東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

山崎君と300MeVすき焼き

2024-11-16 | バイク・山歩き













ツーリングで九州電力玄海原子力発電所に行った。


発電所を見て山崎君のことを思い出した。

山崎尚宏君が逝去した。最近は身内だけで家族葬を行い、その後に訃報を送られることが多くなった。山崎君は、はにかみ屋で内気だが、敵を作らず、親しみがあり芯の強さがあるいい奴だった。謹んでお悔やみ申し上げます。


山崎尚宏君とは修士課程では同じ原子炉工学研究室に所属した。指導は江草龍男教授だった。小生は4年から同研究室に所属していた。

ボクたちが在学中に、東北大学では大騒動となった原子核紛争があって、結果は原子核工学科の歴代教員の総入れ替えとなった。かつて原子炉工学研究室は小林清志教授と飯田嘉宏先生が担当していた。小林教授は静岡大学に移動し後に豊田工大の学長になられ、飯田先生は横浜国大に移り後に横浜国大の学長になられた。その後任に、ボクが4年のとき原子力船事業団から江草龍男先生が教授として赴任してこられた。

山崎尚宏君は学部では原子炉計測研究室に所属していたが、修士課程ではボクと同じ原子炉工学研究室に移動してきた。

修士課程で山崎君とボクはライナックブースターの研究に取り組んだ。学生は前途多難でも無地の心境で薦められたテーマに取組むものだ。ライナックブースターとは加速器と原子炉を組合せた中性子源炉のことで、高い繰り返し周期で原子炉を臨界状態にし、それに同期させて高エネルギー加速器のビームを炉心の中性子源に衝突させ、高密度の中性子パルスを発生させ、物性研究などに役立てる研究用原子炉です。当時はガス炉、軽水炉、重水炉、高速炉と原子力開発は花盛りの興隆期にあり、中性子源パルス炉も研究炉の新しいアイデアのひとつだった。

ライナックブースターの研究会には、仙台市三神峯にある東北大学原子核理学研究施設(核理研)所長の木村一治教授と渡辺昇先生(後に筑波大学教授)、日本原子力研究所の平田実穂先生(後に原研大洗研究所長)と、山崎君とボクの指導教員である江草龍男教授が参加していた。

修士課程1年の山崎君とボクは渡辺昇先生のご指導で三神峯の核理研にある300MeV 電子直線加速器(リニアック、ライナックとも言う)の高速電子ビームを模擬ターゲットに衝突させ、その放射化強度で中性子源の強度分布を予測するという実験を重ねていた。

修士1年次の夏休みには、山崎君とボクは茨城県東海村にある日本原子力研究所(原研)の真砂寮に住み、高速炉設計班の平田実穂室長のもとで猪川さんのご指導でブースターの臨界計算を実施した。

修士2年次では、山崎君は東北大の核理研で300MeV加速器による中性子ターゲットに関する実験を継続して担当し、ボクは原研に移住しブースター炉心の核熱設計を実施した。

修士課程を終了した後、山崎君は三菱原子力(現在は三菱重工)に就職し、その後は軽水炉関連の仕事に従事していると伺っていた。今回ボクがツーリングで行った九電玄海原子力発電所や関電高浜発電所の仕事もあっただろうと思う。彼は忙しくボクらの学科同期会には時たま参加してきたが、そこはお互いに現役だったので、やあ元気かという程度の会話で、自分の会社の仕事や話題を避けるのが企業人たる武士の道と暗黙の合意が成立していた。山崎君は企業を退職後も、つい最近まで国の原子力監査機関で仕事をしていると風の便りで聞いていました。彼は仕事も忙しいのか長いあいだ会うことがなかった。ボクが退職して気ままに過ごしていても、彼は遊ぶ暇もなかったようで、技術者として長きに渡り原子力の一途な道に筋を通して全うしたことには多いに敬意を表します。

山崎君との思い出は、東北大の300MeV加速器実験で遮蔽体の鉛ブロックを一緒になって黙々と積み上げていたこと。鉛は比重11.36で非常に大きく、レンガの比重1.7とは重さが全く違う。鉛がこんなに重いのかと実感したことがある。
次に、たぶんご褒美だと思うが、先生方と山崎君と一緒に、仙台市向山の木村一治先生のご自宅に招待頂き、遠慮もせずに即答で、はしたなくも、すき焼きをご馳走になったことがあった。金欠が常の学生にとって、先生宅のスキヤキは竜宮城の宴か、あるいは天にも昇る思いで舌づつみを打ち、洒落ていて高貴な会話とともに、心豊かになって帰宅した思い出があります。

