このブログは、2007年11月に解説しました。
ですから、開設して、15年経ちました。
これまでの、投稿記事数は、約4、200、写真は、約30、600枚、
訪問して下さった閲覧数は、約403万9千回、、でした。
チリも積もれば、、、ですね。ビックリです。
こうして、15年を振り返ると、歴史を感じます(大袈裟な奴!、、エ?汗)
当時のブログから、懐かしいハワイアン演奏会を、思い出しました。
都内中野区のもみじ山文化センター(愛称:なかのゼロ)での、ハワイアン演奏会。。
「2008年5月6日、アロハ・コンサート2008@なかのZERO」
写真の画素数が、当時と今での違いが、分かります。
とても、懐かしい!こんな演奏会、またやってほしい!!
今日は、朝は曇りでしたが、午後からは、晴れました。
気温は、4℃~11℃です。風はないので、寒くはありません。
昼食は、国道沿いの蕎麦屋さんへ。
蕎麦屋さんだけど、ここでは、平凡にラーメンです。
これで、¥490です。安いでしょ。。
薄味で、麺は腰があって。おいら好み。。
まあ、価格は、維持してますね。
オイラは、普段車乗らないので、鈍感です。。
午後は、ウオーキング、、今日は、まじめに、、?
昨日は、歩かなかったからね。
東の空、14:34
同、西の空。
日大校舎横を歩きます。
西の空は、霞んでますが、東は、青空です。
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何故だか、分かりませんが、出だしから、4度のコードなのが
明るい感じなのが、いいのかもしれません。
そして、なによりも、ここのフラの皆様、最後の所で、スチール演奏できちんと挨拶されて
規律正しく退出されてる、、これ、感動です。初めてみましたね。
こういう曲を聴いていると、明るい、積極的な気持ちになれますね。
予報では、2℃~8℃。
日曜日、、コロナ禍思うと外食は避けたいのですが、
近くのお店に食べに出かけた。昨日と同じ、国道沿いのお店。
今日は、ピリ辛鍋焼きうどんね。¥850也。
食べてみて、分かったことですが、辛いのは、オイラは、苦手のようでした。
この年になって、知った??辛くてじっくり味わえないんだよ。。
いや、お店のはおいしいはずだけど、こればっかりは、、好みだからねえ。。
人ごみ避けて、食後は、まっすぐ帰宅です。
最近ウオーキングもやっていません。。
寒いから??、、いいや、歯痛の後遺症みたいな感じです。
今日は、もう歯痛はありません。
お医者さんの薬、効いたようです。
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帰宅後、ユーチューブ見た。。
懐かしいハワイアンがあった。
日野てる子さんの「夏の日の想い出」、、
(このユーチューブでは、最初の方は、おしゃべり、、歌は、2分後位からです)
黒柳氏ー久米氏ペアの番組ね。。ベストテンの多分、スポットコーナーだと思います。
時期は、、正確では、ありませんが、1979年~80年位?(推測です)。
日野てる子さんは、御存じのように、2008年9月に亡くなられています。
63歳という若さでした。
彼女の作品で印象にあるのは、その他では、道、故郷が恋しい時、、等。
今日も快晴です。
でも、ウオーキングには、昨日同様少し暑い。
もう少しだね。
食後駅前を歩く。。
近くでの駅前工事、、駅前通りも様変わりしそう、、.
