白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

初積雪

2011年12月09日 18時30分27秒 | 日記

朝目覚めてカーテンを開けると、なんと一面に真白。

今年初めての積雪。

この北信濃にも厳しい冬が到来した。

それでも、もっと北の豪雪地帯、栄村はこの春震度6強の地震に見舞われた。

仮設住宅は寒いだろうな。

もちろん東北の被災地だってたいへんだろうな。

 

冬支度も忙しい。

畑に行って大根を抜いてきた。

ついでに麦踏。

今年初めて麦を蒔いた。

子供の頃に麦踏をした記憶がある。

だから遠慮しながら麦を踏めた。

それがなければ、本当にこれを踏みつけてしまっていいのだろうかと躊躇してしまうだろう。

 

干し柿も取り込んだ。

いつも干しっぱなしで固くなってしまうのだが、今年は柔らかいうちに取り込んでみた。

知り合いの何人かはカビが生えたと言っていたが、我が家のは大丈夫。

二つほど食べてみた。

甘い!

どんなスィーツにも負けない。

これで白い粉がふいてくれば完成だ。

 

寒くなったが、そこだけぽっと温かい。

白、赤、ピンクの山茶花がある。

なかでも白く、周りだけほんのりピンクの山茶花はとても気品がある。

今年は選定もして、肥料もやった。

山茶花はそれに応えてきれいな花を咲かせた。

 

相変わらずの図書館通い。

夜が長いので読むものがあるのはうれしい。

細かい字の本を読んでいると、

『なんで、おとうさんは老眼にならないの?』

恨みがましく言う。

かみさんは年下なのだが何年か前から老眼鏡のお世話になっている。

最近は小説をあまり読まなくなった。

考えてみると、芥川賞があまりに堕落してしまったので、純文学など読まなくなってしまったのかもしれない。

これでもかつては文学青年だったのだ。

図書館の本は、自分で買ってまで読みたくはない本だって一応読んでみることができるので、とても助かる。

おもしろくなければ、そのまま返せばいい。

今はほとんど女性ばかりだが、なれるものならなってみたい職業に図書館の司書がある。

車にたくさんの本を積んで、地域を回る移動図書館。

子供たちやお年寄りが楽しみに借りに来る。

世間話などしながら、その人に合った本を進めてあげたりする。

そんな仕事ができたらいいな。

 

今年も残すところあと二十日余り。

政府の無能ぶりばかりが目立った一年だった。

政府はアメリカと大企業の方ばかり向き、庶民はないがしろにされ続けた。

貧富の格差は開く一方だ。

アメリカのウォール街では貧富の格差をなくせというデモが行われた。

アラブでは民主化の嵐が吹き荒れている。

南米ではアメリカの支配からの脱却と民衆のための政治が熱く燃え始めている。

一部の特権階級だけが富を独占する時代はもう時代遅れだ。

日本はなかなか変わらない。

マニフェストを掲げて議席をかすめ取った民主党は、結局自民公明となんら変わらない路線を歩み始めた。

その方向ではだめなのだ。

それがあの選挙の結論ではなかったか。

そもそも本当に必要ではないものを大量に生産し続けて、大量の消費をあおる現在のシステムはもうやめなければならない時期だ。

民衆を豊かにもしないし幸せにもしない。

地球の環境も壊す。

もっと調和のとれたシステムにしなければだめだ。

そもそもこれだけ働いて、なんでこんなに貧しいのだ。

富を公平に分配し、ろうろう時間を半分くらいにし、大量生産大量消費を減らせば人々はもっとゆったりと暮らせるはずだ。

生活に追われるだけで終わる人生なんて高度に発達した社会には似合わない。

 

 

 

 

 


もっと、もっとうまくなりたい

2011年12月07日 23時49分45秒 | 日記

昨夜は雪が舞った。

いつ雪が積ってもおかしくない状況になった。

そこで、今日は冬タイヤの交換。

日中は暖かくて作業には作業はとてもやりやすい。

傍らで、剪定した枝でたき火をしてさつま芋を放り込んでおいた。

二台の車のタイヤを換え終わる頃、焼き芋になっていた。

これでもういつ雪が積もっても大丈夫。

 

