町の商店街の店主たちと打ち合わせを行う機会に遭遇できた。驚くことに多くの方が、ご自分の発言に責任を持たない。それどころか前回の発言にさえ責任を持たない。そのことを批判される方が少数ながらいらっしゃるのだが、「何を前のことを言っている、そんなこといちいち覚えていられるか」と怒鳴る呆れた方が多い。それがまかり通っていた。仮に多くの商店街に同様の状況がみられるとすると、全国の役所で行われている過剰なまでに書類に印鑑を要求することも理解できる。
私はよく入院していた、1回3週間以上である。そして先日某有名病院の事務長だった方と会食する機会があった。入院患者で常識がないコマッタチャンは、「地方公務員のエライさんとこの商店街や零細企業の社長だ」と言うことで意気投合した。地方公務員のエライさんは看護師をお茶くみの自分の部下と勘違いしている。この商店街や零細企業の社長はワガママ放題で、検査結果が悪いと直にわめき騒ぐ、そして病院内でのルールが守れない非常識さが凄い。全身イレズミだらけの方の方が常識的な入院患者であるようだ。
特に商店街の社長は2代目以降の方が多く、2chで一時騒がれていた「ボンボンジジイ」たちである。終戦後も親の財産で優雅に暮らし、散々アマイ生き方をされてこの不況で生き方を大きく変えられた方が多いようだ。都内でも商店街がフランチャイズ店か大手の支店だらけになり、地元の方が少なくなっている。自分で働くより家賃収入の方が賢い選択なのだろう。しかし商店街の個性がなくなる結果になってしまった。
このボンボンジジイたちに何をいっても無駄である。論理的に理解しようとしない。すべて自分の好悪で判断する。このような会社の従業員を守るために労働組合が生まれたのではないか。しかし都会の大手の会社では労働組合の必要性は低くなりつつあった。不況で無謀なリストラを行うまでは。労働組合が政治活動に専念するより、この組合費も払えない給与しかもらっていない、中小零細企業の従業員を守ってはどうか。労働組合の生き残る道は大手企業にはないのではないか? 大手企業では組合が要求する事案の多くが達成されており、労働組合の存在意義に疑義が生じている。いまさら国鉄職員の労働争議など多くの国民が指示しない、世間のこの不況を知らないのか。
また親族で商店を経営している会社の従業員は哀れとしか言いようがない。このボンボンジジイたち若いころは全共闘の戦士だった方も多い。おかしな話である。