東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

ツバクロやひもじくないか給餌待ち

2024-05-26 | 仙台・東北


ツバクロも親鳥と同じくらいの大きさになった
子供の成長は早い

仕送りを待つ大きな子供のようだ

親にとってはそれが生きがいになる

場合によっては巣から追い出す

奨学金だけでは足りないよ




案山子 さだまさし

  








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バラが咲いた

2024-05-22 | 仙台・東北

「淋しかった僕の庭にバラが咲いた」



 バラが咲いた マイク眞木 1966年
作詞・作曲 浜口庫之



















瞬く間に50年以上が過ぎた




さらば青春 小椋佳 1976年
作詞作曲:小椋佳

 
 




「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」


劉希夷「代悲白頭翁」

 





季節の中で 松山千春 1978年
作詞作曲:松山千春

 




現在は百花繚乱です



















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太平洋から日本海

2024-05-17 | バイク・山歩き

金華山が見える
七北田川河口 仙台港

5月は天気が良い
薫風に誘われてツーリング
約560km



周遊ルート
太平洋から日本海



おかえりモネ
登米市 宮城県

何年か前の朝ドラ



陸前高田駅前 四海楼
岩手県

昼食は名物マーボーラーメン




佐々木朗希は陸前高田の出身

お父さんは2011年津波で亡くなられた

四海楼の店主と佐々木朗希のお父さんは友達だったそうだ
朗希 頑張れ!




象潟海岸 秋田県



象潟海岸



秋田県象潟から鳥海山




鳥海山5合目から象潟方面を望む

アイゼンとピッケルは持ってこなかった
上に登るのは次回



5合目から鳥海山を望む



鳥海山5合目駐車場


長年にわたり両足を酷使してきた
長時間の歩行が困難になった

右足はシンデレラのガラスのような変形足首
左足はジュリエットの華麗じゃない外反母趾
(シンデレラさんとジュリエットさん、無断引用してゴメンナサイ)

バイクは歩行補助器の一つです



鉾立山荘




パーキング

ツバメさん おかえりなさい
巣を作っていた
のど赤き玄鳥(つばくらめ)・・・

かわいいツバメのヒナたちは未だタマゴかな?








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斎藤茂吉と蔵王

2024-05-06 | 仙台・東北
蔵王の御釜

久しぶりに蔵王を歩いてみた
冬期は火口湖が凍結しその上に積雪がある
ゴールデンウィークのころに一部を残して融解し水面が現れる



熊野岳避難小屋が見える

蔵王の主峰 熊野岳への登り
少し風が強かった


蔵王山神社の避難小屋



熊野岳頂上の道標


斎藤茂吉の歌碑
蔵王連峰 熊野岳頂上にある

「陸奥(みちのく)の・・・茂吉」



裏面には設置者銘が刻まれている

「昭和九年八月 高橋四郎兵衛建立 石工鈴木惣兵衛」



斉藤茂吉は山形県上山(かみのやま)の出身

帰りは上山に行ってみる


斎藤茂吉記念館は山形県上山市にある




齋藤茂吉先生像




「陸奥(みちのく)をふたわけざまに聳(そび)えたまふ蔵王の山の雲の中にたつ」



建立した高橋四郎兵衛は実弟です

斎藤茂吉
1882年〈明治15年〉5月14日 - 1953年〈昭和28年〉2月25日)
山形県南村山郡金瓶(かなかめ)村(現:上山市金瓶)の守谷伝右衛門熊次郎といくの間の三男
 
茂吉は14歳のとき
山形県上山から徒歩で笹谷峠を越え仙台まで行った
仙台から汽車に乗って東京へ行った
山形まで汽車が来ていなかったという
茂吉は見込まれて東京青山脳病院の斎藤家に養子に入った

開成中学
第一高等学校
東京帝国大学医学部卒

相当な秀才だった

ーーーーーーーーーーーーー
(訂正後)
斎藤茂吉(1882年生)は夏目漱石と一緒になった写真があった
茂吉は伊藤左千夫に師事したことがある
伊藤左千夫は正岡子規の門下
その関係で夏目漱石との集合写真が残っていたのだろう
夏目漱石1867年生 正岡子規1867年生 秋山真之1868年生
ーーーーーーーーーーーーー



茂吉の故郷上山への想いは強く
実母が危篤で一時帰郷し母親を見送っている

「のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にいて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり」

高校の教科書に載っていたような気がする
今のボクにはずっしりと堪える歌だ






「旅する斎藤茂吉 その瞳は何を映したか」
4.27~8.31 斎藤茂吉記念館で開催中

斎藤茂吉は日本国中を旅している
ボクは最近、バイクや飛行機でやっと日本の各地を訪ねることができた

茂吉は留学時代ドイツほか各地を訪れている
ボクも茂吉が行った多くの都市を訪れた


茂吉は柿本人麻呂の研究者だった

柿本人麻呂 西暦680年ころ 飛鳥時代
古事記 712年 奈良時代
日本書紀 720年
万葉集 759年 日本最古の歌集 大伴家持ほか




環翠亭
斎藤茂吉記念館に隣接

蔵王連山を望む



茂吉が眺めた蔵王連山
熊野岳、刈田岳が見える



斎藤茂吉の別荘

箱根強羅にあった別荘 箱根山荘の「勉強部屋」の建物が
山形県上山市の斎藤茂吉記念館に隣接して移築された


斎藤茂吉の「勉強部屋」


箱根強羅の別荘にて
次男の北杜夫(斎藤宗吉)が親父茂吉の炊事など身辺の世話をしたそうだ

北杜夫は斎藤茂吉の次男
旧制松本高校から東北大学医学部卒

2011年の東日本大震災のあとの数年後に
山形で北杜夫の講演会が開催予定だったことがある
ボクはその講演会に行く予定だったが
北杜夫さんが体調不良とのことで中止になった
あれが最後の機会だった

