東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

映画ナポレオン

2023-12-31 | 歴史散歩

映画ナポレオン

つい最近、ナポレオンの映画が公開された
先入観なしで見た
フランス革命冒頭のシーンは衝撃的だ
映画の物語は皇后となるジョセフィーヌとの関係ばかりだ
史実もそうなのでしょうか?

Waterlooの会戦には興味があった
この時代の戦闘は歩兵、騎馬、大砲の組み合わせで当時は最先端だった

ABBAのWaterloo
1970年代のヒット曲

ABBA - Waterloo



地中海クルーズを最初に行ったのは2017年
もう6年前のことだ
地中海コルシカ島にも立ち寄った
ナポレオン生誕の地だ


ナポレオン生家
コルシカ島


ナポレオン・ボナパルト

]
ナポレオンの像
コルシカ島


地中海クルーズ船
コルシカ島

コロナ禍で世の中が凍り付いて氷結した
経済が回転しなければ人は生きられない
その後クルーズツアーの被害は甚大だ

世の中が少し落ち着いてきた
経済活動も持ち直してきている
みんな豊かな暮らしを望んでいる
激動の1年も終りました

良いお年を!


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本人のルーツ

2023-12-29 | 歴史散歩

日本人はどこから来たのだろう
国立西洋美術館 上野



篠田謙一氏 読売11.26
国立科学博物館館長 


国立科学博物館 上野
現在の人類ではホモサピエンスが残った
ホモサピエンスのひとり勝ち
ルーツはアフリカ 



日本人のDNA  
NHKBS Frontiers

同上


同上

日本人のルーツはアフリカから西アジア、東南アジアから海沿いに来た縄文人
弥生人は主に北東アジアから来た
古墳時代には東アジア各地から来た
現在の大和朝廷は古墳時代に成立
大陸の群雄割拠で敗れた集団が最新の文化や武器を持って日本に流れて来たのだろう

文字がなかったということは謎が多い
現在はゲノム解析が文字の代わりだ



関西人は渡来人が主体
縄文人のDNAは関西から同心円状に広がるほど多くなる
平安時代の坂上田村麻呂とアテルイの時代でも平泉近辺では縄文人の色彩が強かった

多賀城に国府が成立したころ
当時、現在の宮城県の色摩(しかま)町には現在の兵庫県姫路市飾磨(しかま)から多くの人が移住してきた
その名残りが地名に残っているそうだ
軍事と開拓を兼ね備える北海道の屯田兵のような役割だった
同時代に石巻付近には千葉県周辺から移住してきたという話もあった



国立博物館
古墳時代が面白そうだ




潜水艇しんかい 国立科学博物館


縄文人が日本で独自に生き延びたのは
プレート沈み込みによる移動と氷河期の終了で海水位が上がり
大陸から引き離された日本列島が孤立したことによる



日本の多様性も面白い

懐かしの富士山十里木高原


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間五十年

2023-12-02 | 歴史散歩


敦盛

どうでしょう 齢五十はとっくの昔に過ぎました


・・・・・・・・
人間五十年下天の内をくらぶれば
夢まぼろしの如くなり
ひとたび生を得て
滅せぬ者のあるべきか
これを菩提の種と思ひ定めざらんは
口惜しかりき次第ぞ


清洲城



新幹線が近くを通る






清洲会議


名古屋発仙台行



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海上の道

2023-09-16 | 歴史散歩


海のグレートジャーニー 関野吉晴


関野吉晴 探検家

海洋ルートによる人類の日本への渡来は4万年前といわれる。


#29 『完成、縄文号とパクール号』#丸木舟 #構造船 #縄文号とパクール号 #documentary #greatjourney「海のグレートジャーニー9」

関野吉晴氏のチーム
原始の船を製作
・2009年4月13日 インドネシアのスラウェシ島(旧名 セレベス島)ランベから出帆
・台湾 東海岸 成功港発
・2011年6月13日 石垣島到着






