文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

彼は2年の後半は大学に来ていなかったので、誰もいなくなったことに気づかなかったくらいです。一人寂しくロンドンに旅立ったわけです

2018年04月22日 12時44分00秒 | 日記

田原総一朗と小泉純一郎について話をした友人が早速、小泉についてウィキペディアで検索し、以下の脚注を発見して、教えてくれたのである。

^ 慶應で同級だった学者の栗本慎一郎によれば「みんなから浮いているのではなくて、沈んでいるんです。友人から無視されるような存在でした。精神的な病気でおかしくなって、おそらく、高校時代も同じでしょう。その社会性の欠如とそこから来る孤独感が彼の奇矯な政治行動の原点だと思います。彼とは2年間、同じクラスでした。というのも、彼は単位が足りなくて3年に上がれず、精神がおかしくなり、事件を起こし逮捕歴があり、そのままロンドンにほとぼりが冷めるまで、遊びに留学したからです。もっとも、私らは誰も気づきませんでした。クラス委員の私にも届けがなかったし、彼は2年の後半は大学に来ていなかったので、誰もいなくなったことに気づかなかったくらいです。一人寂しくロンドンに旅立ったわけです。」という[2]

私は日本でも有数の米国映画の鑑賞者だった頃、頭部に工作機関の命令通りに動くチップを組み込まれた政治家が大統領になりかかる、という映画を観た事がある。

小泉純一郎については、こうして書き出して間もない頃、橋本龍太郎が自民党内で圧倒的に強い政治家だった時、誰も対抗馬がいないのも具合が悪い、そんな態様で自民党総裁選挙に立候補し、橋本とテレビ討論しているのを見て、何と言う異様な政治屋だろうかと思った事を書いた。

とにかく、郵政民営化、それ一点張りで、料簡の狭い思考にそっくりの知性が疑われる表情で繰り返していたからである。

若宮好文しかり、何事か工作機関と関係した可能性が高い者たちは全て異様な表情をしているのである。

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そのままロンドンにほとぼりが冷めるまで、遊びに留学したからです。もっとも、私らは誰も気づきませんでした。

2018年04月22日 12時42分10秒 | 日記

田原総一朗と小泉純一郎について話をした友人が早速、小泉についてウィキペディアで検索し、以下の脚注を発見して、教えてくれたのである。

^ 慶應で同級だった学者の栗本慎一郎によれば「みんなから浮いているのではなくて、沈んでいるんです。友人から無視されるような存在でした。精神的な病気でおかしくなって、おそらく、高校時代も同じでしょう。その社会性の欠如とそこから来る孤独感が彼の奇矯な政治行動の原点だと思います。彼とは2年間、同じクラスでした。というのも、彼は単位が足りなくて3年に上がれず、精神がおかしくなり、事件を起こし逮捕歴があり、そのままロンドンにほとぼりが冷めるまで、遊びに留学したからです。もっとも、私らは誰も気づきませんでした。クラス委員の私にも届けがなかったし、彼は2年の後半は大学に来ていなかったので、誰もいなくなったことに気づかなかったくらいです。一人寂しくロンドンに旅立ったわけです。」という[2]

私は日本でも有数の米国映画の鑑賞者だった頃、頭部に工作機関の命令通りに動くチップを組み込まれた政治家が大統領になりかかる、という映画を観た事がある。

小泉純一郎については、こうして書き出して間もない頃、橋本龍太郎が自民党内で圧倒的に強い政治家だった時、誰も対抗馬がいないのも具合が悪い、そんな態様で自民党総裁選挙に立候補し、橋本とテレビ討論しているのを見て、何と言う異様な政治屋だろうかと思った事を書いた。

とにかく、郵政民営化、それ一点張りで、料簡の狭い思考にそっくりの知性が疑われる表情で繰り返していたからである。

若宮好文しかり、何事か工作機関と関係した可能性が高い者たちは全て異様な表情をしているのである。

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その社会性の欠如とそこから来る孤独感が彼の奇矯な政治行動の原点だと思います。彼とは2年間、同じクラスでした。

2018年04月22日 12時40分55秒 | 日記

田原総一朗と小泉純一郎について話をした友人が早速、小泉についてウィキペディアで検索し、以下の脚注を発見して、教えてくれたのである。

^ 慶應で同級だった学者の栗本慎一郎によれば「みんなから浮いているのではなくて、沈んでいるんです。友人から無視されるような存在でした。精神的な病気でおかしくなって、おそらく、高校時代も同じでしょう。その社会性の欠如とそこから来る孤独感が彼の奇矯な政治行動の原点だと思います。彼とは2年間、同じクラスでした。というのも、彼は単位が足りなくて3年に上がれず、精神がおかしくなり、事件を起こし逮捕歴があり、そのままロンドンにほとぼりが冷めるまで、遊びに留学したからです。もっとも、私らは誰も気づきませんでした。クラス委員の私にも届けがなかったし、彼は2年の後半は大学に来ていなかったので、誰もいなくなったことに気づかなかったくらいです。一人寂しくロンドンに旅立ったわけです。」という[2]

私は日本でも有数の米国映画の鑑賞者だった頃、頭部に工作機関の命令通りに動くチップを組み込まれた政治家が大統領になりかかる、という映画を観た事がある。

小泉純一郎については、こうして書き出して間もない頃、橋本龍太郎が自民党内で圧倒的に強い政治家だった時、誰も対抗馬がいないのも具合が悪い、そんな態様で自民党総裁選挙に立候補し、橋本とテレビ討論しているのを見て、何と言う異様な政治屋だろうかと思った事を書いた。

