昔、吉田拓郎さんが「感動できなきゃ人間やめだ」とアルバムに書いています。
そうですね。
感動の無い人生なんてつまらない。
ある時、そむりえ亭に若いお客様の先輩と後輩の3人連れがお越しになられた時の会話です。
「年をとると感動が無くなるよね~~」「そうなりたくないから年は取りたくないなあ」と・・・・・
私はツイツイ口を挟みました。
「私は年と共に感動は増えるし、その大きさも増大してますよ」
彼らは言います。
「本当ですか?」
しかし、考えてみれば当然のことです。
だって、自分が経験してきた痛みとか、小さな喜びは若い頃は「経験していない」訳です。
例えば知人の死の悲しみは、少なくても若い頃より今の方が痛切です。
野に咲く花の健気さは若い頃は考えもしませんでした。
或いは「あの人、若いのに頑張っているねえ」
「あの人、あんなお年なのに凄いですね」
若い時は、その定規がなくて凄さが判らないことが多いんです。
また、その一言が「人を傷つける」と言うのが判っていればイジメはないのです。
大人でもイジメはありますが、段々と出来なくなる。
この商売では、お客様の有難味は年を経て、より深くなっていきます。
ドラマを見て涙もろくなっていきます。
久しぶりの同級生に会った時の喜びは高校を卒業して何年、では感じなかった感慨があります。
其々の人生を慮る(オモンバカル)のですね。
どうぞ、皆さん、年をとってください。
私は嬉しいですね。
いやあ、勿論体力は無くなります。頭もゆるくなります。残りの時間は減っていきます。
年をとることが偉い事ではありません。
衰えてこそ知る感動もあるのです。
しかし、感動は減りません。増えるんです。
今日も何があるのか楽しみであり、訃報に涙するかもしれません。
拓郎さん、良い事言いますね!!
「感動できなきゃ人間やめだ」