・国立科学博物館(日本)・国立台湾史前文化博物館(台湾)合同チームの台湾発石垣島到着は2019年7月9日だ。
・関野吉晴氏のチームは 2011年6月13日に石垣島到着している。国立科学博物館のチームより8年早く実施している。

関野吉晴氏のチームの記念碑はあるのだろうか?
風の力を利用したのが時代考証に合わなかったのだろうか?
関野氏のプロジェクトは2011年6月石垣島に到着ということは、東日本大震災20011年3月11日の直後だったのでニュースとして埋もれていたのだと思う。

人力のみで台湾から与那国島へ航海した人は他にもいるかも知れない。例えばシーカヤックで航海した人はいるかも知れない。天候に恵まれれば2日間ほどで渡航できるようです。




国立科学博物館(日本)・国立台湾史前文化博物館(台湾)合同チーム

台湾見えた?与那国島




柳田国男 海上の道




台湾からの海の道は黒潮に乗って確かにつながっていた。



ただし、いつも疑問がある。探検家は何で食べているのか?探検は基本的には「遊び」である。とすれば自分で稼ぐか、スポンサーを探さざるを得ない。関野氏は当初はアルバイトで始めたにせよ、南米からスタートした時にはフジテレビが付いていたようだ。あとは本を書く、講演するなどして稼ぐのだろう。関野吉晴氏はその後に武蔵野美術大学の教授に就任している。

登山家の先陣争いでは、ヒマラヤの8000m峰14座を無酸素で登頂したり、グランジョラス北壁などアルプスの三大北壁をフリークライムで数時間のうちに登ってしまう人が現れている。

日本で名の知れた探検家として角幡唯介(かくはたゆうすけ)氏や服部文祥(はっとりぶんしょう)氏がいる。彼らは独自の視点と方法で原始の生活を体験して、出版し講演活動をしているようです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

後三年の役

2023-08-29 | 歴史散歩

秋田県横手市

横手市は後三年の役の主戦場となった地域だ。

陸奥国安倍氏、出羽国清原氏と中央から派遣された清和源氏との戦いに前九年の役(1051~1062)があり、清原氏内紛と源氏の戦いに後三年の役(1083~1087)がある。



後三年合戦金沢資料館(横手市)



後三年合戦金沢資料館(横手市)

当日はフェーン現象で37℃近くあり、暑さとの格闘だった
熱中症予防に水やポカリを大量に飲んだ



清原氏と関係氏族



後三年の役 地政図



石坂洋次郎文学記念館(横手市)


さて、余談ながら
横手市には石坂洋次郎文学記念館がある。石坂洋次郎は青森県弘前の出身だが、若い時代に教員として秋田県横手に赴任してきた。現在では石坂氏の小説は余り有名ではないようだが、ボクらの時代にはよく読まれていた。「若い人」や「青い山脈」は古くから繰り返し映画化された青春物の定番だった。

今や昔となってしまったが、秋田出身のアイドル桜田淳子さんが主演の「若い人」の映画まであったことを初めて知った。


石坂洋次郎の書斎展示(同記念館 横手市)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

織田信長の末裔

2023-08-14 | 歴史散歩

建勲神社(山形県天童市)


建勲神社(山形県天童市)



建勲神社の由来



織田氏の系図

織田信長を祀る神社がある
建勲神社という
タケイサオ神社、またはケンクン神社と呼ばれる

(Wikipediaほか参照)
我が国には建勲神社が少なくとも3か所ある
1.京都船岡山: 京都市北区紫野北舟岡町 
2.兵庫柏原:兵庫県丹波市柏原町柏原
3.山形天童:山形県天童市城山 

今日は山形県天童市の建勲神社と織田家霊廟のある三宝寺を訪問した
織田信長の直系の長男は本能寺の変で自刃している
現代まで続いたのは信長の次男織田信雄の直系である
織田家は豊臣と徳川の時代を生き残り明治の廃藩置県まで継続している

