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映画ブロガーら有志23名による「10年代映画ベストテン」発表!

2001年 宇宙の旅 [監督:スタンリー・キューブリック]

2009-03-27 01:34:05 | ビデオ・DVD・テレビ放映での鑑賞
個人的評価: ■■■■■■
[6段階評価 最高:■■■■■■(めったに出さない)、最悪:■□□□□□(わりとよく出す)]

TSUTAYAにて。
妻が観たことないからといってDVDを持ってきた。
久しぶりに観た。

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思えば、この映画を初めて観たのは札幌で暮らしていた中学一年生の冬。
そのころ、劇場で「バック・トゥ・ザ・フューチャー」「グーニーズ」を観て、「レイダース」と「魔宮の伝説」の二本立てリバイバル上映を観て、テレビで「スター・ウォーズ」が放送されて、自分にとっての映画ファン黎明期であった。
急速にアメリカ映画の洗礼を受けていたころ、道新(北海道新聞)に「2001年」リバイバル上映の広告が載っていた。
宇宙ステーションとスペースシャトルの絵とともにジョージ・ルーカスの賛辞がキャッチコピーのようにデカデカと印刷されていた。
たしかルーカスの「『2001年宇宙の旅』を技術面で超えることはできるが、映画芸術としてこれ以上のものを作ることはできない」という趣旨の言葉が紹介されていた。
あのルーカスがそこまでいう映画なら観なくてはなるまい・・・と、中学のころイケてないグループに属していた僕は一人で狸小路の東映系の映画館に向かった。

そこで観たものは・・・
本編前の数分間の真っ黒画面と不協和音のような序曲
ギャーギャーいってる猿たちの15分くらいのシーン
有名なクラシック曲(今では、「美しく青きドナウ」とか「2001年」の曲とかいうより、「男たちの挽歌2」のオープニング曲として全世界に認知されている感のあるあの曲)をバックに綴られるセリフなしの宇宙シーン
無音・真空・無重力の作業ポッドのシーン
そんであのクライマックス

・・・ポカーーーン
だった・・・
さっぱり意味が分からなかった。

僕にとっていわゆる「難解な映画」とのファーストコンタクトだった。道具を覚えた猿のような僕の背後に「2001年宇宙の旅」という黒い石盤モノリスがそびえ立っていた。

正直に言おう。
ルーカスやスピルバーグが傑作だと言っている映画を、よくわかんない、つまんない、と言うとなんだか「わかってない奴」になってしまうみたいで、わかったフリをしていた部分はあった。

だが単にフリだけではないことはその後の自分の行動が示している。
我が家で念願のビデオデッキを購入した時、テレビ放送を録画したものを除いて、初めて自費で手に入れた映画ソフトが「2001年 宇宙の旅」だった。「インディ・ジョーンズ」でも「スター・ウォーズ」でもなく「2001年」を選んだ。
そしてそのビデオを繰り返し何度か観た。
何度観てもさっぱり意味はわからなかった。
それでも何度も観た。
何度観ても新しい発見はなく、やはり解らなかったという絶望を突きつけられ、それでも何を期待するでもなく何度も観た。

中2か中3のころ。まだ淀川さんが解説をしていたころの日曜洋画劇場で吹き替え版が放送されることになった。
放送の日、友達が「面白いのか?」と訊いてくるので、「面白い」と答えた。
翌日その友達は「ストーリーが全くないので、とてもつまらなかった」という趣旨の批判的かつ薦めた僕を責める口調の感想を言ってきた。その感想の後半部分はともかく前半部分はたしかに真実だった。
あのルーカスが傑作だって言ってんだぜ、とか、宇宙空間の場面がすごくリアルでうんちゃらかんちゃら・・・と面白い理由の説明を試みたが、友達は納得しなかった。まあそうだろう。自分だって納得してたわけじゃないんだから。
代わりにその友達には「2010年」はもっと面白いぞ、と薦めておいた。後日その友達から「『2010年』はすごく面白くて感動した」という趣旨の興奮気味の感想を聞いた。その感想も間違いではないだろう。