とにかく、郵政民営化、それ一点張りで、料簡の狭い思考にそっくりの知性が疑われる表情で繰り返していたからである。

若宮好文しかり、何事か工作機関と関係した可能性が高い者たちは全て異様な表情をしているのである。

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慶應で同級だった学者の栗本慎一郎によれば「みんなから浮いているのではなくて、沈んでいるんです。友人から無視されるような存在でした

2018年04月22日 12時39分03秒 | 日記

田原総一朗と小泉純一郎について話をした友人が早速、小泉についてウィキペディアで検索し、以下の脚注を発見して、教えてくれたのである。

^ 慶應で同級だった学者の栗本慎一郎によれば「みんなから浮いているのではなくて、沈んでいるんです。友人から無視されるような存在でした。精神的な病気でおかしくなって、おそらく、高校時代も同じでしょう。その社会性の欠如とそこから来る孤独感が彼の奇矯な政治行動の原点だと思います。彼とは2年間、同じクラスでした。というのも、彼は単位が足りなくて3年に上がれず、精神がおかしくなり、事件を起こし逮捕歴があり、そのままロンドンにほとぼりが冷めるまで、遊びに留学したからです。もっとも、私らは誰も気づきませんでした。クラス委員の私にも届けがなかったし、彼は2年の後半は大学に来ていなかったので、誰もいなくなったことに気づかなかったくらいです。一人寂しくロンドンに旅立ったわけです。」という[2]

私は日本でも有数の米国映画の鑑賞者だった頃、頭部に工作機関の命令通りに動くチップを組み込まれた政治家が大統領になりかかる、という映画を観た事がある。

小泉純一郎については、こうして書き出して間もない頃、橋本龍太郎が自民党内で圧倒的に強い政治家だった時、誰も対抗馬がいないのも具合が悪い、そんな態様で自民党総裁選挙に立候補し、橋本とテレビ討論しているのを見て、何と言う異様な政治屋だろうかと思った事を書いた。

とにかく、郵政民営化、それ一点張りで、料簡の狭い思考にそっくりの知性が疑われる表情で繰り返していたからである。

若宮好文しかり、何事か工作機関と関係した可能性が高い者たちは全て異様な表情をしているのである。

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朝日新聞の論調が悪いと言っているのではなくて、嘘つきが毎日、600万部の新聞を売って平気な顔をしている―社会でそんなことが

2018年04月22日 12時20分51秒 | 日記

以下は前章の続きである。

人を騙す新聞はいらない

阿比留 

私は朝日新聞を、もうほとんど反社会勢力に近いものがあると思っているんです。

「世の中に仇なすもの」と言えばいいのでしょうか。 

歴史を振り返ってください。

戦前は日本を戦争に無理矢理引っ張っていった。

その後、反省することもなく、戦後は中国の文化大革命を礼賛し、カンボジアのポル・ポト政権を褒め称え、北朝鮮を「地上の楽園」と持て囃した。

すべて嘘でした。 

挙句に従軍慰安婦問題を捏造し、南京大虐殺の嘘を広めたのも朝日新聞。

靖國問題を国際問題化したのも朝日です。

こんな新聞、日本に必要ですか? 

私は、朝日新聞の記者の人が「朝日でござい」と名乗っているのを見ると、恥ずかしくないのかなと思ってしまうほどです。

小川 

「嘘をついて人を騙す」という存在は、敵役としても存在すべきではない。

単なる社会の迷惑に過ぎない。

朝日新聞の論調が悪いと言っているのではなくて、嘘つきが毎日、600万部の新聞を売って平気な顔をしている―社会でそんなことが許されていいわけがない。

「朝日新聞批判」というのはつまるところ、「嘘をついて人を騙す新聞があってはならない」と言っているまでのことなのです。

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「嘘をついて人を騙す」という存在は、敵役としても存在すべきではない。単なる社会の迷惑に過ぎない

2018年04月22日 12時18分01秒 | 日記

以下は前章の続きである。

人を騙す新聞はいらない

阿比留 

私は朝日新聞を、もうほとんど反社会勢力に近いものがあると思っているんです。

「世の中に仇なすもの」と言えばいいのでしょうか。 

歴史を振り返ってください。

戦前は日本を戦争に無理矢理引っ張っていった。

その後、反省することもなく、戦後は中国の文化大革命を礼賛し、カンボジアのポル・ポト政権を褒め称え、北朝鮮を「地上の楽園」と持て囃した。

すべて嘘でした。 

挙句に従軍慰安婦問題を捏造し、南京大虐殺の嘘を広めたのも朝日新聞。

靖國問題を国際問題化したのも朝日です。

こんな新聞、日本に必要ですか? 

私は、朝日新聞の記者の人が「朝日でござい」と名乗っているのを見ると、恥ずかしくないのかなと思ってしまうほどです。

小川 

「嘘をついて人を騙す」という存在は、敵役としても存在すべきではない。

単なる社会の迷惑に過ぎない。

朝日新聞の論調が悪いと言っているのではなくて、嘘つきが毎日、600万部の新聞を売って平気な顔をしている―社会でそんなことが許されていいわけがない。

「朝日新聞批判」というのはつまるところ、「嘘をついて人を騙す新聞があってはならない」と言っているまでのことなのです。

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私は、朝日新聞の記者の人が「朝日でござい」と名乗っているのを見ると、恥ずかしくないのかなと思ってしまうほどです。

2018年04月22日 12時16分54秒 | 日記

以下は前章の続きである。

人を騙す新聞はいらない

阿比留 

私は朝日新聞を、もうほとんど反社会勢力に近いものがあると思っているんです。

「世の中に仇なすもの」と言えばいいのでしょうか。 

歴史を振り返ってください。

戦前は日本を戦争に無理矢理引っ張っていった。

その後、反省することもなく、戦後は中国の文化大革命を礼賛し、カンボジアのポル・ポト政権を褒め称え、北朝鮮を「地上の楽園」と持て囃した。

すべて嘘でした。 

挙句に従軍慰安婦問題を捏造し、南京大虐殺の嘘を広めたのも朝日新聞。

靖國問題を国際問題化したのも朝日です。

こんな新聞、日本に必要ですか? 

