東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

藤森照信氏 時代の証言者

2014-01-31 | 仙台・東北

 藤森照信氏は東京大学生産技術研究所の教授として長年勤務された。定年退職後は工学院大学に移られたようだ。現在、先生が読売新聞に連載中の「時代の証言者」が面白い。同時代を生きた自分と藤森先生の回顧が重なって興味深い。

 藤森照信氏が大学時代、1年と2年の川内の教養部では文学に夢中になって 2年間留年したとか、35歳まで給料がなかったとか、若い時代からご本人の関心事に没入されたようです。

 経歴を拝見すると、私と同じ大学の教養部で同学年だったようですが、新聞連載によると、ご本人は大学にはほとんど出席せず、寮や下宿で文学に没頭し本を読んで過ごしておられたそうです。藤森氏とは教養部の学生時代はどう考えてもお会いした記憶はありません。建築を専攻したオフコースの小田和正氏は覚えているのですが、藤森氏の印象はほとんどない。ひょっとしたら学生食堂あたりですれ違ったかもしれません。
 当時は工学部で数百人を一括して入学させ、本人の希望と成績により2年の後期あたりで各専門課程に振り分けられた。私は原子核工学専攻でしたが、藤森氏ご本人は小田氏と同じく専門課程からは建築を専攻されました。

 当時の学生にとって、若気の至りで自分の好きな生き方に没頭するのは望むところで、例え世のはみ出し者でもいいや、と教養部ぐらいの若年者にアーナキーな考え方に陥ることはよくある話だ。しかし、年齢を重ねるにつれて少しずつ落ち着いてきて、女房子供を抱えるようになると社会に適合せざるを得ない。新聞連載によればイクメン元祖として奥様に随分お世話になり家庭人としても恵まれたようです。

 藤森氏の自伝的な随筆は、日経新聞の私の履歴書か、あるいは雑誌「山と渓谷」あたりで拝見したことがあり、諏訪の御柱祭の記事が面白かった記憶がある。

 後日、私が企業に就職し、ずいぶん時間が経ち、東京大学の生産技術研究所の一般公開に行ったことがあった。そこで我々が御指導を受けていた別の知り合いの先生の研究室を訪問したところ、すぐ近くに藤森先生の研究室があり、ポスターが展示されていた。ずいぶん身近なところにおられたのだと思いました。しかし、残念ながらご本人は不在だった。

 藤森先生は赤瀬川原平氏などとの路上観察学会、タンポポハウスやニラハウスなどで有名になり、ご本人はもちろん関知しないところですが、藤森先生のことは単なる同窓同期生でも個人的には一方的なすれ違いで、昔から気になる存在でした。
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函館と淡路島の架け橋

2014-01-29 | 淡路・神戸・明石・京都


 函館に来た。そういえば高田屋嘉兵衛は函館に縁があったような気がしたので、少し街中を調べるとたくさんの史跡がある。何と嘉兵衛の銅像が町の一等地に建っているではないか。

 司馬遼太郎「菜の花の沖」は20年ほど前に読んだ実話に基づいた長編小説だ。司馬遼太郎は綿密な文献と現地の調査を行い、高田屋嘉兵衛の一代記をまとめている。嘉兵衛は北前船を組織し交易で財をなし、江戸後期から幕末にかけて蝦夷地開発の先駆けとなった凄い人物だ。もう一度読み返したいが文庫本はどこかに行ってしまった。

 高田屋嘉兵衛は淡路島の都志の生まれだ。淡路島といえば私と同郷になる。正確にいうと私が生まれたのは淡路島の富島という町で、富島と都志は同じ兵庫県津名郡であったものが、現在は富島が淡路市に、都志が洲本市に合併されたようだ。10kmほど離れたところが嘉兵衛の出身地、都志だ。
 私が「菜の花の沖」を読んだころ、まだ息子が小さかったころで、正月には横浜から両親が住んでいた神戸に里帰りして、正月の初詣には家族一同で車に乗って明石大橋を通り、日本誕生の神話で有名な淡路島の伊弉諾(イザナギ)神宮に行った。神宮には伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)が祭られ、2人が結婚し最初にできたしずくが淡路島だと子供のころ神話を教えられた記憶がある。
 伊弉諾神宮からそれほど遠くない距離に高田屋嘉兵衛の記念館、高田顕彰館があり、思いもかけず立ち寄った。嘉兵衛を知るにつれてこんなすごい人物が近くにいたのかと感動した。淡路には高田の姓の人も多く、もう何十年も会っていない幼少のころ一緒に遊びころげた親友も高田君でした。

