
下五島 福江港

上五島 奈良尾港
叔父の話はもはや遺言となってしまったが、終戦後に生船(なません)に乗っていた時「あなたの祖父や父とともに五島で大変お世話になった神徳(じんとく)さんという網元がいて、羽田沖の航空機事故でなくなられた」と聞いていた。
下五島福江港のフェリー乗り場で時間待ちをしていたとき、年輩の方に話しかけられた。今は北九州に住んでいるが実家が五島にあるので訪ねてきたとのこと。
「バイク旅行はいいですね」
「神徳さんという網元はご存じですか」
「水産は上五島の方が盛んでした。今は昔ほどではありません」
帰宅後に調べてみると神徳水産は宮崎県日南市にあった。しかし五島列島にはないようだ。さらに検索すると
「まき網漁業の歴史とわが足跡」神徳祥二郎 著 出版年月日1999.10 神徳祥二郎, 1921- 253p ; 21cm JP20056015 出版地 奈良尾町 (長崎県) KW 沖合漁業 イワシ漁業 カツオ漁業
が出てきた。著者の神徳祥二郎は私の親父と年代が同じで、確かに上五島の奈良尾に神徳さんの一族の活動の拠点があったと推測できる。
羽田沖の航空機事故は2つある。
・1982年2.9(昭和57年)JAL DC8-61 福岡→羽田 羽田沖 死者24人/乗員乗客174人
・1966年2.4(昭和41年)ANA B727-100 千歳→羽田 羽田沖 133人乗員乗客全員死亡
亡くなられた経営者の神徳さんは、出版された「まき網漁業」の本の著者とは別の方のようだ。
さて、航空機事故に関しては私の高校同級生で尊敬する清水保俊くんの出版物がある。清水くんはJALのフライトエンジニアでジャンボジェット機など1万時間以上のフライト経験があり、社内で教育にも携わっていた彼は小説を書いた。
清水保俊著 「グッドラック」
https://blog.goo.ne.jp/sstkbe320/e/ee2f502a404ed5f9708fbe380fa4eacc 1985年(昭和60年)8.12 JAL123便(B747SR-100)の航空機事故を扱った小説だ。
・「機長の決断 日航機墜落の「真実」」 (講談社文庫) 清水保俊 ASIN : B074KKPN93 (2017/7/14)
・航空機事故 人類は航空事故から何を学んできたか?単行本1997/5/1デイビット・ゲロー (著)、 清水 保俊 (翻訳) イカロス出版
・航空テロ 1930年から現在までの「航空犯罪」記録集 1997/12/1 デイビット・ゲロー (著)、 清水 保俊 (翻訳) イカロス出版
がある。
お世話になった神徳さん、最後は文筆家になった清水保俊さんに合掌。



大学の同級生に神徳と言う福江島の奈良尾に実家が有る男が居ました(もう死にましたが)多分お爺さんが羽田沖の逆噴射の事故で亡くなりました
彼の仕事も網元でした。なつかしいです
山本様のおかげで、神徳さんの本拠地が奈良尾(上五島中通島)にあり、網元であったことで確信を持ちました。貴重な情報を頂き感謝申し上げます。
戦前から敗戦後にかけて、祖父と父が生船(なません)に乗り、戦前は朝鮮も含んで五島列島、壱岐、対馬、天草などで魚を買い付け、大阪神戸へ運んでいました。戦後、祖父が船長の生船に、叔父も一時期は乗りました。祖父と父が亡くなった後、叔父から五島の神徳さんに大変お世話になったと伺いました。その叔父も他界しました。淡路神戸から来た生船に対して、魚の買い付けのときに、神徳さんからたいへん御恩を頂いたものと思われます。恩や徳は何十年経っても生き続けるものですね。
生船で運ぶ砕氷詰めのイワシやサバなどは戦後の関西へ貴重なタンパク質供給源となり、良い生業となりました。戦後も経過し落ち着いてからはタイ、ハモ、フグなどの高級魚も生け簀で運んでいました。その後は流通形態が変化して、多くの人が生船から転業しました。
祖父や父、叔父が晩年に五島列島の話題があると、視線は遠くに据え、懐かしそうに話していたことを、私の子供心に記憶していました。その後、何十年も経ってバイクで訪れ、ああここが五島列島だと肉親の思い出の地をたどることができ、供養になりました。