![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/00/12120ab237b4da97810d4fdfbcc6c6b1.jpg)
1年くらい前に、1961年版『ウェストサイド物語』について書いたので、そのリメイク版についてもなにがしかの使命感にちょっとだけ燃えて書いてみることにします。
61年版より面白いかというと、でもないんですが、色々なところに時代を反映したアップデート(あるいはそこまで言わなくても変化)を感じ、スピルバーグの映画作家としての矜持のようなものも見えてきて面白いです。
超長文になるのが目に見えているので2回に分けて書こうと思います。1回目は主に音楽のこと、2回目は主に音楽以外のことについて…
---------
まずは音楽。
スピルバーグと言えばこの人のジョン・ウィリアムズが「ミュージックコンサルタント」という謎のロールでクレジットされています。
個人的に「コンサルタント」と名の付くものは、口ばっかり達者で現場をかき乱して何の成果も出さない人…という悪いイメージがありまして。
しかしまあ、あのクソ分厚くてアホ高いパンフレットを読んで、彼の役割がうっすら見えてきました。
JWの話は一旦置いといて、本作で「編曲」としてクレジットされているのはデビッド・ニューマンです。
この方、映画音楽も手掛けていますが、その分野ではやや地味な印象…といいましてもアニメ映画『アナスタシア』でアカデミー賞にノミネートされていまして、なかなかのキャリアなわけです。
なのに地味と言ってしまったのは、彼の一族の華々しすぎる活躍のためです。
父上はアルフレッド・ニューマンといいまして、映画音楽の巨匠でアカデミー賞を何度もとっています。代表作というかたぶん一番有名な曲は「20世紀FOX映画のファンファーレ」ですかね。
デビッドの従兄のランディは歌手で映画音楽の作曲家でもあり、『トイ・ストーリー』などで活躍している才人です。アカデミー賞の歌曲部門で多数のノミネートおよび「ノミネート止まり」の記録保持者です。その連続ノミネート止まり記録もいつだかめでたく受賞して自己記録更新をストップしてました。
デビッドの弟のトーマスは現代の映画音楽ですでに巨匠と言ってもいい存在で、アカデミー賞受賞こそまだないのですが、『ショーシャンクの空に』『アメリカン・ビューティ』『ファインディングニモ』などを手掛けています。スピルバーグの『ブリッジ・オブ・スパイ』でも音楽を担当しています。だから最初トーマスとの縁でデビッドに声がかかったのかなと思っていたのです。
でもパンフによると『ウェストサイドストーリー』においてデビッドに声をかけたのは、ジョン・ウィリアムズだったそうで、昔から二人は付き合いが深くて、ジョン・ウィリアムズのコンサートでデビッドに指揮を頼んだりしていた仲だったそうです。
そうなると『ブリッジ・オブ・スパイ』でトーマスに作曲依頼がいったのも、ジョン・ウィリアムズからデビッド・ニューマン経由でトーマスにいったのかもしれないですね。
『ウェストサイドストーリー』の音楽の演奏はレナード・バーンスタインゆかりのニューヨーク・フィルハーモニックです。指揮はグスターボ・ドゥダメルです。少し前に書いた『くるみ割り人形と秘密の王国』のサントラでも指揮をしていました。最近映画仕事が多いです。それでドゥダメルを推薦したのもジョン・ウィリアムズとのことです。
思い返して2015年の『スター・ウォーズ フォースの覚醒』ではジョンウィリアムズはオープニングとエンディングのみドゥダメルに指揮を委ねています。そんなわけでジョン・ウィリアムズとドゥダメルもまあまあ深い仲だったわけで、スピルバーグにドゥダメルを紹介したのがジョン・ウィリアムズだったというわけです。
なので思うにスピルバーグからウエストサイドストーリーだけど音楽どうしよう?って相談受けたJWが、レニーの音楽前にして私なんか出る幕ないよ。指揮はドゥダメルがいいよ。編曲必要ならデビッドはどうだい、うまいよあいつ。みたいなやり取りをして、それをもって「ミュージックコンサルタント」としてクレジットしたってところではないでしょうか。
『ウェストサイドストーリー』のサントラも映画館でつい買ってしまいました。チケット代とパンフレットとサントラでなかなかの出費でしたよ。やれやれ。
サントラにジョン・ウィリアムズによる解説がありました。国内仕様なのに不親切にも英語しかないので、自分で訳してみました。文末に付けております。抜粋なのと、機械翻訳なので、読みぐるしいでしょうがご勘弁を。
-------
「マリア」以降の曲順ですが、61年版は…
