今朝早く松島基地航空祭へ行き、ブルーインパルスの訓練飛行を見た。暑かったのでアイスモナカを食し、クルマを置いて田んぼ沿いの道をひたすら歩いて基地にたどり着いた。国を守る装備は千分の1秒の世界にも対応する必要がある。超音速の旋回飛行では8Gの重力に耐え、富士山の高さには20秒で到達するという。近代的な装備と戦略戦術を持ち、風林火山、人は石垣、人は城といった古典的な備えも不変だろう。
さて、午後は東北大学混声合唱団創立50周年記念演奏会、川内萩ホール(旧川内講堂)に、カミさんや一族で行った。大学の同級生が合唱団のOBでありバスの部門で参加した。彼は確かカヌーの名手だが、コーラスも続けており、確かに声が良く張りがある。また青葉山で教鞭をとる同級生の夫婦も駆けつけた。この演奏会には何とオフコースの小田和正氏がテノールで控えめに参加していた。大合唱団の中で同期生の2人は鮮明に識別できた。
「愛を止めないで」 作詞作曲 小田和正
愛をとめないで そこから逃げないで 素直に涙も 流せばいいから
僕の人生が ふたつに分かれてる そのひとつがまっすぐに・・・
1980年ころ、小生は茨城県東海村の日本原子力研究所に出向していた。そのころオフコースがブレイクした。カミさんが「オフコースの小田さんて大学の同期生のようね・・」、「なあに、オフコース?」。曲でしか知らなかった。FM放送をカセットに録音した。アルバムジャケットか雑誌を見ると、確かにあの時の彼・・・。
思い起こせば彼とは学生時代、米軍キャンプ跡の校舎、川内キャンパスの教養部時代、1年か2年の物理実験で一緒になっている。時間に遅れたか、希望者が少ないテーマだったか、サボったので補習を受けたか定かでないが、確かに2人だけの局面があった。「小田です。よろしく・・」「はあ、・・です。よろしく」と言葉を交わした。礼儀正しく、しなやかな感じがした。その後、彼は建築を専攻し、小生は原子核へ行った。
仙台の「世に棲む日日」(R)は5年目。この街とは30年のブランクがある。だが横浜東京の生活と記憶は徐々に短く薄く感じることもある。仙台の青春時代は鮮明になってくる。仙台青春、風の旅、記憶はブーメランのように戻り甦える。