に動き回っていた年だったのでやたら書きとめておくことが多くて、ノルマ達成の頃には暗くなってしまいました。『帝国教育』を図書館に返して、病魔にむしばまれていたために積み重なってしまったTAの仕事をこなしました。
 体調はまだ本調子ではありません。はよ帰れや。
コメント
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