文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

少なくとも日本国民の4分の3は、この重要な論文を全く知らない。出来るだけ多くの人たちに知らしめる事も

2016年11月07日 22時49分42秒 | 日記

産経新聞のすべてが良いとは言わないが、一つだけ良いと言える事はあるだろう。それはこの新聞社だけは、共産党の一党独裁国家である中国や、戦後70年間、反日教育と言う名のナチズムを続けている韓国、これらの国に日本国と日本国民を売り渡すような捏造記事を書いたりなどは決してしない事。上記の国の政府や情報機関に操縦されている疑いが濃厚な、見せかけのモラリズムに満ちた記事で、日本国と日本国民に大損害を与えるような世論誘導は行わない事は確かであるという点に於いて、今、日本で唯一のメディアだと言っても過言ではない。

だが、この新聞の購読世帯数は約161万部なのである。朝日が大凋落しているのは当然だが、それでも公称670万(確かな推測では約460万部)なのである。日本国民全員には到底届かない。だから私は産経新聞に本物の論文が掲載された時は、出来るだけ、日本と世界に発信するようにしている。

今日のフロントページに掲載されていた櫻井よしこさんの論文は、極めて重要な内容のものだった。私が日曜日を費やして世界中に発信したブルガリア人のミロスラフ・マリノフ氏の労作の後だったから、なおさら、私は、彼女の今日の論文が日本国と日本国民にとって極めて重要な論文である事に気が付いたのである。

少なくとも日本国民の4分の3は、この重要な論文を全く知らない。出来るだけ多くの人たちに知らしめる事も私の使命であると私は痛感している。

見出し以外の文中強調は私。

三菱マテリアル 不審な和解に外務省の影

過日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)に「明治日本の産業革命遺産」として登録された端島(通称、軍艦島)を訪ねた。総面積1万9700坪だ。

最盛時、5267人が軒を重ねるように建つ日本初の鉄筋高層住宅で密集して暮らした。

同島は「強制労働の監獄島」だったとの非難が韓国にある。

元中国人労働者は端島で強制労働にあえいだとして、三菱マテリアル(旧三菱鉱業)を訴え、後述するように和解を勝ち取った。 

他方、長崎市は、「島民は共に遊び、学び、働く、衣食住を共にした一つの炭鉱コミユニティであり、一つの家族のようだったといわれている。島は監獄島ではない」との見解を示している。 

戦時中、端島を含む各地の炭鉱に日本は中国人を「強制連行」し、企業は彼らに過酷な労働を強いたとして、マテリアルは訴えられてきた。

だが最高裁判所は2007年4月、日中間の戦時賠償は個人の請求権問題も含めて1972年の日中共同声明で解決済みとの判決を示し、マテリアルは全ての訴訟で勝訴した。 

それでも、中国人側は日本人弁護士に支えられ要求を続け、同社が譲らない状況が続いた。日本政府は日中間の正式な取り決めに依拠して同社の姿勢を支持してきた。 

ところが今年6月1日、マテリアルが一転、和解した。

内容は中国人労働者側の代理人、内田雅敏弁護士が「心からの敬意を」(『世界』2016年7月号)表した程の踏み込んだ謝罪と高額の賠償金、基金80億円、謝罪の碑の建立を含むものだった。 

なぜか。

取材を通して、背景に日中関係で前のめりになり自ら敗北の中に飛び込むかのような外務省の「助言」があったことが見えてくる。 

確かにマテリアルを和解に向かわせる状況変化もあった。

2014年2月26日、弁護士の康健氏が三菱マテリアルと日本コークスエ業(旧三井鉱山)を北京市第一中級人法院(地裁)に訴え、これがわずか3週間後の3月18日に受理されたのである。

そのときまでこの種の訴えを受理しなかった中国側が電光石火、受理した。

2013年12月に安晋三首相が靖国神社を参拝し、日中関係が冷えきっていた中での同措置は、中国の報復という政治的色彩を色濃く帯びていた。 

司法が政治の下にある中国での訴訟に、受理の時点で勝ち目はないと見たマテリアルが和解に動き始めたことは2014年4月頃から急に積極的になったという内田氏の述懐によっても裏づけられる。 