山崎君、今となれば学生時代は刺激的で思い起こせば楽しいことも多かったですね。そちらでも絶品スキヤキを堪能していてください。合掌



もみじ狩り一期一会の別離かな  歳歳




雲仙 仁田峠




雲仙普賢岳の紅葉










福島浜通り沖

僚船との出会いと別れ





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母成峠古戦場跡

2024-10-26 | バイク・山歩き





母成峠古戦場碑


母成峠(ボナリ峠)は安達太良山中腹の西南方向にある。母成峠の標高は972m、安達太良山頂上の標高 1,728 m。

ここで1868年10月6日に幕府方と朝廷方の戦闘があった。両軍合わせて百余名が戦死。多勢に無勢と装備の差で、幕府方は奮闘するも敗走し、その後、会津城も陥落する。

・幕府方 東軍:大鳥圭介(幕府)、田中源之進(会津)、丹羽丹波(二本松)、土方歳三(新撰組)以下800名
・朝廷方 西軍:板垣退助(土佐)、 伊地知正治(薩摩)、谷干城(土佐)、川村純義(薩摩) 以下3,000名



・王政復古 明治維新 1868年1月3日(慶応3年12月9日)

・戊辰戦争〈1868年1月27日〉 鳥羽・伏見ー 阿波沖ー 甲州勝沼ー 梁田ー 江戸開城ー 宇都宮城ー 市川・船橋ー 五井ー 今市ー 三国峠ー 鯨波ー 上野ー 飯能ー北越戦争(ー 寺泊沖ー 八丁沖)ー 会津戦争(ー 白河口ー 磐城ー 二本松ー 母成峠 〈1868年10月6日〉 ー 会津城攻略)ー 旗巻峠ー 秋田戦争(ー 長岡山)ー 弘道館ー 松山ー 宮古湾ー 箱館戦争(ー 二股口ー 箱館湾) 〈1869年6月27日〉    ウィキペディアより


母成峠古戦場碑は地元の方々ほか多数の寄付により昭和57年(1982年)に建立された。会津、二本松ほか両軍ともに、亡くなった兵士の親族には深い思いが残っていたのだろう。





母成峠から見える吾妻連峰は近い


























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大谷翔平さんと水沢緯度観測所

2024-10-23 | バイク・山歩き

国立天文台水沢VLBI観測所(旧:水沢緯度観測所)

VLBI: Very Long Baseline Interferometry(超長基線電波干渉法) 
電波天文学における天文干渉法の一種である。宇宙のかなたにある天体から届く電波を利用して、離れたアンテナで観測したデータを、原子時計などで計測したタイミング情報とセットにして磁気テープなどに保存し、郵送などにより1か所に集約して相関させることで像を得る手法である。 解像度は、アレイを構成するアンテナのうち、最も離れた二つの間の距離に比例する。(ウィキペディア)

今をときめくロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平さんは岩手県水沢(現、奥州市水沢)の出身だ。奥州市立姉体小学校、水沢南中学校を経て菊地雄星投手(ヒューストン・アストロズ所属 )に憧れて花巻東高校に進学した 。大谷翔平の名前は平泉ゆかりの源義経の八艘翔びから由来しているらしい。日本から太平洋を越え(表現が少し古いが)、トントン拍子に米国メジャーリーグのトップ選手になったのは、心意気は如何にも義経の八艘飛びに似ているではないか。ご本人は意識しておられたかどうかは判らないが、高校時代からメジャーリーグ志向で投打の二刀流を表明していたのは、水沢緯度観測所の設置が織りなす宇宙スケールの気質が心底にあったのではないか、というのは私的で勝手な想像です。

そういえば菊地雄星は盛岡出身、名前も星とヒューストン・アストロズと言えば宇宙そのものではないか。



さて今回は八幡平の紅葉狩りにでもと、いそいそとバイクソロで旅立ったが、少し時間があったので、野次馬気分で、途中にあり以前から気になっていた水沢緯度観測所に立ち寄った。緯度観測とは地味なイメージだったがこれは過ちで、訪問の結果は紅葉以上の思わぬ収穫がありました。写真撮影はOKとのことでした。





国立天文台水沢VLBI観測所内にある奥州宇宙遊学館



子午儀




水沢に緯度観測所が設置されたのは、1895年(明治28年)万国測地学協会において、地球の極が周期的に変動する極運動を調べるため北緯39度8分線上にある米国、イタリア、ロシアなどとともに水沢が候補地となったことに由来する。




