東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

台風が通り過ぎて

2019-10-18 | Weblog
  

 今月12日土曜日の夜半に台風による大雨があったが、台風の通過後13日の日曜日の明け方には青空が見えた。当日の朝の時点では被害が大きくないだろうと感じたので、ロードバイクでサイクリングに出掛けた。

  近くの様子を見ると、確かに稲刈りの終わった後の田んぼは池のように冠水していたが、近隣の住宅地の被害は見られなかった。台風の通過後、時間が経過するにつれて全国で大雨による被害が明らかになった。水害が明確になるには時間遅れがある。 

 海岸に向かった。8年前の大津波のことを思い出した。この海岸付近には心理的に抵抗があったので、来られるようになったのは震災後の数年経過してからだ。 

 家内の叔母が亡くなった現地を通ったときには跡地に向かって祈った。当時は海岸から500m以上離れた高台に住んでおられた。平地から7〜8mの高低差がある高台だ。津波は3月11日。その後の携帯電話の音信不通は長く続いた。 

 震災後数日経ってから、鳴子温泉で女将をやっている義姉から、津波で大変だったでしょう、叔母さんにそろそろ温泉にでもと誘ってください、と言われたので海岸の現地へ行った。ところが現地の高台に行ったがあるべき場所に家がない。夏休みに海の家のようにお世話になった家がない。海水浴に行くと叔母さんに冷やしたスイカを御馳走になった家がなくなっていた。20〜30mほど後ろにある近くの方に伺ったところ、ああそのお宅は津波にさらわれましたね、と淡々と無表情に話された。念のため高台の下にある車庫に行き、津波を被った軽自動車の中を恐る恐る覗いてみた。もし居たらどうしょうと車内を覗いてみたが、軽自動車の中には人影はなかった。役場に行くと安否確認や張り紙と殺気立った人の喧騒で溢れていた。結局、遺体が発見されたと連絡があったのは3月の末だった。

  今回の台風で被害に遭われた方々にお見舞いを申し上げお祈り致します。


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