「マリア」→「アメリカ」→「トゥナイト」→「クラプキ巡査のわるくち」→「アイ・フィール・プリティ」→「ワン・ハンド、ワン・ハート」→「クインテット」→「ランブル(インスト)」→「クール」→以下略
スピルバーグ版では…
「マリア」→「トゥナイト」→「アメリカ」→「クラプキ巡査のわるくち」→「ワン・ハンド、ワン・ハート」→「クール」→「クインテット」→「ランブル(インスト)」→「アイ・フィール・プリティ」→以下略
…となります。
要は「トゥナイト」と「アメリカ」の順が入れ替わり、61年版では「ランブル」の前だった「アイ・フィール・プリティ」は「ランブル」の後に、逆に「クール」が「ランブル」の前に来ます。
61年版を何十回と観てきた慣れのせいもあるのですが、少なくとも「アイ・フィール・プリティ」と「クール」の位置は61年版の方がよかったように思います。とは言え、実は61年版がブロードウェイ版から曲順を変えたのであって、スピルバーグ版の方が舞台版を踏襲しているのだそうです。
いや、しかしですね、ベルナルドとリフが死亡する凄惨な「ランブル」の後で、楽しく可愛い「アイ・フィール・プリティ」なんか聞かされても楽しめないし、さりとて「アイフィールプリティ」がないと「ランブル」の後にダンス的に楽しいエンタメ感あるナンバーが無いのでだから「クール」を後に持ってくる。この曲順は舞台は観たことないのですが、少なくとも映画的にはその方がいいと思うのです。
なんといっても61年版では「クール」は「アメリカ」に匹敵する名ナンバーでしたしね。
とは言えスピルバーグもそれくらいわかっていたはずで、それでもあえてこの曲順にしたのは、多分、今回の作品は61年版のリメイクというよりは、古典としてのミュージカルの原典に立ち返ってそれを2020年代に向けに映画化したかったからではないかと思うのです。
その2で熱く語ろうと思うのですが、スピルバーグ版は男たちより女たちの描写により力が注がれている気がします。ランブルで男たちの愚かさを描き、そこからしばらく女側の心情を描いてからの、ドクの店での女性に対する男性たちの加害をより強調したかったのではないか?と思うのです。その前に男たちを「クールダウン」させたくなかったのかもしれません。とスピルバーグを多少弁護してもなお、あの位置の「アイ・フィール・プリティ」はのれないなぁ…と思いますけどね。まあ、原典がああなんだから文句はジェローム・ロビンスに言うべきかもしれませんが。
曲順入れ替えの良し悪しは置いといて、これはこれでいいなと思うのは、「アメリカ」と「トゥナイト」の順番です。
61年版にいくつか感じた疑問の一つに、トニーはなんでマリアの家を知ってたの?ってのがあるのですが、スピルバーグ版はそこをきっちり説明してくれます。
その前の「マリア」で、トニーがプエルトリコ移民地区を歩きながら「マリーアー、マリーアー、マリーア、マリアー」と歌いまくるもんだから、街中のマリアさんが「ん?呼んだ?」と窓を開けていく中で、とうとうお目当てのマリアがパルコニーに表れる、といった展開です。ちょっと笑っちゃいましたが、展開としては納得できました。ただし61年版の完全に自分の世界に陶酔して周りが何も見えなくなったようにマリアマリア歌っている演出の方が、恋でメロメロ感あってよかったですけどね。
そして61年版では夜にアパートの屋上で歌われた「アメリカ」が、スピルバーグ版は朝に歌われます。
「トゥナイト」は曲名からして夜に歌わないわけにいかないナンバーなので「マリア」につづけて夜に歌われ、そのあとみんな大好き「アメリカ」に行くかと思わせて、場面転換して朝にしちゃうのですね。ちょっとちょっと「アメリカ」は?!と観客を不安にさせてから、朝、街のみんなが活動を始めてから、街全部を巻き込んでいく形で「アメリカ」が歌われます。
61年版もジョージ・チャキリスとリタ・モレノの圧倒的パフォーマンスで最高盛り上がったのですが、スピルバーグ版はスーパーパフォーマーの力だけに頼らず(そうはいっても新アニータのアリアナ・デボーズのパフォーマンスはほんと素晴らしい!!アカデミー賞助演女優賞ノミネートも納得。多分とるでしょう!!)、編集とカメラとロケーションと沢山のパフォーマーによるモブシーンとしての熱気で、非常に映画的な名シーンに仕立てました。スピルバーグ版で一番の成功はこの新解釈の「アメリカ」だと思います。アメリカの光と影を歌う歌詞も、被差別対象であるプエルトリコ系移民の街全部をあげて歌わせることでより強い意味を持ったと思います。