 

 

昨日で職業訓練が終わったので、ひとまず時間が取れる。

そこで、そば打ちもやった。

干し柿にする渋柿をもらったユキコさん宅、小麦の種をもらったケイコさん宅、リンゴをもらったタッチャン宅。

そこに気持ちばかりのお礼に二種類のそば粉で、丹精込めてそばを打った。

去年の残りのそば粉と、今年買い出しに行ってきた飯綱町の牟礼のそば粉。

この牟礼のそば粉は新そばだ。普通のそば粉は加水率42~44%くらいなのだが、此処のそば粉はなんと、48%ほどの水を欲しがる。

粉の挽き方が少し荒いのかも知れない。打つには難しいが食べれば旨い。

去年のそば粉の分が少し余ったので我が家で茹でた。

『おいしい!』

かみさんが言った。

 

ぼくの打ったそばを食べれば他所のそばは食べられないと何人かは言ってくれる。

まんざらお世辞ばかりではないにしろ、もっと、もっとうまく打てるようになりたい。

そば粉の声をきき、力技ではなく、そば粉の持つ命の力を引き出したい。

 

 

 

 

RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ』という映画を観に行った。

ぼくらの世代には身につまされる映画だった。

しみじみと夫婦のあり方や第二の人生のことなど考えさせられた。

 

 

 

明日はハローワークの認定日。

仕事をしたくないわけではないが、どうか、今しばらくの猶予を与えて欲しい。

もう、さんざん、仕事漬けになってきたのだから。

 

 


ツールドNAGANOに参加

2011年12月04日 21時51分33秒 | 日記

第2回ツールドNAGANOに参加した。

善光寺平を囲む里山をランニングで繋ぎ、山にも登る過酷なレース。

時間は27時間。どこで止めても自力でスタート地点まで戻ればいい。

去年は日没までと決めていたので、48km。

今年は夜も走ると決めていたのでヘッドランプも用意した。

朝6時スタート。

あいにくの雨模様だが、構わず走る。

昨年の景品だったシャツを着ているので濡れてもそれほど冷たくはない。

参加人数89人。物好きな人もいるものだ。

去年少し一緒に走った人(男性)と、もう1人に女性と何となくペースが合っていろいろ話しながら走る。

各地のウルトラマラソン(100kマラソン)に参加しているという。

そういう点ではすごい人たちなのだなと思う。

月に250km程度走っているという。

僕は基本的に山の人なので、ロード区間ははたしてついて行けるのか心配だったが何とか遅れずについて行けた。

三登山、髻(もとどり)山、そして雁田山。

吹き飛ばされそうな強い風が吹いた。

今年のテーマ。『押さえて、押さえて』

去年は中止した時点で、この二人よりも1時間以上先行していた。

後半のことを考えると、飛ばしすぎないようにしないといけない。

そういう点でこの同行者たちの存在は大きかった。

ウルトラマラソンに出ようよ、楽しいよと誘ってくれる。

山があるから何とかついて行けるが、平地だけのランニングならどれだけ走れるかわからない、というとそれだけ走れれば大丈夫と太鼓判を押してくれる。

なんとこの女性は野辺山100kmマラソンを9時間台で走っているのである。

多分ぼくの現在の走力では制限時間の14時間を切るのがやっとだろう。

所々で、これはオーバーペースだなと感じる場合があった。

そんな時は構わず彼らから離れた、マイベース、マイペース、押さえて、押さえてと呟きながら。

時には彼らの速度が遅すぎると感じることがあった。そんな時は先行した。

走る人と山の人ではペース配分が違うのだな。

それでも、いつの間にかまた一緒に走っている。

明覚山、この山は自宅から目の前に見える。一度登ったかみさんは、もう2度と登りたくないというほどの山だ。ピークがいくつもあり、鎖場もある。雨も激しくなったり弱くなったり。

