東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

関ケ原

2023-04-30 | 歴史散歩



石田三成の陣地
笹尾山



関ケ原合戦
1600年(慶長5年)9月15日
両軍配置図


関ケ原は交通の要所
横浜に住んでいたころは新幹線で数限りなく通っている
子供が小さかったころは東名神高速で盆正月に横浜神戸間を何度も往復している
しかし関ケ原に途中下車したことはなかった
生きることに忙しかった
関ケ原の史跡は保存されていて観光スポットになっている

小早川秀秋の寝返りは特に有名だ
あの松尾山から大谷吉継、宇喜多秀家の陣地に攻め込んだ
南宮山の毛利秀元は動かなかった
これで形勢は東軍へ一気に決まった

石田三成の笹尾山から見ると手に取るように陣地の配置が見える


石田三成陣地から松尾山を望む
右方の小高い山が小早川秀秋陣地



関ケ原合戦



両軍配置


徳川軍配置

石田三成陣地から南宮山を望む
毛利秀元の陣地

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桶狭間

2023-04-28 | 歴史散歩



桶狭間古戦場は名古屋市内にある
1560年織田信長の奇襲が今川義元を討ち取った
3千人の弱小大名が2万5千人の大軍を破った
一点集中攻撃
これは奇蹟だった
あまりにも有名な話

人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり ・・・
ここから大転換する
封建時代から近代に至る激動の起点だ

それにしても桶狭間は近所の公園のようだ
都心に古戦場がある
宅地化が進み痕跡を探すのは難しくなる
バイクで名古屋市内をうろつきながら探索する
それでも桶狭間に来た
信長の意識が吹きかかってくる

織田信長と今川義元の像



信長の奇襲進撃図







義元の本陣は少し離れた丘にあった


公園近くに少しの畑地があった
昔の雰囲気を感じる


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人形峠

2023-04-13 | 安全保障

人形峠には鳥取県の倉吉市、三朝温泉方面から入った


人形峠
アトムサイエンス館


島根県出雲市から鳥取県倉吉市を経由して人形峠に行った。
出雲から人形峠まで約140km
バイクで実質約3時間
人形峠は鳥取県と岡山県の県境にある。1955年(昭和30年)11月に人形峠でウラン鉱床の露頭が発見された。その時期は原子力利用の黎明期でウラン鉱床の発見のニュースが駆け巡ったものだ。その後、人形峠ではウランの精錬、転換、濃縮などの実用化技術の開発が行われた。

時系列で示す。
・1953年(昭和28年)米国アイゼンハワー大統領が国際連合総会で「平和のための原子力」演説
・1954年(昭和29年)後の総理大臣中曽根康弘らにより原子力予算を国会に提出
・1955年 (昭和30年)人形峠でウラン鉱床が発見される。
・1955年(昭和30年)原子力基本法が成立
・1956年(昭和31年)  特殊法人原子燃料公社発足
・1956年(昭和31年) 特殊法人日本原子力研究所発足
・1957年(昭和32年)正力松太郎が科学技術庁初代長官
・1957年 (昭和32年)九電力会社および政府電源開発の出資で日本原子力発電(株)発足
・1963年(昭和38年)茨城県東海村の日本原子力研究所の実験炉JPDRが初めて原子力発電を行った
・1966年(昭和41年)日本原子力発電(株) 東海発電所1号機 黒鉛減速ガス冷却炉16.6万kW 営業運転開始 
・1970年(昭和45年)日本原子力発電(株) 敦賀発電所1号機 沸騰水型軽水炉35.7万kW 営業運転開始

僕らの同期生が働き始めたのは原子力の黎明期だったのだ

ボクが茨城県東海村の日本原子力研究所に住んだのは3回ある
・1回目修士1年夏休み約1ヶ月研修 テーマは高速炉設計班にてパルス炉の設計
・2回目修士2年大学院学生研究員 約1年間 テーマは同上
・3回目企業より出向 研究員 約4年間 同所安全研究センターにて配管破断仮想事故時の配管挙動とジェット衝突について

