存命なら10月で95歳を迎えます。
2年前の6月に亡くなったのですが「ある意味無念」な晩年でした。
何故なら父は社会党で頑張ってきた人でしたから、今の社民党や、そこから派生して離合集散を繰り返した民主党(現民進党)などの衰退を見ることが悲しかったはずです。
飲食業をする私が政治の話は禁忌かもしれません。
しかし、やはり父の影響がないとは言えないのです。
で、父が生きていて枝野幸男氏の立党会見をもし見たら、彼の背中を叩いて力強く押したのではないか?と思うのです。
当時の社会党とは違うでしょうし、勿論現存する社民党とも違う組織ですが・・・・
政治活動は私は致しませんが、「戦争」という言葉には嫌悪感しかありません。
それは父の政治活動によるものだけでなく、彼や母の兄弟の戦争体験の方が大きいかもしれません。
いずれにせよ、この10月11月はそういう点では目の離せない大事な時期になるのでしょう。
せめて、このブログで「小さな声」をあげさせていただきます。
さて今日はお休みを頂いて、また母の介護。
東京で幼い弟達を抱えて空襲を切り抜け、大阪に連れて逃げ、全身シラミだらけだった兄弟のシラミをお互いに取り合って、繊維工をして支え、今日に至る母です。
僅かですが、晩年を快適に過ごせるように頑張ります。
樋口誠
2年前の6月に亡くなったのですが「ある意味無念」な晩年でした。
何故なら父は社会党で頑張ってきた人でしたから、今の社民党や、そこから派生して離合集散を繰り返した民主党(現民進党)などの衰退を見ることが悲しかったはずです。
飲食業をする私が政治の話は禁忌かもしれません。
しかし、やはり父の影響がないとは言えないのです。
で、父が生きていて枝野幸男氏の立党会見をもし見たら、彼の背中を叩いて力強く押したのではないか?と思うのです。
当時の社会党とは違うでしょうし、勿論現存する社民党とも違う組織ですが・・・・
政治活動は私は致しませんが、「戦争」という言葉には嫌悪感しかありません。
それは父の政治活動によるものだけでなく、彼や母の兄弟の戦争体験の方が大きいかもしれません。
いずれにせよ、この10月11月はそういう点では目の離せない大事な時期になるのでしょう。
せめて、このブログで「小さな声」をあげさせていただきます。
さて今日はお休みを頂いて、また母の介護。
東京で幼い弟達を抱えて空襲を切り抜け、大阪に連れて逃げ、全身シラミだらけだった兄弟のシラミをお互いに取り合って、繊維工をして支え、今日に至る母です。
僅かですが、晩年を快適に過ごせるように頑張ります。
樋口誠