1.大和宇陀松山藩(奈良) 織田信雄(信長の次男)→織田高長(信雄の五男)・・・転封→丹波柏原藩(兵庫) 
2.上野国小幡藩(群馬) 織田信雄→織田信良(信雄の四男)・・・転封→ 出羽高畠藩(山形)→出羽天童藩(山形)



三宝寺(天童)

この寺は天童藩主織田家の領内菩提寺


三宝寺(天童)


織田信長の肖像画  三宝寺(天童)

当時の宣教使が描いたといわれる
信長は冷静沈着な参謀か経営者、または温和な教師のような印象を与える
とても野獣のようには見えない


織田宗家御廟 仰徳殿



仰徳殿案内



・・・・・
さて余談だが、近郊の蔵王山の御釜
軽く散歩した
今回の火口湖は色が濃く見える





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

関ケ原

2023-04-30 | 歴史散歩



石田三成の陣地
笹尾山



関ケ原合戦
1600年(慶長5年)9月15日
両軍配置図


関ケ原は交通の要所
横浜に住んでいたころは新幹線で数限りなく通っている
子供が小さかったころは東名神高速で盆正月に横浜神戸間を何度も往復している
しかし関ケ原に途中下車したことはなかった
生きることに忙しかった
関ケ原の史跡は保存されていて観光スポットになっている

小早川秀秋の寝返りは特に有名だ
あの松尾山から大谷吉継、宇喜多秀家の陣地に攻め込んだ
南宮山の毛利秀元は動かなかった
これで形勢は東軍へ一気に決まった

石田三成の笹尾山から見ると手に取るように陣地の配置が見える


石田三成陣地から松尾山を望む
右方の小高い山が小早川秀秋陣地



関ケ原合戦



両軍配置


徳川軍配置

石田三成陣地から南宮山を望む
毛利秀元の陣地

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桶狭間

2023-04-28 | 歴史散歩



桶狭間古戦場は名古屋市内にある
1560年織田信長の奇襲が今川義元を討ち取った
3千人の弱小大名が2万5千人の大軍を破った
一点集中攻撃
これは奇蹟だった
あまりにも有名な話

人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり ・・・
ここから大転換する
封建時代から近代に至る激動の起点だ

それにしても桶狭間は近所の公園のようだ
都心に古戦場がある
宅地化が進み痕跡を探すのは難しくなる
バイクで名古屋市内をうろつきながら探索する
それでも桶狭間に来た
信長の意識が吹きかかってくる

織田信長と今川義元の像



信長の奇襲進撃図







義元の本陣は少し離れた丘にあった


公園近くに少しの畑地があった
昔の雰囲気を感じる


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松下村塾はスーパー町内会塾

2023-04-09 | 歴史散歩

萩城下武家屋敷


萩市街図

山口県萩市は毛利藩の城下町だった。ずいぶん前に読んだが松下村塾のことは司馬遼太郎の小説「世に棲む日々」に詳しい。司馬遼太郎の小説は歴史書ではなく、司馬史観といわれ、時には脱線し事実と異なることも多いと批判されるが、吉田松蔭が教えた松下村塾からは、幕末から明治にかけて偉人といわれる人物を傑出しているのは事実だろう。それも多数の精鋭を生み出している。


高杉晋作生誕地


木戸孝允生誕地

門下生には維新直前の長州をリードした久坂玄瑞、奇兵隊を率い幕府軍の権威を打ち砕いた高杉晋作、維新後に明治政府の富国強兵を実行して、日本を欧米に対抗できる段階まで築き上げた伊藤博文や山県有朋などが有名だ。また木戸孝允も同時代に萩在住だった。

