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「AYESHA」「木曜午後8時」他・小原正至監督作品評---深淵なる不毛の世界---

2019-04-26 19:43:08 | 映評 2013~
小原正至監督作品評




2019年4月13日
吉祥寺ココマルシアターにて小原正至さんの個展を鑑賞した
同じ会場で小原さんの短編映画作品の全作上映があった。
個人的な事情で全作鑑賞できなかったのだけど、小原監督の軽さの向こうからじっと見つめ返してくるような重さがずっと気になっていて、いつかきちんと映画評を書きたいと思っていたので、とてもいい機会だからここに記す

小原正至さんは肩書がいっぱいある。
画家、イラストレーター、映画監督、アニメ作家、タレント事務所運営、クリーニング屋? 料理人?
なんだかさっぱりわからない人である。

2012年にダマー映画祭inヒロシマで初めて知り合った。その映画祭で小原監督は「木曜日午後8時」を入選させ、私も「罪と罰と自由」という作品で入選の名誉に預かった
「木曜午後8時」は入選作中唯一のコメディで、私の作品もコメディではないがユーモアは強く持っていたと思う。グランプリ他受賞はシリアスな作品ばかりだったので(別に映画祭がコメディを軽んじていたわけではないが)、小原監督は私に「僕たちの作品はまあ箸休め的な選出って感じなんでしょうね」と別に悔しがるでもなく気楽そうにそう語って、実は正直いって受賞を逃してモヤモヤしていた私を慰めてくれた。
私は当時松本で「商店街映画祭」というイベントに深くかかわっていて、今も深くかかわっているけど、そこで小原さんに「木曜午後8時」のコンペ部門への応募をお願いした。もし応募してくれれば入選は絶対間違いないとおもっていた。
小原さんは応募し、私の読み通り入選し、さらに言えば「準グランプリ」と「山崎貴賞」の2部門で入賞したのである!!
それ以来私と小原さんの親交は続き、私の新作映画の初号試射会会場に小原さんが運営していたスタジオを貸してくれたり、さらにただいま絶賛制作中の私の長編映画「巻貝たちの歓喜」に登場する地下アイドルの女の子役に小原さんのプロダクションに所属の女優が出演することになったり。
その女優は山城まことちゃんというだ20歳のめちゃめちゃキュートな女の子で、彼女が私の映画で歌って踊って演技することになったのもきっと、初めからそのように運命づけられていたのだと信じている!!!

ともあれ、そんな友人で恩人でライバルでリスペクトな小原さんの映画について、でもそこは映画批評家モードでヨイショなくいろいろ語っていきたいと思う!!!



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【小原正至監督作品、概論】

小原監督の作品はコメディタッチの作品が多く、その作風は軽い。ひたすら軽い!!
それでいてポジティブなメッセージはほぼ感じられない。
ちょっといい話にしようなどというあざとさは全く感じられない。

映画のラストで明かされることはほとんどの場合「なんでもない」、いやむしろ「何もない」、虚空のような空っぽさである。
人間や人間社会に対して何も期待していないかのような、それは「絶望」と言うほど重くは無く、さりとて「無関心」というわけでもない。

「人間なんてこんなもの」「社会なんて人生なんてこの程度」・・・という気持ちが、スクリーンから客席に向かって広がってくるような、なんとも言えない後味の悪さが残る。

上手い表現ではないかもしれないが、私は小原監督作品を包んでいるドロッとした何かは「諦念」という言葉で表現し得るのではないかと思っている。

期待とか希望とか空しい
努力したって無駄
なぜなら全ては最初から決まっていて、後付で人間たちが愛や希望をでっち上げただけだから
多分、小原監督はいわゆる「真実の愛」など信じてはいないのであろう。

普通はヒットする映画の場合「運命は決まっていない、未来は自分で切り開くもの」・・・というメッセージが投げかけられる。
例えばみんなが大好きな「ターミネーター」は1作目は低予算で無許可公道ロケとかやりまくって打算なく作家性をぶつけて「運命には抗えない」物語に仕上げ、その切なさ、むなしさ、やるせなさが、低予算映画に風格を与えていたのだが、一気に予算が100倍になった2は大ヒットというミッション達成のため「運命は努力次第で変えられる」物語にして多くの人に希望とか人間性の素晴らしさという幻想を抱かせたのである。

アイドルの総選挙で連呼される夢は叶う、諦めないで的なメッセージ
真実の愛を伝えるために若くて可愛い女の子を難病で殺してばかりの日本映画界
別にいいのである。人生なんてつまるところ無だよなんて太宰治的映画ばかりが作られても困るから。
でも商業主義には縛られないインディーズなら、もっと不特定多数の共感を得ることよりも作家性を優先すべきだと思う
小原監督作品は作家性の塊である。

小原監督はインディーズという枠を利用して人生や愛に無駄な期待をいだく人たちに自省を促すような映画を作る
友情とか、愛とか、そんな大したものじゃない。
ひとは無から生まれ、無のまま、無に帰っていく。
その無限のように深い闇を小原映画のキャラクターたちは見つめ、達観とも違う、やっぱり「諦念」を抱えて、だからこそ、未来のことなど考えたってどうせ無駄だから、今を精一杯楽しもうというメッセージともとれる

日常のちょっとした出来事から驚くような大冒険なんか絶対始まらない。現代社会にそんなポテンシャルはない。すごいことが起こるように見えてただそれだけの話だった「木曜午後8時」