ボクが上高地や穂高に何度も通うようになったのは
潜在的に北杜夫さんの影響が大きい

北杜夫「楡家(にれけ)の人々」は非常に面白い小説でした



斎藤茂吉の生家


生家の隣にある私塾

幼少のときの勉学は如何に重要かが判る




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映画オッペンハイマー

2024-05-04 | 安全保障

映画 オッペンハイマー
監督 クリストファー・ノーラン
主演 キリアン・マーフィー
アカデミー賞7部門を獲得したそうだ

日本で公開されたのは今年2024年3月29日

当時は鹿児島にいた
バイクで走っていた
一日ぐらいは雨でつぶれるだろうと思った
停滞の日に映画に行ってみよう
近くでは鹿児島の天文館シネマパラダイス
シネマサンシャイン姶良
宮崎キネマ館などがある

停滞に合わせて「オッペンハイマー」を見ようと思った

残念ながらというか運良く好天に恵まれた
鹿児島宮崎の映画館には行かなかった

つい最近地元の映画館で見た

3時間近くの長編だった
オッペンハイマーは理論物理学者
ケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所 ニールス・ボーア  
およびゲッティンゲン大学マックス・ボルンに師事
昔懐かしい人が実像に近い形で映画に出てくる

映画の中ではハイゼンベルク、ディラックなどの懐かしい名前が出てくる
1939年ドイツのオットー・ハーンらが核分裂実験を成功
1942年10月 マンハッタン計画承認 核兵器開発開始
1942年12月2日 シカゴ大学フットボール場観覧席下の倉庫 フェルミの臨界実験
 
ボクが大学教養部にいたころは原子核物理、同位体元素などに興味津々となった。中学生のころから考えていた商船大学、航空大学校などはいつの間にか置き換ってしまった。

核分裂の発見
どうも分裂片の質量が合わない
膨大なエネルギーが出ているようだ
中性子の役割
連鎖反応の発見
臨界の概念
爆薬を使った起爆装置
ロスアラモスのトリニティ実験

たったひと言、一片の情報から着想を得る
物理学者は次のステップへ進む
スパイの共産主義者も同様だ
陰謀が渦巻く

3時間の映画は圧巻だった


ボクが海外の国際会議で初めて発表したのは1983年
遅いデビューだった
カリフォルニアのサンタバーバラだった
会議が終了後、いくつかの原子力関連施設を見学した
アルバカーキに宿泊し、ロスアラモスにも行った
そこで広島原爆リトルボーイの実物大模型を見た


避難の丘 仙台
東日本大震災 津波から13年


大阪南港より遠くに明石海峡大橋

淡路島と神戸須磨の鉢伏山の間に橋梁の2本の主塔が見える

阪神淡路大震災から29年
大東亜戦争敗戦から79年


中共、ロシア、北朝鮮は日本の首都や大都市などに照準を合わせている
弾道ミサイルの先端には水爆がある
水爆は核融合を併用する
破壊力が格段に大きくなっている
一発で首都圏では400万人が死亡する
弾道ミサイルを甘く見てはいけない
自分の国と家族は自分で守る

微量の放射線では人は死なない
日本のエネルギーの自給率は7%
核エネルギーは否応なく人類に拓かれた
核エネルギーを利用する原子炉しか道がない
経済力を維持するには安定した安価なエネルギーが必要

エネルギーを甘く考えてはいけない
定量的に見なくてはいけない
国防を人任せにしてはいけない



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佐渡 草木もなびくよ

2024-05-02 | バイク・山歩き

新潟港発 佐渡行き
佐渡汽船フェリー




新潟港発



佐渡島 両津港

佐渡の最高峰は金北山 標高1,172m
けっこう高度感がある

佐渡の金北山は仙台の泉ケ岳 (標高1,175m)と同じくらいの高さ
神戸の六甲山(標高931m)より少し高い
六甲山は神戸港外の船の上から見ると屏風のように連なり高度感がある
金北山の連山は意外に高かったので新鮮な驚きがあった



佐渡島を海岸沿いに一周すると約200km

一日がかりの道のりだ
島の人に伺うと自転車やバイクで佐渡一周する人が多いそうだ




弾埼灯台 佐渡北端



灯台守 喜びも悲しみも幾年月

像の手入れはなく朽ち果てそうだった
もうそういう時代ではなくなったのか

喜びも悲しみも幾年月(昭和32年) 若山 彰  








名所 二つ亀



名所 大野亀

仙台から新潟まで片道250km 往復500km
佐渡一周200km
天候に恵まれ快適なバイクのツーリングでした



佐渡といえば金山



金鉱堀り
人はみんな生きるために必死に働いた



金北山を望む



残雪があった



フキノトウも大きくなった



金北山 山頂 標高1,172m

頂上で出会ったのは女性1人のみ
その方が「このポーズの写真がいい」と言われたので
彼女のスマホで撮影してさし上げました
「せっかくなので、記念にあなたも同じポーズで写真を撮りましょうか?」
とおっしゃったので、
誘いに乗って同じポーズの写真を撮って頂きました
軽薄!

両津港が見える
佐渡最高峰だけあって四方は絶景です





帰りのフェリー
佐渡両津港発



砂山  北原白秋作詞 中山晋平作曲  


三橋美智也  佐渡おけさ  


ひばりの佐渡情話  美空ひばり


佐渡裕
Shostakovich Symphony No.5 Movement 4



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