東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

大雪山紅葉

2024-10-07 | 北海道

北海道大雪山系 旭岳の紅葉




巡りめく季節の先駆け
9月末は大雪山の旭岳へ行った
紅葉を出迎えに行った

紅葉は中腹あたりが最盛期
標高のある位置の草もみじは既に終わっている

旭岳に登るのは一昨年6月に続いて2回目
左右の足の不調に体力の低下
自分の体をなだめながら登高する

天気に恵まれて頂上へ
季節は秋
もうすぐ冬が巡ってくる

また一年を生き延びたことに感謝する

















































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会津藩の利尻島警備

2024-08-11 | 北海道


利尻島が近づいた

稚内発利尻島行き
ハートランドフェリー


利尻島 鴛泊港 ペシ岬


ペシ岬 会津藩士の墓









文化4年(1807年) ロシア艦隊が幕府の統治下に置かれていた利尻島を襲撃した。
文化5年(1808年) 幕府は会津藩に北方警備を命じた。
 会津藩は1,600名の兵士を松前、宗谷、利尻、樺太に派遣した。
 利尻島には252名の兵士が駐屯した。病死や事故で多くの兵士が落命した。
文化7年(1810年)第7代会津藩主松平容衆の命で墓石を設置した。

その後もロシアの脅威が続き、安政6年(1859年)幕府は奥羽六藩(会津、仙台、秋田、庄内、南部、津軽)に蝦夷地の警護を兼ねた蝦夷地分領開拓を命じている。

会津藩と蝦夷地分領開拓 - 東西圧縮回流記 (goo.ne.jp) 


江戸時代から幕末に至る1800年代にはロシアが南下して蝦夷地北海道に脅威を与えており、江戸幕府も警備を強化せざるを得なくなった。明治維新後もロシアの南下政策は変わらず、約100年後の1904年(明治37年)の日露戦争に繋がる。

会津藩は幕末の北方警備から京都守護職から戊辰戦争まで、幕府にとって重要な役割を果たし、その時代の日本の国防と秩序維持に大いに尽力した。幕末に京都守護職として新撰組の後ろ盾となったことから薩長などの反感を買い、戊辰戦争など最後まで幕府に忠誠を尽くしたことから、幕末から明治維新にかけて筆舌に尽くしがたい辛苦を受けたことを忘れてはならない。






利尻岳 沓方方面より

3年前に登頂した








コメント (2)
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レブンウスユキソウ

2024-07-19 | 北海道

レブンウスユキソウ
礼文薄雪草







礼文島
レブンウスユキソウの群生地



礼文島の山間部


副題
「レブンウスユキソウからSupercalifragilisticexpialidocious (スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス)までの思い出」


礼文島固有種のレブンウスユキソウを一度は見たいと思っていた
以前に礼文島に行った時は見る機会がなかった

ヨーロッパのエーデルワイスは日本のウスユキソウ(薄雪草)と同じ仲間だ

エーデルワイスと言えば映画「サウンドオブミュージック」1965年 で一躍有名になった。ジュリーアンドリュースの主演で良質のミュージカル映画があった。「ドレミの歌」や「すべての山にのぼれ」などもよく知られている。


映画の中でトラップ大佐(トランプ元大統領ではない。名前からすると同じドイツオーストリア系だと思う)が「エーデルワイス」を歌い、最後のクライマックスでは家族一緒で聴衆と一緒になって歌うシーンを思い出した。


【英語】ドレミの歌 (Do-Re-Mi) - サウンド・オブ・ミュージック (日本語字幕)


トラップ大佐のエーデルワイス (Edelweiss) - サウンド・オブ・ミュージック (日本語字幕)


Edelweiss (Reprise) / The Sound of Music (Movie Clip)  エーデルワイス / サウンド・オブ・ミュージック(映画)


ジュリーアンドリュースといえば、ボクが高校生のころだったと思うが、映画「メリーポピンズ」1964年 の中で、テンポ良く楽しく歌っているが、訳の分からぬ単語が出てきていたので、なけなしの小遣いをはたいてLPレコードを買った。これが自分が買った初めてのLPレコード(判るかな?)だったと思う。


レブンウスユキソウを見て、山の中を歩いているとエーデルワイスの歌やサウンドオブミュージック、ジュリーアンドリュース、メリーポピンズなどと薄くなった記憶がよみがえる。



スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス
Supercalifragilisticexpialidocious (from Mary Poppins)


そういえば、エーデルワイスとハヤチネウスユキソウが一番よく似ているというので、ドレミの歌とは雰囲気は全然違うが、大学の教員だった義弟といっしょに、親戚の元気な男の子たちを連れて、早池峰山に登ったことがある。あれはもう30年以上前のことだ。



ウスユキソウ
以下は参考まで
|植物図鑑|みんなの趣味の園芸(NHK出版) (shuminoengei.jp) 

・ハヤチネウスユキソウ
 Leontopodium hayachinense
 岩手県早池峰山の蛇紋岩地帯に生える珍しい塩基性植物。花がとても美し く、日本のエーデルワイスと呼ばれる。

・ヒナウスユキソウ
Leontopodium fauriei
東北地方の高山に多く見られる小型のウスユキソウ。芽出しと同時に花芽を伸ばす。高山植物らしい姿で人気がある。

・ホソバヒナウスユキソウ
Leontopodium fauriei var. angustifolium
ヒナウスユキソウの変種で、上越国境の蛇紋岩地帯に生える塩基性植物。葉が細く、全体的にスリムで締まりがよい。