その他、歌でよかったのは、61年版だとトニーとマリアが歌っていた「サムホウェア」を、前アニータでありドクの未亡人設定のリタ・モレノに歌わせたところでしょう。ここは音楽的にというか、完全に映画史的な意味での感動で、スピルバーグなりの61年版への敬意がもっとも感じられたシーンでした。
あと、良し悪しではないのですが、序盤にシャークスたちにプエルトリコの革命歌を歌わせたところでしょうか。ここはバーンスタイン&ソンドハイムのナンバーではないのですが、シャークスの歌ってもともと少なかったので…
ジェッツは「ジェットソング」「クラプキ巡査」「クール」「クインテット」と4曲あるのに、シャークスは「アメリカ」と「クインテット」のみ。「アメリカ」はどっちかというとシャークスってよりアニータたちの歌だし、「クインテット」はジェッツも交えての合唱だし、彼らだけの歌的見せ場ってもともとなかったんですよね。シャークスだけが歌うシーンが追加されてよかったと思いますが、これも2020年代におけるポリコレ的配慮の一環なのかもしれません。
…などと書いているうちに結構な長文になってしまいましたので、いったんここで終わりにして、次回でもっと映画的なところを語ってみたいと思います。
それではまた!!
【おまけ】
~~引用 『ウエストサイドストーリー』サウンドトラックより、ジョン・ウィリアムズによるライナーノーツ~~
私がバーンスタインに会ったとき、彼はすでに偉大な名指揮者となっていました。マーラーの交響曲をはじめ、広く膨大なレパートリーを国際的に演奏し、演奏することすべてに興奮とカリスマ性と学識を与えていました。しかし、そんな偉大なオーラをまとった彼を、"レニー "と呼ばないわけにはいきませんでした。
~中略~
この黄金トリオの3人目がレニーです(※)。彼の交響曲は確かに重要ですし、ジャズへの言及は時に少しアカデミックで堅苦しいものでしたが、常に新鮮で彼らしいものでした。しかし、彼の音楽の中でも、特に大切にしなければならないのは、演劇のための作品です。アレックス・ロスの言うとおり、もしレニーが『ミサ』の「シンプル・ソング」以外何も書かなかったとしても、彼は不滅の地位を獲得していたと思います。実際、レニー自身、"「マリア」は史上最高のラブソングだ "と言っているほどです。私はいつも "Somewhere "が特に感動的だと感じています。なぜなら、この曲は、"Somewhere "を見つけるという普遍的な夢の香りを放っているからです...。"私たちの場所 "を見つけるという普遍的な夢を連想させるからです。
スティーブン・スピルバーグが『ウエスト・サイド・ストーリー』を撮ると言ってきたとき、私は少し嫉妬しました。しかし、スティーヴンは常々ミュージカルを作りたいと言っていたのです。そして、彼の天才的な才能と総合力とリソースを駆使して、この演劇の傑作を映像として後世に残せることに感謝しなければなりません。
なぜこのアルバムなのでしょう?シンプルに言って、このスコアほど素晴らしい演奏はないからです。グスターボ・ドゥダメルの指揮、レニー自身のオーケストラであるニューヨーク・フィルハーモニックの演奏、そしてロサンゼルス・フィルハーモニックによる追加の音楽、そのすべてが私の亡き友人シド・ラミンとアーウィン・コスタルの素晴らしいオーケストレーションを生かしたものです。彼らはレニーの長年の仲間で、創造性の白熱の中で書かれた、しばしばベートーヴェンのような彼の落書きを解きほぐす不思議な能力を持っていたのです。ショーン・マーフィーがエンジニアを務め、デヴィッド・ニューマン、マット・サリヴァン、ジェニーン・テソーリがプロデュースしたこの録音は、わが国の特異な業績のひとつであるアメリカのミュージカル劇場を愛するすべての人々の棚に置かれるべきものです。
ジョン・ウィリアムズ
※訳注「黄金トリオの3人目」→中略の部分で、振付のジェローム・ロビンスと作詞のスティーブン・ソンドハイムのことを語っていました
~~原文~~
By the time I met Leonard Bernstein, he had already evolved into a great master conductor, internationally performing Mahler symphonies along with a broad and vast repertoire, bringing excitement, charisma and scholarship to everything he undertook to perform. But even with such a great aura surrounding him, it was impossible not to call him "Lenny."