萩城下を歩くと久坂玄瑞、高杉晋作、木戸孝允の家はすぐ近くにあり、少し離れた山の手には吉田松蔭と伊藤博文の生誕の地があり、山県有朋はその中間の地で生まれた。彼らの生誕の地や家は距離にして2km程度の範囲にあり、歩いても20分か30分のご近所さんだ。
例えていえば、自分が生まれ故郷の町で、伝え聞いた稀代の秀才と呼ばれる若い先輩が最近の凄い話をするようだぞと、幼なじみの悪ガキ仲間が連れ立ってあばら家に話を聞きに行ったようなものだ。



松下村塾


松下村塾




松下村塾は吉田松蔭の家の近くで開かれた。吉田松蔭は秀才の誉れ高く、僅か11歳で当時の毛利藩主に対して御前講義を申し上げたそうだ。今で言えば小学5、6年生が殿様に講義したことになる。松下村塾は松蔭が二十代のとき、ほんの1、2年の短期間だけ講義しただけだが、その影響力は中途半端ではなかった。明治維新を成し、日本を作り上げた。もちろん維新と明治は塾生だけでなく数多くの優秀な人材が集まり必死になって新しい日本を作り上げたのは言うまでもないが、その中心となったことは間違いない。

大学で講義をしてもこんなに学生を自発的に動かす影響力のある教授はいないだろう。教える人はまず信念を持った実践者でなければならない。本人は教えるつもりではなく、話をしている背景を伝えているのだ。思想の基本となる核心を話しているのだ。実践が基本で心技一体となり、自分のからだを動かしながら、言葉が溢れ出るのだ。余談を言えば、科研費獲得が全てではないのだ。

塾に来る人は、自分の行動原理を模索しているのだ。世の中の動きを見極めて、自分のこれからのこと、目の前の最も近い未来の行動を、模索しながらも納得し確固たるものにしたいのだ。

山口県萩市は日本海側にあり、山に囲まれた孤立した町だ。明治維新まで持ちこたえて長州が生き残ったのは奇跡だ。時代の流れと暗殺の闇を潜り抜けて実行したのは奇跡だ。その中で、松下村塾という1年か2年程度の極短期間で、歩いて30分ほどの狭い範囲の、言わばスーパー町内会の塾から掛け替えない多くの人材を生み出し生き残ったのは、幸運な奇跡が重なっていたという他ない。それは単に教育というよりも、その人がいてその行動が基点となり熟成されたからだ。これが本当の教育だろう。





松蔭誕生の地から萩市街を望む
指月山が見える


ところで当日は吉田松蔭の墓地にも行った。まさにその現地で、見覚えのある女性と遭遇した。我那覇真子さんだ。彼女はフリーのジャーナリストで、日本では数少ないまともな人材だ。米国の大統領選挙の不正問題を追求していたジャーナリストとしてその行動力は抜きん出ていた。日本の新聞、テレビなど腐り切ったマスコミの中で、彼女は真のジャーナリストの1人だ。吉田松蔭、久坂玄瑞、高杉晋作が眠る墓地の前で偶然にも出会った。ボクがバイクで帰ろうとしていたところ、彼女の運転する車が隣に停車した。米国のジャーナリストを案内している途中とのことだ。日本の国防関連の取材だそうだ。我那覇さんに申し上げた。応援しています、フリーの立場で大変でしょう、圧力に負けずに頑張ってくださいとエールを送った。



吉田松陰、久坂玄瑞、高杉晋作の墓がある
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

萩の桜 指月山

2023-04-07 | 歴史散歩

山口県萩市
萩港より指月山(しづきやま)を望む
標高は143m
遠くからは高度観がある

先週の萩城趾は桜が満開だった
指月山は萩城の一部で山頂には詰丸が築かれ監視台の役割を果たす


萩城趾の桜

山頂までは登り約15分
少し呼吸が荒くなったが丁度いい運動でした


広葉樹林帯常緑樹のいい山道です

指月山(標高143m)山頂から萩城下を見る
松下村塾はここにあった
この山あいの街から数多くの明治維新の偉人を生み出した


指月山山頂から西方海岸を見下す


萩城趾の堀と指月山
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする