東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

後三年の役

2023-08-29 | 歴史散歩

秋田県横手市

横手市は後三年の役の主戦場となった地域だ。

陸奥国安倍氏、出羽国清原氏と中央から派遣された清和源氏との戦いに前九年の役(1051~1062)があり、清原氏内紛と源氏の戦いに後三年の役(1083~1087)がある。



後三年合戦金沢資料館(横手市)



後三年合戦金沢資料館(横手市)

当日はフェーン現象で37℃近くあり、暑さとの格闘だった
熱中症予防に水やポカリを大量に飲んだ



清原氏と関係氏族



後三年の役 地政図



石坂洋次郎文学記念館(横手市)


さて、余談ながら
横手市には石坂洋次郎文学記念館がある。石坂洋次郎は青森県弘前の出身だが、若い時代に教員として秋田県横手に赴任してきた。現在では石坂氏の小説は余り有名ではないようだが、ボクらの時代にはよく読まれていた。「若い人」や「青い山脈」は古くから繰り返し映画化された青春物の定番だった。

今や昔となってしまったが、秋田出身のアイドル桜田淳子さんが主演の「若い人」の映画まであったことを初めて知った。


石坂洋次郎の書斎展示(同記念館 横手市)


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織田信長の末裔

2023-08-14 | 歴史散歩

建勲神社(山形県天童市)


建勲神社(山形県天童市)



建勲神社の由来



織田氏の系図

織田信長を祀る神社がある
建勲神社という
タケイサオ神社、またはケンクン神社と呼ばれる

(Wikipediaほか参照)
我が国には建勲神社が少なくとも3か所ある
1.京都船岡山: 京都市北区紫野北舟岡町 
2.兵庫柏原:兵庫県丹波市柏原町柏原
3.山形天童:山形県天童市城山 

今日は山形県天童市の建勲神社と織田家霊廟のある三宝寺を訪問した
織田信長の直系の長男は本能寺の変で自刃している
現代まで続いたのは信長の次男織田信雄の直系である
織田家は豊臣と徳川の時代を生き残り明治の廃藩置県まで継続している

1.大和宇陀松山藩(奈良) 織田信雄(信長の次男)→織田高長(信雄の五男)・・・転封→丹波柏原藩(兵庫) 
2.上野国小幡藩(群馬) 織田信雄→織田信良(信雄の四男)・・・転封→ 出羽高畠藩(山形)→出羽天童藩(山形)



三宝寺(天童)

この寺は天童藩主織田家の領内菩提寺


三宝寺(天童)


織田信長の肖像画  三宝寺(天童)

当時の宣教使が描いたといわれる
信長は冷静沈着な参謀か経営者、または温和な教師のような印象を与える
とても野獣のようには見えない


織田宗家御廟 仰徳殿



仰徳殿案内



・・・・・
さて余談だが、近郊の蔵王山の御釜
軽く散歩した
今回の火口湖は色が濃く見える





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関野吉晴 探検家

2023-08-10 | 旅・趣味・自転車ほか


人類の移動




2023.8.9 読売新聞
「時代の証言者」 グレートジャーニー関野吉晴


小生は不肖未熟ながら関野さんのことを良く知らなかった
経歴を見ると小生と同時代人のようだ
年齢も近い
その実績を見ると凄くて絶句してしまう


関野吉晴氏
一橋大学入学後、探検部を創部した
アマゾンの最奥部落で生活した
探検を続けるには医者になるのが良いと決心する
一橋を7年かけて卒業し横浜市大の医学部に入る
探検は続けた
外科医になり病院勤務した
病院を退職し1993年から10年間探検を続ける
2002年から武蔵野美術大学教授(文化人類学・人類史)


関野吉晴 - Wikipedia 


ボクは今まで何をやって来たのだろう
穴があったら入りたい
人それぞれ違うが、日本一周や世界一周は在り来たりです
もちろん価値観は違う
人には移動欲求がある
評者によると日本人で探検家と呼ばれるのは関野吉晴さんただ一人だそうだ


人類ホモサピエンスの移動
原人は東アフリカ付近が起源で時間をかけて移動していった
組織からはみ出した例えば次男三男は辺境へ追いやられる
人の移動欲求がある

ホモサピエンス
東アフリカ 20万年前から10万年前に進化
インド大陸へ移動 6万年前 
日本 4万年前 
ベーリング海峡を渡る 1万5000年前 
南米南部 1万年前

関野さんは1993年から約10年かけてその逆コースをたどった
南米最南端からスタートしタンザニアを目指す
探検の要素を加えて計画し実行している
スポンサーはフジテレビのようだ
スポンサーを探して資金調達するのも探検
もちろん計画は斬新
実行力があること
資金調達の才覚が無ければ話は進まない



#1 グレートジャーニー人類の遙かなる旅路を遡る「グレートジャーニーをもう一度 〜南米縦断」編〜

  


関野吉晴さんのグレートジャーニー
1993年から10年をかけて実施している
YouTube 全60話
未だ全部拝見していない
凄い!