私は、朝日新聞の記者の人が「朝日でござい」と名乗っているのを見ると、恥ずかしくないのかなと思ってしまうほどです。

小川 

「嘘をついて人を騙す」という存在は、敵役としても存在すべきではない。

単なる社会の迷惑に過ぎない。

朝日新聞の論調が悪いと言っているのではなくて、嘘つきが毎日、600万部の新聞を売って平気な顔をしている―社会でそんなことが許されていいわけがない。

「朝日新聞批判」というのはつまるところ、「嘘をついて人を騙す新聞があってはならない」と言っているまでのことなのです。

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その後、反省することもなく、戦後は中国の文化大革命を礼賛し、カンボジアのポル・ポト政権を褒め称え、北朝鮮を「地上の楽園」と持て囃した

2018年04月22日 12時15分57秒 | 日記

以下は前章の続きである。

人を騙す新聞はいらない

阿比留 

私は朝日新聞を、もうほとんど反社会勢力に近いものがあると思っているんです。

「世の中に仇なすもの」と言えばいいのでしょうか。 

歴史を振り返ってください。

戦前は日本を戦争に無理矢理引っ張っていった。

その後、反省することもなく、戦後は中国の文化大革命を礼賛し、カンボジアのポル・ポト政権を褒め称え、北朝鮮を「地上の楽園」と持て囃した。

すべて嘘でした。 

挙句に従軍慰安婦問題を捏造し、南京大虐殺の嘘を広めたのも朝日新聞。

靖國問題を国際問題化したのも朝日です。

こんな新聞、日本に必要ですか? 

私は、朝日新聞の記者の人が「朝日でござい」と名乗っているのを見ると、恥ずかしくないのかなと思ってしまうほどです。

小川 

「嘘をついて人を騙す」という存在は、敵役としても存在すべきではない。

単なる社会の迷惑に過ぎない。

朝日新聞の論調が悪いと言っているのではなくて、嘘つきが毎日、600万部の新聞を売って平気な顔をしている―社会でそんなことが許されていいわけがない。

「朝日新聞批判」というのはつまるところ、「嘘をついて人を騙す新聞があってはならない」と言っているまでのことなのです。

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人を騙す新聞はいらない 私は朝日新聞を、もうほとんど反社会勢力に近いものがあると思っているんです

2018年04月22日 12時14分44秒 | 日記

以下は前章の続きである。

人を騙す新聞はいらない

阿比留 

私は朝日新聞を、もうほとんど反社会勢力に近いものがあると思っているんです。

「世の中に仇なすもの」と言えばいいのでしょうか。 

歴史を振り返ってください。

戦前は日本を戦争に無理矢理引っ張っていった。

その後、反省することもなく、戦後は中国の文化大革命を礼賛し、カンボジアのポル・ポト政権を褒め称え、北朝鮮を「地上の楽園」と持て囃した。

すべて嘘でした。 

挙句に従軍慰安婦問題を捏造し、南京大虐殺の嘘を広めたのも朝日新聞。

靖國問題を国際問題化したのも朝日です。

こんな新聞、日本に必要ですか? 

私は、朝日新聞の記者の人が「朝日でござい」と名乗っているのを見ると、恥ずかしくないのかなと思ってしまうほどです。

小川 

「嘘をついて人を騙す」という存在は、敵役としても存在すべきではない。

単なる社会の迷惑に過ぎない。

朝日新聞の論調が悪いと言っているのではなくて、嘘つきが毎日、600万部の新聞を売って平気な顔をしている―社会でそんなことが許されていいわけがない。

「朝日新聞批判」というのはつまるところ、「嘘をついて人を騙す新聞があってはならない」と言っているまでのことなのです。

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平成は31年で終わりますが、モリカケ虚報で朝日の渡辺社長が辞任すれば、平成の始まりと終わりの年に、朝日新聞の社長が辞任することに

2018年04月22日 12時12分40秒 | 日記

以下は前章の続きである。

メディア関係者の“焦り”

阿比留 

メディアは「第四の権力」とも言われますが、それに対するメディア側の意識が足りないと思います。

「権力監視をするメディアを誰が監視するのか」。となると、同業者や読者が監視するしかない。

たしかに、ネットによって読者が「監視」するようになりました。

安倍総理も、「以前と違い、ネットがあるから有権者がメディアの報道に惑わされず、政権が持ちこたえられているのだろう」と仰っています。

門田 

朝日新聞の崩壊、焦りもインターネットが原因でしょう。

私はインターネット時代を「情報ビッグバン」と表現しているのですが、これまでのような記者やジャーナリストだけでなく、常に情報の受け手だった読者の側も、リアルタイムで情報発信が可能になったんです。 

