母成峠古戦場碑
母成峠(ボナリ峠)は安達太良山中腹の西南方向にある。母成峠の標高は972m、安達太良山頂上の標高 1,728 m。
ここで1868年10月6日に幕府方と朝廷方の戦闘があった。両軍合わせて百余名が戦死。多勢に無勢と装備の差で、幕府方は奮闘するも敗走し、その後、会津城も陥落する。
・幕府方 東軍:大鳥圭介(幕府)、田中源之進(会津)、丹羽丹波(二本松)、土方歳三(新撰組)以下800名
・朝廷方 西軍:板垣退助(土佐)、 伊地知正治(薩摩)、谷干城(土佐)、川村純義(薩摩) 以下3,000名
・王政復古 明治維新 1868年1月3日(慶応3年12月9日)
・戊辰戦争〈1868年1月27日〉 鳥羽・伏見ー 阿波沖ー 甲州勝沼ー 梁田ー 江戸開城ー 宇都宮城ー 市川・船橋ー 五井ー 今市ー 三国峠ー 鯨波ー 上野ー 飯能ー北越戦争(ー 寺泊沖ー 八丁沖)ー 会津戦争(ー 白河口ー 磐城ー 二本松ー 母成峠 〈1868年10月6日〉 ー 会津城攻略)ー 旗巻峠ー 秋田戦争(ー 長岡山)ー 弘道館ー 松山ー 宮古湾ー 箱館戦争(ー 二股口ー 箱館湾) 〈1869年6月27日〉 ウィキペディアより
母成峠古戦場碑は地元の方々ほか多数の寄付により昭和57年(1982年)に建立された。会津、二本松ほか両軍ともに、亡くなった兵士の親族には深い思いが残っていたのだろう。
母成峠から見える吾妻連峰は近い
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