・・・・・・・・・・・・
ここで関係なく余談ですが、仙台七夕祭は8日に終了しました
客足はコロナ禍以前に戻ってきたようです
暦の上では立秋が過ぎました
秋が駆け足でやってきます


仙台七夕祭

インターネットコミック快活クラブ
一番丁にもありました
旅行中に突然の宿泊場所がない場合
野宿ができないこともあるでしょう
一応は会員になりました
未だ、宿泊したことはありませんが・・・






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神戸沖州会館

2023-08-04 | 淡路・神戸・明石・京都

神戸北野


神戸沖州会館は神戸市中央区にある
最寄り駅はJR灘駅と阪急王子公園駅だ
三宮からは市営バス上筒井4丁目が近い
北野までは自転車で15分


BEGIN/パーマ屋ゆんた


BEGINは石垣島の出身だ
沖永良部島の人も琉球出身という同じような意識はあると思う
 


自分が小学生のころに親父と祖父は新しい貨物船をつくった
神戸製鋼の鉄鋼製品を尼崎、大阪、岸和田などに運ぶのが仕事だった
ボクが高校2年3年のときは神戸市西舞子の借家に家族5人が住んでいた
大学は仙台に行ったので帰省するたびに帰る家の住所が違うことがあった
当初は景気が良かったのだろう
西宮に喫茶店を建てた
西宮戎神社の近くの一等地だ
西宮の商店街に新築の店舗を建てた
1階は喫茶店
2階は住居
仙台から帰省したときの自分のために部屋を確保してくれていた

しかし素人が始めた商売はうまくいかなかった
使用人のバーテンとウエイトレスが持ち逃げしたと後で聞いた
西宮の住居付き喫茶店は売却した

次の転居先は神戸市葺合区、今は中央区という
親父の船は神戸製鋼脇浜工場の近くの船溜まりに繋船していた
新しい家から脇浜まで自転車で下り10分ほどで着く
帰りは神戸の坂道なので自転車を押して登って帰る
自宅の立地条件は良かった
そこに両親は50年ほど住んだ

年末大晦日の紅白歌合戦が終わったころ
新年になると神戸港から大きな音が聞こえる
港に繋留している大型船が一斉に汽笛を鳴らす
「ボーーー」と大きな音が港のあちこちから聞こえる
「ああ新年なのだ」と新鮮な気持ちになった
もちろん眠くて直ぐに寝たが・・

この近くに住むようになったのは偶然だ
不動産屋からの紹介だ
親父の職場に近い所で決めたそうだ
帰省するたびに近くのビルから三味線のような音が聞こえた
沖縄の三線(さんしん)の音だ
「神戸沖州会館」が同じ通りの数軒先にあった
休日などは三線の音が響いてきた
買い物で大日商店街の行き帰りに沖州会館の前を通る
賑やかで宴会を開いているのがよくわかる


この沖州会館は沖縄内の各地の人が集まっているものと思い込んでいた
この沖州会館は沖永良部島の出身者が中心だそうだ
沖永良部島は奄美諸島の一つ
今は鹿児島県に含まれるが、もとは琉球を構成する一つだ


神戸沖州会


沖州会館がある付近には沖永良部島出身者が多く住んだ
沖縄の出身者は寄りっそって住むことが多いそうだ
同じ島の人が住んでいると心強い


神戸の自宅近くに床屋があった
若い頃にこの近くの床屋に行ったことがある
親しく話しかけられた思い出がある
床屋さんも沖縄からこられたのかなと当時は思った


この曲のオリジナルはBEGINだ
沖縄では人気があり、よく歌われているようだ。

余談だが、面識のあった東北大学の先生は定年を待たずに沖永良部島に移住したと伺った。
南の島はそれだけの魅力がある。
しかし若い人は都会へ行く。



 「♪パーマ屋ゆんた」(仲田かおり)<2018>with 渡慶次康之  





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神戸仙台山岳ルート

2023-08-01 | バイク・山歩き

神戸三宮から仙台へ山岳コース

ときは今!
梅雨明け十日間は山の天気が最も安定している
「つゆ明け十日」は山の格言
夏のツーリング下界は酷暑

山岳コースを選択
距離約1,000km
ナビの所要時間18時間15分

以下は結果
日程
7.26(水)神戸三宮6:45出発 郡上八幡城 途中豪雨と落雷2時間半停滞 高山17:30着
7.27(木)高山6:50発 野麦峠 奈川渡ダム 松本 上田 途中夕立 草津温泉16:00着
7.28(金)草津温泉8:30発 草津白根山 志賀高原 野沢温泉 魚沼 越後須原16:00着
7.29(土)越後須原5:30発 田子倉ダム 只見 磐梯SA 吾妻小富士 仙台15:30着