宮澤賢治も水沢に設置された緯度観測所に触発されて宇宙に興味を持ち「銀河鉄道の夜」などの作品を書いたと言う。








国立天文台水沢VLBI観測所の電波望遠鏡



原理的には水沢(岩手県)、入来(鹿児島県)、小笠原、石垣島(沖縄県)の4か所の電波望遠鏡を合わせて直径2,300km ! の電波望遠鏡となる。


そういえば昨年2023年2月に石垣島へ行った。その時は原付バイクを借りて石垣島全島を巡ってみた。狭い急坂を上り石垣島の天文台にも行った。なんで離島の山の上に天文台があるのだろうと思ったことがある。
ちなみにその時に石垣島でプロ野球ロッテの春期キャンプがあり、陸前高田出身の佐々木朗希本人の身近に行って見ていた。彼も米国メジャーへの移籍を希望していて、今年のストーブリーグでも話題を提供することでしょう。

故人曰く「転石苔を生ぜず」A rolling stone gathers no moss. の如く、近年ボクの精神には苔が生えそうなので、流体が身体を直撃して洗浄する苔飛ばしのバイク旅を好む。国内も面白いところが多いです。






天文学専用のスーパーコンピュータも設置されている。これに「アテルイ」と命名されている。坂上田村麻呂と同時代人で、朝廷軍との戦いに遊撃戦を仕掛けて連戦連勝した戦の天才、奥州蝦夷の英雄アテルイの名前が付けられている。これも水沢らしい名前だ。

















木村栄先生は明治時代の水沢緯度観測所の所長、地球の内部が液体でマントル対流が影響しているとZ項を発見し学問的成果を上げたことで有名だそうだ。凄いなあ!


木村栄先生は金沢の生まれ、四校、東京帝大卒で水沢の所長を務めながら、子供の教育のために家族を一時は仙台に住まわせたこともあるようだ。



話題も盛りだくさんあるようですが、今日はこのくらいで!











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前穂北尾根

2024-09-07 | バイク・山歩き
前穂北尾根とは前穂高岳(標高3090m) の北側の尾根、連峰のことです。

穂高に行くと随所から前穂北尾根の絶景が見える。



北穂(北穂高岳)ー涸沢岳ー奥穂(奥穂高岳)の稜線から前穂北尾根を望む

1峰(前穂高岳頂上)~3峰、4峰、5峰、6峰、7峰

涸沢からは5峰と6峰の間の鞍部(56のコル)まで登り、そこから5峰、4峰、3峰、2峰と順に1峰(前穂)まで登る。 



涸沢ー北穂(北穂高岳)への登高路から前穂北尾根を望む

1峰(前穂高岳頂上)~3峰、4峰、5峰、6峰と連続して見える





(参照) 前穂北尾根 4峰の登り

前穂高岳 北尾根8〜1峰縦走 / ƒ ̵̲ さんの槍ヶ岳・穂高岳・上高地の活動日記 | YAMAP / ヤマップ 







(参照) 前穂北尾根 3峰の登り

前穂高岳北尾根フリーソロ / 近道さんの槍ヶ岳・穂高岳・上高地の活動日記 | YAMAP / ヤマップ




さて、小生が前穂北尾根を登ったのは30代前後のことだ。
今風にいえばフリーソロ、単独で確保無しの登山だ。
今思えば人には余り勧められない。


ルートは横尾山荘のテント場を単独で早朝夜中に出発し、涸沢ヒュッテ、56のコル、あとは稜線伝いに5峰、4峰、3峰、2峰と順に1峰(前穂)まで。
その後は前穂吊尾根経由で奥穂高岳山頂、穂高岳山荘、涸沢と経由して横尾テント場に戻った。
今から思えば小生も体力があったのだ。

当時の写真記録は一切ない。
カメラは無かったので持って行かなかった。
装備は 11mm40メートルのザイルを1本、ハーケンとカラビナを何枚か、ハンマー、スリング、シットハーネス、食料と水、雨具ほか。
アイゼンは56のコルまでの登りに持参したと思う。
余り記憶にない。


核心部は4峰と3峰の登り。
凹部のルンゼ、チムニーの登攀などは今でも触感や体感の記憶がある。
結局登りにザイルとハーケンは使わず、3点確保で登り切ってしまった。
参考に引用している最近の登攀記録の画像を見ると、4峰と3峰の登りのルートを読むことが出来る。
あそこはこちらに行ったとルートが見える。
ルートを間違えるとフリークライムでは詰んでしまう。
ルートファインディングが全てだと思う。
天候が悪いと断念した方が良い。