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今日は、先日もご紹介した、大橋節夫氏を取り上げます。
2005年6月の「80th大橋節夫フアイナル・ビッグ・コンサート」ね。
今日は、その時の、パンフレットをご紹介します。
↓これね。当日の演奏のあったNHKホールの出口で売っていたもの。
オイラは、買おうかな?と思って、値段見たら、500円と見えた。
うん、なら買おう!と、思ったら、なんと、¥1、500だった。
左の「1」が見えてなかった。でも買うと、言ってしまったので、やむなく
買いました。今となっては、買っておいて良かった!です。
パンフにしては、高かったから、売れてなかったけど。。
オッパチさん最後の演奏会のパンフになってしまいましたからね。
B4版の大きさ、、結構大きかったが、何とか鞄には入りましたけど。
中身は、いろいろありましたが、80周年記念なので、各界からの
お祝いのお言葉が。。
まずは、ハニーアイランダースメンバーね。
左から、中村弟氏(ベース)、杉本氏(ウクレレ)、内田氏(ヴァイブ)、三上氏(ギター)、中村兄氏(ギター)の方々。
そして、バッキー白片氏の息子様、ご兄弟。
想い出の数々のシーン、、、
一緒に映っている有名人さん見ると、凄い人でしたね。。
そして、主な、↓デスコグラフイー。
細かくて読めない事、お許しください。。
要するに、沢山出されている、、ということです。
自分もこの中から、いくつかのアルバム今でも所有しています。
オッパチさん(大橋節夫氏の愛称)は、1925年2月2日に生まれ
2006年6月7日に亡くなりました。享年81歳でした。
ウイキペデイアで、ギター奏者となっているのは、おいら的には不満です。
きちんと、「スチールギター奏者」、と紹介してほしい。
(尤も、バッキー白片さんのウイキでは、ギター奏者もなく、単にミュージシャンでしたが)
ハワイアン、スチールギターの知名度不足??ちょっと、寂しいです。。
今日は、朝から快晴です。
予報では、関東は、最後の夏日かも、、、とか。。
でもここ神奈川県藤沢は、気温は29℃で、夏日には、ならなかったです。
今日も、国道467号線沿いを歩きました、、昼食のためです。
11:10、、これから食事です。
↓ここのセブン、やけに駐車場が広いです。隣がガソリンスタンドなので
つながっているのかも、しれませんけど。。
今日は、いつもの様に、「野菜炒め定食」、¥690也。
料理できないオイラ、こんな値段で、有難いし、おいしいねえ。
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今日は夕方、エアコンの修理屋さんが来ます。
まだ修理ではなく、今日は、不具合現象の確認らしいです。
不具合現象を確認して、必要な部品?だか、工具?だかを、用意して
今度は、修理して頂く。。
もう夏も終わるけど、気の付いた時に修理しておく、、大切です。
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今日のハワイアンは、大橋節夫氏最後の演奏になった2005年6月5日の
演奏会から、最初に演奏した、「浜辺の歌」です。
「フアイナル・ビッグ・コンサート」(当時のパンフレットです↓)と題しておられたので、
不吉な感じがしてもしや、、と思い、NHKホールに出かけています。
自分の、もしや、、は残念ながら、的中してしまいました!
丁度1年後の2006年6月6日に、81歳で亡くなられました!
この演奏では、スチール演奏は、従来のオッパチさんでしたが、歌の方は、
本来のオッパチさんの声では、なかったです。
既に喉の方は、病んでおられたのかもしれません(悲)。
最後のスチールギターは、リッケンバッカー6弦でしたね。
この時の、ハニーアイランダースには、オッパチさん初め、杉本さん(ウクレレ)、
中村順一さん(ギター)、内田さん(ビブラフオーン)もご健在、そして歌手の、
尾崎紀世彦さん、ペギー葉山さんもお元気でしたが、今は皆さん、おられません。。
そう思うと、月日の怖さ、を感じます。
でも、貴重な演奏を生で聴けたことは、良かったです。
今日は、曇りですが、清々しい気持ちの良い天気です。
コロナ禍ですが、今日も、すみません、外食させて頂きました。
十分に、コロナには配慮してますし、短時間、40分位、、で店を出ます。
スーパーで何か弁当でも買って食べろよ、、もありですが、
どうも、そういうのは、あまり好まないもので。。。
