以下は前章の続きである。
メディア関係者の“焦り”
阿比留
メディアは「第四の権力」とも言われますが、それに対するメディア側の意識が足りないと思います。
「権力監視をするメディアを誰が監視するのか」。となると、同業者や読者が監視するしかない。
たしかに、ネットによって読者が「監視」するようになりました。
安倍総理も、「以前と違い、ネットがあるから有権者がメディアの報道に惑わされず、政権が持ちこたえられているのだろう」と仰っています。
門田
朝日新聞の崩壊、焦りもインターネットが原因でしょう。
私はインターネット時代を「情報ビッグバン」と表現しているのですが、これまでのような記者やジャーナリストだけでなく、常に情報の受け手だった読者の側も、リアルタイムで情報発信が可能になったんです。
朝日新聞などは、これまで情報を独占してきました。
記者クラブを持っていて、そこで官庁などからの発表を独占し、自分たちの都合のいいような形に加工して、読者である私たちに下げ渡していたんです。
須田
そんなことが長く行われてきたわけですか。
門田
もはや伝統芸ですよ。朝日新聞は自分たちの主義・主張に沿って当事者の発言を捻じ曲げることを平気でやってきたんです。
ところが、ネットの登場でこの状況が大きく変化した。
「加工」に問題があれば、当事者が「事実と異なります」と発信できるようになったし、読者も様々な情報を比較して、「下げ渡された情報は本当なのかどうか」を確認することができるようになった。
要するに、いい加減な嘘を書くことはできなくなった。
朝日新聞の「吉田調書」報道が瓦解したのも、私がまずブログで告発したのが端緒です。
須田
ちょっと私なりのメディア論をさせていただくと、ネットを使っていない人は、特に若い人のなかにはほとんどいないと思うんです。
ニュースを読んでいない、新聞を読んでいないとは言っても、ネットで配信されるニュースには目を通しているはず。
ツイッターやフェイスブックなどのSNSも、ある意味でメディアの一つで、これも多くの人が使っている。
これを通じて何か情報を得ることも多いと思いますが、さすがにツイッターで流れてきたものを全て本当の話だと思う人はいないですよね。
そうすると、ツイッター上の議論も、新聞の御高説も、すべてが同列線上に置かれて読者の判断材料になっている。
もうこれはメディアが溶け始めている、と言っていいんじゃないでしょうか。
新聞と違う雑誌の仕事
門田
私が生業としていた週刊誌で言えば、本来、新聞があれだけおかしな報道をしていたら、『週刊文春』や『週刊新潮』などが現地取材をして、裏を取って、「森友学園問題の真相はこれですよ」と読者に分かりやすく報じなければならなかった。
ところが両誌とも、同じ情報洪水の渦に巻き込まれていただけでなく、不倫告発だのアイドルの恋愛問題などにうつつを抜かしている。
花田さんとの対談本、『「週刊文春」と「週刊新潮」―闘うメディアの全内幕』(PHP新書)でも述べましたが、週刊誌は一体何をやっているんだ、と。
花田
雑誌の役割というのは、大メディアの報道の流れに乗るのではなくて、「それってちょっと違うんじゃないの」「こういう疑問には誰も答えてくれていないよね」ということを提示するのが役割だと思っているんです。
いわば「異議申し立て」するのが仕事というのでしょうか。
須田
そもそも花田さんは、『週刊文春』時代から、朝日新聞には一貫して厳しい立場をとられていましたね。
花田
私は編集者になって今年で50年なのですが、そのうち45年くらい、朝日新聞批判を続けてきていまして、「朝日新聞の天敵」と言われたこともあります。
朝日は最高で800万部の発行部数を持つ大メディアですから、その報道に「本当にそうなの?」と疑問を投げかけるのは雑誌の仕事でもある。
これまでは、いくら批判しても朝日新聞は揺るがなかったのですが、2017年から18年にかけてのモリカケ報道で、私は朝日新聞の「報道」が根底から揺らぎ始めたと感じています。
平成元年にサンゴ事件というのがありました。
沖縄のサンゴに朝日新聞のカメラマンが自分でサンゴに「KY」と刻んで撮影し、「こんなことをする日本人は愚かである」と嘆く記事を書いた。
これが自作自演であることが判明し、当時の社長だった一柳東一郎氏が辞任。
平成は31年で終わりますが、モリカケ虚報で朝日の渡辺社長が辞任すれば、平成の始まりと終わりの年に、朝日新聞の社長が辞任することになります。
「モリカケ」報道は、まさに”戦後最大級の報道犯罪”であり、朝日の上層部が責任を負うべき重大な問題ではないかと思います。