1852年に吉田松陰(1830年生)と宮部鼎蔵が龍飛崎のすぐ近くの算用師峠まで来ている。北方の護りの状況を確かめるためだ。津軽海峡を通行する外国船を見学しようとした。松陰22歳のとき脱藩してまで来ている。やはり志は高かったのだろう。明治元年1868年の16年前のことだ。松陰は翌年の1853年にペリーが浦賀に来航したとき佐久間象山と黒船を見に行った。松陰が龍飛崎にきたのはペリー来航の前年になる。
北海道の山波が望めるこの地、龍飛崎には吉田松陰先生詩碑なる顕彰碑があり詩句は次の如く
去年の今日巴域を発す
楊柳風暖かに馬蹄軽し
今年北地更に雪を踏む
寒沢三十里路行き難し
行き盡す山河万の夷険
滄溟に臨んで長鯨を叱せんと欲す
時平かにして男子空しく慷慨す
誰か追ふ飛将青史の名
と刻まれている。
青年なら志を持って生きて頂きたい。
我々は使命感持った次世代の若者に期待しています。
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