曇りですが、気温も23℃位で、気持ちいいです。
↓国道467号線です。午前11時頃。
今日は、昔から食べている、フレンチトーストね。
これ、何年くらい食べているか?、、
初めは、兄と一緒の時でしたから、少なくとも、、15年以上は前からでしょう。。
帰りの途中で見かけた、お花さん、、きれいだねえ。。
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今日は、ウクレレオータサンの師匠、エデイ・カマエ氏について触れたいです。
彼は、ホノルル生まれ、、その後、ラハイナへ、、。
Eddie kamae (1927-8-4~2017-1-7)享年89歳でした。
彼の代表作、と言えば、Morning Dew(Eku'u Morning Dew)ですね。
我がウクレレサークルでは、来る10月に演奏会が予定されてますが、
この曲も追加で演奏する予定です。
古い楽譜のせいか大分汚くなっていましたので、今日はパソコンで楽譜を作ってみました。
なるべく大きな字で、読みやすくね。
やはり、読みやすい楽譜の方が、気持ちも入りやすいのでね。。
スチールは、最初のイントロだけです。あとは、うたです。
典型的な、循環コードですが、自分は、何回か繰り返されたGm7の後の、B♭が好きです。
エデイ・カマエ氏は、生前、何回か来日しています。
記憶では、最後の来日の時は、ご夫婦で来られていたと思います。
ハワイアンの中でも、ずっとこれからも残る名曲だと思います。
お昼は、外食してしまいました、、、
外出自粛せよ、、なのに、、、どうしても自分で料理は作れないので。。
天ぷらそばね。¥880也。
天ぷらは、エビ、オクラ、かぼちゃ、はんぺん、レンコンでした。
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コロナ禍で、毎年あったイベントがほとんど中止になっている。
寂しいねえ。。
オイラが、毎年楽しみにしているイベントとしては、いくつかあります。
1.スチルネ:毎年四月ごろ、横浜、サムズアップで、スチールギターの
演奏会があります。主宰は、横浜ハワイアンミュージックアカデミー(YHMA)。
スチールギターの演奏する人は、今は少なく、ましてそれ専門の演奏会となると
非常にまれです。
オイラの様な、愛好者にとっては、とても貴重な演奏会なんです。
↓2017年のパンフです。
2.湘南祭
毎年4月~5月に、茅ケ崎海岸周辺で行われていた。
各種イベントの他、アロハマーケットと称したハワイアン関連のグッズ販売
マーケットも面白い。これがあると、今年も夏がきたなあ、、気分になれる。
3.ウクレレピクニック
7月~8月辺りに、横浜、赤レンガ近辺で行われる。
全国のウクレリアン集合!みたいな感じの大ウクレレイベント。
沢山のウクレレサークル、プロの皆さんが参加されている。
勿論、沢山のウクレレ、ハワイアン関連のお店が出店している。
4.YHMAウクレレコンサート
毎年9月初めに、ヨコハマ・ハワイアン・ミュージック・アカデミー主催で
相鉄線いずみ中央・テアトルフオンテで開催されている。
アカデミーに所属している、全サークルが出演される4時間を超える大イベントです。
最近は、荒川先生指導のスチールギターの生徒さんも増えています。
5.ローズフラ
ハワイアンとフラのコラボのイベントです。
演奏もフラもレベルの高いイベントです。
6.ハワイアンフエステバル
毎年、10月~12月に、鎌倉芸術館で行われているハワイアン演奏とフラのコラボです。
六本木アロハステーション主催の大イベントです。
7.富山ハワイアンの集い
毎年3月下旬ごろに行われています。
私の知人が主宰している大イベントで、ここには、多くの仲間が集まりますので
とても楽しみのイベントなのです。
↓これは、2010年12月のパンフです。
7.みどりのはっぱの会
毎年12月に行われていたチャリテイコンサートです。
田村親子様が主宰されて、毎年続けておられましたが、ご高齢になったので
今は、ありません。。毎年のチャリテイのお気持ち、、素晴らしい会でした。
こうして、振り返ってみると、どれも懐かしいし、コロナも収束して
早く、昔みたいな楽しい時代になってほしいです。
ワクチン効果で、感染激減!やったー!の日が早く来るように!!
願ってます。。
気温も22℃、オイラには、嬉しい温度。。
今日は、午後から少し、パラリとね。。
一日一回の外出、、食料品を買わないとね。
コロナ禍ですが、こればっかりは、避けれない。
買い物も終わったので、早く帰りましょう!