しかし、外務省は康健氏の訴えが受理される前に、マテリアルに和解を勧めていたのである。外務省は全否定するが、このことは複数の取材源によって確認がとれている。

冷え切った日中関係の中での訴訟におびえ、日中関係のさらなる悪化を恐れたと思われる。 日本が和解を受け入れれば中国政府はこれ以上の訴訟を起こさせないように対処してくれるという、根拠のない期待など、外交官は抱いてはならない。

日中共同声明の原則に基づけば、中国側の訴えは真の日中友好に反すると主張して、企業を助けるべき局面だった。

その闘いの最前線に立つべき外務省でありながら、受理以前に心を萎えさせて企業に和解を勧めたのは言語道断であろう。

中国の圧力に日本が屈服するのは、日本は常に謝罪し賠償に応じるべきだとの思考に外務省が染まっているからではないか。

外交専門誌「外交フォーラム」1992年2月号に元駐韓大使で事務次官の須之部量三氏が書いている。 

戦後処理は、「条約的、法的にはたしかに済んだけれども何か釈然としない」 

同じく事務次官で駐米大使を務めた罘山尚一氏も同誌2006年1月号に書いた。  

「条約その他の文書は、戦争や植民地支配といった不正常な状態に終止符を打ち、正常な国家関係を確立するため欠かせない過程だが、それだけでは和解は達成されない」 

2007年5月17日には、元駐オランダ大使の東郷和彦氏が朝日新聞に書いた。

「各企業は、(中略)もう一一回、韓国、中国の人たちが陥った過酷な状況に思いをいたし、責任感と大度量をもってできるだけの救済をしていただけたらと思う」 

外務省OBでマテリアルの社外取締役を務める岡本行夫氏も、1972年の共同声明は悲惨な事態を認識しないで結んだとして、企業の謝罪と見舞金支払いを推奨する。 

ベテラン外交官が、問題解決は条約や国際法では不十分で、新たな和解の枠組みが必要だと異口同音に語る。異常ではないか。一連の条約作成に関わったのは彼らであろうに。

奇妙なことに、彼らの主張はマテリアルを訴えた弁護士らの主張とほぼ一致する。 

和解でマテリアル側には、訴訟リスクを回避したいという企業防衛の計算もあっただろう。そうした事情を考慮しても、和解の負の影響を同社は深刻に受けとめるべきだ。  

1974年の三菱重工爆破事件の犯人の弁護士を務めた内田氏はドイツ型の「記憶・責任・未来基金」の創設を説く。

ドイツの政府と企業群が、約150万のユダヤ人への償いで、各50億マルクを拠出し総額100億マルク(5300億円)で設立した基金のようなものの創設を目指す。  

マテリアルは元労働者各人に10万元(約170万円)を払う。

対象者は3700人超、諸費用を加えて80億円規模だ。

基本的に元労働者に払われるが、基金創設の第一歩となる可能性も高く、それが、日本をナ チス・ドイツと同列に置く不当な枠組みになる危険性も否定できない。

*私たちは、この内田某などと言う弁護士を、これ以上暗躍させてはならないのである。

かつて朝日新聞は中国共産党プロパガンダの一党独裁者たちから手渡された通りの(どおりの)南京大虐殺を始めとした数々の中国共産党プロパガンダ協力報道を行った。

一昨年の8月までは朝日新聞が日本を牛耳っていたと言っても全く過言ではない事は周知の事実である。

三権分立を超えた日本最大の権力機構が存在していたと言っても過言ではない。

日本国と日本国民は彼らの意向通りに、共産党の一党独裁国家である中国に30兆円という人類史上最大の経済援助を行った。

そのお金で、中国は核弾頭を搭載したミサイルを日本に向けて配置するは、アフリカを自国の国際戦略の中に組み入れるための、資金援助を行ったと言っても全く過言ではないのである。

これ以上、愚かな国はかつてなかったと言っても過言ではない。

今回、これまでの、数々の日本を貶め、虐げて来た事案と同様に、

大半の日本国民が全く知らない所で、内田雅敏などという一弁護士が、中国共産党の一党独裁者の側に立って、日本国と日本国民にとって、取り返しのつかない嘘を固定しようとしている事実を、(私は、朝日が捏造報道して世界に広めた慰安婦問題に乗じて、何度も国連(UNESCO)に出向いて、慰安婦ではない「性奴隷だ」として、この言葉を世界に(メインは米国に)定着させた、当時、日弁連の要職に在った横山某という一弁護士の所業と、その罪の深さを想起したが、内田雅敏が行っている事は横山某以上に、日本国と日本国民にとって極めて重大な行為であると確信する。なぜなら彼はプロパガンダがその生命線である、或いはプロパガンダで辛うじて成り立っている、歴史的には、その罪悪性と許されざる欠陥がとうに証明されている共産党の一党独裁者たちの企みに協力しているからである。

中国共産党の一党独裁者たちの狙い、企みとは何か?

