文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

そんな安倍さんが総理になったものだから、朝日新聞は第一次政権の時には「安倍叩き」どころか「安倍潰し」に走った

2018年04月20日 14時17分39秒 | 日記

以下は先日発売された月刊誌HANADAセレクションに掲載された須田慎一郎 東島衣里 阿比留瑠比 小川榮太郎 門田隆将 花田紀凱の各氏による対談特集からである。

朝日はもはや偏執狂の域

安倍総理に敵意剥き出し

東島 

ニッポン放送、「須田慎一郎のニュースアウトサイダー」公開収録。本日は「メディアの印象操作と偏向報道」をテーマにディスカッションしたいと思います。

須田 

まず、最近のメディアの動きで気になるのは、いわゆる「リベラル系新聞」による、過剰とも思えるような「安倍バッシング」。

批判すべき具体的な事柄、テーマや言動があれば、遠慮することなく政府を厳しく追及すべきでしょうが、いまメディアがやっているのは「批判のための批判」のように思える。

そのあたりについて皆さん、どうお考えですか。

阿比留 

「安倍バッシング」といいますか「安倍叩き」といいますか、そういうことが行われていることは最近、世間でもよく知られるようになってきました。

でも、実は十年前の第一次安倍政権の時もそうだったんです。 

当時は政権が始まるや否や、「安倍叩き」が始まり、第一次安倍内閣が発足した翌日の朝日新聞の見出しは「学級会内閣」でした。

新しくできた内閣をいきなり「学級会」と茶化す見出しをつけたんです。

以降、延々と安倍批判をやってきて、いまに至る。

須田 

どうしてそんなに安倍さんが憎いのでしょうか。

阿比留 

これには長いいきさつがあります。

小泉訪朝が行われたのは20029月ですが、翌年126日に、当時小泉内閣で官房副長官だった安倍さんが講演でこう話しました。 

「朝日新聞の元日の社説には『原則論を言うだけじゃなくて、落としどころを考えろ』との論調があった。こういう論調が交渉の障害になっている」 

200311日の〈「千と千尋」の精神で 年の初めに考える〉と題する社説を読んでみると、こう書いてあります。 

〈拉致の被害者たちに寄せる同情や北朝鮮への怒りがあふれたのは自然として、そうした感情をあおるばかりの報道が毎日繰り返される〉〈(拉致問題という)同胞の悲劇に対してこれほど豊かに同情を寄せることができるのに、虐げられる北朝鮮民衆への思いは乏しい〉〈厳しい国際環境はしっかりと見据える。同時に、複眼的な冷静さと柔軟さを忘れない。危機の年にあたり、私たちが心すべきことはそれである〉 

*朝日新聞は日本国の首相である安倍首相と昭恵夫人に対しては、モリ・カケという捏造報道を繰り返し、もはや重大な人権侵害と言っても過言ではない報道を1年2か月に渡って繰り返しながら、北朝鮮の事となると、現在、彼らは辻本や福山、福島など北朝鮮の代理人に等しい人間達を総動員して政権攻撃を行い続けているのである。この新聞は日本国籍の新聞ではなく北朝鮮国籍の新聞であると言っても全く過言ではない。*

安倍さんの指摘は「論評」ですし、何も言っていないに等しい社説ですから、批判されても仕方がないような内容です。 

ところが、朝日新聞は安倍さんの講演翌日の27日に、〈安倍さん、よく読んで 社説批判〉と題し、社説で名指しの批判を展開したのです。

内容も、〈安倍氏にはまず、社説をきちんとお読みになったのか、と問いたい〉〈さて、安倍氏はこの社説もまた「交渉の障害」になるというのだろうか〉などと敵意剥き出し。 

そんな安倍さんが総理になったものだから、朝日新聞は第一次政権の時には「安倍叩き」どころか「安倍潰し」に走った。

第一次安倍政権は朝日の思惑どおり、短命に終わりましたが、安倍さんは復活した。

もちろん、朝日の言うことも聞かない。 

朝日は第二次政権になってからも安倍叩きに奔走していますが、安倍政権はむしろ長期政権になってしまった。

朝日としては悔しくて仕方ないのでしょう。

朝日新聞は、もはや「安倍憎し」をこじらせた偏執狂の域に達しつつあります。

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朝日新聞は日本国籍の新聞ではなく北朝鮮国籍の新聞であると言っても全く過言ではない。