朝日新聞などは、これまで情報を独占してきました。

記者クラブを持っていて、そこで官庁などからの発表を独占し、自分たちの都合のいいような形に加工して、読者である私たちに下げ渡していたんです。

須田 

そんなことが長く行われてきたわけですか。

門田 

もはや伝統芸ですよ。朝日新聞は自分たちの主義・主張に沿って当事者の発言を捻じ曲げることを平気でやってきたんです。 

ところが、ネットの登場でこの状況が大きく変化した。

「加工」に問題があれば、当事者が「事実と異なります」と発信できるようになったし、読者も様々な情報を比較して、「下げ渡された情報は本当なのかどうか」を確認することができるようになった。

要するに、いい加減な嘘を書くことはできなくなった。

朝日新聞の「吉田調書」報道が瓦解したのも、私がまずブログで告発したのが端緒です。

須田 

ちょっと私なりのメディア論をさせていただくと、ネットを使っていない人は、特に若い人のなかにはほとんどいないと思うんです。

ニュースを読んでいない、新聞を読んでいないとは言っても、ネットで配信されるニュースには目を通しているはず。 

ツイッターやフェイスブックなどのSNSも、ある意味でメディアの一つで、これも多くの人が使っている。

これを通じて何か情報を得ることも多いと思いますが、さすがにツイッターで流れてきたものを全て本当の話だと思う人はいないですよね。

そうすると、ツイッター上の議論も、新聞の御高説も、すべてが同列線上に置かれて読者の判断材料になっている。

もうこれはメディアが溶け始めている、と言っていいんじゃないでしょうか。

新聞と違う雑誌の仕事

門田 

私が生業としていた週刊誌で言えば、本来、新聞があれだけおかしな報道をしていたら、『週刊文春』や『週刊新潮』などが現地取材をして、裏を取って、「森友学園問題の真相はこれですよ」と読者に分かりやすく報じなければならなかった。

ところが両誌とも、同じ情報洪水の渦に巻き込まれていただけでなく、不倫告発だのアイドルの恋愛問題などにうつつを抜かしている。

花田さんとの対談本、『「週刊文春」と「週刊新潮」―闘うメディアの全内幕』(PHP新書)でも述べましたが、週刊誌は一体何をやっているんだ、と。

花田 

雑誌の役割というのは、大メディアの報道の流れに乗るのではなくて、「それってちょっと違うんじゃないの」「こういう疑問には誰も答えてくれていないよね」ということを提示するのが役割だと思っているんです。

いわば「異議申し立て」するのが仕事というのでしょうか。

須田 

そもそも花田さんは、『週刊文春』時代から、朝日新聞には一貫して厳しい立場をとられていましたね。

花田 

私は編集者になって今年で50年なのですが、そのうち45年くらい、朝日新聞批判を続けてきていまして、「朝日新聞の天敵」と言われたこともあります。

朝日は最高で800万部の発行部数を持つ大メディアですから、その報道に「本当にそうなの?」と疑問を投げかけるのは雑誌の仕事でもある。 

これまでは、いくら批判しても朝日新聞は揺るがなかったのですが、2017年から18年にかけてのモリカケ報道で、私は朝日新聞の「報道」が根底から揺らぎ始めたと感じています。 

平成元年にサンゴ事件というのがありました。

沖縄のサンゴに朝日新聞のカメラマンが自分でサンゴに「KY」と刻んで撮影し、「こんなことをする日本人は愚かである」と嘆く記事を書いた。

これが自作自演であることが判明し、当時の社長だった一柳東一郎氏が辞任。

平成は31年で終わりますが、モリカケ虚報で朝日の渡辺社長が辞任すれば、平成の始まりと終わりの年に、朝日新聞の社長が辞任することになります。 

「モリカケ」報道は、まさに”戦後最大級の報道犯罪”であり、朝日の上層部が責任を負うべき重大な問題ではないかと思います。

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沖縄のサンゴに朝日新聞のカメラマンが自分でサンゴに「KY」と刻んで撮影し、「こんなことをする日本人は愚かである」と嘆く記事を書いた

2018年04月22日 12時11分23秒 | 日記

以下は前章の続きである。

メディア関係者の“焦り”

阿比留 

メディアは「第四の権力」とも言われますが、それに対するメディア側の意識が足りないと思います。

「権力監視をするメディアを誰が監視するのか」。となると、同業者や読者が監視するしかない。

たしかに、ネットによって読者が「監視」するようになりました。

安倍総理も、「以前と違い、ネットがあるから有権者がメディアの報道に惑わされず、政権が持ちこたえられているのだろう」と仰っています。

門田 

朝日新聞の崩壊、焦りもインターネットが原因でしょう。

私はインターネット時代を「情報ビッグバン」と表現しているのですが、これまでのような記者やジャーナリストだけでなく、常に情報の受け手だった読者の側も、リアルタイムで情報発信が可能になったんです。 

朝日新聞などは、これまで情報を独占してきました。

記者クラブを持っていて、そこで官庁などからの発表を独占し、自分たちの都合のいいような形に加工して、読者である私たちに下げ渡していたんです。

須田 

そんなことが長く行われてきたわけですか。

門田 

もはや伝統芸ですよ。朝日新聞は自分たちの主義・主張に沿って当事者の発言を捻じ曲げることを平気でやってきたんです。 

ところが、ネットの登場でこの状況が大きく変化した。

「加工」に問題があれば、当事者が「事実と異なります」と発信できるようになったし、読者も様々な情報を比較して、「下げ渡された情報は本当なのかどうか」を確認することができるようになった。