日本を国際社会に於いて永久に政治的な犯罪者の位置に置くこと。

何のためかって?自分たちの政権が行き詰まった時のためと、いつでも日本からお金をせしめるため、「基金80億円、謝罪の碑の建立」、で、彼らは国際社会と、反日教育で育てた国民に、ほれ、このとおり日本は正式に自分達の罪を認めているとして、国民の自分達に対する不満を日本に対する怒りに向けさせる、つまり、正にナチズム。

その罠に嵌められている事にも内田雅敏は気づいていない。この人間は、そもそもが共産主義者か社会主義者なのか、或いは、朝日新聞の論説を読んで育ち、頭脳構造が朝日新聞の社説でできている人間なのか、そのどちらかだろう。

だが、たった一人の彼の行為が日本国と日本国民にもたらすものは、とんでもないものである。こんな悪業を、私たちは、これまで朝日に対して許して来たようになど、二度と、許してはいけないのである。

知らずにいる場合ではないのである。

もし、あなたが朝日などが常に言うところの、子供や孫の世代のためになどという、おためごかしを言って来た人間ならば、尚の事、たった一人の人間に、二度と、日本国と日本国民の名誉と信用を傷つけさせ、莫大な損害を与えるなどという阿呆を行ってはならないのである。

今回は、その手口が極めて明瞭なのである。

「基金80億円、謝罪の碑の建立」、この事の意味あいの重大さを櫻井さんは教えてくれているのだ。つまり彼女は、今の日本において、最も正しい人、最も頭の良い人なのである。彼女には中国共産党の首謀者たちの悪質極まる企みが明瞭に見えている。私たちは、櫻井さんこそが日本の宝である事を痛切に知らなければならない。もし、文筆・言論を生業とする者にノーベル賞を授与するなら、彼女以外に該当する人間はいないだろう。

今の日本で、彼女以上に素晴らしい女性はいないと言っても過言ではない櫻井さんは、100万人の男も及ばない真の勇気と真の愛国心で、私たちに気づかせてくれている。

彼女のこの論文こそ、本当の警世の書である。

私は「文明のターンテーブル」に、女の21世紀と題した一章を書いた。彼女の様な女性を想定して書いた事は言うまでもない。(この当時、朝日の購読者にして精読者だった私は櫻井さんを知らないに等しかったのは言うまでもないが。)

この稿続く。

 

 


この東アジアの現実は、有史以来、女性も子供も大事にしてきた国である日本の現実では全くない事は言うまでもない

2016年11月07日 11時50分32秒 | 日記

月刊誌正論(780円)12月号には、他にも必読の論文が満載されている。青山学院大学教授福井義高の論文も日本国民全員と世界中の人の必読の書である。

東アジアでは女性が消えている…科学の進歩で広がる選択的中絶

*この東アジアの現実は、有史以来、女性も子供も大事にしてきた国である日本の現実では全くない事は言うまでもない。*

先日の夜に読んだ時には、巻頭にあった枕詞に気づかなかった。

「女わらべとていやしむべからず」北条重時

私の脳裏にはすぐに、正に、この北条重時の言=日本人の態様そのもの、の、

正反対に在る言葉が浮かんだ。「女子と小人は養い難し」、この出典は一体何なのかを検索すれば、案の定、「論語」だった。

福井さんは、この労作の中で、梅棹忠夫を師と仰いでいる学者かもしれないと思わせる重要な事を言っていた。

東アジア(特に中国、韓国)の数値として厳密に現れている実態を、学者ならではの資料の検証を行い、彼は言う。

顔かたちが似ていると言っても、実は、日本は東アジアではないと、正に梅棹忠夫の論を実証したように、最後に書いているのである。

文中強調は私。

前文略

生まれる子供の数が減ったという点では同じでも、日本には、他の東アジア諸国が抱える、女性が少な過ぎるという本当に憂慮すべき人口問題は存在しない。 

中韓台といった「本物」の東アジア文化圏を含め、アジアにおける男性過剰は、今後の世界の政治的安定を揺るがしかねない深刻な問題である

しかし、そこに日本は入っていない。

女児を男児同様に大切にするのは日本の伝統であり、科学技術の進歩や少子化という大きな変化のなかにおいても、出生男女比は自然値のままという点に、地理的な意味での東アジアにおける、日本の「特異性」が如実に表れている。