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今日は、日本の女性ハワイアンバンドとして一世を風靡した、
「関万里子とパイアナップルプリンセス」をご紹介します。
最近、、去年位からでしたか、関万里子さん自ら、Youtubeに投稿されてますね。
「84歳のスチールギタープレイヤー、関万里子でございます」と。。
嬉しいですねえ。自分は、今、70歳代、、ハワイアンの好きなオイラですが、
日本のハワイアン全盛期は知らないのです。
80歳代の方なら、よくご存じのはず。。
その関さんが、昔のことを思い出して、演奏とそれ以外の実体験の
当時の国内のハワイアンのことを投稿されています。
これは、すごく貴重です。
多くのハワイアンの大御所さんがおられましたが、こういう
昔を振り返っての、実体験の記録等は、殆どありません。
書物では、早津敏彦氏の書いたいくつかの、ハワイアン関連の
本がある程度です。
でも、早津さんは、演奏家ではありませんから、今回のような
実際のバンドリーダーが投稿されているのは、すごく貴重です。
私は、関万里子さんは、お名前は昔から知っていました。
でも、残念ながら、情報があまりなかったので詳細は
知りませんでした。
今の、SNSの時代、Youtube ,Facebook,ブログ。。
(お嬢様の、神谷えりさん、ありがとう!)
所で、オイラは、ずっと関さんのスチールの師匠は、村上一徳さんだと、
思ってました。早津さんの本の影響??京子さんも一緒だったから??
今回の動画から、なんと、あの山口軍一さんだったんですね。
(蛇足ですが、オイラが最初に買ったハワイアンレコードは
山口銀次とルアナハワイアンズ「夕日に赤い帆」1963年頃、ポリドールでした。
ここのスチールギタ-は当然弟さんの、その軍一さんでした。
今もレコード、ありますが、すりきれてますけど。。)
投稿を見ると、知らないことだらけ、、
但し、当時は、すごいハワイアンブームだった、
ということが分かります。
運命の出会いが、山手線ホームで、ルアナのマネージャさんや大塚竜男さんご本人に
声をかけられた、、ですから。。
ビックリ!ですね。
村上一徳さんのお嬢様、京子さんもバンド仲間だったんですね。
京子さんの息子さんは、ジャズシンガーの小林桂氏ですが。。
関万里子さんの御主人、神谷保弘氏は、御存じ、スチールギターメーカーの
Canopusを経営されていましたが、残念ながら昨年3月に心不全で
突然亡くなられました。
オイラも何回か下北沢のお店にお邪魔したことありました。
自分とは、年齢も近かったせいか、いろんなお話しましたが
職人さんイメージが強い方でしたね。
ご冥福をお祈り致します!
今後も、いろいろ昔を思い出して、貴重なお話を投稿して頂きたいと
思います。
以下は、投稿されているYoutubeから引用させて頂きます(お借りします)。。
↓関万里子とパイナップルプリンセス、
関さんは、スチールですから、左から、二番目。
同上 関さんは、左、真ん中が、関さんの生涯の友人、多(おおの)ミキ氏、、
同上、左が、村上京子氏、その隣が、関氏。
皆様、すてきです。
皆様のおかげで、今のハワイアンがあるんですね。感謝!です。。
雨天続きです。
九州、広島初め多くの場所での雨災害!これ、尋常ではありません!
ここは、神奈川県ですが、雨天続きです。
でも、お陰様で、それほどの豪雨ではありません。
↓我が家のベランダから、、14:05
被災地の皆様の惨状をテレビで見ると、心が張り裂けそうになります。
心から、お見舞い申し上げます。
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コロナ禍、大雨、、暗いことが続いていますが
今日は、気分転換!
50年代の古き良きハワイの映像をご紹介します。
「Hawaii in 1950」
(投稿者のavide Fenwick様、お借りします)
1950年代、、日本からハワイなんて、夢の世界でした。
自分も当然、当時のハワイは知らないのですが、この映像を見ていると
知らないのに、懐かしい、良き時代を思い浮かべます。
投稿者様のメモでは、ロスアンジエルスから船で、5日間かけて
ホノルルに着いた、、と書かれていますね。時代を思います。。
一服の清涼剤として、、、、でした!
