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映像作品とクラシック音楽 第17回 ジョン・バリー編

2021-05-20 15:27:00 | 映像作品とクラシック音楽
「クラシックCD鑑賞部屋」というFacebookのグループの管理人さんからジョン・バリーについて書いてはくれまいかとリクエストを受けまして、書いてみることにしました。
我ながらクラシックと関係ないじゃんと思いながら書き進めていたのですが、途中でかろうじてクラシック鑑賞部屋っぽいことも書けました!ジョン・バリー素晴らしい!って思えましたよ。
例によって長い文になりましたが、よろしければお付き合いくださいませ。


さて、ジョン・バリーって何者ですか?という方もいるかも知れませんので、紹介しながら書き進めてみたいと思います。

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ジェームズ・ボンドとイニシャルが同じことが何か運命的ですが、007シリーズの音楽で特に有名な作曲家です。
しかしバリーにとって007は余興のようなもので、映画音楽作曲家としては相当な大物です。


アカデミー賞の音楽部門の受賞回数を数えてみます。「歌曲賞」や「編曲賞」は一旦置いといて「作曲賞」です。
50年代以前まで遡ると私も把握しておらず、マックス・スタイナーとかアルフレッド・ニューマンとかディミトリ・ティオムキンとか、どれくらい受賞してるのかわかりませんが、60年代以降くらいを対象にしますと…
作曲賞を4回も受賞した人が3人だけいます。
ディズニーアニメのアラン・メンケンと、ご存知ジョン・ウィリアムズと、そしてもう1人がジョン・バリーです。
伝説的な作曲家のニーノ・ロータやエンニオ・モリコーネやヘンリー・マンシーニでも(作曲賞は)1回しか受賞していません。
もちろんアカデミー賞が全てというわけではないですが、4回も受賞するくらいには映画音楽の巨匠として数々の監督やプロデューサーから信頼されファンから愛されてきた証左でしょう。


Wikipediaによると映画音楽デビューは59年の『狂っちゃいねえぜ』とのことです。未見ですが、やばいタイトルですね。
62年からライフワークの『007』が始まります。
66年『野生のエルザ』ではじめてのアカデミー賞受賞。
68年『冬のライオン』で早くも2回目の受賞をしております。

こうして見ると60年代が黄金時代だった方なのかと思いますが、ジョン・バリー的にも映画史的にも重要なフィルモグラフィに思えるのが、1970年の『真夜中のカーボーイ』です。


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『真夜中のカーボーイ』は“アメリカンニューシネマ”の代表作の一つです。(ちなみに「カーボーイ」はタイプミスではありません。不思議な邦題ですね)
この“アメリカンニューシネマ”というやつ。これを厳密に定義できる人は地球上に1人もいないと思います。
青春、犯罪、恋愛、西部劇と個々の作品は明らかに異なるジャンルなのに、それぞれのジャンルの中では浮きまくり、“アメリカンニューシネマ”で括ることですっきりできる不思議な映画群で、60年代後半から70年代前半の限定的な期間に作られたある種のアメリカ映画を指します。


一つの見方ですが、ハリウッドでスタジオ撮影が主流だった時代、大物プロデューサーがニラミをきかせ性や暴力や政治的な表現を自主規制させていた50年代(ヘイズコードの時代、とちょっと映画通っぽく言ってみたりして)を経て、テレビの伸長によりスタジオが弱体化したのも後押しして、予算不足を言い訳に若手作家がロケ中心の映画を撮り出し、大物プロデューサーの目が届かないのをいい事に好き勝手撮った映画群と言うこともできます。
映画表現にたいして、特に性と暴力の門戸を開いたことと、ポップカルチャーの風を入れたことは“アメリカンニューシネマ”の大きな功績であることは間違いありません。
映画音楽的には、それこそマックス・スタイナーやアルフレッド・ニューマンやディミトリ・ティオムキンといった大御所感のある作曲家が幅を利かせていたハリウッド映画に今風の音楽表現を導入したのもニューシネマです。
バート・バカラックや、デイブ・グルーシンらの遊び感覚のある音楽がスクリーンから広がってきた中に、それらと同じノリでジョン・バリーのサウンドも違和感なく入って来れたのです。
思い返せば、性と暴力とポップソングならニューシネマ以前に『007』がとっくにやっていたわけで、ジョン・バリーが“ニューシネマ”に参戦したのも自然な流れと言えるのかも知れません。