出生という社会あるいは生き方の根幹における、アジアにおける日本の独自性が示すのは、良きにつけ悪しきにつけ、我が国が(東)アジアの一員ではないということではなかろうか。それは決して悲しむべきことではない。

他のアジア諸国の方から日本に歩み寄るのでない限り、女児も大事にする我が日本は、今後もアジアの孤児でありつづけるべきであろう。

慧眼の士の読者は、彼の見事な論文も、2010年7月に、「文明のターンテーブル」を引っ提げて登場した私の論説の正しさを証明している事にきづくはずだ。

私は島国日本で良いのだ。ガラパゴス日本でいいのだ、と書いて登場したのである。


Sous Bokova, l'UNESCO devient-elle de plus en plus politique et va-t-elle

2016年11月07日 11時20分57秒 | 日記

Ce qui suit est la suite du chapitre précédent.

L'élimination de l'UNESCO et le parti pris
Pour cette raison, en 2009, la nouvelle du secrétaire général de l'UNESCO installation de Bokova a fait de nombreux Bulgares être en colère.
Les médias indépendants ont fait valoir ce qui suit.
En ce qui concerne le succès du transporteur de Bokova, elle dépend en grande partie du communisme qui n'a jamais nié dans la férocité.Il a rappelé au peuple bulgare de la chose.Le principe du communisme, même si le système s'effondre et se déplace vers le socialiste Administration du parti, il a forcé la vie dure dans le peuple bulgare. "
En outre, il a été cynique au sujet de certains commentateur, disant, Bokova est adapté pour le haut de l'élimination de l'UNESCO qui subit l'influence du pays communiste fortement à partir des années 1970.
Sûrement, il dit que ce sont les oiseaux d'un troupeau de plumes ensemble.
Sous Bokova, l'UNESCO devient-elle de plus en plus politique et deviendra-t-elle capable de voir une gestion morbide?

Cet article continue.


Sotto Bokova, non dall'UNESCO diventano sempre

2016年11月07日 11時19分58秒 | 日記

Quanto segue è il sequel del capitolo precedente.

ruberia dell'UNESCO e il bias
Per tale motivo, nel 2009, la notizia del Segretario generale installazione UNESCO di Bokova ha fatto molti bulgari essere arrabbiato.
I mezzi di informazione di proprietà privata ha sottolineato come segue.
"Per quanto riguarda il successo del vettore di Bokova, lei dipende in gran parte il comunismo, che non è mai negare nella ferocia. E ha ricordato il popolo bulgaro della cosa. Il principio del comunismo, anche se il sistema crolla e si sposta verso il socialista amministrazione del partito, è costretto vita dura nelle popolo bulgaro ".
Inoltre, è stato cinico di qualche commentatore, dicendo Bokova è adatto per la parte superiore di rovinare dell'UNESCO che subisce l'influenza del paese comunista fortemente dal 1970.
Sicuramente, si dice che si tratta di uccelli di una piuma gregge insieme.
Sotto Bokova, non dall'UNESCO diventano sempre più politica e l'impresa può essere in grado di vedere una gestione morbosa?

Questo articolo continua.


Bokova, ¿la UNESCO se vuelve cada vez más política y podrá

2016年11月07日 11時19分25秒 | 日記

Lo que sigue es la secuela del capítulo anterior.