2018年04月20日 14時15分22秒 | 日記

以下は先日発売された月刊誌HANADAセレクションに掲載された須田慎一郎 東島衣里 阿比留瑠比 小川榮太郎 門田隆将 花田紀凱の各氏による対談特集からである。

朝日はもはや偏執狂の域

安倍総理に敵意剥き出し

東島 

ニッポン放送、「須田慎一郎のニュースアウトサイダー」公開収録。本日は「メディアの印象操作と偏向報道」をテーマにディスカッションしたいと思います。

須田 

まず、最近のメディアの動きで気になるのは、いわゆる「リベラル系新聞」による、過剰とも思えるような「安倍バッシング」。

批判すべき具体的な事柄、テーマや言動があれば、遠慮することなく政府を厳しく追及すべきでしょうが、いまメディアがやっているのは「批判のための批判」のように思える。

そのあたりについて皆さん、どうお考えですか。

阿比留 

「安倍バッシング」といいますか「安倍叩き」といいますか、そういうことが行われていることは最近、世間でもよく知られるようになってきました。

でも、実は十年前の第一次安倍政権の時もそうだったんです。 

当時は政権が始まるや否や、「安倍叩き」が始まり、第一次安倍内閣が発足した翌日の朝日新聞の見出しは「学級会内閣」でした。

新しくできた内閣をいきなり「学級会」と茶化す見出しをつけたんです。

以降、延々と安倍批判をやってきて、いまに至る。

須田 

どうしてそんなに安倍さんが憎いのでしょうか。

阿比留 

これには長いいきさつがあります。

小泉訪朝が行われたのは20029月ですが、翌年126日に、当時小泉内閣で官房副長官だった安倍さんが講演でこう話しました。 

「朝日新聞の元日の社説には『原則論を言うだけじゃなくて、落としどころを考えろ』との論調があった。こういう論調が交渉の障害になっている」 

200311日の〈「千と千尋」の精神で 年の初めに考える〉と題する社説を読んでみると、こう書いてあります。 

〈拉致の被害者たちに寄せる同情や北朝鮮への怒りがあふれたのは自然として、そうした感情をあおるばかりの報道が毎日繰り返される〉〈(拉致問題という)同胞の悲劇に対してこれほど豊かに同情を寄せることができるのに、虐げられる北朝鮮民衆への思いは乏しい〉〈厳しい国際環境はしっかりと見据える。同時に、複眼的な冷静さと柔軟さを忘れない。危機の年にあたり、私たちが心すべきことはそれである〉 

*朝日新聞は日本国の首相である安倍首相と昭恵夫人に対しては、モリ・カケという捏造報道を繰り返し、もはや重大な人権侵害と言っても過言ではない報道を1年2か月に渡って繰り返しながら、北朝鮮の事となると、現在、彼らは辻本や福山、福島など北朝鮮の代理人に等しい人間達を総動員して政権攻撃を行い続けているのである。朝日新聞は日本国籍の新聞ではなく北朝鮮国籍の新聞であると言っても全く過言ではない。*

安倍さんの指摘は「論評」ですし、何も言っていないに等しい社説ですから、批判されても仕方がないような内容です。 

ところが、朝日新聞は安倍さんの講演翌日の27日に、〈安倍さん、よく読んで 社説批判〉と題し、社説で名指しの批判を展開したのです。

内容も、〈安倍氏にはまず、社説をきちんとお読みになったのか、と問いたい〉〈さて、安倍氏はこの社説もまた「交渉の障害」になるというのだろうか〉などと敵意剥き出し。 

そんな安倍さんが総理になったものだから、朝日新聞は第一次政権の時には「安倍叩き」どころか「安倍潰し」に走った。

第一次安倍政権は朝日の思惑どおり、短命に終わりましたが、安倍さんは復活した。

もちろん、朝日の言うことも聞かない。 

朝日は第二次政権になってからも安倍叩きに奔走していますが、安倍政権はむしろ長期政権になってしまった。

朝日としては悔しくて仕方ないのでしょう。

朝日新聞は、もはや「安倍憎し」をこじらせた偏執狂の域に達しつつあります。

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もはや重大な人権侵害と言っても過言ではない報道を1年2か月に渡って繰り返しながら、北朝鮮の事となると、

2018年04月20日 14時13分44秒 | 日記

以下は先日発売された月刊誌HANADAセレクションに掲載された須田慎一郎 東島衣里 阿比留瑠比 小川榮太郎 門田隆将 花田紀凱の各氏による対談特集からである。

朝日はもはや偏執狂の域

安倍総理に敵意剥き出し

東島 

ニッポン放送、「須田慎一郎のニュースアウトサイダー」公開収録。本日は「メディアの印象操作と偏向報道」をテーマにディスカッションしたいと思います。

須田 

まず、最近のメディアの動きで気になるのは、いわゆる「リベラル系新聞」による、過剰とも思えるような「安倍バッシング」。

批判すべき具体的な事柄、テーマや言動があれば、遠慮することなく政府を厳しく追及すべきでしょうが、いまメディアがやっているのは「批判のための批判」のように思える。

そのあたりについて皆さん、どうお考えですか。

阿比留 

「安倍バッシング」といいますか「安倍叩き」といいますか、そういうことが行われていることは最近、世間でもよく知られるようになってきました。

でも、実は十年前の第一次安倍政権の時もそうだったんです。 

当時は政権が始まるや否や、「安倍叩き」が始まり、第一次安倍内閣が発足した翌日の朝日新聞の見出しは「学級会内閣」でした。

新しくできた内閣をいきなり「学級会」と茶化す見出しをつけたんです。

以降、延々と安倍批判をやってきて、いまに至る。

須田 

どうしてそんなに安倍さんが憎いのでしょうか。

阿比留 

これには長いいきさつがあります。

小泉訪朝が行われたのは20029月ですが、翌年126日に、当時小泉内閣で官房副長官だった安倍さんが講演でこう話しました。 

「朝日新聞の元日の社説には『原則論を言うだけじゃなくて、落としどころを考えろ』との論調があった。こういう論調が交渉の障害になっている」 

200311日の〈「千と千尋」の精神で 年の初めに考える〉と題する社説を読んでみると、こう書いてあります。 

〈拉致の被害者たちに寄せる同情や北朝鮮への怒りがあふれたのは自然として、そうした感情をあおるばかりの報道が毎日繰り返される〉〈(拉致問題という)同胞の悲劇に対してこれほど豊かに同情を寄せることができるのに、虐げられる北朝鮮民衆への思いは乏しい〉〈厳しい国際環境はしっかりと見据える。同時に、複眼的な冷静さと柔軟さを忘れない。危機の年にあたり、私たちが心すべきことはそれである〉 

