「元禄の 芭蕉おきなも ここ越えて たびのおもひを とことはにせり」茂吉
鳴子から中山平に抜ける尿前の関は芭蕉の句
「蚤虱馬の尿する枕もと」
で知られている。
斎藤茂吉もこの地を訪れ、芭蕉が人生そのものが旅であるとして俳句を吟ずることで想いを表したが、芭蕉が一歩一歩自分の足で踏みしめた足跡を茂吉が偲びつつ、茂吉自身の万感の想いを歌ったのでしょう。
茂吉は山形県上山の出身で、この地を越えると山形県新庄に出る。
茂吉といえば北杜夫の父君で、大きな山のような存在だったと北氏の著書で述べていた記憶がある。