El deterioro de la UNESCO y el sesgo
Por esta razón, en 2009, la noticia de la instalación del secretario general de la UNESCO de Bokova hizo que muchos búlgaros estuvieran enojados.
Los medios de comunicación de propiedad independiente señalaron lo siguiente.
"En cuanto al éxito de la portadora de Bokova, ella depende en gran medida del comunismo que nunca ha negado en la ferocidad.Esto recordó al pueblo búlgaro de la cosa.El principio del comunismo, incluso si el sistema colapsa y se desplaza a los socialistas Administración del partido, obligó a la vida dura en el pueblo búlgaro. "
También, fue cínico acerca de algunos comentaristas, diciendo, Bokova es adecuado para la parte superior de la UNESCO de estropear que sufre la influencia del país comunista fuertemente desde la década de 1970.
Seguramente, dice que son las aves de una bandada de plumas juntas.
Bokova, ¿se vuelve cada vez más política la UNESCO y va a ser capaz de ver una gestión mórbida?

Este artículo continúa.


Unter Bokova, wird die UNESCO zunehmend politische Moore

2016年11月07日 11時18分30秒 | 日記

Das Folgende ist die Fortsetzung des vorhergehenden Kapitels.

UNESCO-Verwöhnung und die Bias
Aus diesem Grund, im Jahr 2009, die Nachricht von der UNESCO-Generalsekretär Installation von Bokova machte viele Bulgaren werden wütend.
Die unabhängigen Medien berichteten wie folgt.
"Was den Erfolg der Trägerin von Bokova betrifft, so hängt sie weitgehend von dem Kommunismus ab, der in der Heftigkeit niemals verleugnet hat, und erinnerte das bulgarische Volk an das Ding: Das Prinzip des Kommunismus, auch wenn das System zum Sozialisten zusammenbricht und sich verlagert Partei Verwaltung, es gezwungen hartes Leben in das bulgarische Volk. "
Auch war es zynisch über einige Kommentatoren, sagen, Bokova ist geeignet für die Spitze der UNESCO-Verwöhnung, die den Einfluss des kommunistischen Landes stark von den 1970er Jahren erfährt.
Sicher, es sagt, dass es Vögel von einer Feder-Menge zusammen sind.
Unter Bokova wird die UNESCO zunehmend politischer und wird sie in der Lage sein, ein krankhaftes Management zu sehen?

Dieser Artikel geht weiter.


Sob Bokova, a UNESCO se torna cada vez mais política e vai tornar-se capaz de

2016年11月07日 11時17分58秒 | 日記

O que se segue é a sequela do capítulo anterior.

A deterioração da UNESCO ea tendência
Por essa razão, em 2009, a notícia da instalação do secretário-geral da UNESCO de Bokova fez com que muitos búlgaros ficassem zangados.
Os meios de comunicação independentes destacaram o seguinte.
"Quanto ao sucesso da transportadora de Bokova, ela depende em grande parte do comunismo que nunca tem negado na ferocidade.Ele lembrou o povo búlgaro da coisa.O princípio do comunismo, mesmo se o sistema desmorona e muda para o socialista Administração do partido, forçou a vida dura no povo búlgaro. "
Além disso, foi cínico sobre alguns comentaristas, dizendo: Bokova é adequado para o topo da UNESCO estragar que sofre a influência do país comunista fortemente a partir da década de 1970.
Certamente, diz que é pássaros de um rebanho da pena junto.
Sob Bokova, a UNESCO se torna cada vez mais política e vai tornar-se capaz de ver uma gestão mórbida?

Este artigo continua.


在博科娃,教科文組織變得越來越政治嘲笑,它將成為能夠

2016年11月07日 11時17分30秒 | 日記

以下是前一章的續集。

教科文組織的破壞和偏見
因此,2009年,教科文組織秘書長安裝博科娃的消息使許多保加利亞人生氣。
獨立新聞媒體指出如下。
“至於博科娃的運輸者的成功,她在很大程度上依賴於從來沒有否認在兇猛的共產主義,它提醒了保加利亞人民這個事情。共產主義的原則,即使系統崩潰和轉向社會主義 黨的行政,它強迫人們的生活進入保加利亞人。
此外,對一些評論家來說,這是憤世嫉俗的,說,博科娃適合於教科文組織的破壞,受到共產主義國家的影響,從20世紀70年代強烈。
當然,它說,是羽毛的鳥群在一起。
在博科娃,教科文組織越來越政治化,它會變得能夠看到病態管理嗎?