要するに、いい加減な嘘を書くことはできなくなった。

朝日新聞の「吉田調書」報道が瓦解したのも、私がまずブログで告発したのが端緒です。

須田 

ちょっと私なりのメディア論をさせていただくと、ネットを使っていない人は、特に若い人のなかにはほとんどいないと思うんです。

ニュースを読んでいない、新聞を読んでいないとは言っても、ネットで配信されるニュースには目を通しているはず。 

ツイッターやフェイスブックなどのSNSも、ある意味でメディアの一つで、これも多くの人が使っている。

これを通じて何か情報を得ることも多いと思いますが、さすがにツイッターで流れてきたものを全て本当の話だと思う人はいないですよね。

そうすると、ツイッター上の議論も、新聞の御高説も、すべてが同列線上に置かれて読者の判断材料になっている。

もうこれはメディアが溶け始めている、と言っていいんじゃないでしょうか。

新聞と違う雑誌の仕事

門田 

私が生業としていた週刊誌で言えば、本来、新聞があれだけおかしな報道をしていたら、『週刊文春』や『週刊新潮』などが現地取材をして、裏を取って、「森友学園問題の真相はこれですよ」と読者に分かりやすく報じなければならなかった。

ところが両誌とも、同じ情報洪水の渦に巻き込まれていただけでなく、不倫告発だのアイドルの恋愛問題などにうつつを抜かしている。

花田さんとの対談本、『「週刊文春」と「週刊新潮」―闘うメディアの全内幕』(PHP新書)でも述べましたが、週刊誌は一体何をやっているんだ、と。

花田 

雑誌の役割というのは、大メディアの報道の流れに乗るのではなくて、「それってちょっと違うんじゃないの」「こういう疑問には誰も答えてくれていないよね」ということを提示するのが役割だと思っているんです。

いわば「異議申し立て」するのが仕事というのでしょうか。

須田 

そもそも花田さんは、『週刊文春』時代から、朝日新聞には一貫して厳しい立場をとられていましたね。

花田 

私は編集者になって今年で50年なのですが、そのうち45年くらい、朝日新聞批判を続けてきていまして、「朝日新聞の天敵」と言われたこともあります。

朝日は最高で800万部の発行部数を持つ大メディアですから、その報道に「本当にそうなの?」と疑問を投げかけるのは雑誌の仕事でもある。 

これまでは、いくら批判しても朝日新聞は揺るがなかったのですが、2017年から18年にかけてのモリカケ報道で、私は朝日新聞の「報道」が根底から揺らぎ始めたと感じています。 

平成元年にサンゴ事件というのがありました。

沖縄のサンゴに朝日新聞のカメラマンが自分でサンゴに「KY」と刻んで撮影し、「こんなことをする日本人は愚かである」と嘆く記事を書いた。

これが自作自演であることが判明し、当時の社長だった一柳東一郎氏が辞任。

平成は31年で終わりますが、モリカケ虚報で朝日の渡辺社長が辞任すれば、平成の始まりと終わりの年に、朝日新聞の社長が辞任することになります。 

「モリカケ」報道は、まさに”戦後最大級の報道犯罪”であり、朝日の上層部が責任を負うべき重大な問題ではないかと思います。

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朝日は最高で800万部の発行部数を持つ大メディアですから、その報道に「本当にそうなの?」と疑問を投げかけるのは雑誌の仕事でもある

2018年04月22日 12時09分27秒 | 日記

以下は前章の続きである。

メディア関係者の“焦り”

阿比留 

メディアは「第四の権力」とも言われますが、それに対するメディア側の意識が足りないと思います。

「権力監視をするメディアを誰が監視するのか」。となると、同業者や読者が監視するしかない。

たしかに、ネットによって読者が「監視」するようになりました。

安倍総理も、「以前と違い、ネットがあるから有権者がメディアの報道に惑わされず、政権が持ちこたえられているのだろう」と仰っています。

門田 

朝日新聞の崩壊、焦りもインターネットが原因でしょう。

私はインターネット時代を「情報ビッグバン」と表現しているのですが、これまでのような記者やジャーナリストだけでなく、常に情報の受け手だった読者の側も、リアルタイムで情報発信が可能になったんです。 

朝日新聞などは、これまで情報を独占してきました。

記者クラブを持っていて、そこで官庁などからの発表を独占し、自分たちの都合のいいような形に加工して、読者である私たちに下げ渡していたんです。

須田 

そんなことが長く行われてきたわけですか。

門田 

もはや伝統芸ですよ。朝日新聞は自分たちの主義・主張に沿って当事者の発言を捻じ曲げることを平気でやってきたんです。 

ところが、ネットの登場でこの状況が大きく変化した。

「加工」に問題があれば、当事者が「事実と異なります」と発信できるようになったし、読者も様々な情報を比較して、「下げ渡された情報は本当なのかどうか」を確認することができるようになった。

要するに、いい加減な嘘を書くことはできなくなった。

朝日新聞の「吉田調書」報道が瓦解したのも、私がまずブログで告発したのが端緒です。

須田 

ちょっと私なりのメディア論をさせていただくと、ネットを使っていない人は、特に若い人のなかにはほとんどいないと思うんです。

ニュースを読んでいない、新聞を読んでいないとは言っても、ネットで配信されるニュースには目を通しているはず。 

ツイッターやフェイスブックなどのSNSも、ある意味でメディアの一つで、これも多くの人が使っている。

これを通じて何か情報を得ることも多いと思いますが、さすがにツイッターで流れてきたものを全て本当の話だと思う人はいないですよね。

そうすると、ツイッター上の議論も、新聞の御高説も、すべてが同列線上に置かれて読者の判断材料になっている。

もうこれはメディアが溶け始めている、と言っていいんじゃないでしょうか。

新聞と違う雑誌の仕事

門田 

私が生業としていた週刊誌で言えば、本来、新聞があれだけおかしな報道をしていたら、『週刊文春』や『週刊新潮』などが現地取材をして、裏を取って、「森友学園問題の真相はこれですよ」と読者に分かりやすく報じなければならなかった。