*朝日新聞は日本国の首相である安倍首相と昭恵夫人に対しては、モリ・カケという捏造報道を繰り返し、もはや重大な人権侵害と言っても過言ではない報道を1年2か月に渡って繰り返しながら、北朝鮮の事となると、現在、彼らが辻本や福山、福島など北朝鮮の代理人に等しい人間達を総動員して政権攻撃を行い続けているのである。この新聞は日本国籍の新聞ではなく北朝鮮国籍の新聞であると言っても全く過言ではない。*

安倍さんの指摘は「論評」ですし、何も言っていないに等しい社説ですから、批判されても仕方がないような内容です。 

ところが、朝日新聞は安倍さんの講演翌日の27日に、〈安倍さん、よく読んで 社説批判〉と題し、社説で名指しの批判を展開したのです。

内容も、〈安倍氏にはまず、社説をきちんとお読みになったのか、と問いたい〉〈さて、安倍氏はこの社説もまた「交渉の障害」になるというのだろうか〉などと敵意剥き出し。 

そんな安倍さんが総理になったものだから、朝日新聞は第一次政権の時には「安倍叩き」どころか「安倍潰し」に走った。

第一次安倍政権は朝日の思惑どおり、短命に終わりましたが、安倍さんは復活した。

もちろん、朝日の言うことも聞かない。 

朝日は第二次政権になってからも安倍叩きに奔走していますが、安倍政権はむしろ長期政権になってしまった。

朝日としては悔しくて仕方ないのでしょう。

朝日新聞は、もはや「安倍憎し」をこじらせた偏執狂の域に達しつつあります。

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(拉致問題という)同胞の悲劇に対してこれほど豊かに同情を寄せることができるのに、虐げられる北朝鮮民衆への思いは乏しい

2018年04月20日 14時12分22秒 | 日記

以下は先日発売された月刊誌HANADAセレクションに掲載された須田慎一郎 東島衣里 阿比留瑠比 小川榮太郎 門田隆将 花田紀凱の各氏による対談特集からである。

朝日はもはや偏執狂の域

安倍総理に敵意剥き出し

東島 

ニッポン放送、「須田慎一郎のニュースアウトサイダー」公開収録。本日は「メディアの印象操作と偏向報道」をテーマにディスカッションしたいと思います。

須田 

まず、最近のメディアの動きで気になるのは、いわゆる「リベラル系新聞」による、過剰とも思えるような「安倍バッシング」。

批判すべき具体的な事柄、テーマや言動があれば、遠慮することなく政府を厳しく追及すべきでしょうが、いまメディアがやっているのは「批判のための批判」のように思える。

そのあたりについて皆さん、どうお考えですか。

阿比留 

「安倍バッシング」といいますか「安倍叩き」といいますか、そういうことが行われていることは最近、世間でもよく知られるようになってきました。

でも、実は十年前の第一次安倍政権の時もそうだったんです。 

当時は政権が始まるや否や、「安倍叩き」が始まり、第一次安倍内閣が発足した翌日の朝日新聞の見出しは「学級会内閣」でした。

新しくできた内閣をいきなり「学級会」と茶化す見出しをつけたんです。

以降、延々と安倍批判をやってきて、いまに至る。

須田 

どうしてそんなに安倍さんが憎いのでしょうか。

阿比留 

これには長いいきさつがあります。

小泉訪朝が行われたのは20029月ですが、翌年126日に、当時小泉内閣で官房副長官だった安倍さんが講演でこう話しました。 

「朝日新聞の元日の社説には『原則論を言うだけじゃなくて、落としどころを考えろ』との論調があった。こういう論調が交渉の障害になっている」 

200311日の〈「千と千尋」の精神で 年の初めに考える〉と題する社説を読んでみると、こう書いてあります。 

〈拉致の被害者たちに寄せる同情や北朝鮮への怒りがあふれたのは自然として、そうした感情をあおるばかりの報道が毎日繰り返される〉〈(拉致問題という)同胞の悲劇に対してこれほど豊かに同情を寄せることができるのに、虐げられる北朝鮮民衆への思いは乏しい〉〈厳しい国際環境はしっかりと見据える。同時に、複眼的な冷静さと柔軟さを忘れない。危機の年にあたり、私たちが心すべきことはそれである〉 

