昨日、吉田拓郎さんの「感動できなきゃ人間やめだ」に掛けた事を書きました。
今日は、その補足です。
確かに人間年と共に感動が薄れることはありません。むしろ増していくのです。
しかし、外から見ると、感動しなくなっていると思われることはあるかも知れません。
例えば、嬉しい事があったとしても過剰に感情を出さないようになったり、悲しい事があっても騒ぎ立てたりしなくなったり・・・・・
何故なら、喜びすぎる事で「実は家で不幸があった人」が横にいるかも知れない、幸せなカップルも「今は二人きりにして欲しい」などと思っているだろう、と想像できるようになるのです。
不幸な知人は他人に騒ぎ立てられるのは実は嬉しくなかったり、なのです。
感動は「自分の心が動くこと」です。
他の人に同じ事を強要することは出来ません。
本当に親しい同じグループにいる人は別として「それぞれの人生や人生観」がある訳ですから、自分の感動は、まずは自分の中で処理をして「これを共有で知る人は誰?」と冷静に考える人になりたいものです。
私が出来ているかと言えばそうではないかも知れません。
が、自分の尺度の中では年と共に「他人への強要」は減って来てるのではないかな、と思います。
「感動できなきゃ人間やめだ」
しかし、それは自分の心の中の話、という続編でした。