ところが両誌とも、同じ情報洪水の渦に巻き込まれていただけでなく、不倫告発だのアイドルの恋愛問題などにうつつを抜かしている。

花田さんとの対談本、『「週刊文春」と「週刊新潮」―闘うメディアの全内幕』(PHP新書)でも述べましたが、週刊誌は一体何をやっているんだ、と。

花田 

雑誌の役割というのは、大メディアの報道の流れに乗るのではなくて、「それってちょっと違うんじゃないの」「こういう疑問には誰も答えてくれていないよね」ということを提示するのが役割だと思っているんです。

いわば「異議申し立て」するのが仕事というのでしょうか。

須田 

そもそも花田さんは、『週刊文春』時代から、朝日新聞には一貫して厳しい立場をとられていましたね。

花田 

私は編集者になって今年で50年なのですが、そのうち45年くらい、朝日新聞批判を続けてきていまして、「朝日新聞の天敵」と言われたこともあります。

朝日は最高で800万部の発行部数を持つ大メディアですから、その報道に「本当にそうなの?」と疑問を投げかけるのは雑誌の仕事でもある。 

これまでは、いくら批判しても朝日新聞は揺るがなかったのですが、2017年から18年にかけてのモリカケ報道で、私は朝日新聞の「報道」が根底から揺らぎ始めたと感じています。 

平成元年にサンゴ事件というのがありました。

沖縄のサンゴに朝日新聞のカメラマンが自分でサンゴに「KY」と刻んで撮影し、「こんなことをする日本人は愚かである」と嘆く記事を書いた。

これが自作自演であることが判明し、当時の社長だった一柳東一郎氏が辞任。

平成は31年で終わりますが、モリカケ虚報で朝日の渡辺社長が辞任すれば、平成の始まりと終わりの年に、朝日新聞の社長が辞任することになります。 

「モリカケ」報道は、まさに”戦後最大級の報道犯罪”であり、朝日の上層部が責任を負うべき重大な問題ではないかと思います。

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私は編集者になって今年で50年なのですが、そのうち45年くらい、朝日新聞批判を続けてきていまして、「朝日新聞の天敵」と言われたことも

2018年04月22日 11時18分30秒 | 日記

以下は前章の続きである。

メディア関係者の“焦り”

阿比留 

メディアは「第四の権力」とも言われますが、それに対するメディア側の意識が足りないと思います。

「権力監視をするメディアを誰が監視するのか」。となると、同業者や読者が監視するしかない。

たしかに、ネットによって読者が「監視」するようになりました。

安倍総理も、「以前と違い、ネットがあるから有権者がメディアの報道に惑わされず、政権が持ちこたえられているのだろう」と仰っています。

門田 

朝日新聞の崩壊、焦りもインターネットが原因でしょう。

私はインターネット時代を「情報ビッグバン」と表現しているのですが、これまでのような記者やジャーナリストだけでなく、常に情報の受け手だった読者の側も、リアルタイムで情報発信が可能になったんです。 

朝日新聞などは、これまで情報を独占してきました。

記者クラブを持っていて、そこで官庁などからの発表を独占し、自分たちの都合のいいような形に加工して、読者である私たちに下げ渡していたんです。

須田 

そんなことが長く行われてきたわけですか。

門田 

もはや伝統芸ですよ。朝日新聞は自分たちの主義・主張に沿って当事者の発言を捻じ曲げることを平気でやってきたんです。 

ところが、ネットの登場でこの状況が大きく変化した。

「加工」に問題があれば、当事者が「事実と異なります」と発信できるようになったし、読者も様々な情報を比較して、「下げ渡された情報は本当なのかどうか」を確認することができるようになった。

要するに、いい加減な嘘を書くことはできなくなった。

朝日新聞の「吉田調書」報道が瓦解したのも、私がまずブログで告発したのが端緒です。

須田 

ちょっと私なりのメディア論をさせていただくと、ネットを使っていない人は、特に若い人のなかにはほとんどいないと思うんです。

ニュースを読んでいない、新聞を読んでいないとは言っても、ネットで配信されるニュースには目を通しているはず。 

ツイッターやフェイスブックなどのSNSも、ある意味でメディアの一つで、これも多くの人が使っている。

これを通じて何か情報を得ることも多いと思いますが、さすがにツイッターで流れてきたものを全て本当の話だと思う人はいないですよね。

そうすると、ツイッター上の議論も、新聞の御高説も、すべてが同列線上に置かれて読者の判断材料になっている。

もうこれはメディアが溶け始めている、と言っていいんじゃないでしょうか。

新聞と違う雑誌の仕事

門田 

私が生業としていた週刊誌で言えば、本来、新聞があれだけおかしな報道をしていたら、『週刊文春』や『週刊新潮』などが現地取材をして、裏を取って、「森友学園問題の真相はこれですよ」と読者に分かりやすく報じなければならなかった。

ところが両誌とも、同じ情報洪水の渦に巻き込まれていただけでなく、不倫告発だのアイドルの恋愛問題などにうつつを抜かしている。

花田さんとの対談本、『「週刊文春」と「週刊新潮」―闘うメディアの全内幕』(PHP新書)でも述べましたが、週刊誌は一体何をやっているんだ、と。

花田 

雑誌の役割というのは、大メディアの報道の流れに乗るのではなくて、「それってちょっと違うんじゃないの」「こういう疑問には誰も答えてくれていないよね」ということを提示するのが役割だと思っているんです。