~中略~
The third member of this golden trio was Lenny. His symphonic works are certainly important, and even though his references to jazz were sometimes a bit academic and stiff, they were always refreshingly his own. But of all his music, it is his work for the theater that we should especially cherish. Alex Ross is right when he says, if Lenny had written nothing else but "Simple Song" from Mass, he would have achieved immortality. In fact, Lenny himself has even been quoted as saying ""Maria' is the greatest love song ever written." I have always felt that "Somewhere" is particularly moving, as it is redolent of the universal dream of finding... “a place for us."
When Steven Spielberg told me that he was going to film West Side Story, I confessed to being a little jealous... as l'd written the scores for most of his films for over forty years, I had to concede that West Side Story didn't really need a new score! But Steven had always said that he wanted to make a musical, and we can be grateful that he brought his genius, generalship, and resources to bear, making it possible for him to enshrine on film this theatrical masterpiece for all posterity.
Why this album? Simple... you will never hear this score performed better than it is here, conducted by Gustavo Dudamel and played by the New York Philharmonic, Lenny's own orchestra, with additional music by the Los Angeles Philharmonic, all of whom brought to life the wonderful orchestrations of my late friends Sid Ramin and Irwin Kostal. These men were longtime associates of Lenny's who had the uncanny ability to unravel his often-Beethovenian scrawls, written in the white heat of creativity.This recording, engineered by Shawn Murphy and produced by David Newman, Matt Sullivan and Jeanine Tesori, should be on the shelf of every lover of one of our country's singular achievements, the American musical theater.
John Williams
~~引用終わり~~
#ウエストサイドストーリー #ウエストサイド物語 #バーンスタイン #ドゥダメル #ジョンウィリアムズ #スピルバーグ
61年版より面白いかというと、でもないんですが、色々なところに時代を反映したアップデート(あるいはそこまで言わなくても変化)を感じ、スピルバーグの映画作家としての矜持のようなものも見えてきて面白いです。