*朝日新聞は日本国の首相である安倍首相と昭恵夫人に対しては、モリ・カケという捏造報道を繰り返し、もはや重大な人権侵害と言っても過言ではない報道を1年2か月に渡って繰り返しながら、北朝鮮の事となると、現在、彼らが辻本や福山、福島など北朝鮮の代理人に等しい人間達を総動員して政権攻撃を行い続けているのである。この新聞は日本国籍の新聞ではなく北朝鮮国籍の新聞であると言っても全く過言ではない。*

安倍さんの指摘は「論評」ですし、何も言っていないに等しい社説ですから、批判されても仕方がないような内容です。 

ところが、朝日新聞は安倍さんの講演翌日の27日に、〈安倍さん、よく読んで 社説批判〉と題し、社説で名指しの批判を展開したのです。

内容も、〈安倍氏にはまず、社説をきちんとお読みになったのか、と問いたい〉〈さて、安倍氏はこの社説もまた「交渉の障害」になるというのだろうか〉などと敵意剥き出し。 

そんな安倍さんが総理になったものだから、朝日新聞は第一次政権の時には「安倍叩き」どころか「安倍潰し」に走った。

第一次安倍政権は朝日の思惑どおり、短命に終わりましたが、安倍さんは復活した。

もちろん、朝日の言うことも聞かない。 

朝日は第二次政権になってからも安倍叩きに奔走していますが、安倍政権はむしろ長期政権になってしまった。

朝日としては悔しくて仕方ないのでしょう。

朝日新聞は、もはや「安倍憎し」をこじらせた偏執狂の域に達しつつあります。

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拉致の被害者たちに寄せる同情や北朝鮮への怒りがあふれたのは自然として、そうした感情をあおるばかりの報道が毎日繰り返される

2018年04月20日 14時11分13秒 | 日記

以下は先日発売された月刊誌HANADAセレクションに掲載された須田慎一郎 東島衣里 阿比留瑠比 小川榮太郎 門田隆将 花田紀凱の各氏による対談特集からである。

朝日はもはや偏執狂の域

安倍総理に敵意剥き出し

東島 

ニッポン放送、「須田慎一郎のニュースアウトサイダー」公開収録。本日は「メディアの印象操作と偏向報道」をテーマにディスカッションしたいと思います。

須田 

まず、最近のメディアの動きで気になるのは、いわゆる「リベラル系新聞」による、過剰とも思えるような「安倍バッシング」。

批判すべき具体的な事柄、テーマや言動があれば、遠慮することなく政府を厳しく追及すべきでしょうが、いまメディアがやっているのは「批判のための批判」のように思える。

そのあたりについて皆さん、どうお考えですか。

阿比留 

「安倍バッシング」といいますか「安倍叩き」といいますか、そういうことが行われていることは最近、世間でもよく知られるようになってきました。

でも、実は十年前の第一次安倍政権の時もそうだったんです。 

当時は政権が始まるや否や、「安倍叩き」が始まり、第一次安倍内閣が発足した翌日の朝日新聞の見出しは「学級会内閣」でした。

新しくできた内閣をいきなり「学級会」と茶化す見出しをつけたんです。

以降、延々と安倍批判をやってきて、いまに至る。

須田 

どうしてそんなに安倍さんが憎いのでしょうか。

阿比留 

これには長いいきさつがあります。

小泉訪朝が行われたのは20029月ですが、翌年126日に、当時小泉内閣で官房副長官だった安倍さんが講演でこう話しました。 

「朝日新聞の元日の社説には『原則論を言うだけじゃなくて、落としどころを考えろ』との論調があった。こういう論調が交渉の障害になっている」 

200311日の〈「千と千尋」の精神で 年の初めに考える〉と題する社説を読んでみると、こう書いてあります。 

〈拉致の被害者たちに寄せる同情や北朝鮮への怒りがあふれたのは自然として、そうした感情をあおるばかりの報道が毎日繰り返される〉〈(拉致問題という)同胞の悲劇に対してこれほど豊かに同情を寄せることができるのに、虐げられる北朝鮮民衆への思いは乏しい〉〈厳しい国際環境はしっかりと見据える。同時に、複眼的な冷静さと柔軟さを忘れない。危機の年にあたり、私たちが心すべきことはそれである〉 

*朝日新聞は日本国の首相である安倍首相と昭恵夫人に対しては、モリ・カケという捏造報道を繰り返し、もはや重大な人権侵害と言っても過言ではない報道を1年2か月に渡って繰り返しながら、北朝鮮の事となると、現在、彼らが辻本や福山、福島など北朝鮮の代理人に等しい人間達を総動員して政権攻撃を行い続けているのである。この新聞は日本国籍の新聞ではなく北朝鮮国籍の新聞であると言っても全く過言ではない。*