気温は割合高くて長袖のランニングシャツ一枚で足りる。

所々にチェックポイントがありエイドがある。飲み物、おにぎり、サンドイッチ、うどん、果物、チョコレート、等々。スタッフに感謝。

臥龍山、桜の名所臥竜公園の背後にある低山。本の人登りで山頂に着く。

去年は此処で日没になり、中止した。今年はスタートが3時間早くなったのでまだ日没まではかなり時間がある。

井上山、その尾根続きの大洞山。この季節、木の葉が落ちて明るい。

この山の向こうに一本の林道が走っている。全く人里離れた山の中だ。真夜中にひとりで走るには怖すぎる。

この林道をかなり歩いて次の太郎山に登る。

この途中で日が暮れた。

ちょっとした登りなので同行者は緩く走る。

ぼくは歩きで彼らより早い。これが山の人のすごいところだね。こういう技があれば楽だね。うらやましがる彼らはどんどん遅れていく。

太郎山の登りはヘッドランプを点けた。

この山は尾根が長くてかなり急なくだりもある。

落ち葉が濡れて滑りやすい。

先行するランナーが二度道を間違える。そこは違うと教えてあげた。そのまま下って行けばとんでもない場所に降りてしまう。

この山を下りてそこからは長丁場のロードラン。

尼巌(あまかざり)山の麓のエイドステーションでも同行者の二人は追いついて来なかった。

ここでは看護士をしているという男性としばらく一緒に登る。

『失礼ですが、何歳くらいなんですか』と三〇代くらいの彼が尋ねる。

『還暦』

『ええ!!』

この山は松代温泉の裏山で、典型的な里山なのだが、急斜面もあって下りはかなり神経を使う。

この山を降りた後、長い長いロードランが待っている。いつしか一人旅になっていた。

実はそれがこの後に起きる大失態の伏線になっていたのである。

千曲川を渡りY字の分岐路を左に曲がらなければならないのを、ついうっかり右に行ってしまったのである。

このルートは何度も通って熟知しているはずだった。道が突き当たるまで気がつかなかった。そこの地名を見て愕然とした。

10km以上も目的地から離れてしまっている。

時間は12時を回ろうかという時分。まだ制限時間まで9時間もある。

リタイアしてこのままスタート地点まで戻れば近いのだが、目的地は反対方向にある。

リタイアするにしてもそのチェックポイントまでいってからにしよう。

もうレースを続ける気力は萎えてしまった。走らないまでも、羨ましがられた歩きでチェックポイントに向かった。それでもやっぱり足は重かった。

山では迷わなかったのに、長野市の街中で迷うなんて。。。

夜で、目指す山の方向が見えなかった。やっぱり昼間とは違う。

一人旅になってしまったのも良くなかった。

茶臼山の麓のチェックポイントに辿り着いた時、前のポイントを2時間遅れで出てきた人と一緒になった。大きいなロスだ。

茶臼山へ登って行く人を見送りながら、スタッフと四方山話をする。

後は帰るだけなので気楽だ。時間は2時過ぎ。

15km道のりだ。正しいルートで来ればここまでで80kmになる。そこにロスの分があるから90km以上になる。ここからスタート地点まで歩いて結局107kmとなった。時間は5時半近かった。

歩数158,123歩。

スタート地点に戻っていた同行した女性は御苦労さまと迎えてくれる。

彼女は尼巌山までで中止したと言う。もう一人はチャレンジを続けている。

今年のチャレンジは終わった。

商品のTシャツをもらい、くじを引いてブドウももらった。

参加費5,000円はとてもありがたい。

ボランティアスタッフの対応も良くて、気持ちよく走れた。

来年の今頃も走っているだろうか。

わからない。何しろ61歳だからなあ。

 


もう12月

2011年12月01日 21時48分25秒 | 日記

季節の過ぎるのはなんと速いことだろう。

8月の盆過ぎにリタイアしてもう4カ月が過ぎた。

何をして過ごしていたのか改めて振り返ってみると、いくらもやりたいことがやれていない。

 