思い起こせば東海村では一生のうちの貴重な時間を過ごすことができた。優秀で人間として魅力のある人々と交流し一緒に仕事ができたことは自分にとって宝物だ。
 

皇太子殿下の行啓記念碑がある
今の上皇殿下です
当時は原子力の黎明期で世相も希望に溢れていた



人形峠には日本原子力研究開発機構が残っていた


ウラン鉱床の発見

人形峠での生活
場所は違えど東海村の生活を思い出す
東海村は水戸に近いけれど、人形峠は大変だったでしょう



当時は活気に溢れていた


ウラン濃縮の原型プラント生産終了
役目を終えた



大山が見える
チャンスがあれば登るのもいいですね
鳥取県側の三朝温泉方面から人形峠に向かった
いい旅でした
人形峠から名古屋まで340km
バイクで実質5時間程度
途中で一泊

コメント (1)
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島根原子力発電所ツーリング

2023-04-11 | 安全保障
島根原子力発電所
中国電力株式会社

3基の原子炉がある
BWR (Boiling Water Reactor 沸騰水型原子炉) 
1号機:電気出力46万kW 1974運転開始 2015廃炉決定 製造 日立製作所
2号機:電気出力82万kW 1989運転開始 2023運転再開予定 製造 日立製作所
3号機:電気出力137万kW 2012完成予定 延期中 安全対策工事中  製造 日立GE


島根原子力発電所は松江市の近郊
日本海側にある


宍道湖
遠方に松江市が見える
山口県萩市から島根原子力発電所まで距離は240km、車で実質4時間半


原子炉の燃料集合体の実寸模型
模型を拝見するとゾクゾクして身が引締まる

ウランの核分裂エネルキーは同重量で換算すると
天然ガスの4万4000倍
石油の7万2000倍
石炭の11万倍
酸化燃焼しないので二酸化炭素は出さない
LCA (Life Cycle Assessment ライフサイクルアセスメント) 消費建設を含めて全工程の二酸化炭素排出量は極めて少ない

日本の原子力発電に関するまとめ
・エネルギー安全保障と経済性の観点から急ぎ稼働させること
・安全対策は実施済み
・トリチウム放出は全く問題ない
・制御すれば巨大なエネルギーを利用できる
・原子炉規制委員会は旧民主党が作った非効率な機関
・多くのマスコミは日本が豊かになることを阻害する機関
・日本を分断する勢力が力を持ちつつあることを認識して頂きたい

我が国の皆さんは、豊かな国になることを考えて実行し、他の国の軍事介入を阻止できる強くて豊かな国になること第一に考えて頂きたい。

建設中の3号機は山かげになって見えない

島根原子力発電所の全体配置図

島根原子力発電所
先週は桜満開の時期だった


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松下村塾はスーパー町内会塾

2023-04-09 | 歴史散歩

萩城下武家屋敷


萩市街図

山口県萩市は毛利藩の城下町だった。ずいぶん前に読んだが松下村塾のことは司馬遼太郎の小説「世に棲む日々」に詳しい。司馬遼太郎の小説は歴史書ではなく、司馬史観といわれ、時には脱線し事実と異なることも多いと批判されるが、吉田松蔭が教えた松下村塾からは、幕末から明治にかけて偉人といわれる人物を傑出しているのは事実だろう。それも多数の精鋭を生み出している。


高杉晋作生誕地


木戸孝允生誕地

門下生には維新直前の長州をリードした久坂玄瑞、奇兵隊を率い幕府軍の権威を打ち砕いた高杉晋作、維新後に明治政府の富国強兵を実行して、日本を欧米に対抗できる段階まで築き上げた伊藤博文や山県有朋などが有名だ。また木戸孝允も同時代に萩在住だった。