安倍さんの指摘は「論評」ですし、何も言っていないに等しい社説ですから、批判されても仕方がないような内容です。 

ところが、朝日新聞は安倍さんの講演翌日の27日に、〈安倍さん、よく読んで 社説批判〉と題し、社説で名指しの批判を展開したのです。

内容も、〈安倍氏にはまず、社説をきちんとお読みになったのか、と問いたい〉〈さて、安倍氏はこの社説もまた「交渉の障害」になるというのだろうか〉などと敵意剥き出し。 

そんな安倍さんが総理になったものだから、朝日新聞は第一次政権の時には「安倍叩き」どころか「安倍潰し」に走った。

第一次安倍政権は朝日の思惑どおり、短命に終わりましたが、安倍さんは復活した。

もちろん、朝日の言うことも聞かない。 

朝日は第二次政権になってからも安倍叩きに奔走していますが、安倍政権はむしろ長期政権になってしまった。

朝日としては悔しくて仕方ないのでしょう。

朝日新聞は、もはや「安倍憎し」をこじらせた偏執狂の域に達しつつあります。

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朝日新聞の元日の社説には『原則論を言うだけじゃなくて、落としどころを考えろ』との論調があった。こういう論調が交渉の障害になっている

2018年04月20日 14時04分19秒 | 日記

以下は先日発売された月刊誌HANADAセレクションに掲載された須田慎一郎 東島衣里 阿比留瑠比 小川榮太郎 門田隆将 花田紀凱の各氏による対談特集からである。

朝日はもはや偏執狂の域

安倍総理に敵意剥き出し

東島 

ニッポン放送、「須田慎一郎のニュースアウトサイダー」公開収録。本日は「メディアの印象操作と偏向報道」をテーマにディスカッションしたいと思います。

須田 

まず、最近のメディアの動きで気になるのは、いわゆる「リベラル系新聞」による、過剰とも思えるような「安倍バッシング」。

批判すべき具体的な事柄、テーマや言動があれば、遠慮することなく政府を厳しく追及すべきでしょうが、いまメディアがやっているのは「批判のための批判」のように思える。

そのあたりについて皆さん、どうお考えですか。

阿比留 

「安倍バッシング」といいますか「安倍叩き」といいますか、そういうことが行われていることは最近、世間でもよく知られるようになってきました。

でも、実は十年前の第一次安倍政権の時もそうだったんです。 

当時は政権が始まるや否や、「安倍叩き」が始まり、第一次安倍内閣が発足した翌日の朝日新聞の見出しは「学級会内閣」でした。

新しくできた内閣をいきなり「学級会」と茶化す見出しをつけたんです。

以降、延々と安倍批判をやってきて、いまに至る。

須田 

どうしてそんなに安倍さんが憎いのでしょうか。

阿比留 

これには長いいきさつがあります。

小泉訪朝が行われたのは20029月ですが、翌年126日に、当時小泉内閣で官房副長官だった安倍さんが講演でこう話しました。 

「朝日新聞の元日の社説には『原則論を言うだけじゃなくて、落としどころを考えろ』との論調があった。こういう論調が交渉の障害になっている」 

200311日の〈「千と千尋」の精神で 年の初めに考える〉と題する社説を読んでみると、こう書いてあります。 

〈拉致の被害者たちに寄せる同情や北朝鮮への怒りがあふれたのは自然として、そうした感情をあおるばかりの報道が毎日繰り返される〉〈(拉致問題という)同胞の悲劇に対してこれほど豊かに同情を寄せることができるのに、虐げられる北朝鮮民衆への思いは乏しい〉 〈厳しい国際環境はしっかりと見据える。同時に、複眼的な冷静さと柔軟さを忘れない。危機の年にあたり、私たちが心すべきことはそれである〉 

安倍さんの指摘は「論評」ですし、何も言っていないに等しい社説ですから、批判されても仕方がないような内容です。 

ところが、朝日新聞は安倍さんの講演翌日の27日に、〈安倍さん、よく読んで 社説批判〉と題し、社説で名指しの批判を展開したのです。

内容も、〈安倍氏にはまず、社説をきちんとお読みになったのか、と問いたい〉〈さて、安倍氏はこの社説もまた「交渉の障害」になるというのだろうか〉などと敵意剥き出し。 

そんな安倍さんが総理になったものだから、朝日新聞は第一次政権の時には「安倍叩き」どころか「安倍潰し」に走った。

第一次安倍政権は朝日の思惑どおり、短命に終わりましたが、安倍さんは復活した。

もちろん、朝日の言うことも聞かない。 

朝日は第二次政権になってからも安倍叩きに奔走していますが、安倍政権はむしろ長期政権になってしまった。

朝日としては悔しくて仕方ないのでしょう。

朝日新聞は、もはや「安倍憎し」をこじらせた偏執狂の域に達しつつあります。

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小泉訪朝が行われたのは2002年9月ですが、翌年1月26日に、当時小泉内閣で官房副長官だった安倍さんが講演でこう話しました