観る人によってはものすごく批判されそうなアンチフェミニズム映画ともとれる「The Ancestor」は男女愛に期待するようなことは何もないと語る。
愛の不毛は実写の「TRUTH」にも言える

現時点における小原監督の最高作は「AYESHA」だと思うが、この作品は小原作品らしからぬ壮大なスケールで展開されるSFで決して「何てことない」「ただそんだけの話」ではない。しかし諦念というキーワードにはこの映画もぴたり符合する。
ナレーション(ナウシカの島本須美さんによる素晴らしいナレーション)で宇宙を数億年ただよった宇宙飛行士の女性がある惑星(地球だろうか?)に落ちていく時に「まるではじめから決まっていたかのように」云々と説明される。
彼女のワイヤーが切れたことも、一人寂しく死んでいったことも、やがてどこかの星に落ちることも、すべて最初から決まっていたのである。彼女はどこかの星の生命の起源となることに対して、彼女自身の自由意志による行動はひとつも寄与していない。深読みすればそもそも自由意志など存在しない、とまでこの映画は言っているようにも取れる。
我々が美しいとか、感動するとか思うことなんて、実はたいしたことではない。我々は宇宙においてあまりに無意味で無力で、だから滑稽なのだ



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【上記で言及しなかった作品の短評】

「Concrete Savanna」「雨と傘と男と女」
「Concrete~」は社会における人々の他社に対する無関心を描く。「男と女の雨傘」は男性と女性のステロタイプなイメージを描く
どちらも最近の作品の細部まで細かく書き込んだ絵で綴るアニメとは全く異なり、記号のようなキャラクターで描く。社会や人間に対する思いを伝えるための抽象化表現であり、ギャグ性もメッセージ性も際立つ。

「檻の中のギング」
謎の生物ギングはなんでも食べる。食べて食べて巨大化したギングがある日いなくなり、ギングのいた場所には得体のしれない山ができている。
これは社会風刺として様々な解釈が可能なファンタジーアニメである。でも私としては小原監督には、そんな深い作品と思わせて、いやいやそんなたいしたものじゃない、ただそんだけの話だよといってニヤニヤ笑っていてほしいと思う
などと言いつつ世界はクソだがクソの中から友情が見つかることもある、と感じたい自分もいる。
ギングは普通にキャラクターグッズで売れる気がする

「ブス」
ほんと、「ただそんだけの話」なのだが、この作品の場合はただそんだけであることで父への想いを表現している。

「MOON PRISM」
かぐや姫外伝的な話。誰でも知っているおとぎ話の向こう側にはたいしたことのない我々と同じつまらない、世俗的な世界がある。やっぱりこれも夢の世界に期待などするなという警告のように取れる。
ところでラストに登場するリポーターの女性は、お顔立ちのあまり整われていない方をキャスティングした方がよかったのではないかと思う。美の価値観が地球と違う世界なんだからテレビのリポーターも地球基準で美人じゃない人のほうがよかったのでは

「なみならぬ想い」
ギングとこれで小原監督が追いかけ続けるテーマが見えてくる。
諦念?自由意志?そうじゃない、俺が描きたいのは○○○だ!!…が小原監督の本音だとしたら、それはもっと本格的に世界レベルでやばい作家だ。
そうはいってもこの映画でも人間の一般的な考え方に凝り固まらず、少し視点を変えてみよと言ってきて、世の中で正しいとか美しいとか言われているものを信じるなという小原監督の共通テーマに通じるものはある。幸せなんて、見方、感じ方次第のフレキシブルなものなのだ。





一つの真実の愛や真の正義とやらの裏で、たくさんの愛や正義が引き裂かれている。小原監督の映画はふざけているようで、その眼差しは怒りでも悲しみでもない、やはり諦念に満ちている。
小原監督のイラストの女性たちの目は、驚くほど感情を感じない。何かを見ているようで、何も見ていない。あるいはその目をのぞき込む私を逆に見返し、私には見えない未来を見透かされているように感じる。


小原監督は現在長編アニメを準備中とのこと。
鉛筆手書き風のタッチで、特に髪の毛の書き込みが綺麗で、瞳は吸い込まれそうな怖さがあるのだけど、長編アニメ化においては輪郭線とベタ塗りのいわゆるアニメタッチの画も考えているのだという。
どちらのタッチを選択したとしても、長編アニメでは小原監督ならではの冷たさに溢れて、見てるつもりが見返されるような作品になることでしょう。完成を楽しみにしております。



----個展にて私の寄稿文----
小原監督は傍目には基本とぼけた人で、実写映画では期待通りにことを運ばない展開が本人イメージとピタリあっている。だが、それは「おとぼけ」などではなく、人間に対する諦念がそうさせているのかと思う。そうした諦念的感性はアニメ作品ではさらに膨らみを持つ。繊細さを極めた絵の中の人物の、その果てしなく虚無な瞳が訴えてくる。「人間はこんなにも美しくあまりにも無意味だ。」

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最後に私の映画の宣伝
「巻貝たちの歓喜」
監督・脚本 齋藤新
出演 古本恭一、きむらまさみ、神戸カナ、山城まこと
予定尺90分
2019夏完成予定
戦時中のドイツの研究の影響で突然変異した巻貝。それを食べると今は亡き愛する人の幻覚があらわれ海に連れていかれて沈められる・・・
「巻貝たちの歓喜」予告編

「巻貝たちの歓喜」キャスト・ミニ対談


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