今日も、朝から雨です。
雨はうっとうしいですが、涼しくて助かります。
先日、日本の女性ハワイアンバンド「横江美代子とフラワーシスターズ」を
ご紹介しましたが、このバンドのライバル、、というか花形バンドのご紹介です。
「嶋岡美穂子とクイーン・シスターズ」、、
この女性バンドは、昭和25年(1950年)にデビューしている。
(時系列的には、その前に、大橋節夫に師事した時に、ハニー・シスターズ、
また、バッキーからメイデンス・フアイブの名前をもらった時代もありました)
このバンドは、いわゆる、嶋岡姉妹の多いバンドで、
写真左から、B:日下部敦子、リーダーSG:嶋岡美穂子、U:加藤久子、
U:嶋岡緋佐子(5女、後のエセル・中田)、G:長澤途枝子(後のマヒナスターの和田弘夫人)
G:嶋岡都栄子(後のリーダー)、、6人バンドで、内3人が嶋岡姉妹。。
このバンドの音源も、先のフラワー・シスターズ同様非常に少ない。
このCD↓の11曲目の「プア・イリアヒ」が残っている程度。
大変貴重な音源となります。
このCD,11曲目に「プア・イリアヒ」が載っています。
この時は、リーダーは、次女の、嶋岡都栄子氏に変っていたようですね。。
日本の女性ハワイアンバンドは、他にスチールギターメーカーだったCanopusの
奥様、関万里子さん率いる「関万里子とパイナップル・プリンセス」があります。
現在84歳の関万里子氏、昨年あたりから、ユーチューブで、スチールギター演奏の
ご紹介をされています。
有名な方なので、彼女のことは、このブログでも既に昨年に取り上げさせて頂いています。
とても貴重な情報が沢山ありますので、ハワイアンフアンの方の御訪問、お勧めします。
今日も、朝から猛烈に暑い!
昼食は、外食に出かけた。外は、真っ青な青空!
今日の食事は、大好きな目玉ね。
ご飯少な目、言うの忘れた!
帰宅です。 コロナ禍、、外の時間は、なるべく少なめに!!
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今日は、日本のハワイアンの女性バンドに触れたい。。
「横江美代子とフラワー・シスターズ」
このバンドのことは、ハワイアン好きのオイラも知らない。。
オイラは、1940年代生まれ、、知らない、ということは
1930年代生まれの方なら、御存じ??
ていうか、オイラが、知らなすぎるのかもしれないが。。
つまり、70歳代は知らない(?)から、80歳代の方なら知っている?
このブログ通して、80歳代の先輩の皆さんから、ご指摘あったら、
大歓迎です!お言葉、御助言を!!
参考にした本は、「日本ハワイ音楽・舞踏史」早津敏彦著とネットからです。
バンドとして旗揚げしたのが、昭和20年(1945年)11月、、
日比谷公会堂を借り切っての舞台でしたが、女性だけのバンドという
事もあってか、大変な人気になってしまった!
横江美代子、大正4年(1915年)7月26日、東京生まれ。
楽器は、ウクレレ、ギター、、バッキー白片、山崎正雄氏に師事。
(注:山崎氏は、花のシスターズの山崎姉兄妹一家の御長男です)
1944年著名な画家・荻須高徳氏(おぎすたかのり氏・文化功労章受賞者)と結婚されています。
バンドの、テーマソングは、島の唄。
でも、このバンドは、比較的短く、昭和28年(1953年)5月に解散している。
リーダーの横江は、面倒見のいい女性で、メンバーの結婚を考え、解散したという。
沢山活躍したはずですが、不思議とレコーデングに縁がなく、テイチクのSP JS-15005
「愉快なフラ」一枚だけ。このあたりから、知る人ぞ、知るになったのかもしれません。
だから、ここで、YT演奏をご紹介できないのが、残念ですが、写真なら
以下いくつかあります。
まずは、フラワー・シスターズ、、男の人は、ゲスト?バンドメンバーでは、ありません。
横江さんは、真ん中で、ギターをお持ちの方です。
同じく、フラワー・シスターズ御一同!