萩城下を歩くと久坂玄瑞、高杉晋作、木戸孝允の家はすぐ近くにあり、少し離れた山の手には吉田松蔭と伊藤博文の生誕の地があり、山県有朋はその中間の地で生まれた。彼らの生誕の地や家は距離にして2km程度の範囲にあり、歩いても20分か30分のご近所さんだ。
例えていえば、自分が生まれ故郷の町で、伝え聞いた稀代の秀才と呼ばれる若い先輩が最近の凄い話をするようだぞと、幼なじみの悪ガキ仲間が連れ立ってあばら家に話を聞きに行ったようなものだ。



松下村塾


松下村塾




松下村塾は吉田松蔭の家の近くで開かれた。吉田松蔭は秀才の誉れ高く、僅か11歳で当時の毛利藩主に対して御前講義を申し上げたそうだ。今で言えば小学5、6年生が殿様に講義したことになる。松下村塾は松蔭が二十代のとき、ほんの1、2年の短期間だけ講義しただけだが、その影響力は中途半端ではなかった。明治維新を成し、日本を作り上げた。もちろん維新と明治は塾生だけでなく数多くの優秀な人材が集まり必死になって新しい日本を作り上げたのは言うまでもないが、その中心となったことは間違いない。

大学で講義をしてもこんなに学生を自発的に動かす影響力のある教授はいないだろう。教える人はまず信念を持った実践者でなければならない。本人は教えるつもりではなく、話をしている背景を伝えているのだ。思想の基本となる核心を話しているのだ。実践が基本で心技一体となり、自分のからだを動かしながら、言葉が溢れ出るのだ。余談を言えば、科研費獲得が全てではないのだ。

塾に来る人は、自分の行動原理を模索しているのだ。世の中の動きを見極めて、自分のこれからのこと、目の前の最も近い未来の行動を、模索しながらも納得し確固たるものにしたいのだ。

山口県萩市は日本海側にあり、山に囲まれた孤立した町だ。明治維新まで持ちこたえて長州が生き残ったのは奇跡だ。時代の流れと暗殺の闇を潜り抜けて実行したのは奇跡だ。その中で、松下村塾という1年か2年程度の極短期間で、歩いて30分ほどの狭い範囲の、言わばスーパー町内会の塾から掛け替えない多くの人材を生み出し生き残ったのは、幸運な奇跡が重なっていたという他ない。それは単に教育というよりも、その人がいてその行動が基点となり熟成されたからだ。これが本当の教育だろう。





松蔭誕生の地から萩市街を望む
指月山が見える


ところで当日は吉田松蔭の墓地にも行った。まさにその現地で、見覚えのある女性と遭遇した。我那覇真子さんだ。彼女はフリーのジャーナリストで、日本では数少ないまともな人材だ。米国の大統領選挙の不正問題を追求していたジャーナリストとしてその行動力は抜きん出ていた。日本の新聞、テレビなど腐り切ったマスコミの中で、彼女は真のジャーナリストの1人だ。吉田松蔭、久坂玄瑞、高杉晋作が眠る墓地の前で偶然にも出会った。ボクがバイクで帰ろうとしていたところ、彼女の運転する車が隣に停車した。米国のジャーナリストを案内している途中とのことだ。日本の国防関連の取材だそうだ。我那覇さんに申し上げた。応援しています、フリーの立場で大変でしょう、圧力に負けずに頑張ってくださいとエールを送った。



吉田松陰、久坂玄瑞、高杉晋作の墓がある
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萩の桜 指月山

2023-04-07 | 歴史散歩

山口県萩市
萩港より指月山(しづきやま)を望む
標高は143m
遠くからは高度観がある

先週の萩城趾は桜が満開だった
指月山は萩城の一部で山頂には詰丸が築かれ監視台の役割を果たす


萩城趾の桜

山頂までは登り約15分
少し呼吸が荒くなったが丁度いい運動でした


広葉樹林帯常緑樹のいい山道です

指月山(標高143m)山頂から萩城下を見る
松下村塾はここにあった
この山あいの街から数多くの明治維新の偉人を生み出した


指月山山頂から西方海岸を見下す


萩城趾の堀と指月山
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