今日は、藤沢に野暮用があるので、外出した。
途中散歩も兼ねて、藤沢本町→藤沢まで、一駅歩きました。
丁度お昼近かったので、途中、デニーズで、昼食です。
途中散歩も兼ねて、藤沢本町→藤沢まで、一駅歩きました。
丁度お昼近かったので、途中、デニーズで、昼食です。
途中の、「南仲通り」交差点↓、、箱根駅伝で、毎年見学する所です。11:25
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野暮用終わったので、そのまま帰宅。
今日のハワイアンレコードのご紹介は、エセル中田さん、、
今日のレコードアルバムは、「ハワイアンソング・ベスト15」から
野暮用終わったので、そのまま帰宅。
今日のハワイアンレコードのご紹介は、エセル中田さん、、
今日のレコードアルバムは、「ハワイアンソング・ベスト15」から
「アロハ・ヌイ・ロア・イア・オエ」(素敵なアロハをあなたに)です。
バッキー白片作曲、勿論、バンドは、アロハ・ハワイアンズです。
エセルさんのサイン入りです。
今更かもしれませんが、意外と彼女の詳細は探してもなかなか見当たりません。
なので、僭越ですが、分かっていることを少し以下にご紹介します。
エセル中田、、本名:二荒(ふたら)(旧姓:島岡)緋佐子、1934年(昭和9年)2月9日生まれ。
東京・芝の生まれ、姉の島岡美穂子氏の感化で学習院英文科でウクレレを覚え、
バッキー白片作曲、勿論、バンドは、アロハ・ハワイアンズです。
エセルさんのサイン入りです。
今更かもしれませんが、意外と彼女の詳細は探してもなかなか見当たりません。
なので、僭越ですが、分かっていることを少し以下にご紹介します。
エセル中田、、本名:二荒(ふたら)(旧姓:島岡)緋佐子、1934年(昭和9年)2月9日生まれ。
東京・芝の生まれ、姉の島岡美穂子氏の感化で学習院英文科でウクレレを覚え、
姉のクイーン・シスターズのソロイストで参加、当時、本名では学校の許可が下りず、
急きょ、エセル・中田とした。
彼女の代表曲「カイマナヒラ」は、大塚竜男のパームをバックに本邦初の
30cmLP「ハワイアン・オール・スターズ」の最後の曲だった。
これが、大ヒットして、1958年は、彼女にとって、忘れることのできない年となった。
彼女の代表曲「カイマナヒラ」は、大塚竜男のパームをバックに本邦初の
30cmLP「ハワイアン・オール・スターズ」の最後の曲だった。
これが、大ヒットして、1958年は、彼女にとって、忘れることのできない年となった。
1962年に、二荒芳徳(ふたらよしのり)伯爵の長男、芳忠氏と結婚。
日本のハワイアンのソロイストのトップは、やはりこの人、エセル中田氏でしょう。
ここで、日本の代表的な女性ハワイアンソロイストについて。。
エセルさんをトップに、その後の日本の女性ハワイアンソロイストは、
(年代順です)
・エセル中田(1934年生まれ)
・南かおる氏(1936年生まれ)
・衛藤かをり氏(1937年生まれ)
・浜れい子氏(1938年生まれ)
・影山ひろ子(1945年生まれ)
・渚ゆう子 (1945年生まれ)
・日野てる子氏(1946年生まれ)
がおられます。皆様素晴らしい歌唱力お持ちのシンガーさんです。
一番年上の、エセルさんが、現在も、お元気でおられることは、とても嬉しいですね。
彼女のアルバムは、正確な音程で言葉がはっきりしていること、だと思います。
プロの方に、ど素人のオイラがこんなこと言うのは、僭越ですが、正直な自分の印象です。
こういう素晴らしい先人の皆さんのおかげで日本のハワイアンがある、、
と思うと、心から感謝です。。
日本のハワイアンのソロイストのトップは、やはりこの人、エセル中田氏でしょう。
ここで、日本の代表的な女性ハワイアンソロイストについて。。
エセルさんをトップに、その後の日本の女性ハワイアンソロイストは、
(年代順です)
・エセル中田(1934年生まれ)
・南かおる氏(1936年生まれ)
・衛藤かをり氏(1937年生まれ)
・浜れい子氏(1938年生まれ)
・影山ひろ子(1945年生まれ)
・渚ゆう子 (1945年生まれ)
・日野てる子氏(1946年生まれ)
がおられます。皆様素晴らしい歌唱力お持ちのシンガーさんです。
一番年上の、エセルさんが、現在も、お元気でおられることは、とても嬉しいですね。
彼女のアルバムは、正確な音程で言葉がはっきりしていること、だと思います。
プロの方に、ど素人のオイラがこんなこと言うのは、僭越ですが、正直な自分の印象です。
こういう素晴らしい先人の皆さんのおかげで日本のハワイアンがある、、
と思うと、心から感謝です。。