横江さんは、前列真ん中。。
これは、多分最新のお写真、、右が横江さん、、
いつごろかは、分かりませんが、横江さんのお知り合い、加山さんが写っています。
(注:写真は、銀座APPLEHOUSE様サイトから、引用させて頂きました)
オイラ:ハワイアンをこよなく愛してきたつもりでしたが、知らないことだらけでした!
日本のハワイアンの歴史を感じます。大先輩に感謝!です。。
六本木のハワイアンライブハウス「アロハステーション」が
昨日7月31日にて、閉店致しました。
また一つ、ハワイアンの名所がなくなってしまいました。
誠に残念です!
このお店は、ハワイアンシンガーの佐藤眞砂美氏が主宰する伝統ある
お店でした。
ハワイアン一筋に、25年間の歴史があります。
又、このお店では、数多くのアーテストさんが出演され、歴史あるハウスでした。
アロハステーションのフエステバルは、自分も過去に何回か行っていますが
最近では、2018年12月の鎌倉での、第17回ハワイアン・フエステバル↓が
ありました。このブログでも、取り上げています。
最近のアロハステーションからのCDとして
1.「Hello Buckie」
2.「しばらく」
いずれも、当ハウスでおなじみのアーテストさんの総出演、、これは、豪華です。
以下↓は、当ハウスと関わり合いのあったアーテストの皆さんです。
ハワイアン関連のまさにトップの方々ですね。
George Na’ope/Willy K/Chino Montero/Keola Beamer/Henry Kapono/Henry Allen/
Tony Conjugacion/OHTA SAN/Melveen Leed/Nathan Aweau/Weldon Kekauoha/
Keao Costa/Kehau/Akoni/Waipuna/Alan Akaka/Sean Na’auao/Geronimo Valdriz
Meleana Manuel/Iwalani Kalima/Kawika/Kekai
長嶋義則とコニートリオ/中村順一/野口武義/江藤勲/田村洋一/宮川秀夫
ジョージ小林/寺本圭一/山東直樹/松平恒和/鈴木和彦/杉はじめ/金田栄一/白片たけし
ライオン小林 トニータウベラ 白石信 鳥山親雄 大輪好男/鴻池薫/海田祐樹史/原沢智彦
(敬称、省略させて頂いています)
情報では、各アーテストさん達は、その後は、ホオキパ・スクエアにて活動
されているようです。
六本木・アロハステーション! 25年間お疲れ様でした!
今日は、久しぶりに、ハワイアンアーテストのベテラン・白石信氏著の、「ワイアン茶論」1972年11月から、
「コダック・フラ・ショー」を取り上げたい。
これは、フイルム会社「イーストマン・コダック社」主催の、無料フラ・ショーのことで、
1937年から、毎週火・水・木の3日間、午前10時から1時間にわたり
ワイキキ・シエル(カピオラニ公園の中にある)の野外スタンドで行われた。
朝9時過ぎから続々と観光客が押しかけ、9時半過ぎには満員になる。
白石氏も行ったが、最初の時は入れなかったという、、
以下は、その後、ようやく入れた時の感想です。
緑の芝生の上にカラフルなロングムウムウの女性バンドが約10名、、
殆どが年配。スチールギターなしで、ギターとベース、ウクレレの編成、
どの曲も、適当にヴァンプから入って来る。
曲目は、「ヒロ・エ」、「ホーナネア」、
その時の司会は、ルイス・アケル・シルバ夫人で、まずは、フラダンスの手の説明をする。
続いて、いろんな曲を演奏する、、、、
少しの休憩の後、
第2部は、「可愛いフラの手」から始まる。。。。
最後は、「ガチャ目の村長」とフラレッスンで幕を閉じた。。
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これらの記録は、レコードとして「Kodak hula show」として
ワイキキLP.No.102に収録されている。。
1937年から65年続いたが、2002年にコダック・フラショーは、幕を閉じた。
今では、エントランスのあった場所に、フイルムやドリンクを売っていた売店の小屋が
そのままの状態で残されている。