三宮から郡上八幡までは酷暑
風の温度が35℃以上
時速100km
これに日射が加わる


7.26(水)郡上八幡城

郡上八幡城から郡上市内を望む



山内一豊の妻は郡上八幡の出身


郡上おどりは有名

郡上おどりを含む24都府県41件の民俗芸能「風流踊(ふりゅうおどり)」が2022年11月30日にユネスコ無形文化遺産に登録されたそうです。
 

郡上八幡から高山に抜けるルートに国道472号257号と飛騨せせらぎ街道県道73号を選択した。郡上八幡14:00発、梅雨明け直ぐでまだ安定していなかったのか積乱雲が崩れたのか雷雨と大雨に遭遇した。前が見えない雷雨、とても走行できず道の駅に避難した。滝のような豪雨は落雷を伴い2時間半の停滞。


高山駅

秋の高山祭りには10年ほど前に行った記憶がある。


7.27(木)高山方面から野麦峠への登り

登りの途中で黒い中型犬のような生き物がバイクの前を走っていた
こんな山奥で「この黒い犬は飼い主と離れてしまったのかな」と思った
20mほど併走して追い越した
振り返った顔を見ると・・・小熊だった
「あー、熊か」と思わず叫んだ

よくよく考えると小熊の近くには母熊がいるのが常識!
一難去りぬ!

野麦峠 到着
標高1,672m



野麦峠1,672mから乗鞍岳3,026mを望む

乗鞍岳頂上は雲に隠れている
20年前に乗鞍高原からスキーを担いで乗鞍岳頂上へ行った
愛犬ミント嬢も一緒だった


野麦峠の野麦街道

昔は街道も踏み跡程度の山路だった


野麦峠展望台の観音さま



梓川 奈川渡ダム



奈川渡ダムより野麦峠方面を望む

奈川渡ダムは上高地線への分岐点だ
松本から梓川沿いに上高地穂高へは数え切れないほど行った
ここ数年は上高地に毎年連続して入っているお気に入りだ
「上高地さん、今回は行かないからね!」とお別れのご挨拶


草津温泉湯畑

何十年も前に来たことがある
その時は近くの飲み屋に行ったが何処かわからない


7.28(金)草津白根山への登り

頂上付近は駐車場は封鎖
有毒ガス噴出のため立入禁止
立ち止まり禁止
止まらないで通過

山上は20℃以下
下界は35℃以上



志賀高原スキー場

会社の同僚が万座や白根山はいいところだと話していた
妹が若いころ志賀高原へ繰り返してスキーに行っていた
この付近には草津以外は来たことがなかった
日本アルプスの北アルプス、南アルプスなど限られた山しか行かなかった
万座、白根、志賀などなかなか良いではないですか



7.29(土)只見線 JR大白川駅

偶然、駅に停車していた
只見線はノミテツ(飲み鉄)に絶好のようだ


六十里越峠開道記念碑



田中角栄氏の銘があった

功罪はあるが高度成長期の開発に彼の功績は抜きにできない
凄い時代だった


田子倉ダム

水力発電用のダムは大きい、壮大!

田子倉ダム発電所 40万kW 阿賀野川水系 
奥只見ダム発電所 56万kW 阿賀野川水系 田子倉ダムの上流にある
黒部第4ダム発電所 33万kW 黒部川水系

壮大な土木工事を行い、工事関係で多くの犠牲者を出しても原子力発電所の1基当たりの発電容量100万kWには及ばない。もちろん水力発電所の役割は大きい。それ以上に原子力発電所の役割は大きい。


田子倉ダム


吾妻小富士

磐梯吾妻スカイライン 
吾妻連峰浄土平の駐車場


浄土平レストハウス 謎の人物

謎の人物は「エースのジョー」
宍戸錠ではないか
小林旭の映画「ギターを持った渡り鳥シリーズ」の憎めない悪役
ちなみに原作者は原健三郎氏
衆議院の副議長までなった
淡路島と阪神地区を合わせた兵庫2区の代議士
ボクが子供のころ、自宅の隣に富島映画館があった
大きな歌舞伎場と同じ造りで花道と周り舞台と客席があった
今考えると形式が整っていた
家にいると隣の映画館の客寄せスピーカーから流行歌がガンガン聞こえてくる
「わてほんまによういわんわ・・・」 笠置シヅ子「買物ブギ」 
「リンゴの花びらが風に散ったよな・・・」 美空ひばり「りんご追分」

子供ながらそこで原健三郎氏の選挙演説を聴いた
地元出身の代議士だ
「夢の架け橋」を作りますと何十年も演説した
勿論みんな応援する
何十年も代議士を続けた
明石海峡大橋は開通した

富島映画館は今はない
阪神淡路大震災で崩壊した
      (続く)


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