2018年04月20日 14時02分19秒 | 日記

以下は先日発売された月刊誌HANADAセレクションに掲載された須田慎一郎 東島衣里 阿比留瑠比 小川榮太郎 門田隆将 花田紀凱の各氏による対談特集からである。

朝日はもはや偏執狂の域

安倍総理に敵意剥き出し

東島 

ニッポン放送、「須田慎一郎のニュースアウトサイダー」公開収録。本日は「メディアの印象操作と偏向報道」をテーマにディスカッションしたいと思います。

須田 

まず、最近のメディアの動きで気になるのは、いわゆる「リベラル系新聞」による、過剰とも思えるような「安倍バッシング」。

批判すべき具体的な事柄、テーマや言動があれば、遠慮することなく政府を厳しく追及すべきでしょうが、いまメディアがやっているのは「批判のための批判」のように思える。

そのあたりについて皆さん、どうお考えですか。

阿比留 

「安倍バッシング」といいますか「安倍叩き」といいますか、そういうことが行われていることは最近、世間でもよく知られるようになってきました。

でも、実は十年前の第一次安倍政権の時もそうだったんです。 

当時は政権が始まるや否や、「安倍叩き」が始まり、第一次安倍内閣が発足した翌日の朝日新聞の見出しは「学級会内閣」でした。

新しくできた内閣をいきなり「学級会」と茶化す見出しをつけたんです。

以降、延々と安倍批判をやってきて、いまに至る。

須田 

どうしてそんなに安倍さんが憎いのでしょうか。

阿比留 

これには長いいきさつがあります。

小泉訪朝が行われたのは20029月ですが、翌年126日に、当時小泉内閣で官房副長官だった安倍さんが講演でこう話しました。 

「朝日新聞の元日の社説には『原則論を言うだけじゃなくて、落としどころを考えろ』との論調があった。こういう論調が交渉の障害になっている」 

200311日の〈「千と千尋」の精神で 年の初めに考える〉と題する社説を読んでみると、こう書いてあります。 

〈拉致の被害者たちに寄せる同情や北朝鮮への怒りがあふれたのは自然として、そうした感情をあおるばかりの報道が毎日繰り返される〉〈(拉致問題という)同胞の悲劇に対してこれほど豊かに同情を寄せることができるのに、虐げられる北朝鮮民衆への思いは乏しい〉 〈厳しい国際環境はしっかりと見据える。同時に、複眼的な冷静さと柔軟さを忘れない。危機の年にあたり、私たちが心すべきことはそれである〉 

安倍さんの指摘は「論評」ですし、何も言っていないに等しい社説ですから、批判されても仕方がないような内容です。 

ところが、朝日新聞は安倍さんの講演翌日の27日に、〈安倍さん、よく読んで 社説批判〉と題し、社説で名指しの批判を展開したのです。

内容も、〈安倍氏にはまず、社説をきちんとお読みになったのか、と問いたい〉〈さて、安倍氏はこの社説もまた「交渉の障害」になるというのだろうか〉などと敵意剥き出し。 

そんな安倍さんが総理になったものだから、朝日新聞は第一次政権の時には「安倍叩き」どころか「安倍潰し」に走った。

第一次安倍政権は朝日の思惑どおり、短命に終わりましたが、安倍さんは復活した。

もちろん、朝日の言うことも聞かない。 

朝日は第二次政権になってからも安倍叩きに奔走していますが、安倍政権はむしろ長期政権になってしまった。

朝日としては悔しくて仕方ないのでしょう。

朝日新聞は、もはや「安倍憎し」をこじらせた偏執狂の域に達しつつあります。

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以降、延々と安倍批判をやってきて、いまに至る。

2018年04月20日 14時00分18秒 | 日記

以下は先日発売された月刊誌HANADAセレクションに掲載された須田慎一郎 東島衣里 阿比留瑠比 小川榮太郎 門田隆将 花田紀凱の各氏による対談特集からである。

朝日はもはや偏執狂の域

安倍総理に敵意剥き出し

東島 

ニッポン放送、「須田慎一郎のニュースアウトサイダー」公開収録。本日は「メディアの印象操作と偏向報道」をテーマにディスカッションしたいと思います。

須田 

まず、最近のメディアの動きで気になるのは、いわゆる「リベラル系新聞」による、過剰とも思えるような「安倍バッシング」。

批判すべき具体的な事柄、テーマや言動があれば、遠慮することなく政府を厳しく追及すべきでしょうが、いまメディアがやっているのは「批判のための批判」のように思える。

そのあたりについて皆さん、どうお考えですか。

阿比留 

「安倍バッシング」といいますか「安倍叩き」といいますか、そういうことが行われていることは最近、世間でもよく知られるようになってきました。

でも、実は十年前の第一次安倍政権の時もそうだったんです。 

当時は政権が始まるや否や、「安倍叩き」が始まり、第一次安倍内閣が発足した翌日の朝日新聞の見出しは「学級会内閣」でした。

新しくできた内閣をいきなり「学級会」と茶化す見出しをつけたんです。

以降、延々と安倍批判をやってきて、いまに至る。

須田 

どうしてそんなに安倍さんが憎いのでしょうか。

阿比留 

これには長いいきさつがあります。

小泉訪朝が行われたのは20029月ですが、翌年126日に、当時小泉内閣で官房副長官だった安倍さんが講演でこう話しました。 

「朝日新聞の元日の社説には『原則論を言うだけじゃなくて、落としどころを考えろ』との論調があった。こういう論調が交渉の障害になっている」 

200311日の〈「千と千尋」の精神で 年の初めに考える〉と題する社説を読んでみると、こう書いてあります。 

〈拉致の被害者たちに寄せる同情や北朝鮮への怒りがあふれたのは自然として、そうした感情をあおるばかりの報道が毎日繰り返される〉〈(拉致問題という)同胞の悲劇に対してこれほど豊かに同情を寄せることができるのに、虐げられる北朝鮮民衆への思いは乏しい〉 〈厳しい国際環境はしっかりと見据える。同時に、複眼的な冷静さと柔軟さを忘れない。危機の年にあたり、私たちが心すべきことはそれである〉 

