以前私は年金のデータ化に関わっていました。1997年に「年金番号」が統一されるまで、厚生年金番号と国民年金番号とは別々に存在し、転職する都度に厚生年金番号と国民年金場号を行ったり来たりしていました。この不便を解消するために年金番号の統一化が早い時期から話題になっていました。しかし、当時の左派政党を中心とする勢力が「『国民背番号制』に通じる」と反対し、確か20年近く、年金番号の統一が進展しませんでした。
1997年念願の年金番号の統一が図られ、これで便利になると当局の誰もが考えた訳です。しかし、そこには大きな見落としがありました。
1997年以降とそれ以前の年金データがオンライン化された1996年までと、それ以前との3つに大別してことに当たるべきです。それぞれの業務手順が異なるのですから。
1、1997年以降
窓口で入力するデータが「真」であるとの前提にたった現行システムです。これについては申請書が残っているかが解決の全てです。ニュースの覆面インタービューに答えていた元社保庁の職員によりますと「いい加減に入力したデータが膨大にある」そうです。このような入力データは申請書(紙)との突合せ作業を行うほかの方法はありません。
2、1970年ぐらい(記憶が・・・)から1996年までのデータ
この当時のコンピュータは漢字が扱えませんでした。これが前提です。1970年ぐらいから窓口で新たな年金申請は「原票」に記載しデータ入力します。が、転勤や転職で該当の社会保険事務所が代わるとその社会保険事務所では今までのデータを消し、データ入力に使用した原票を「喪失原票」としてファイリングします。これが2つめ前提です。窓口入力以前のデータはこの喪失原票しか存在しない訳です。ファイリングは、厚生年金及び国民年金番号順です。ここに過去分のデータ入力が必要となります。データの入力項目は「厚生or国民年金番号(記号+番号)」「カナ氏名」「生年月日」「喪失日」「マイクロフィルム番号」「撮影コマ番号」が入力項目です。入力時のミスを防止するため、Aさんがまず入力し、同じものを暫くしてBさんが入力します。レコード単位でAーB=0にならなければエラーリストに出力し、我々業者がチェツクします。そして修正後納品します。次に社会保険庁には既に入力されたデータがあります。このマスターファイルと納品データとをぶっつけ、1)マスータファイルにあり納品データにないモノ、2)納品データにありマスタファイルにないモノ、3)両方とも異なるモノを含むモノ、がエラーリストとして出力されます。このエラーリストの修正は、各社会保険事務所が行うことになっていました。なぜマイクロフィルムに撮影したかといいますと、この「喪失原票」の問い合わせは日常業務に占める比率が高かったことにより外部への持ち出しが出来なかったためです。ゆえに各社会保険事務所に業者が入り「喪失原票」をマイクロフィルムに撮影します。そしてそのマイクロフィルムからデータ入力していました。ここで入力できない「喪失原票」は「カナ氏名」がないモノ、「生年月日」がないモノでした。検索は、索引簿方式です。入力データを索引簿にします。「カナ氏名+生年月日順」「厚生年金or国民年金番号順」の2種類の索引簿を各社会保険事務所に納めていました。索引簿でマイクロフィルム番号と撮影コマ番号を調べ、該当するマイクロフィルムを検索機器にセットし、撮影コマ番号をキーインしますと、15秒ほどで該当する「喪失原票」の画像が表示されます。そしてコピーも取れます。
当時の社会保険庁のシステム(スパーコンピュータ)で、「カナ氏名」と「生年月日」で対象者を絞り込んでいきます。しかし、納品データとマスターデータとの修正が完了していなければ、そのエラーデータはコンピュータには反映されません。
検索機器の更新で納品したとき、箱に入ったまま床に積まれていたエラーリストを多くの社会保険事務所で見かけました。これらのエラーデータはコンピュータ上から消えてしまったと言うことです。
3、それ以前(記憶がポッカリ落ちてしまっています。スミマセン)
この時代の年金原簿はリスト形式の帳面です。氏名にカナが振られていません。年度単位の厚生年金or国民年金番号順になっていました。これらの画像もマイクロフィルムに撮影されていますので索引簿から検索できます。
たとえ年金原票(紙)を廃棄してもマイクロフィルムに撮影されていれば、索引簿が残っているものについての再現は全く困難な話ではありません。
この当時は労働組合が強く「電子化による合理化反対!」の垂れ幕や「腕章」をつけ、システム化そのものに反対運動を行っていました。その勢力たるや機器の納品で社会保険事務所にうかがい、所長、庶務課長、業務課長に挨拶すると、「組合に挨拶したかい」と聞かれるぐらい強力なものでした。そして、余計な「仕事はさせるな」という具合です。私の経験で申し訳ありませんが、30名ほどのフロアーで納品した機器の操作説明を行う15分ほどの間です、「組合」の腕章をつけたかたが4名参加せず編み物や新聞を読まれていました。
このような時代でしたので、エラーデータの修正など「組合反対が強くできない」との声を多数聴きました。