やがて高校生となり、大学生となり、時折思い出したように「2001年」を観てはいつも意味が分からなかった。中学の時から持っていたビデオはたしか引っ越しのとき後輩にあげた。そして10年は観なかった。

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クライマックスシーンで妻は私に「宇宙ってこういうこと起こるの?」と聞いた。僕は「知らない」と答えた
光る大地の上を飛行しているような映像が流れると妻は「ここどこ?」と聞いた。僕は「知るものか」と答えた。
そして真っ白なスイートルームのような部屋にたどり着くと、初見の妻はもちろんだが、何度も観てきた僕も唖然とした。
そして子供が地球を見ているシーンで例の♪ぱーーぱーーぱーーーぱぱーードンデンドンデンドンデンドンデンドンデンドンデンドン♪がかかり、映画が終わってしまうと、またまたあんぐりと口を開けポカーンとしている自分がいるのだった。

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映画にストーリーを求める必要は必ずしもないということは、今はわかる。
ダリやピカソの絵を見て解った気になっても仕方がないように、「2001年」は作り手の意図を理解しなくても別にいい映画なのだ。
その「らしさ」で塗り固められた世界で黙々とすぎていく時間に何かを感じればいいし、何かを感じずにはいれない映画なのだ。

それでも何がしかの解釈は試みたくなる。
自分で割と気に入っている解釈。
「2001年」はセックスを描いている。
精子みたいな形のディスカバリー号。ディスカバリーが木星に向かうのは、卵子に向かう精子を連想する。
木星にたどり着くと、光り溢れる未知の世界を駆け抜ける。恍惚。そして生命の誕生。
そう思うと、宇宙シーンの最初に出てくる宇宙ステーションとシャトルのドッキングシーンも、女のアレに男のアレが挿入される場面のように思える。

代表作のほとんどにセックスのイメージをベタベタと張り付けまくっていたキューブリックが、「2001年」にだけ張り付けていないのもおかしく、逆にセックスの映画だったと考えないと辻褄があわない気すらする。

それが正しくても間違いでも、僕の感じた印象なのだから仕方ない。
ともかく人類が未知のものと接触し進化することを描いた映画であることは間違いなかろう。

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また改めてこの映画を観たとき、2001年を超えてから初めて観たわけだが、猛烈な懐かしさを感じた。
あのころ誰もが夢見ていた21世紀がそこにあった。
来ることのなかった失われた21世紀。
「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」や「20世紀少年」(←漫画原作の方)で語られた、「こんなの21世紀じゃない」という現代に対する失望は、「2001年宇宙の旅」があまりに理想的な21世紀を創出していたからこそ発生したものではなかったか (いや大阪万博だよってわかっちゃいるけどさ、万博が提示したそれっぽさを2001年が完成させたと見る)
改めて観てみると、宇宙ステーションの馬鹿でかい公衆テレビ電話ボックスに、時代を感じる。いま「2001年」をリメイクしたらあのシーンは当然携帯端末が使われただろう。
とはいえ、2009年の今から見ると、「2001年宇宙の旅」より進歩しているのは電話だけじゃないか。
何をやっていたんだ人類。
電話なんか作る暇あったら、月に基地作って、木星に有人探査機を飛ばしていれば良かったんだ。それが21世紀じゃないか。
高度な知能を持ち、意思を持つHAL9000型コンピューターはまだ作られていない(映画では1992年製と紹介されていた)。
HAL9000の赤いレンズは「どうして私を作ってくれなかったのです?」と寂しそうに訴えているように見えた。
HAL9000もスターチャイルドも、生まれるはずだったのに堕ろされた21世紀の水子だ。映画を見ている2009年の僕らは、2001年から逆に見返される。

まだ間に合う。
2019年までにレプリカントを完成させて、20世紀に夢想した21世紀に追いついてほしい。

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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2009-06-25 17:21:14
記事、大変おもしろかったです。
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