 さて今回は函館にある高田嘉兵衛資料館を訪ねたが、冬期間は2月28日まで閉館との看板があった。そこで私は残念ながら雪の中に立ちすくんだという次第です。ただ高田屋嘉兵衛の銅像は函館山の麓から、背筋を伸ばして威厳を持って港を望んでいた。

 まだ少しは函館や北海道に引き寄せられる予感がした。

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阪神淡路大震災 19年目

2014-01-17 | 淡路・神戸・明石・京都

神戸の実家のほうで地震があったようだが電話が通じなかった。
いつものことで大したことがないと思った。

いつもの通勤電車に乗った。
山手線に乗リ変えたとき、出入口ドアのテレビでは神戸で火災があり黒煙が昇っているのが見えた。
そのころは東池袋のNEDOに出向していた。
サンシャインビルに到着し1階の公衆電話から神戸へやっと電話が通じた。

電話口の向こうで、寝ている布団の目の前をタンスが1回転して飛んで行った、と親父が何事もなかったような口調で話した。
両親は無事だった。

1階から32階だったか、ビルの上の職場に戻ると、神戸の街が黒煙で覆われ、火の手が上がっているのを延々とテレビが中継していた。

あれから19年が経過した。

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桐蔭! ラグビー花園決勝

2014-01-07 | Weblog
きょうは花園で、高校ラグビーの決勝戦! 桐蔭! 頑張れ!めざせ日本一! 桐蔭!
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温泉ランキング 鳴子温泉郷 中山平温泉

2014-01-05 | Weblog



 鳴子温泉郷とは宮城県大崎市鳴子温泉地区の豊富な温泉がある地域一帯で、鳴子、中山平、川渡、鬼首などの温泉がある。最近、中山平温泉の仙庄館には頻繁に通うようになったが、館内にこんなポスターがあった。

 平成19年の雑誌「旅の手帳」に掲載されたらしいが、鳴子温泉郷が東の横綱とは凄いな。確かに湯量が豊富で温泉宿が非常に多い。このランキングは全国の他の地域から、「おらが地元が一番」という声が上がるかも知れない。

 ずいぶん昔のことだが、別府温泉には高校の修学旅行で行った。神戸から別府まで船で行った。いわゆる別府航路の船旅は楽しかった思い出がある。同級生カップルが船上で語り合っているシーンを思い出すが、もちろんボクらはバンカラで、そんなのは見向きもしないぞなどと、やせ我慢していた。

 何年か前に我が家の愛犬モモコ嬢を連れ、仙台から名古屋へのフェリーに乗り、そこから名神で神戸に行ったことがある。船旅は時間がたっぷりあって、ゆっくり海を見ながらビールも飲めて、なかなか楽しいものです。
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金時山の金時娘 足柄山の金太郎

2014-01-02 | Weblog


新年おめでとうございます。
皆様のご健康とご多幸を!
日ごろご無沙汰しています方々に初春のご挨拶を申し上げます。

 今朝の散歩で金太郎さんにお会いしました。金太郎はJR貨物の電気機関車EH500シリーズの愛称です。機関車製造は東芝、車体の架台は川崎重工、補助電源装置は東芝の銘板があります。私事ですが、甥っ子はJR貨物に勤務しており、本社勤務と国交省へ出向の後、九州支社へと転勤し多分キャリア組として修行中で、最近結婚して奥方と一緒にこの冬休みに仙台に帰り揃って挨拶に来ました。礼儀正しい好青年に成長しました。

 さて今日は箱根駅伝の日ですが、箱根の外輪山の一つに金時山があります。富士山の裾野の十里木に山小屋を持っていたころ、金時山に登ったことがあります。山頂には金時茶屋があり、そこには金時娘と呼ばれる女性がいました。どうも有名な方のようでした。金時山や箱根の山々は冬でも好天に恵まれると暖かく、景色も良くて富士山も近く、非常に穏やかな気分になったことを思い出しました。
 
本年も宜しくお願い申し上げます。



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