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映像作品とクラシック音楽 第67回 『スローターハウス5 』〜「音楽 グレン・グールド」と表記される映画

2022-08-19 08:11:31 | 映像作品とクラシック音楽
今回はジョージ・ロイ・ヒル監督の1972年のちょっと変わったSF映画『スローターハウス5』を紹介します。
別に「スローターハウス」シリーズのパート5というわけではありません。スローターハウス、訳すと屠殺場で、「第5屠殺場」という施設の名前です。
ドイツ軍の捕虜になった主人公が送られた収容所の通称であり、また凄惨な空襲にあったドレスデンのメタファーでもあります。

ジョージ・ロイ・ヒルは大好きな監督です。アメリカンニューシネマ組の中では一番好きです(スコセッシやスピルバーグはニューシネマじゃないのか?問題はありますが)
ニューシネマの代表作とされる『明日に向かって撃て!』や、アカデミー賞受賞した『スティング』、ほかに『ガープの世界』『リトルドラマーガール』など数々の傑作を放ってきた監督です。
その彼の『明日に向かって撃て!』(1969)と『スティング』(1973)の間の時期、つまり映画作家として最高潮だった時期に作られたのが『スローターハウス5』です。

原作はカート・ヴォネガット・ジュニアです。ヴォネガットの最高傑作は私は『タイタンの妖女』だと思いますがあまりにも映像化に向いていない作品でして、それに限らずヴォネガットの本は映像向きではないのが多いのですが、その中でも最も映像化に向いている作品が『スローターハウス5』だと思います。
映像化向きというのは、馬鹿馬鹿しすぎず、難解すぎず、それでもヴォネガット作品の要素・魅力は余すところなく詰まっていて、ヴォネガットを読むなら最初に読むべき作品じゃないかなと思ってます。
映画版は物語に関しては原作にかなり忠実に作られています。(とは言え原作の決め台詞?「そういものだ」がほとんど使われないなど問題もありますが)
現在、過去、未来が入り乱れる特殊な構成の物語を、きちんとわかりやすくまとめた脚色の力は大きいでしょう。
また本作は全く別の時間・場所のシーンを同じような画で連続させる、専門的に言うとマッチショットと言うのですが(マッチショットの最も有名な例が『2001年』の骨から宇宙船へのカットつなぎです)、そういう編集・演出術を堪能できます。
例えばあるシーンの終わりが「ドアを開けて出ていく」なら、次のシーンは全く別の時間・場所のシーンなのですが、「開いたドアから出てくる」画から始まるといった感じです。
こうした演出によって、時間超越能力を持ってしまった主人公の、過去も未来も今も全てそこにある感覚を表現しています。
彼は未来も過去も今のように普通に見えているので、自分が暗殺される未来をも「そういうものだ」と当たり前に受け入れており、そうした諦念的な考えが西洋文学というよりどこか東洋っぽく、そんなドライな寂しさはロイ・ヒル作品にも通じるものがあります。
こう書くとなんのこっちゃらですが、まあ、「そういうものだ」

また本作では第二次大戦における連合軍によるドイツ・ドレスデンの無差別大空襲が描かれます。軍事施設の破壊よりも都市を徹底的に破壊することを目的とした大規模な空襲で、その当時はヒロシマより多くの犠牲者を出したと言われていました(放射能による二次被害を別とすれば。そういうものだ)
ヴォネガット自身が第二次大戦に従軍しドイツ軍の捕虜になり移送されたドレスデンで空襲にあった経験を元に書かれたのです。
こうした連合国軍側による非人道的な攻撃がアメリカ映画で描かれることは稀であり、よくやったなと思います。ただしビジュアルとしてはあまりにそっけなくロイ・ヒルをもってしても原作に込められていたヴォネガットの想いが映像に表れているとは言い難いのが残念です。ドイツの映画人ならもっと心に刺さる描き方ができたんじゃないでしょうか。ヴィム・ヴェンダースなんかが『スローターハウス5』撮ったら面白いだろうなぁと妄想します。

さて音楽の話です。
本作のオープニングクレジットでは
「Music GLENN GOULD」
…と表示されます。
そうです。あのグレン・グールドです。
しかしこの映画は別にグールドが映画のために作曲したわけではありません。
かかる曲はバッハのピアノ協奏曲やゴルトベルク変奏曲です。しかも映画のために新録したわけでもありません。既存の音源を使っているのです。
だったら「Music J.S. BACH」と表記しても良さそうなものですが、それをあえてグールドと表記したのは、ロイ・ヒルにとって大切だったのはバッハのメロディよりもグールドの演奏だったからだろうと思うのです。
ロイ・ヒル映画の音楽はいつも自由気ままで楽しげな曲です。『明日に向かって〜』のバート・バカラック、『スティング』でマービン・ハムリッシュが編曲したスコット・ジョプリンの音楽なんかが思い浮かびます。
なんとなくですが、型に縛られないグールドの演奏に心惹かれるものがあったのではないかと想像します。

使用曲ですが、本隊とはぐれた主人公が1人寂しくドイツ戦線の雪原を放浪する印象的なオープニングクレジットでかかるのはバッハのピアノ協奏曲第5番の第二楽章。

中盤で主人公を乗せた捕虜輸送列車がドレスデンの、駅に着く場面ではピアノ協奏曲第3番の第三楽章。迎えるドイツ兵はあどけない顔の少年兵ばかりで、ドジな新米兵っぽい動きも見ていて楽しく、またドレスデンの綺麗な街並みも写して後々の空襲の悲劇を強調する伏線となっています。(東ドイツのドレスデンでこの時期アメリカ映画がロケできたとは思えないのですが、まあそこはドレスデンだと思って見てあげるのが健全な映画ファンってやつですよ、そういうものだ)
曲は途中からブランデンブルク協奏曲第4番に変わりますが、楽しげな雰囲気はこのシーンの間ずっとつづきます。
ドイツの捕虜になって連行されるシーンというと大抵のアメリカ映画は重々しい曲がかかるところですが、バッハの楽しげな曲と楽しげな街の雰囲気がアメリカ映画として異彩を放っています。

またトラルファマドール星のシーンや、戦時中の回想シーンでゴルトベルク変奏曲が流れます。『羊たちの沈黙』の回でも書きましたが、使われたのは1955年録音のものではないか?と思います。
空襲後廃墟になったドレスデンの街を見てドイツの少年兵が駆け出すところでゴルトベルクの25番変奏がかかります。恐らく彼の実家であろう家が燃えていて、字幕はないのですが多分ドイツ語でお父さん!と叫ぶ悲しいシーンです。そして回想明けでつづくシーンが現代で主人公の息子が笑顔で「父さん」と呼びかけるところになります。

グールドの演奏の使用箇所は思ったより少ないのですが、それでも「音楽 グレン・グールド」と表記するところにジョージ・ロイ・ヒルの唯ならぬグールド愛を感じますし、そしてグールドの演奏じゃなくてもよかったかもしれませんが、使われた楽曲はたしかに素晴らしい効果をあげていました。

原作読まず、カットつなぎの技とか、グールドの音楽とか知らずに見てもけっこうよくわからないまま終わるかもしれない映画ですが、70年代アメリカ映画独特の手作り感と、ロイ・ヒル独特のユーモア(ヴォネガットのユーモアともまた違う感じ)など楽しめる映画ですので、クラシック音楽好きの皆様なら箸休め的に楽しめると思います。
それではそんなところで、
また素晴らしい映画とクラシック音楽でお会いしましょう。
そういうものだ。


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