安倍さんの指摘は「論評」ですし、何も言っていないに等しい社説ですから、批判されても仕方がないような内容です。 

ところが、朝日新聞は安倍さんの講演翌日の27日に、〈安倍さん、よく読んで 社説批判〉と題し、社説で名指しの批判を展開したのです。

内容も、〈安倍氏にはまず、社説をきちんとお読みになったのか、と問いたい〉〈さて、安倍氏はこの社説もまた「交渉の障害」になるというのだろうか〉などと敵意剥き出し。 

そんな安倍さんが総理になったものだから、朝日新聞は第一次政権の時には「安倍叩き」どころか「安倍潰し」に走った。

第一次安倍政権は朝日の思惑どおり、短命に終わりましたが、安倍さんは復活した。

もちろん、朝日の言うことも聞かない。 

朝日は第二次政権になってからも安倍叩きに奔走していますが、安倍政権はむしろ長期政権になってしまった。

朝日としては悔しくて仕方ないのでしょう。

朝日新聞は、もはや「安倍憎し」をこじらせた偏執狂の域に達しつつあります。

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当時は政権が始まるや否や、「安倍叩き」が始まり、第一次安倍内閣が発足した翌日の朝日新聞の見出しは「学級会内閣」でした

2018年04月20日 13時59分06秒 | 日記

以下は先日発売された月刊誌HANADAセレクションに掲載された須田慎一郎 東島衣里 阿比留瑠比 小川榮太郎 門田隆将 花田紀凱の各氏による対談特集からである。

朝日はもはや偏執狂の域

安倍総理に敵意剥き出し

東島 

ニッポン放送、「須田慎一郎のニュースアウトサイダー」公開収録。本日は「メディアの印象操作と偏向報道」をテーマにディスカッションしたいと思います。

須田 

まず、最近のメディアの動きで気になるのは、いわゆる「リベラル系新聞」による、過剰とも思えるような「安倍バッシング」。

批判すべき具体的な事柄、テーマや言動があれば、遠慮することなく政府を厳しく追及すべきでしょうが、いまメディアがやっているのは「批判のための批判」のように思える。

そのあたりについて皆さん、どうお考えですか。

阿比留 

「安倍バッシング」といいますか「安倍叩き」といいますか、そういうことが行われていることは最近、世間でもよく知られるようになってきました。

でも、実は十年前の第一次安倍政権の時もそうだったんです。 

当時は政権が始まるや否や、「安倍叩き」が始まり、第一次安倍内閣が発足した翌日の朝日新聞の見出しは「学級会内閣」でした。

新しくできた内閣をいきなり「学級会」と茶化す見出しをつけたんです。

以降、延々と安倍批判をやってきて、いまに至る。

須田 

どうしてそんなに安倍さんが憎いのでしょうか。

阿比留 

これには長いいきさつがあります。

小泉訪朝が行われたのは20029月ですが、翌年126日に、当時小泉内閣で官房副長官だった安倍さんが講演でこう話しました。 

「朝日新聞の元日の社説には『原則論を言うだけじゃなくて、落としどころを考えろ』との論調があった。こういう論調が交渉の障害になっている」 

200311日の〈「千と千尋」の精神で 年の初めに考える〉と題する社説を読んでみると、こう書いてあります。 

〈拉致の被害者たちに寄せる同情や北朝鮮への怒りがあふれたのは自然として、そうした感情をあおるばかりの報道が毎日繰り返される〉〈(拉致問題という)同胞の悲劇に対してこれほど豊かに同情を寄せることができるのに、虐げられる北朝鮮民衆への思いは乏しい〉 〈厳しい国際環境はしっかりと見据える。同時に、複眼的な冷静さと柔軟さを忘れない。危機の年にあたり、私たちが心すべきことはそれである〉 

安倍さんの指摘は「論評」ですし、何も言っていないに等しい社説ですから、批判されても仕方がないような内容です。 

ところが、朝日新聞は安倍さんの講演翌日の27日に、〈安倍さん、よく読んで 社説批判〉と題し、社説で名指しの批判を展開したのです。

内容も、〈安倍氏にはまず、社説をきちんとお読みになったのか、と問いたい〉〈さて、安倍氏はこの社説もまた「交渉の障害」になるというのだろうか〉などと敵意剥き出し。 

そんな安倍さんが総理になったものだから、朝日新聞は第一次政権の時には「安倍叩き」どころか「安倍潰し」に走った。

第一次安倍政権は朝日の思惑どおり、短命に終わりましたが、安倍さんは復活した。

もちろん、朝日の言うことも聞かない。 

朝日は第二次政権になってからも安倍叩きに奔走していますが、安倍政権はむしろ長期政権になってしまった。

朝日としては悔しくて仕方ないのでしょう。

朝日新聞は、もはや「安倍憎し」をこじらせた偏執狂の域に達しつつあります。

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「安倍バッシング」といいますか「安倍叩き」といいますか、そういうことが行われていることは最近、世間でもよく知られるようになって