本文繼續。


在博科娃,教科文组织变得越来越政治嘲笑,它将成为能够

2016年11月07日 11時16分59秒 | 日記

以下是前一章的续集。

教科文组织的破坏和偏见
因此,2009年,教科文组织秘书长安装博科娃的消息使许多保加利亚人感到愤怒。
独立新闻媒体指出如下。
“至于博科娃的运输者的成功,她在很大程度上取决于在凶残中从来没有否认的共产主义,它提醒了保加利亚人民这件事,共产主义的原则,即使系统崩溃和转向社会主义 党的行政,它强迫人们的生活进入保加利亚人。
此外,对一些评论家来说,这是愤世嫉俗的,说,博科娃适合于教科文组织的破坏,受到共产主义国家的影响,从20世纪70年代强烈。
当然,它说,是羽毛的鸟群在一起。
在博科娃,教科文组织越来越政治化,它会变得能够看到病态管理吗?

本文继续。


Bokova에서

2016年11月07日 11時16分30秒 | 日記

다음은 앞 장에서의 속편이다.

유네스코의 망치고 및 바이어스
이러한 이유로, 2009 년, Bokova 유네스코 사무 총장 설치의 소식은 많은 불가리아 인은 화가했다.
다음과 같이 독립적으로 소유 한 언론 매체는 지적했다.
"Bokova의 캐리어의 성공에 관해서는, 그녀가 크게 결코 사나운에 부정하지 않았다 공산주의에 따라 달라집니다. 그것은 일의 불가리아 사람들을 생각 나게했다. 공산주의의 원리를, 시스템이 붕괴하고 사회주의로 이행하는 경우에도 파티 관리, 그것은 불가리아 명으로 하드 생활을 강요했다. "
또한, Bokova는 1970 년대에서 강하게 공산주의 국가의 영향력을 거쳐 유네스코의 망치고의 상단에 적합, 말, 일부 해설자에 대한 냉소적이었다.
확실히, 그것은 깃털의 새들이 함께 무리이라고 말했다.
Bokova에서 유네스코 더 점점 정치가 않고, 그것은 병적 인 관리를 볼 수있게 될 것인가?

이 문서는 계속됩니다.


Под Бокова, делает ЮНЕСКО

2016年11月07日 11時15分58秒 | 日記

Ниже является продолжением предыдущей главе.

порча ЮНЕСКО и предубеждение
По такой причине, в 2009 году известие о генерального секретаря установки ЮНЕСКО Бокова сделал много болгар сердиться.
Независимо друг от друга, принадлежащих СМИ отметили, следующим образом.
"Что касается успеха носителя Бокова, она во многом зависит от коммунизма, который никогда не отказывая в свирепости. Это напомнило болгарский народ вещи. Принцип коммунизма, даже если система разрушается и переходит к социалистическому администрация партии, она вынуждена тяжелую жизнь в болгарского народа ".
Кроме того, он был циничным о какой-то комментатор, говоря, Бокова подходит для верхней части сиротством ЮНЕСКО, которая испытывает влияние коммунистической страны сильно отличается от 1970-х годов.
Конечно же, он говорит, что это птицы перо стадо вместе.
Под Бокова, делает ЮНЕСКО становится все более политическим больше и он станет в состоянии видеть болезненное управление?

Эта статья продолжается.


Sub Bokova, devine din ce în ce politic UNESCO și va moore deveni capabil să

2016年11月07日 11時15分32秒 | 日記

Următoarele este continuarea capitolului precedent.

răsfăț UNESCO și prejudecată
Pentru o astfel de motiv, în anul 2009, vestea instalării secretarului general al UNESCO Bokova a făcut mulți bulgari să fie supărat.
Mass-media de știri deținute în mod independent, a subliniat după cum urmează.
"În ceea ce privește succesul transportatorului de Bokova, ea depinde în mare măsură comunismul care nu a negat în ferocitatea. Ea a reamintit poporului bulgar de lucru. Principiul comunismului, chiar dacă sistemul se prăbușește și deplasarea spre socialist administrare de partid, a forțat viața grea în poporul bulgar. "
De asemenea, era cinic despre un comentator, spunând: Bokova este potrivit pentru partea de sus a irosi UNESCO care suferă influența țării comuniste puternic din 1970.
Cu siguranță, se spune că este o pană de păsări efectiv împreună.
Sub Bokova, devine din ce în ce mai mult politic UNESCO și va deveni capabil de a vedea un management morbidă?

Acest articol continuă.


