朝日新聞を購読していた私は東京大学名誉教授の平川祐弘氏のことは全く知らなかった。
一昨年の8月以来、既述のとおり月刊誌を購読し始めた事、友人が朝日新聞から産経新聞に購読を切り替えた事で、彼の論文を読むことが出来た。
朝日新聞を購読し、精読していた人たちの殆ど全員は伊勢神宮に行きたいとは思って来なかったはずである。
朝日を購読、精読して来た人間は、神社仏閣、特に神社に対しては何かしら、無意識的にも反感を持って来たはずである。神社的なものが戦争に導いた。神道には問題があった。そのように思わされていたはずである。
伊勢神宮については先日既述した通り。あの論文に、ここで書き加えれば、伊勢神宮には、至上の建築美、完璧な大工仕事、究極の職人芸があった。
京都御所、迎賓館の一般参観が開始されるのを待ち望んでいた私は、すぐに訪問した。当然ながら最高の職人芸に感心した。
だが、伊勢神宮に在った建築美は、それ以上だったのである。究極の美。
私は京都の庭園の神髄を眺め続けて来た世界のベストスリーは私と、スティーブ・ジョブス、ジャック・ドーシーの3人であると書いた。もう一人付け加えれば、南禅寺の何有荘を約85億円で購入し見事に維持管理しているオラクルの創業者にして全米有数の資産家であるラリー・エリソンであると言及して来た。
スティーブ・ジョブスは日本の美の神髄に究極のシンプル美があると感じていたはず。それが終にSONYのウォークマンを追い抜いた、あのシンプルの極致だった長方形にして超軽量のIpodの完成に繋がったと私は確信している。
だが、重要な要素だった円形のダイヤル操作システムは日本人が開発したもので、その技術者が勝訴した記事を読んだ私が少しばかり溜飲を下げた事も既述のとおり。
マルローに代表される欧米の最高の知性が、伊勢神宮を日本の最高と讃えているのが、どれほど当然な事であるか、
先日、初めて伊勢神宮を訪れた私が痛感すると同時に朝日新聞やNHKに対して許しがたい怒りを覚えた事も既述のとおり。
朝日新聞が何故、あれほどの素晴らしさを持っている伊勢神宮、日本の美の究極、日本文化の神髄である伊勢神宮を否定して来たのか。
彼らは決して否定してきたとは言わないだろうが、伊勢神宮の神髄を伝えては来なかった事は、長年にわたり購読し精読して来た人間は皆知っている事だ。
今日、友人が購読している産経新聞に掲載されていた平川祐弘氏の論文で、私は、全てを理解した。まるで平川さんが、私に答えを教えてくれたようなものだった。
私に一瞬にして、答えを知らせてくれた平川さんの論文は次章にて紹介する。
ここでは簡潔に私の答えを書いておく。朝日新聞が戦前までの日本を悪と捉えなければならなかったからである事は、朝日新聞社の社員である松井やよりの言動や、論説委員たちが書き続けて来た論文、
朝日新聞そのものである本多勝一が書いた「中国の旅」の大特集連載記事によって、中国共産党のプロパガンダである南京大虐殺を世界に広めた事、
吉田清治の全くの出鱈目を利用して、12回も特集記事を掲載報道して従軍慰安婦問題を世界に広めた事などだけでも、完璧に証明されているのである。
だが、戦前までの日本、有史以来の日本は、幼稚で悪質極まる彼等とは違って、世界でも稀有に偉大だったのである。(この事については次章以降に書く)
朝日の幼稚な悪質さは、今日の社説にも明らかである。日本のデフレを作ったのは、つまり、日本の失われた20年を作ったのは、当時の経済部の一記者であることは既述のとおり。
その日本の要らざる大停滞を初めて総力を挙げて解決しようとしているのが安倍政権である。安倍政権と日銀のデフレ退治に急ブレーキを欠けている最たるものが、朝日を筆頭にしたメディアとこれに同調している学者たちが声高に主張し続けて来た消費税増税である事。
或いはそれ以上に、朝日が作った、先進国史上初めての20年超に渡るデフレが、日本国民の心に、頑強なデフレマインドを作ってしまっている事すら知らず、日銀に敗北を認めよ、政策転換をせよ、などと説教を垂れているのである。
この幼稚で愚かな悪質さは筆舌に尽くしがたく、もはや許されるものではない。