などと言いつつ文化というやつはあまり単純化して語れるものではありません。性だ、暴力だポップだ、あるいはスタジオがどうの、自主規制がうんちゃらというのも“アメリカンニューシネマ”の一側面にして、結果論に過ぎないでしょう。
その時代を生きたわけではなく時代感を肌で感じてないので、どっかピントずれてるかも知れませんが、「反権威」の風潮が“アメリカンニューシネマ”を後押ししていたのかなと思います。
ベトナム反戦も、ヒッピー文化も、日本の学生闘争なんかも、「権威」に対する反発・反乱のような風潮があったんじゃないのかなと思うのです。
人は、国は、かくあるべし、伝統とは、えっへん…という偉い人たちの説教を、骨髄反射的に真っ向から否定するのがカッコ良かった時代です。
それこそこのグループで言いづらいですが、クラシック音楽など、権威の象徴であり、全力で潰したかった人たちの文化で、それに乗っかっていたのが“アメリカンニューシネマ”じゃないのかな…と思うわけです。
これも十把一絡げに言うのは間違いだとはわかってますが、でも当時ジミヘン聞いてた連中がベルリンフィルのベートーベンをお行儀良く聞いていたはずがないと思うんです。(いや、俺ストーンズもカラヤンも両方聴きまくってたよって人はもちろんたくさんいるでしょうけど)


話戻してジョン・バリーは、その反権威文化的ノリにもピタリとはまる音楽のセンスも持っていたのが強みでした。
しかし一方で、そのころすでにクラシカルな響きの音楽によってアカデミー賞を2回とっており、「権威」の側にいたとも言えます。
だいたい『007』なんて女王陛下という絶対権威のために命賭ける男の話ですから(ボンドは女性に関しては公私混同甚だしいですがw)、私のニューシネマ論的に言えばニューシネマの対極、ニューシネマを支えた文化から見れば敵のような存在とも言えるわけです。
その権威と反権威の両方に片足ずつ乗せて立っていられたのが、ジョン・ウィリアムズのような正統派巨匠とも、他のニューシネマの作曲家たちともちがう、ジョン・バリー独特の音楽を紐解くポイントではないかと思うのです。


例えばバート・バカラックがどんなに天才だからって、彼は007の音楽なら書けるかも知れないけど(実際67年版『カジノ・ロワイヤル』で音楽を担当しているって言ってもあれコメディだけど)、だからといってバカラックに『愛と哀しみの果て』や『ダンス・ウィズ・ウルブズ』は絶対書けないと思うのです。
ジョン・ウィリアムズは70年代はジャズテイスト強めでしたけど、だからといっていわゆるニューシネマな作品の『明日に向かって撃て』や『卒業』の音楽書けるのかと言うと難しいように思います。
ニューシネマ組作曲家の中ではどっちもいけるジョン・バリーだけが異質でした。


なんとなく、ニューシネマでバリーは体制と反体制の橋渡しを担った気もしますし、70年と言えばもうニューシネマも下火な頃で、バリーがニューシネマを終わらせたとも…ってのは流石に考えすぎですね。


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ニューシネマ後、バリーは大御所感あふれるオールドスタイルの音楽で『愛と哀しみの果て』や『ダンス・ウィズ・ウルブズ』でさらに2回のアカデミー賞を取りましたが、一方で巨匠ぶることから逃げ回るように『ザ・ディープ』とか『ブルース・リーの死亡遊戯』とか『ハワード・ザ・ダック』とか、普通は大物作曲家がわざわざ手がけないような大衆的で安っぽい映画にも嬉々として音楽をつけます。
ジョン・ウィリアムズは『スターウォーズ』という例外を除けばシリーズものの音楽は2〜3作やって手放してきましたが、ジョン・バリーは『007』に16作目まで付き合ったというところも両者のスタンスの違いを象徴している気がします。ついでに言うと16作目『リビング・デイ・ライツ』ではオーケストラ指揮者役として出演までしているのだからシリーズを心底愛していたことが伺えます。


