東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

土方邦夫先生の思い出 1

2014-12-25 | Weblog




会津若松 東山温泉
土方歳三 戦傷湯治の岩風呂
 
 土方歳三は戊辰戦争で上方での敗戦のあと関東に敗走し、流山で近藤勇らと別れ、会津藩の助太刀として官軍との戦闘に加わった。

 土方歳三といえば、土方邦夫先生のことをどうしても思い出す。土方先生は東京工業大学の教授でした。先生は気鋭の研究者として知られ、熱と流体力学の分野で天才的な能力を発揮された。

 土方邦夫先生と共同研究者の機械学会に発表される論文は際立っており、熱と流体力学の基礎連立方程式を解いて簡潔な解を求め、差分化して数値的な解を得て、熱と流体あるいは磁場などが連成する難解な現象を理論的に明らかにした。それに加え、実験で得られた結果と理論解を比較し、理論的な予測が正しいことを実証した。この基本的な作業を真正面から精力的に繰り返し取り組み、圧倒的なパワーで他を寄せ付けない数々の研究業績を上げられた。

 土方邦夫先生と交流できたきっかけは30年ほど前の北海道大学でのシンポジウムでした。当時、私は企業から日本原子力研究所へ出向し、大口径配管破断仮想事故の実証研究に4年間取り組んだ後、所属する原籍の企業に戻り、原子炉の仮想事故として配管亀裂からの気液二相臨界流の研究を立ち上げ、その結果を札幌の北大で開催されたシンポジウムで発表した。
 
その際に土方先生から質問があり、発表終了後に「面白い研究ですね。研究室へ一度遊びに来て」と声を掛けられました。話題は私の名前にもおよび「歳和というのは珍しい名前ですね、土方歳三の歳ですね」というような話になった。あまり深くは伺いませんでしたが、土方という姓は先生のご自分の姓なのでもちろんのこと、土方歳三という人物にご自身も興味を持たれると同時に、外部の方からも土方姓に言及される機会が多かったのでしょう。

 その後、東工大の大岡山キャンパスの研究室を訪問させて頂きました。研究に取り組む姿勢はパワーに溢れ、途中でかかってくる電話にも高速回転で切れ良く応答されているのが印象的でした。一方では非常に人間味にあふれ、時折お会いする学会や研究会では何かと気軽に声を掛けて頂きました。

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末の松山 多賀城市

2014-12-08 | Weblog


 多賀城は自宅からそんなに遠くはない。しかし45号線はいつも混雑している印象が強かった。塩釜や松島に行くには山の手を回って通称の利府街道や三陸自動車道を通ることが多い。

 先日、用があったついでに前から気になっていた末の松山に行った。JR仙石線の多賀城で電車を降りた。ここは海岸から少し離れているが、平坦地に僅かに小高い丘がありそこに年代物の松の木がある。平安時代には枕言葉として、決してあり得ない例えとして引用されている。

 旧来、歌人にとって末の松山を訪れることは憧れであったようだ。江戸時代には奥の細道で松尾芭蕉もこの地を訪れた。

契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは
           小倉百人一首四十二番  後拾遺集 清原元輔

きみをおきて あだし心を わが持たば 末の松山 浪もこえなむ
           古今和歌集 東歌

うらなくも 思ひけるかな 契りしを 松より波は こえじ物ぞと
           源氏物語

浦ちかく ふりくる雪は 白浪の 末の松山 こすかとぞ見る
           古今和歌集 藤原興風

 西暦869年の貞観地震でも、今回2011年の東日本大震災でも、津波はこの末の松山は越さなかった。しかし周囲には津波が到達するということだ。

 震災から3年と9ヶ月、宮城県の海岸沿いは津波による大きな被害を受けた。多賀城市も例外ではない。多賀城駅前の街並みも新しい街に生まれ変わっている。

末の松山を波は越さない。

生き物は、生きている間は前進あるのみ!





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