Pagal Bokova, ar UNESCO tampa vis politinė Moore ir ji tapo galėtų

2016年11月07日 11時15分04秒 | 日記

Toliau yra ankstesniame skyriuje tęsinys.

UNESCO Išskleidimui ir šališkumo
Dėl tokių priežasčių, 2009 metais UNESCO generalinis sekretorius įrengimo Bokova naujienos padarė daug bulgarai būti piktas.
Ne savarankiškai valdomų žiniasklaida nurodė, taip.
"Kalbant apie į Bokova vežėjas sėkmės, ji labai priklauso nuo komunizmo, kuris niekada neigia į žiaurumą. Jis priminė Bulgarijos žmones dalykas. Iš komunizmo principą, net jei sistema žlunga ir pereinama prie socialistų šalis administravimas, tai privertė sunkaus gyvenimo į Bulgarijos žmonių. "
Be to, jis buvo ciniškas apie kai komentatorius, sakydamas Bokova yra tinka sugedimo UNESCO viršuje, kurioje buvo atliktas komunistinio šalies įtaką stipriai nuo 1970-ųjų.
Žinoma, jis sako, kad jis yra paukščių plunksnų pulkas kartu.
Pagal Bokova, ar UNESCO tampa vis politinė daugiau ir ji tampa galima pamatyti liguistą valdymą?

Šis straipsnis tęsiasi.


Under Bokova, adakah UNESCO

2016年11月07日 11時14分34秒 | 日記

Berikut adalah kesudahan bab sebelumnya.

spoiling UNESCO dan berat sebelah
Atas sebab itu, pada tahun 2009, berita UNESCO pemasangan setiausaha agung Bokova membuat banyak Bulgaria marah.
media berita milik bebas-berkata seperti berikut.
"Bagi kejayaan pembawa Bokova, dia bergantung kepada komunisme yang tidak pernah telah menafikan dalam keganasan itu. Ia mengingatkan rakyat Bulgaria perkara itu. Prinsip komunisme, walaupun sistem runtuh dan perubahan ke Sosialis pentadbiran parti, ia terpaksa hidup keras ke dalam rakyat Bulgaria. "
Juga, ia adalah sinis tentang beberapa pengulas, berkata, Bokova sesuai untuk bahagian atas spoiling UNESCO yang mengalami pengaruh negara komunis kuat dari tahun 1970-an.
Sesungguhnya, ia mengatakan bahawa ia adalah burung bulu berduyun-duyun bersama-sama.
Under Bokova, adakah UNESCO menjadi semakin politik yang lebih dan ia akan menjadi mampu untuk melihat pengurusan mengerikan?

Artikel ini berterusan.


युनेस्को

2016年11月07日 11時14分05秒 | 日記

खालील मागील धडा पर्यवसान आहे.

युनेस्कोच्या ते खजील झाले आणि बायस
अशा कारणास्तव, 2009 मध्ये Bokova च्या युनेस्को सरचिटणीस प्रतिष्ठापन बातम्या अनेक Bulgarians रागावणार केले.
खालील प्रमाणे स्वतंत्रपणे मालकीच्या प्रसारमाध्यमांनी निदर्शनास आणून दिले.
"Bokova वाहक यशस्वीतेसाठी म्हणून, ती मुख्यत्वे नाही आखुड मध्ये ते मानत नाहीत आहे कम्युनिस्ट अवलंबून असते. हे गोष्ट बल्गेरियन लोक आठवण करून दिली. कम्युनिस्ट तत्त्व प्रणाली कोसळल्याने आणि समाजवादी करण्यासाठी बदल जरी पक्ष प्रशासन, तो बल्गेरियन लोक हार्ड जीवन भाग पाडले. "
तसेच, तो म्हणाला, Bokova 1970 पासून जोरदार कम्युनिस्ट देशाचा प्रभाव: ख सहन केले जे युनेस्कोच्या ते खजील झाले वरच्या योग्य आहे काही समालोचक बद्दल उपहास होता.
खात्रीने, तो एका माळेचे मणी एकत्र जमणे आहे की म्हणते.
Bokova अंतर्गत, युनेस्को वाढत्या अधिक राजकीय बनले नाही आणि एक रोगग्रस्त व्यवस्थापन पाहण्यासाठी सक्षम होईल?

हा लेख आहे.