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ちなみに『リビング・デイ・ライツ』のヒロイン(ボンドガールという言い方は今はあまり好まれないそうです)は亡命した東側のチェリストという設定で、劇中のジョン・バリーは彼女をソリストにオーケストラを楽しげに指揮しています。演奏している曲はチャイコフスキーの「ロココ風主題による変奏曲」です。
あ、かろうじてクラシック鑑賞部屋っぽい話ができた…


『007/リビング・デイ・ライツ』より
ジョン・バリー出演場面

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話戻して、ジョン・バリーはクリエイティブでアーティスティックな作曲家になる覚悟と同じくらい、消費される音楽の担い手になる覚悟も持っていたと思うのです。(その点はジェリー・ゴールドスミスと似てると思います)

王にもなれるし奴隷にもなれる、ジョン・バリーという作曲家はそんな人だと思います。


さらに言うとジョン・バリーさん、映画制作サイドと揉めることも多かったようです。
『ダンス・ウィズ・ウルブズ』でアカデミー賞をとり、さぞケビン・コスナーと仲良くなったろうと思ったら、その後の作品でコスナーと喧嘩して降板しています。喧嘩したのが『ボディガード』だったか、『ポストマン』だったか、はたまた『ウォーターワールド』だったか忘れましたが。
他にも記憶にあるだけでウラは取れませんでしたが、バーブラ・ストライサンド監督の『サウス・キャロライナ』でも監督とぶつかって降板したはずです。
これだけのキャリアで時代を切り拓いてきた人ですから譲れない部分もたくさんあるのでしょう。
王にも奴隷にもなれると書きましたが、飼い犬にも狂犬にもなれる人であるとも言えましょう。反骨、反権威の時代を駆け抜けた人らしいです。


彼が"アメリカンニューシネマ"の代表作に関わっているということが、とても象徴的なことに思えるので、つい長々と書いてしまいました。

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いくつか個人的に好きなジョン・バリーの名作サントラを解説してみます。


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『007』シリーズ
伊福部昭を怪獣抜きで語れないように、ジョン・バリーを007抜きで語るわけにはいきません。
みんな大好き「ジェームズ・ボンドのテーマ」は、『007』全作のクレジットでは「作曲モンティ・ノーマン」と表記されます。モンティ・ノーマンは「007」第1作『ドクター・ノー』の音楽担当で、実際あのメロディはノーマンが創作したものです。
しかし、今の私たちがジェームズボンドテーマと聞いて思い浮かべるあのサウンドは、ジョン・バリーのアレンジによるものです。バリー自身も何かのインタビューで「私が作ったようなものだ」と語っています。(これも記憶だけでウラは取れず)
私はバリーのアレンジが入る前のボンドテーマを聞いたことがないので、ノーマンの功績を否定はできませんが、バリーが実質的なジェームズ・ボンドテーマの生みの親であるのは間違い無いと思います。

ジョン・バリーが正式に作曲者としてクレジットされるのは第2作『ロシアより愛をこめて』から第16作『リビング・デイ・ライツ』までとなります(途中3〜4作は別の作曲家がクレジットされますが)。

ジョン・バリーは、私たちが思い浮かべるボンドテーマのエレキギターのパートを、ショーンコネリー時代には多用してましたが、ロジャームーア時代になるとギターのパートをトランペット利かせたオケで鳴らします。ずっと同じ曲やるのも飽きてきたんでしょうね。ムーア時代の終わりごろになるとボンドテーマ自体をあまり劇中で鳴らさなくなります。
それでも彼が最後に手がけた『リビング・デイ・ライツ』でのボンドテーマの電子音がかなり効いたアレンジは個人的には歴代ボンドテーマで1〜2を争うくらい好きです。(争ってるのは『私を愛したスパイ』でマービン・ハムリッシュが奏でた超カッコいい「ボンド77」って曲)

サントラを聞き返してすごいと思うのは、毎回キャッチーなメロディの新テーマを作ることです。シンプルなアレンジによるテーマ(ラブテーマやバトルテーマ)を毎回新しく産み出していました。
主題歌も担当した全作品で作曲し、初期のマット・モンローやトム・ジョーンズのための主題歌から、後期のデュランデュランやa〜haのための80年代ロックまで、大物を気取らず、時代感覚に鋭敏で、娯楽映画音楽に徹するところが素敵です。
ちなみに『ロシアより愛をこめて』の際に作曲した劇伴曲の一つ(曲名が「007」というのですが)は、ティンパニーが、デーンデーンデンデンデーンデンとリズミカルに鳴りまして、文字だと伝わらないと思いますが、エヴァンゲリオンのヤシマ作戦の曲がこれにそっくりです。

アルバムとしては『リビング・デイ・ライツ』サントラがかなりシビれる内容で最高カッコいくヘビロテです。クラシックに慣れてると演奏が安っぽく感じられるかも知れませんが、そんなこと言うやつはボンドカーの助手席に乗せて射出します!