2峰の下りでは懸垂下降が必要とのことでザイルを準備して行ったが、
10~15m程度の下りで、足場も充分確保出来そうだったので、
クライムダウンで降りた。

そこから次は前穂の頂上だ。
喉がカラカラになっていた。
あとは奥穂、涸沢、横尾までは下りなので楽だった。
当時は足腰が丈夫だったのだ。



30代前半で山から足を洗った。
子供が出来たのと仕事が忙しくなったのだ。
あとはファミリーハイクと犬の散歩登山。

退職後、両親が他界し2017年から山歩きを再開した。
毎年穂高に行った。
ジャンダルムにも行った。
結構充実していた。

昨年から穂高に行っていない。
体調不良で足が止まっている。
年貢の納め時か?
良くなれば少しは歩こうかい。






奥穂ザイテングラートから前穂北尾根





奥穂の穂高岳山荘付近から前穂北尾根を望む

1峰(前穂高岳頂上)2峰、3峰、4峰





横尾山荘から前穂北尾根



コメント (2)
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トランスジャパンアルプスレース 実施中

2024-08-13 | バイク・山歩き

Trans Japan Alps Race (TJAR)
トランスジャパンアルプスレース 2024 | Trans Japan Alps Race 2024 (tjar.jp) 

ランニングと徒歩で日本アルプスを縦断するレースだ

現在実施中
8月13日火曜日 15:30の時点で土井陵さんがぶっちぎりのトップだ
もうすぐ南アルプス仙丈ヶ岳

8月11日午前0時 富山県魚沼海岸発
北アルプス、中央アルプスを経由し
仙丈ヶ岳まで64時間
2日半でここまで来た

富山県魚沼海岸発、剣岳、立山、薬師岳、双六岳、槍ヶ岳、上高地など北アルプス、辰野から中央アルプス、駒ヶ根から南アルプス、井川から静岡市大浜海岸まで

かつてランニング登山は東京工業大学の下嶋浩先生が先鞭をつけた

凄い! 
みんな超人だ
頑張れ!

下嶋浩先生と日本アルプス縦断レース - 東西圧縮回流記 (goo.ne.jp)





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月山 坂の上の雲 K2

2024-08-06 | バイク・山歩き




下界は灼熱の猛暑
涼を求め山に上がる
ガツガツと歩かないことにする
花を見つめ高みに上がる
腰をおろしゆっくりと昼食をとる
登山者たちが先を急ぐ
十分な時間を過ごす
頂上には行かないで今日は帰る





平出和也さんと中島健郎さんがK2の未踏の西壁で遭難した
日本が誇る一流のクライマーだ
残念無念

中島健郎さんは関西学院大学工学部の出身
数々の映像と人なつっこい語りがなんとも言えず良かった

合掌!


世界2番目に高い「K2」で滑落 日本人登山家2人の救助打ち切り (2024年7月31日)





【HQ】坂の上の雲 オープニング 第3部ver.  




坂の上の雲/Stand Alone/歌 野々村彩乃/pf 乾将万/作詞:小山薫堂 作曲:久石譲









































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安達太良山と智恵子抄

2024-07-08 | バイク・山歩き


安達太良山
福島県二本松市

「ほんとの空」は今回も曇天だった


高村光太郎 智恵子抄 (aozora.gr.jp) 

「智恵子抄」は高村光太郎の最愛の妻への想いに溢れている
数多くの詩の中の一つに「あどけない話」がある

「安達太良山の上に出ている青い空がほんとの空だという」
この句が有名になった

智恵子さんの望郷の念は強かった

なつかしい故郷の山河と空、風土に水、食物、取り巻く人々を含めた故郷がワンセットになって初めて「ほんとの空」になるのです

備忘録として転載させて頂きます
.........................................................
「あどけない話」

智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山あたたらやまの山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。
.........................................................


出版されたころは映画化された
安達太良詣が流行だった
最近はあまり人の話題にはなっていない気がするが、高村光太郎と智恵子さんの思いは永遠に残る




安達太良山は雲に覆われている

以前に登ったのはもう半世紀前のことだ
新幹線や高速道路で数えきれないほど通過した
下からは青空が見えた
安達太良山に登る意識はなかった
登ると曇天

次回は雲ひとつ無い快晴の時を待とう


















以下は最近の活動

日光に行った
霧降高原は生まれて初めてだった
噂に聞いた霧降高原のニッコウキスゲ
人も多かった
やっと来ることができた












運動不足を感じたら自転車
歩行補助器だ

仙台市荒浜から閖上(ゆりあげ)にかけてサイクリングロードができた
震災後の長い間、工事で海岸には近づけなかった
復興事業で自転車道も整備された

伊達政宗が整備した貞山堀に沿って走る
海岸沿いの松はほとんどが流された
だが松は現在も僅かに残っている

植林も始まっていてる
晴れた日は快走できる








そうこうしているうちにブルーベリーの収穫の季節になりました







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ふたたびの栗駒山

2024-06-14 | バイク・山歩き






栗駒山に登った
昨年11月以来だ
一応は山頂まで行った
確実に体力が低下している
年齢相応に甘んじて受け入れるか
もう一度鍛え直すか

弱音を吐くな!

