まずは菜園。無農薬栽培でこんなキャベツが採れた。

青虫もたくさん付いていたが、あまり真剣につぶさなかった。

売り物にするわけではないし、生き物を殺すことはしたくない。

レタスや、春菊を周りに植えて虫があまり寄り付かないようにした。

外葉には青虫が付いて穴が開いていたが、中はこの通りきれいなものだ。

コンパニオンプランツという考え方があって、他の植物と混稙することによってお互いに良い影響を与え合う。

環境に負荷を与えないという点でとてもいい。

ほかの野菜たちも概ねよく育った。

 

最近は図書館の本を借りることにしている。

読んだものも貯まらないし、経済的だし、とてもいい。

 

秋になって、中山道歩きを再開した。

今は木曽の山の中。江戸の日本橋から中間点を過ぎて、寝覚ノ床まで来た。

後は妻籠を過ぎ馬篭へと入って行く。いよいよ信州を抜けて飛騨だ。

 

 

先日は上山田温泉で行われた座布団寄席に行った。

トリは柳亭市馬。落語協会の副会長だ。声がよくて歌もうまい。

抽選会があって、いろいろな景品があった。

当選番号が次々と読み上げられていく。

確率は10人に1人。

やっぱり、当たらない。俺は籤運が悪いからなあ。

そんな風に思っていたら、最後から2人目に、持っている札の番号が呼ばれた。

景品は市馬の色紙。これはうれしい。

運が向いてきたのかもしれない。

先日、歩行者専用のアーケイド街を歩いていて車に当てられてしまった。

全治1週間の打撲。

これはもう宝くじを買うしかない。

年末ジャンボをバラで5枚買った。

 

 

娘が岐阜県の美濃市にいる。

里帰りしたので、帰りは送って行きがてら、中山道の下見をすることにした。

太田宿を散策した。落ち着いたいい街だ。

いずれまた、歩いて此処まで到達する。その時はもっと冷たい風が吹いているのだろうか。

帰りに道の駅に立ち寄った。

そこで、気に入ったコーヒーカップを見つけた。

織部という町だ。多分織部焼なのだろう。

セットで1,900円。値段も手頃だ。

なにしろ、これまで使っていたのは100円ショップのコーヒーカップだったので、どんな良いコーヒーでも美味しさは半減してしまう。

今はこのカップでゆったりとコーヒーを味わっている。

 

 

さて、どのように暮らしているかの核心は、やっぱり、生活のことだ。

今は失業保険を受給しながら、シニアワークプログラムという職業訓練に通っている。

少し前まで剪定、庭園管理の講習だった。

この講習は楽しかった。こういう仕事なら性に合っている。

そして現在は警備、救急法。

警備は置いておくとして、救急法は日本赤十字の救急員の資格が貰える。

今日まで3日間の講習を受けた。

明日は学科と実技の試験がある。

合格ラインは80点。

本当は今時分、ねじり鉢巻きで勉強していなければならないのだが、まあなるようになる。

これまでの職業とは別の分野の勉強ができるというのは楽しい。

来年はビル管理の職業訓練を受けようと思っている。

期間は半年。

ちょうど、山田洋次の『学校』で、大竹しのぶの通った学校ような感じなのだろう。

 

食欲の秋。

今はリンゴのふじがうまい。

つい食べ過ぎてしまう。

今夜の体重は60.2kg。

体脂肪率17.6%。

基礎代謝1334kcal。

体内年齢35歳。

2kgくらい落としたい。

交通事故にあったせいもあって、運動量も低下した。

年間1000kmのランニングを目標に掲げていたが、現在の到達点は882km。残182km。微妙なところだ。

12月3日、善光寺平の里山を巡る120kmのトレイルランニングのイベントがある。

昨年は日没でやめたが、今年は夜を徹して歩き走ろうと思っている。27時間の制限時間だが、さて、どこまで行けるだろうか。

此処である程度距離は稼げる。年間1000kmのランニングは達成できるだろう。

 

 

いろいろなことを、羅列してしまった。

まとまりのないブログだが、リタイアしてどのように過ごしてきたのか、少しは表現できただろうか。

今、ぼくは書かないでも過ごしていける。かつては書くことでようやく自分を保っていられるというような時期もあったのだ。

ただ、今後はできるだけ些細なことでも、暮らしの中で感じたことや考えたことなど書いていきたいとは思っている。