超長文になるのが目に見えているので2回に分けて書こうと思います。1回目は主に音楽のこと、2回目は主に音楽以外のことについて…
---------
まずは音楽。
スピルバーグと言えばこの人のジョン・ウィリアムズが「ミュージックコンサルタント」という謎のロールでクレジットされています。
個人的に「コンサルタント」と名の付くものは、口ばっかり達者で現場をかき乱して何の成果も出さない人…という悪いイメージがありまして。
しかしまあ、あのクソ分厚くてアホ高いパンフレットを読んで、彼の役割がうっすら見えてきました。
JWの話は一旦置いといて、本作で「編曲」としてクレジットされているのはデビッド・ニューマンです。
この方、映画音楽も手掛けていますが、その分野ではやや地味な印象…といいましてもアニメ映画『アナスタシア』でアカデミー賞にノミネートされていまして、なかなかのキャリアなわけです。
なのに地味と言ってしまったのは、彼の一族の華々しすぎる活躍のためです。
父上はアルフレッド・ニューマンといいまして、映画音楽の巨匠でアカデミー賞を何度もとっています。代表作というかたぶん一番有名な曲は「20世紀FOX映画のファンファーレ」ですかね。
デビッドの従兄のランディは歌手で映画音楽の作曲家でもあり、『トイ・ストーリー』などで活躍している才人です。アカデミー賞の歌曲部門で多数のノミネートおよび「ノミネート止まり」の記録保持者です。その連続ノミネート止まり記録もいつだかめでたく受賞して自己記録更新をストップしてました。
デビッドの弟のトーマスは現代の映画音楽ですでに巨匠と言ってもいい存在で、アカデミー賞受賞こそまだないのですが、『ショーシャンクの空に』『アメリカン・ビューティ』『ファインディングニモ』などを手掛けています。スピルバーグの『ブリッジ・オブ・スパイ』でも音楽を担当しています。だから最初トーマスとの縁でデビッドに声がかかったのかなと思っていたのです。
でもパンフによると『ウェストサイドストーリー』においてデビッドに声をかけたのは、ジョン・ウィリアムズだったそうで、昔から二人は付き合いが深くて、ジョン・ウィリアムズのコンサートでデビッドに指揮を頼んだりしていた仲だったそうです。
そうなると『ブリッジ・オブ・スパイ』でトーマスに作曲依頼がいったのも、ジョン・ウィリアムズからデビッド・ニューマン経由でトーマスにいったのかもしれないですね。
『ウェストサイドストーリー』の音楽の演奏はレナード・バーンスタインゆかりのニューヨーク・フィルハーモニックです。指揮はグスターボ・ドゥダメルです。少し前に書いた『くるみ割り人形と秘密の王国』のサントラでも指揮をしていました。最近映画仕事が多いです。それでドゥダメルを推薦したのもジョン・ウィリアムズとのことです。
思い返して2015年の『スター・ウォーズ フォースの覚醒』ではジョンウィリアムズはオープニングとエンディングのみドゥダメルに指揮を委ねています。そんなわけでジョン・ウィリアムズとドゥダメルもまあまあ深い仲だったわけで、スピルバーグにドゥダメルを紹介したのがジョン・ウィリアムズだったというわけです。
なので思うにスピルバーグからウエストサイドストーリーだけど音楽どうしよう?って相談受けたJWが、レニーの音楽前にして私なんか出る幕ないよ。指揮はドゥダメルがいいよ。編曲必要ならデビッドはどうだい、うまいよあいつ。みたいなやり取りをして、それをもって「ミュージックコンサルタント」としてクレジットしたってところではないでしょうか。
『ウェストサイドストーリー』のサントラも映画館でつい買ってしまいました。チケット代とパンフレットとサントラでなかなかの出費でしたよ。やれやれ。
サントラにジョン・ウィリアムズによる解説がありました。国内仕様なのに不親切にも英語しかないので、自分で訳してみました。文末に付けております。抜粋なのと、機械翻訳なので、読みぐるしいでしょうがご勘弁を。
-------
「マリア」以降の曲順ですが、61年版は…
「マリア」→「アメリカ」→「トゥナイト」→「クラプキ巡査のわるくち」→「アイ・フィール・プリティ」→「ワン・ハンド、ワン・ハート」→「クインテット」→「ランブル(インスト)」→「クール」→以下略
スピルバーグ版では…
「マリア」→「トゥナイト」→「アメリカ」→「クラプキ巡査のわるくち」→「ワン・ハンド、ワン・ハート」→「クール」→「クインテット」→「ランブル(インスト)」→「アイ・フィール・プリティ」→以下略
…となります。
要は「トゥナイト」と「アメリカ」の順が入れ替わり、61年版では「ランブル」の前だった「アイ・フィール・プリティ」は「ランブル」の後に、逆に「クール」が「ランブル」の前に来ます。
61年版を何十回と観てきた慣れのせいもあるのですが、少なくとも「アイ・フィール・プリティ」と「クール」の位置は61年版の方がよかったように思います。とは言え、実は61年版がブロードウェイ版から曲順を変えたのであって、スピルバーグ版の方が舞台版を踏襲しているのだそうです。