いわば「異議申し立て」するのが仕事というのでしょうか。

須田 

そもそも花田さんは、『週刊文春』時代から、朝日新聞には一貫して厳しい立場をとられていましたね。

花田 

私は編集者になって今年で50年なのですが、そのうち45年くらい、朝日新聞批判を続けてきていまして、「朝日新聞の天敵」と言われたこともあります。

朝日は最高で800万部の発行部数を持つ大メディアですから、その報道に「本当にそうなの?」と疑問を投げかけるのは雑誌の仕事でもある。 

これまでは、いくら批判しても朝日新聞は揺るがなかったのですが、2017年から18年にかけてのモリカケ報道で、私は朝日新聞の「報道」が根底から揺らぎ始めたと感じています。 

平成元年にサンゴ事件というのがありました。

沖縄のサンゴに朝日新聞のカメラマンが自分でサンゴに「KY」と刻んで撮影し、「こんなことをする日本人は愚かである」と嘆く記事を書いた。

これが自作自演であることが判明し、当時の社長だった一柳東一郎氏が辞任。

平成は31年で終わりますが、モリカケ虚報で朝日の渡辺社長が辞任すれば、平成の始まりと終わりの年に、朝日新聞の社長が辞任することになります。 

「モリカケ」報道は、まさに”戦後最大級の報道犯罪”であり、朝日の上層部が責任を負うべき重大な問題ではないかと思います。

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雑誌の役割というのは、大メディアの報道の流れに乗るのではなくて、「それってちょっと違うんじゃないの」「こういう疑問には誰も答えてくれていない

2018年04月22日 11時17分05秒 | 日記

以下は前章の続きである。

メディア関係者の“焦り”

阿比留 

メディアは「第四の権力」とも言われますが、それに対するメディア側の意識が足りないと思います。

「権力監視をするメディアを誰が監視するのか」。となると、同業者や読者が監視するしかない。

たしかに、ネットによって読者が「監視」するようになりました。

安倍総理も、「以前と違い、ネットがあるから有権者がメディアの報道に惑わされず、政権が持ちこたえられているのだろう」と仰っています。

門田 

朝日新聞の崩壊、焦りもインターネットが原因でしょう。

私はインターネット時代を「情報ビッグバン」と表現しているのですが、これまでのような記者やジャーナリストだけでなく、常に情報の受け手だった読者の側も、リアルタイムで情報発信が可能になったんです。 

朝日新聞などは、これまで情報を独占してきました。

記者クラブを持っていて、そこで官庁などからの発表を独占し、自分たちの都合のいいような形に加工して、読者である私たちに下げ渡していたんです。

須田 

そんなことが長く行われてきたわけですか。

門田 

もはや伝統芸ですよ。朝日新聞は自分たちの主義・主張に沿って当事者の発言を捻じ曲げることを平気でやってきたんです。 

ところが、ネットの登場でこの状況が大きく変化した。

「加工」に問題があれば、当事者が「事実と異なります」と発信できるようになったし、読者も様々な情報を比較して、「下げ渡された情報は本当なのかどうか」を確認することができるようになった。

要するに、いい加減な嘘を書くことはできなくなった。

朝日新聞の「吉田調書」報道が瓦解したのも、私がまずブログで告発したのが端緒です。

須田 

ちょっと私なりのメディア論をさせていただくと、ネットを使っていない人は、特に若い人のなかにはほとんどいないと思うんです。

ニュースを読んでいない、新聞を読んでいないとは言っても、ネットで配信されるニュースには目を通しているはず。 

ツイッターやフェイスブックなどのSNSも、ある意味でメディアの一つで、これも多くの人が使っている。

これを通じて何か情報を得ることも多いと思いますが、さすがにツイッターで流れてきたものを全て本当の話だと思う人はいないですよね。

そうすると、ツイッター上の議論も、新聞の御高説も、すべてが同列線上に置かれて読者の判断材料になっている。

もうこれはメディアが溶け始めている、と言っていいんじゃないでしょうか。

新聞と違う雑誌の仕事

門田 

私が生業としていた週刊誌で言えば、本来、新聞があれだけおかしな報道をしていたら、『週刊文春』や『週刊新潮』などが現地取材をして、裏を取って、「森友学園問題の真相はこれですよ」と読者に分かりやすく報じなければならなかった。

ところが両誌とも、同じ情報洪水の渦に巻き込まれていただけでなく、不倫告発だのアイドルの恋愛問題などにうつつを抜かしている。

花田さんとの対談本、『「週刊文春」と「週刊新潮」―闘うメディアの全内幕』(PHP新書)でも述べましたが、週刊誌は一体何をやっているんだ、と。

花田 

雑誌の役割というのは、大メディアの報道の流れに乗るのではなくて、「それってちょっと違うんじゃないの」「こういう疑問には誰も答えてくれていないよね」ということを提示するのが役割だと思っているんです。

いわば「異議申し立て」するのが仕事というのでしょうか。

須田 

そもそも花田さんは、『週刊文春』時代から、朝日新聞には一貫して厳しい立場をとられていましたね。

花田 

私は編集者になって今年で50年なのですが、そのうち45年くらい、朝日新聞批判を続けてきていまして、「朝日新聞の天敵」と言われたこともあります。

朝日は最高で800万部の発行部数を持つ大メディアですから、その報道に「本当にそうなの?」と疑問を投げかけるのは雑誌の仕事でもある。 

これまでは、いくら批判しても朝日新聞は揺るがなかったのですが、2017年から18年にかけてのモリカケ報道で、私は朝日新聞の「報道」が根底から揺らぎ始めたと感じています。 