その組合を代表する野党、特に旧社会党や共産党の方々は、この問題について良く批判できるなと空いた口がふさがりません。中国の「文化革命」でも夢見ていたのでしょう。
1997年念願の年金番号の統一が図られ、これで便利になると当局の誰もが考えた訳です。しかし、そこには大きな見落としがありました。
1997年以降とそれ以前の年金データがオンライン化された1996年までと、それ以前との3つに大別してことに当たるべきです。それぞれの業務手順が異なるのですから。
1、1997年以降
窓口で入力するデータが「真」であるとの前提にたった現行システムです。これについては申請書が残っているかが解決の全てです。ニュースの覆面インタービューに答えていた元社保庁の職員によりますと「いい加減に入力したデータが膨大にある」そうです。このような入力データは申請書(紙)との突合せ作業を行うほかの方法はありません。
2、1970年ぐらい(記憶が・・・)から1996年までのデータ
この当時のコンピュータは漢字が扱えませんでした。これが前提です。1970年ぐらいから窓口で新たな年金申請は「原票」に記載しデータ入力します。が、転勤や転職で該当の社会保険事務所が代わるとその社会保険事務所では今までのデータを消し、データ入力に使用した原票を「喪失原票」としてファイリングします。これが2つめ前提です。窓口入力以前のデータはこの喪失原票しか存在しない訳です。ファイリングは、厚生年金及び国民年金番号順です。ここに過去分のデータ入力が必要となります。データの入力項目は「厚生or国民年金番号(記号+番号)」「カナ氏名」「生年月日」「喪失日」「マイクロフィルム番号」「撮影コマ番号」が入力項目です。入力時のミスを防止するため、Aさんがまず入力し、同じものを暫くしてBさんが入力します。レコード単位でAーB=0にならなければエラーリストに出力し、我々業者がチェツクします。そして修正後納品します。次に社会保険庁には既に入力されたデータがあります。このマスターファイルと納品データとをぶっつけ、1)マスータファイルにあり納品データにないモノ、2)納品データにありマスタファイルにないモノ、3)両方とも異なるモノを含むモノ、がエラーリストとして出力されます。このエラーリストの修正は、各社会保険事務所が行うことになっていました。なぜマイクロフィルムに撮影したかといいますと、この「喪失原票」の問い合わせは日常業務に占める比率が高かったことにより外部への持ち出しが出来なかったためです。ゆえに各社会保険事務所に業者が入り「喪失原票」をマイクロフィルムに撮影します。そしてそのマイクロフィルムからデータ入力していました。ここで入力できない「喪失原票」は「カナ氏名」がないモノ、「生年月日」がないモノでした。検索は、索引簿方式です。入力データを索引簿にします。「カナ氏名+生年月日順」「厚生年金or国民年金番号順」の2種類の索引簿を各社会保険事務所に納めていました。索引簿でマイクロフィルム番号と撮影コマ番号を調べ、該当するマイクロフィルムを検索機器にセットし、撮影コマ番号をキーインしますと、15秒ほどで該当する「喪失原票」の画像が表示されます。そしてコピーも取れます。
当時の社会保険庁のシステム(スパーコンピュータ)で、「カナ氏名」と「生年月日」で対象者を絞り込んでいきます。しかし、納品データとマスターデータとの修正が完了していなければ、そのエラーデータはコンピュータには反映されません。
検索機器の更新で納品したとき、箱に入ったまま床に積まれていたエラーリストを多くの社会保険事務所で見かけました。これらのエラーデータはコンピュータ上から消えてしまったと言うことです。
3、それ以前(記憶がポッカリ落ちてしまっています。スミマセン)
この時代の年金原簿はリスト形式の帳面です。氏名にカナが振られていません。年度単位の厚生年金or国民年金番号順になっていました。これらの画像もマイクロフィルムに撮影されていますので索引簿から検索できます。
たとえ年金原票(紙)を廃棄してもマイクロフィルムに撮影されていれば、索引簿が残っているものについての再現は全く困難な話ではありません。
この当時は労働組合が強く「電子化による合理化反対!」の垂れ幕や「腕章」をつけ、システム化そのものに反対運動を行っていました。その勢力たるや機器の納品で社会保険事務所にうかがい、所長、庶務課長、業務課長に挨拶すると、「組合に挨拶したかい」と聞かれるぐらい強力なものでした。そして、余計な「仕事はさせるな」という具合です。私の経験で申し訳ありませんが、30名ほどのフロアーで納品した機器の操作説明を行う15分ほどの間です、「組合」の腕章をつけたかたが4名参加せず編み物や新聞を読まれていました。
このような時代でしたので、エラーデータの修正など「組合反対が強くできない」との声を多数聴きました。
その組合を代表する野党、特に旧社会党や共産党の方々は、この問題について良く批判できるなと空いた口がふさがりません。中国の「文化革命」でも夢見ていたのでしょう。