山頂からの下りは余裕が出る
花を愛でる

思いもかけず出てくる歌は

「野に咲く花の名前は知らない
だけど私に父はいない
いくさ知らずにはたちになって
あしたお嫁にいくの・・・」



ザ・フォーク・クルセダーズ 『戦争は知らない』 (LIVE音源) 1968年

 



あの素晴しい愛をもう一度 ✦ 加藤和彦&北山修

 




学生時代を思い出す
ザ・フォーク・クルセダーズのソノシートを買った
ギターも買った
ボロロンと鳴らした
ソノシートなど今の人には解らないだろうな
薄い紙のようなプラスチックのレコードだ

加藤和彦氏もはしだのりひこ氏も既に他界した

北山修氏は健在で精神科医になり九州大学で定年を迎え名誉教授になった













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太平洋から日本海

2024-05-17 | バイク・山歩き

金華山が見える
七北田川河口 仙台港

5月は天気が良い
薫風に誘われてツーリング
約560km



周遊ルート
太平洋から日本海



おかえりモネ
登米市 宮城県

何年か前の朝ドラ



陸前高田駅前 四海楼
岩手県

昼食は名物マーボーラーメン




佐々木朗希は陸前高田の出身

お父さんは2011年津波で亡くなられた

四海楼の店主と佐々木朗希のお父さんは友達だったそうだ
朗希 頑張れ!




象潟海岸 秋田県



象潟海岸



秋田県象潟から鳥海山




鳥海山5合目から象潟方面を望む

アイゼンとピッケルは持ってこなかった
上に登るのは次回



5合目から鳥海山を望む



鳥海山5合目駐車場


長年にわたり両足を酷使してきた
長時間の歩行が困難になった

右足はシンデレラのガラスのような変形足首
左足はジュリエットの華麗じゃない外反母趾
(シンデレラさんとジュリエットさん、無断引用してゴメンナサイ)

バイクは歩行補助器の一つです



鉾立山荘




パーキング

ツバメさん おかえりなさい
巣を作っていた
のど赤き玄鳥(つばくらめ)・・・

かわいいツバメのヒナたちは未だタマゴかな?








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佐渡 草木もなびくよ

2024-05-02 | バイク・山歩き

新潟港発 佐渡行き
佐渡汽船フェリー




新潟港発



佐渡島 両津港

佐渡の最高峰は金北山 標高1,172m
けっこう高度感がある

佐渡の金北山は仙台の泉ケ岳 (標高1,175m)と同じくらいの高さ
神戸の六甲山(標高931m)より少し高い
六甲山は神戸港外の船の上から見ると屏風のように連なり高度感がある
金北山の連山は意外に高かったので新鮮な驚きがあった



佐渡島を海岸沿いに一周すると約200km

一日がかりの道のりだ
島の人に伺うと自転車やバイクで佐渡一周する人が多いそうだ




弾埼灯台 佐渡北端



灯台守 喜びも悲しみも幾年月

像の手入れはなく朽ち果てそうだった
もうそういう時代ではなくなったのか

喜びも悲しみも幾年月(昭和32年) 若山 彰  








名所 二つ亀



名所 大野亀

仙台から新潟まで片道250km 往復500km
佐渡一周200km
天候に恵まれ快適なバイクのツーリングでした



佐渡といえば金山



金鉱堀り
人はみんな生きるために必死に働いた



金北山を望む



残雪があった



フキノトウも大きくなった



金北山 山頂 標高1,172m

頂上で出会ったのは女性1人のみ
その方が「このポーズの写真がいい」と言われたので
彼女のスマホで撮影してさし上げました
「せっかくなので、記念にあなたも同じポーズで写真を撮りましょうか?」
とおっしゃったので、
誘いに乗って同じポーズの写真を撮って頂きました
軽薄!

両津港が見える
佐渡最高峰だけあって四方は絶景です





帰りのフェリー
佐渡両津港発



砂山  北原白秋作詞 中山晋平作曲  


三橋美智也  佐渡おけさ  


ひばりの佐渡情話  美空ひばり


佐渡裕
Shostakovich Symphony No.5 Movement 4



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