いや、しかしですね、ベルナルドとリフが死亡する凄惨な「ランブル」の後で、楽しく可愛い「アイ・フィール・プリティ」なんか聞かされても楽しめないし、さりとて「アイフィールプリティ」がないと「ランブル」の後にダンス的に楽しいエンタメ感あるナンバーが無いのでだから「クール」を後に持ってくる。この曲順は舞台は観たことないのですが、少なくとも映画的にはその方がいいと思うのです。
なんといっても61年版では「クール」は「アメリカ」に匹敵する名ナンバーでしたしね。
とは言えスピルバーグもそれくらいわかっていたはずで、それでもあえてこの曲順にしたのは、多分、今回の作品は61年版のリメイクというよりは、古典としてのミュージカルの原典に立ち返ってそれを2020年代に向けに映画化したかったからではないかと思うのです。
その2で熱く語ろうと思うのですが、スピルバーグ版は男たちより女たちの描写により力が注がれている気がします。ランブルで男たちの愚かさを描き、そこからしばらく女側の心情を描いてからの、ドクの店での女性に対する男性たちの加害をより強調したかったのではないか?と思うのです。その前に男たちを「クールダウン」させたくなかったのかもしれません。とスピルバーグを多少弁護してもなお、あの位置の「アイ・フィール・プリティ」はのれないなぁ…と思いますけどね。まあ、原典がああなんだから文句はジェローム・ロビンスに言うべきかもしれませんが。
曲順入れ替えの良し悪しは置いといて、これはこれでいいなと思うのは、「アメリカ」と「トゥナイト」の順番です。
61年版にいくつか感じた疑問の一つに、トニーはなんでマリアの家を知ってたの?ってのがあるのですが、スピルバーグ版はそこをきっちり説明してくれます。
その前の「マリア」で、トニーがプエルトリコ移民地区を歩きながら「マリーアー、マリーアー、マリーア、マリアー」と歌いまくるもんだから、街中のマリアさんが「ん?呼んだ?」と窓を開けていく中で、とうとうお目当てのマリアがパルコニーに表れる、といった展開です。ちょっと笑っちゃいましたが、展開としては納得できました。ただし61年版の完全に自分の世界に陶酔して周りが何も見えなくなったようにマリアマリア歌っている演出の方が、恋でメロメロ感あってよかったですけどね。
そして61年版では夜にアパートの屋上で歌われた「アメリカ」が、スピルバーグ版は朝に歌われます。
「トゥナイト」は曲名からして夜に歌わないわけにいかないナンバーなので「マリア」につづけて夜に歌われ、そのあとみんな大好き「アメリカ」に行くかと思わせて、場面転換して朝にしちゃうのですね。ちょっとちょっと「アメリカ」は?!と観客を不安にさせてから、朝、街のみんなが活動を始めてから、街全部を巻き込んでいく形で「アメリカ」が歌われます。
61年版もジョージ・チャキリスとリタ・モレノの圧倒的パフォーマンスで最高盛り上がったのですが、スピルバーグ版はスーパーパフォーマーの力だけに頼らず(そうはいっても新アニータのアリアナ・デボーズのパフォーマンスはほんと素晴らしい!!アカデミー賞助演女優賞ノミネートも納得。多分とるでしょう!!)、編集とカメラとロケーションと沢山のパフォーマーによるモブシーンとしての熱気で、非常に映画的な名シーンに仕立てました。スピルバーグ版で一番の成功はこの新解釈の「アメリカ」だと思います。アメリカの光と影を歌う歌詞も、被差別対象であるプエルトリコ系移民の街全部をあげて歌わせることでより強い意味を持ったと思います。
その他、歌でよかったのは、61年版だとトニーとマリアが歌っていた「サムホウェア」を、前アニータでありドクの未亡人設定のリタ・モレノに歌わせたところでしょう。ここは音楽的にというか、完全に映画史的な意味での感動で、スピルバーグなりの61年版への敬意がもっとも感じられたシーンでした。
あと、良し悪しではないのですが、序盤にシャークスたちにプエルトリコの革命歌を歌わせたところでしょうか。ここはバーンスタイン&ソンドハイムのナンバーではないのですが、シャークスの歌ってもともと少なかったので…
ジェッツは「ジェットソング」「クラプキ巡査」「クール」「クインテット」と4曲あるのに、シャークスは「アメリカ」と「クインテット」のみ。「アメリカ」はどっちかというとシャークスってよりアニータたちの歌だし、「クインテット」はジェッツも交えての合唱だし、彼らだけの歌的見せ場ってもともとなかったんですよね。シャークスだけが歌うシーンが追加されてよかったと思いますが、これも2020年代におけるポリコレ的配慮の一環なのかもしれません。
…などと書いているうちに結構な長文になってしまいましたので、いったんここで終わりにして、次回でもっと映画的なところを語ってみたいと思います。
それではまた!!