平成元年にサンゴ事件というのがありました。

沖縄のサンゴに朝日新聞のカメラマンが自分でサンゴに「KY」と刻んで撮影し、「こんなことをする日本人は愚かである」と嘆く記事を書いた。

これが自作自演であることが判明し、当時の社長だった一柳東一郎氏が辞任。

平成は31年で終わりますが、モリカケ虚報で朝日の渡辺社長が辞任すれば、平成の始まりと終わりの年に、朝日新聞の社長が辞任することになります。 

「モリカケ」報道は、まさに”戦後最大級の報道犯罪”であり、朝日の上層部が責任を負うべき重大な問題ではないかと思います。

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要するに、いい加減な嘘を書くことはできなくなった。朝日新聞の「吉田調書」報道が瓦解したのも、私がまずブログで告発したのが端緒です

2018年04月22日 11時15分12秒 | 日記

以下は前章の続きである。

メディア関係者の“焦り”

阿比留 

メディアは「第四の権力」とも言われますが、それに対するメディア側の意識が足りないと思います。

「権力監視をするメディアを誰が監視するのか」。となると、同業者や読者が監視するしかない。

たしかに、ネットによって読者が「監視」するようになりました。

安倍総理も、「以前と違い、ネットがあるから有権者がメディアの報道に惑わされず、政権が持ちこたえられているのだろう」と仰っています。

門田 

朝日新聞の崩壊、焦りもインターネットが原因でしょう。

私はインターネット時代を「情報ビッグバン」と表現しているのですが、これまでのような記者やジャーナリストだけでなく、常に情報の受け手だった読者の側も、リアルタイムで情報発信が可能になったんです。 

朝日新聞などは、これまで情報を独占してきました。

記者クラブを持っていて、そこで官庁などからの発表を独占し、自分たちの都合のいいような形に加工して、読者である私たちに下げ渡していたんです。

須田 

そんなことが長く行われてきたわけですか。

門田 

もはや伝統芸ですよ。朝日新聞は自分たちの主義・主張に沿って当事者の発言を捻じ曲げることを平気でやってきたんです。 

ところが、ネットの登場でこの状況が大きく変化した。

「加工」に問題があれば、当事者が「事実と異なります」と発信できるようになったし、読者も様々な情報を比較して、「下げ渡された情報は本当なのかどうか」を確認することができるようになった。

要するに、いい加減な嘘を書くことはできなくなった。

朝日新聞の「吉田調書」報道が瓦解したのも、私がまずブログで告発したのが端緒です。

須田 

ちょっと私なりのメディア論をさせていただくと、ネットを使っていない人は、特に若い人のなかにはほとんどいないと思うんです。

ニュースを読んでいない、新聞を読んでいないとは言っても、ネットで配信されるニュースには目を通しているはず。 

ツイッターやフェイスブックなどのSNSも、ある意味でメディアの一つで、これも多くの人が使っている。

これを通じて何か情報を得ることも多いと思いますが、さすがにツイッターで流れてきたものを全て本当の話だと思う人はいないですよね。

そうすると、ツイッター上の議論も、新聞の御高説も、すべてが同列線上に置かれて読者の判断材料になっている。

もうこれはメディアが溶け始めている、と言っていいんじゃないでしょうか。

新聞と違う雑誌の仕事

門田 

私が生業としていた週刊誌で言えば、本来、新聞があれだけおかしな報道をしていたら、『週刊文春』や『週刊新潮』などが現地取材をして、裏を取って、「森友学園問題の真相はこれですよ」と読者に分かりやすく報じなければならなかった。

ところが両誌とも、同じ情報洪水の渦に巻き込まれていただけでなく、不倫告発だのアイドルの恋愛問題などにうつつを抜かしている。

花田さんとの対談本、『「週刊文春」と「週刊新潮」―闘うメディアの全内幕』(PHP新書)でも述べましたが、週刊誌は一体何をやっているんだ、と。

花田 

雑誌の役割というのは、大メディアの報道の流れに乗るのではなくて、「それってちょっと違うんじゃないの」「こういう疑問には誰も答えてくれていないよね」ということを提示するのが役割だと思っているんです。

いわば「異議申し立て」するのが仕事というのでしょうか。

須田 

そもそも花田さんは、『週刊文春』時代から、朝日新聞には一貫して厳しい立場をとられていましたね。

花田 

私は編集者になって今年で50年なのですが、そのうち45年くらい、朝日新聞批判を続けてきていまして、「朝日新聞の天敵」と言われたこともあります。

朝日は最高で800万部の発行部数を持つ大メディアですから、その報道に「本当にそうなの?」と疑問を投げかけるのは雑誌の仕事でもある。 

これまでは、いくら批判しても朝日新聞は揺るがなかったのですが、2017年から18年にかけてのモリカケ報道で、私は朝日新聞の「報道」が根底から揺らぎ始めたと感じています。 

平成元年にサンゴ事件というのがありました。

沖縄のサンゴに朝日新聞のカメラマンが自分でサンゴに「KY」と刻んで撮影し、「こんなことをする日本人は愚かである」と嘆く記事を書いた。

これが自作自演であることが判明し、当時の社長だった一柳東一郎氏が辞任。

平成は31年で終わりますが、モリカケ虚報で朝日の渡辺社長が辞任すれば、平成の始まりと終わりの年に、朝日新聞の社長が辞任することになります。 

「モリカケ」報道は、まさに”戦後最大級の報道犯罪”であり、朝日の上層部が責任を負うべき重大な問題ではないかと思います。

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