日本の「専守防衛」なる基本戦略が如何に現実離れしたものか、他の国と比較してみると良くわかる。現在、戦時の基本戦略は、制空権の確保に始まる。イタリアの軍事学者ジュリオ・ドゥーエの「制空論」を基本としている。「戦略爆撃」を説く。相手国の飛行場、工場、発電所、主要幹線、等を最初に叩けば、相手国の反撃を極端に激減させることが出来るという考えかたである。また攻撃側の進入路は無数にあるが、防衛側はそれら全てに対応せねばならないわけである。そして攻撃側は100の内1つが成功でも成功であり、防御側は100の内99が成功でも1つでも攻撃されれば失敗である。
現在の大量破壊兵器と弾道弾はこの考え方の実現化により寄与している。仮に北朝鮮のノドンミサイル200基に対しSM3やPAC3は何発配備されているのだろうか。ここに専守防衛が怪しくなってくる根拠がある。確かに航空機の性能は優れていても、相手の航空機を迎撃できるだけのミサイルや銃弾は備蓄されているのだろうか。またミサイル等の火薬には使用期限(賞味期限みたいな概念)があることをご存知の方は少ない。ミサイルの数量は備蓄しなければ防衛としての意味をなさないし、その火薬に使用期限があるのならば、実弾演習場の必要性が大いに感じられるのであるが、現実にはいかがなものか?
専守防衛が崇高な理念でも現実的なものでない限り、自衛隊隊員に先ず無駄死にしなさいといっているような理念でもある。総理大臣は外務大臣や財務大臣と防衛大臣経験者がなるべき地位でもある。「国民の生命財産を守ること」が国家の存在意義であるならばなおさらである。