【おまけ】
~~引用 『ウエストサイドストーリー』サウンドトラックより、ジョン・ウィリアムズによるライナーノーツ~~
私がバーンスタインに会ったとき、彼はすでに偉大な名指揮者となっていました。マーラーの交響曲をはじめ、広く膨大なレパートリーを国際的に演奏し、演奏することすべてに興奮とカリスマ性と学識を与えていました。しかし、そんな偉大なオーラをまとった彼を、"レニー "と呼ばないわけにはいきませんでした。
~中略~
この黄金トリオの3人目がレニーです(※)。彼の交響曲は確かに重要ですし、ジャズへの言及は時に少しアカデミックで堅苦しいものでしたが、常に新鮮で彼らしいものでした。しかし、彼の音楽の中でも、特に大切にしなければならないのは、演劇のための作品です。アレックス・ロスの言うとおり、もしレニーが『ミサ』の「シンプル・ソング」以外何も書かなかったとしても、彼は不滅の地位を獲得していたと思います。実際、レニー自身、"「マリア」は史上最高のラブソングだ "と言っているほどです。私はいつも "Somewhere "が特に感動的だと感じています。なぜなら、この曲は、"Somewhere "を見つけるという普遍的な夢の香りを放っているからです...。"私たちの場所 "を見つけるという普遍的な夢を連想させるからです。
スティーブン・スピルバーグが『ウエスト・サイド・ストーリー』を撮ると言ってきたとき、私は少し嫉妬しました。しかし、スティーヴンは常々ミュージカルを作りたいと言っていたのです。そして、彼の天才的な才能と総合力とリソースを駆使して、この演劇の傑作を映像として後世に残せることに感謝しなければなりません。
なぜこのアルバムなのでしょう?シンプルに言って、このスコアほど素晴らしい演奏はないからです。グスターボ・ドゥダメルの指揮、レニー自身のオーケストラであるニューヨーク・フィルハーモニックの演奏、そしてロサンゼルス・フィルハーモニックによる追加の音楽、そのすべてが私の亡き友人シド・ラミンとアーウィン・コスタルの素晴らしいオーケストレーションを生かしたものです。彼らはレニーの長年の仲間で、創造性の白熱の中で書かれた、しばしばベートーヴェンのような彼の落書きを解きほぐす不思議な能力を持っていたのです。ショーン・マーフィーがエンジニアを務め、デヴィッド・ニューマン、マット・サリヴァン、ジェニーン・テソーリがプロデュースしたこの録音は、わが国の特異な業績のひとつであるアメリカのミュージカル劇場を愛するすべての人々の棚に置かれるべきものです。
ジョン・ウィリアムズ
※訳注「黄金トリオの3人目」→中略の部分で、振付のジェローム・ロビンスと作詞のスティーブン・ソンドハイムのことを語っていました
~~原文~~
By the time I met Leonard Bernstein, he had already evolved into a great master conductor, internationally performing Mahler symphonies along with a broad and vast repertoire, bringing excitement, charisma and scholarship to everything he undertook to perform. But even with such a great aura surrounding him, it was impossible not to call him "Lenny."
~中略~
The third member of this golden trio was Lenny. His symphonic works are certainly important, and even though his references to jazz were sometimes a bit academic and stiff, they were always refreshingly his own. But of all his music, it is his work for the theater that we should especially cherish. Alex Ross is right when he says, if Lenny had written nothing else but "Simple Song" from Mass, he would have achieved immortality. In fact, Lenny himself has even been quoted as saying ""Maria' is the greatest love song ever written." I have always felt that "Somewhere" is particularly moving, as it is redolent of the universal dream of finding... “a place for us."
When Steven Spielberg told me that he was going to film West Side Story, I confessed to being a little jealous... as l'd written the scores for most of his films for over forty years, I had to concede that West Side Story didn't really need a new score! But Steven had always said that he wanted to make a musical, and we can be grateful that he brought his genius, generalship, and resources to bear, making it possible for him to enshrine on film this theatrical masterpiece for all posterity.
Why this album? Simple... you will never hear this score performed better than it is here, conducted by Gustavo Dudamel and played by the New York Philharmonic, Lenny's own orchestra, with additional music by the Los Angeles Philharmonic, all of whom brought to life the wonderful orchestrations of my late friends Sid Ramin and Irwin Kostal. These men were longtime associates of Lenny's who had the uncanny ability to unravel his often-Beethovenian scrawls, written in the white heat of creativity.This recording, engineered by Shawn Murphy and produced by David Newman, Matt Sullivan and Jeanine Tesori, should be on the shelf of every lover of one of our country's singular achievements, the American musical theater.
John Williams
~~引用終わり~~
#ウエストサイドストーリー #ウエストサイド物語 #バーンスタイン #ドゥダメル #ジョンウィリアムズ #スピルバーグ