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『真夜中のカーボーイ』(1970)
オスカー受賞作のようなクラシカルなサウンドは全くなく、ジャズミュージシャンとしてのジョン・バリーの魅力を堪能できる作品です。
ただ、所々の不安感煽る劇伴曲は『007』ぽかったりして、ニューシネマ的楽しげでキャッチーな音楽群の中にオールドスタイルの音楽も混ぜこんでくるあたり、バリーの映画音楽作家としての意地を感じなくもないです。
また古風な西部劇風の曲(ティオムキンとかエルマー・バーンスタインみたいな)もあり、これは現代ニューヨークに現れたアホそうなカーボーイを茶化すパロディ要素の強い曲ですね。こういうのサラッと書けるのもジョン・バリーの強みです。

バリーはコンポーザーとしてだけでなく、「MUSICAL SUPERVISION」と表記されているので、主題歌や挿入歌など音楽全般を監修して、統一性を持たせたのだと思います。それくらいバリーが入れ込んで作った作品だったのですね。

ハーモニカの音色が印象的ですが、ハーモニカソロとしてフィーチャーされているトゥーツ・シールマンスという方、あまり詳しくはないのですが、スピルバーグの劇場映画デビュー作にしてスピルバーグとジョン・ウィリアムズの邂逅となった『続・激突!カージャック(1974)』でもハーモニカソロとして参加してます(ボストンポップスのアルバム「スピルバーグの世界」でもソリストとして参加)。
そういえば『続・激突!カージャック』もニューシネマっぽい映画でしたね。
シールマンスという方が、バリーとウィリアムズという二大巨匠の隠れた重要作に参加しているところは面白いです。


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『愛と哀しみの果て』(1985)
3度目のアカデミー賞受賞作。
この年は黒澤明の『乱』がアカデミー賞で監督賞にノミネートされましたが、なぜ『乱』の武満徹が作曲賞にノミネートされなかったのか、アカデミー会員のセンスを疑います。とは言え本作の受賞には全然文句なく、ド王道なハリウッドオールドスタイル名作音楽で、単純にオーケストラの美しさに酔える会心の作品です。007の劇伴に流用しても違和感なさそうなところがジョンバリー節ですね。
ただ監督のシドニー・ポラックはずっとデイブ・グルーシンと組んで映画にフュージョンサウンドを取り入れてきた人なのに、こういうアカデミー狙いの大作になると急にジョン・バリーにオールドスタイルの曲を作らせる、その姿勢に(グルーシンが大大大好きなので)個人的には割り切れないものがあります。


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『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(1990)
4度目のアカデミー受賞作。これも大作担当時の古風な作風に徹するジョン・バリーサウンドですが、バリーの、楽器それぞれの響きを重視した作風が、見事にスクリーンに広がる広大なアメリカ大陸の原野にこだまするようで、全ての曲が奇跡の名曲に聞こえます。
ケビン・コスナーが一人で砦を目指している場面の曲、バッファロー狩の曲など名曲中の名曲だと思います。


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『チャーリー』(1992)
リチャード・アッテンボロー監督で、いまやアイアンマンでお馴染みロバート・ダウニーJr.がチャップリンをそっくりに演じ切った伝記映画。
ジョン・バリーのオリジナル曲の数々も素晴らしいのですが、バリーによるチャップリン音楽のアレンジも堪能できて、お得な一枚です。「スマイル」なんてこのアルバムのバリー版の方が私の中ではデフォルトになっちゃってます。


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そんなこんなでクラシック音楽にかろうじてかすったジョン・バリー解説でした!!
また映画とクラシック音楽でお会いしましょう!


p.s.早く『ノー・タイム・トゥ・ダイ』が観たい!今度の音楽担当はハンス・ジマーだってさ!わお!


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