東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

モネの晩年 松方コレクション

2014-02-18 | 淡路・神戸・明石・京都

 モネは印象派として有名ですが、どうも晩年の絵は陽炎のような、水蒸気に包まれたような景色が多い。
 
 ロンドンの連作などの時代は、これぞ印象派という絵から離れている気がする。不遜な表現を許して頂けるなら、これぐらいの絵はシロウトでも描けるのではないかと思うほどです。

 ちょっとピンボケのような絵が脳裏に焼き付いていること、逆説的に言えばそれが印象派の特徴なのかも知れない。

 人の一生を追いかけても、それは所詮、個人の生き様ですから、時代により変遷するのは当たり前のことですが、作風も変化するので一生をたどってみるのはいい経験になるでしょう。

 国立西洋美術館のモネの絵画は、松方コレクションに含まれます。

 松方コレクション、松方幸次郎は神戸の川崎造船所、現在の川崎重工業のオーナーだった。松方氏は戦前の不況前の軍備増強時代の利潤を、気概を持って絵画につぎ込んだという。

 神戸の実家の近くに県立の近代美術館があり、松方コレクションの言葉は子供のころだったか、ずいぶん昔に聞いた記憶がある。川崎重工は神戸の和田岬に三菱重工と並んで造船所があった。ただ子供心には松方氏の名前と川崎重工は関連付けられなかった。

 スケートのダイエー中内功氏、美術の川重の松方幸次郎氏、これも神戸のメセナの一つですね。

 

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アイスリンク仙台 羽生くん金メダル!

2014-02-16 | Weblog








 羽生結弦くん 金メダルおめでとう!

 羽生さんが育ったスケート場「アイスリンク仙台」は仙台市泉区の泉ショッピングセンター内にある。ここは8年前のトリノオリンピックのゴールドメダリスト荒川静香さんも子供のころ練習していた由緒あるリンクだ。

 ここは自宅から車で10分くらいのところで、普段から付近をよく通るところですが、注意しないとスケートリンクがあることに気が付かない。羽生さんが通った七北田小学校と中学校もすぐ近くだ。今日は「羽生結弦選手、金メダルおめでとう!!」のポスターがあり、リンクではセンスのいい子供たちが一般の人にまじって未来の荒川さん、羽生くんをめざして練習していた。

 スケートリンクの歴史を調べると、1988年昭和63年にダイエーが開店したのに合わせてリンクができたそうだ。このリンクも企業の文化社会貢献(メセナ)の一環で客寄せの意味もあったのだろう。ダイエーもその後に栄枯盛衰があり、この地のスーパーは西友に変わった。

 開設当時、ダイエーが長久保裕コーチを指導者として呼んだのが始まりらしい。本田武史、荒川静香、羽生結弦と仙台にスケート文化が花開いた。

 ダイエーが基礎を築き、荒川さん、羽生さんのゴールドメダリストを生んだ。
 
 荒川さん、羽生くん 金メダルおめでとう!

 企業は儲からなければ社会貢献も始まらない!

 ダイエーさん、ありがとう。樅の木は残った!




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奇跡の一本松

2014-02-07 | Weblog


 先週、産官学連携フェアが仙台川内国際センターで開催された。
久しぶりに説明を担当した。

 「奇跡の一本松」は陸前高田の復興のシンボルだ。炭素繊維複合材(CFRP)を用いて補強された。
 宇宙航空開発機構(JAXA)の百戦練磨の技術集団OB、および大学OBがアドバイザーとなり、財団が問題解決の枠組みを作り、専門家に依頼して総合的に対応策を見出す、いわゆるソリューションの提供も事業形態の一つだ。この集団は傾斜機能材料に長年取り組み、CFRPも経験が多く、航空宇宙の技術を環境エネルギーや他の科学の分野に適用を進めることで世の中に貢献できる。

 今回は奇跡の一本松の再生に関して、東北大学の流体力学の専門家が風洞実験を行い、また流体励起振動に対応する構造強度評価も他の専門家が行い、一本松の構造強度の問題に対応した。

 技術的なサポートを通して、奇跡の一本松が再生と希望の象徴として生き残ることを望む。
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