・チシマウスユキソウ
Leontopodium kurilense
南千島産といわれる小型のウスユキソウ。花は大輪で全体に白毛で覆われる。丈夫で美しく人気が高い。現在流通している花が基本種かどうかは定かではない。

・エーデルワイス
Leontopodium alpinum
ヨーロッパアルプスに生えるウスユキソウの仲間。タネから育てた丈夫な苗が流通する。栽培下では大型になりやすい。

・ミネウスユキソウ
Leontopodium japonicum var. shiroumense
高山に見られるウスユキソウの変種。少し小型で締まりがよく、頭花は少なめだが、山野草的な雰囲気が強い。




礼文島
トレッキングコース
1~2時間から8時間コースまで幾つかのトレッキングコースがあり、標高は低いが高原の雰囲気が素晴らしい。















礼文岳に登る


礼文岳頂上

礼文島から利尻島を望む
利尻岳の上部は雲に被われて見えない



利尻島
これは以前6月に行ったときの遠景


同じ6月
利尻岳の遠景は素晴らしい


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礼文島 船泊遺跡

2024-07-18 | 北海道

礼文島 船泊遺跡 砂丘



再び北海道礼文島を訪れた。
日本人のルーツをたどる際に重要な役割を果たした船泊にしばらく滞在した。
礼文島の船泊遺跡から発掘された人骨の遺伝子解析により縄文人の特徴が示された。
国立博物館の篠田謙一博士らのグループの解析が著名だ。


日本人のルーツ - 東西圧縮回流記 (goo.ne.jp) 


礼文島船泊遺跡と日本の人口 - 東西圧縮回流記 (goo.ne.jp)




発掘現場は既に無く、辛うじて遺跡の看板があった




発掘現場には既に建築物がある





発掘された結果は、同じ礼文島の香深にある礼文町郷土資料館に展示されている。
写真OKだった。

















トド島展望台より船泊方面を望む



トド島展望台からスコトン岬とトド島がみえる


船泊から見た夕景
左はスコトン岬 右はトド島


左はスコトン岬 右はトド島


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礼文島船泊遺跡と日本の人口

2023-12-23 | 北海道
図録▽人口の超長期推移(縄文時代から2100年代まで)(honkawa2.sakura.ne.jp) 


礼文島の船泊に縄文遺跡がある
縄文時代後期の遺跡のようだ

縄文時代早期の日本の人口は推計2万人
縄文後期の人口は8万人
縄文後期の寒冷化で人口が減った


礼文島北限 スコトン岬 6月下旬
船泊縄文遺跡の近くにある

12月下旬の今の季節は氷雪に覆われているだろう





 
船泊には久種湖がある


船泊 久種湖畔キャンプ場



船泊遺跡の人骨から復元した縄文人

NHKBSより(NHKもたまにはまともな番組もある。偏向報道を切り離せばいいのだが)






礼文島から利尻島を望む


向かいは利尻島







こちらの礼文島は花の宝庫


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会津藩と蝦夷地分領開拓

2023-11-16 | 北海道

        

幕府の蝦夷地分領開拓 安政6年(1859年)


安政6年(1859年)幕府は奥羽六藩に蝦夷地の警護を兼ねた蝦夷地分領開拓を命じている。奥羽六藩とは会津、仙台、秋田、庄内、南部、津軽の各藩で、ロシアの樺太南下に伴う脅威に幕府は会津藩、仙台藩、庄内藩、秋田藩に警備を命じた。

会津藩は、大政奉還ののち戊辰戦争で敗退し、青森下北半島に移封されて斗南藩と名乗り、筆舌に尽くしがたい辛苦を舐め、廃藩置県の後は下北に残る者、会津に帰る者などに離散したが、多くの人が北海道にも移住している。







会津藩は北海道東部を分領開拓警備






































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大雪山の紅葉

2023-10-10 | 北海道

大雪山 旭岳


大雪山 旭岳



蒸気噴出



紅葉の便りを聞いた
一昨日は大雪山へ

急ぐ旅路ではないが紅葉と雪の便りが心を動かす
カミさんをさそって北の国
今回はクルマの旅

北海道にはいろんな側面があり思いが重なる
季節によって趣が異なる
当たり前田のクラッカー!
(これが解る人は相当年期が入っている)



気温 3.9℃


美瑛 四季彩の丘

まだ花が咲いていた
バックは十勝連峰


美瑛 四季彩の丘


十勝岳温泉より


十勝岳温泉付近


十勝岳方面から旭岳を望む


三国峠


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オグリキャップ 日高静内への旅

2018-11-09 | 北海道



オグリキャップには武豊さんが騎乗していたのですね。有馬記念を制し、引退した後で北海道がブームになりました。オグリキャップは日高の三石産ですね。

ちょうどその頃、北海道上砂川の無重力実験施設に何度も行きました。無重力で支配的になる液体の表面張力や宇宙ステーションで行う半導体材料製造のための実験を繰り返していました。会社の後輩たちは元気で若く非常に優秀で切れ者揃いでした。皆さん才能を持て余して、結果的には大学に行ってしまった。企業にはすこぶる優秀な人材がいました。宇宙開発や航空関連の事業部には東京大学の航空学科の卒業生がゴロゴロいました。

さて武豊さんのお父さんは武邦彦さん、クールでインテリの風貌がありました。お父さんはタケホープで菊花賞の栄冠を差し切って獲得しました。

競馬にまつわるエピソードはいくつかありますが、まずはここまででよかろうかい?

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