2018年04月20日 13時57分43秒 | 日記

以下は先日発売された月刊誌HANADAセレクションに掲載された須田慎一郎 東島衣里 阿比留瑠比 小川榮太郎 門田隆将 花田紀凱の各氏による対談特集からである。

朝日はもはや偏執狂の域

安倍総理に敵意剥き出し

東島 

ニッポン放送、「須田慎一郎のニュースアウトサイダー」公開収録。本日は「メディアの印象操作と偏向報道」をテーマにディスカッションしたいと思います。

須田 

まず、最近のメディアの動きで気になるのは、いわゆる「リベラル系新聞」による、過剰とも思えるような「安倍バッシング」。

批判すべき具体的な事柄、テーマや言動があれば、遠慮することなく政府を厳しく追及すべきでしょうが、いまメディアがやっているのは「批判のための批判」のように思える。

そのあたりについて皆さん、どうお考えですか。

阿比留 

「安倍バッシング」といいますか「安倍叩き」といいますか、そういうことが行われていることは最近、世間でもよく知られるようになってきました。

でも、実は十年前の第一次安倍政権の時もそうだったんです。 

当時は政権が始まるや否や、「安倍叩き」が始まり、第一次安倍内閣が発足した翌日の朝日新聞の見出しは「学級会内閣」でした。

新しくできた内閣をいきなり「学級会」と茶化す見出しをつけたんです。

以降、延々と安倍批判をやってきて、いまに至る。

須田 

どうしてそんなに安倍さんが憎いのでしょうか。

阿比留 

これには長いいきさつがあります。

小泉訪朝が行われたのは20029月ですが、翌年126日に、当時小泉内閣で官房副長官だった安倍さんが講演でこう話しました。 

「朝日新聞の元日の社説には『原則論を言うだけじゃなくて、落としどころを考えろ』との論調があった。こういう論調が交渉の障害になっている」 

200311日の〈「千と千尋」の精神で 年の初めに考える〉と題する社説を読んでみると、こう書いてあります。 

〈拉致の被害者たちに寄せる同情や北朝鮮への怒りがあふれたのは自然として、そうした感情をあおるばかりの報道が毎日繰り返される〉〈(拉致問題という)同胞の悲劇に対してこれほど豊かに同情を寄せることができるのに、虐げられる北朝鮮民衆への思いは乏しい〉 〈厳しい国際環境はしっかりと見据える。同時に、複眼的な冷静さと柔軟さを忘れない。危機の年にあたり、私たちが心すべきことはそれである〉 

安倍さんの指摘は「論評」ですし、何も言っていないに等しい社説ですから、批判されても仕方がないような内容です。 

ところが、朝日新聞は安倍さんの講演翌日の27日に、〈安倍さん、よく読んで 社説批判〉と題し、社説で名指しの批判を展開したのです。

内容も、〈安倍氏にはまず、社説をきちんとお読みになったのか、と問いたい〉〈さて、安倍氏はこの社説もまた「交渉の障害」になるというのだろうか〉などと敵意剥き出し。 

そんな安倍さんが総理になったものだから、朝日新聞は第一次政権の時には「安倍叩き」どころか「安倍潰し」に走った。

第一次安倍政権は朝日の思惑どおり、短命に終わりましたが、安倍さんは復活した。

もちろん、朝日の言うことも聞かない。 

朝日は第二次政権になってからも安倍叩きに奔走していますが、安倍政権はむしろ長期政権になってしまった。

朝日としては悔しくて仕方ないのでしょう。

朝日新聞は、もはや「安倍憎し」をこじらせた偏執狂の域に達しつつあります。

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まず、最近のメディアの動きで気になるのは、いわゆる「リベラル系新聞」による、過剰とも思えるような「安倍バッシング」

2018年04月20日 13時56分03秒 | 日記

以下は先日発売された月刊誌HANADAセレクションに掲載された須田慎一郎 東島衣里 阿比留瑠比 小川榮太郎 門田隆将 花田紀凱の各氏による対談特集からである。

朝日はもはや偏執狂の域

安倍総理に敵意剥き出し

東島 

ニッポン放送、「須田慎一郎のニュースアウトサイダー」公開収録。本日は「メディアの印象操作と偏向報道」をテーマにディスカッションしたいと思います。

須田 

まず、最近のメディアの動きで気になるのは、いわゆる「リベラル系新聞」による、過剰とも思えるような「安倍バッシング」。

批判すべき具体的な事柄、テーマや言動があれば、遠慮することなく政府を厳しく追及すべきでしょうが、いまメディアがやっているのは「批判のための批判」のように思える。

そのあたりについて皆さん、どうお考えですか。

阿比留 

「安倍バッシング」といいますか「安倍叩き」といいますか、そういうことが行われていることは最近、世間でもよく知られるようになってきました。

でも、実は十年前の第一次安倍政権の時もそうだったんです。 

当時は政権が始まるや否や、「安倍叩き」が始まり、第一次安倍内閣が発足した翌日の朝日新聞の見出しは「学級会内閣」でした。

新しくできた内閣をいきなり「学級会」と茶化す見出しをつけたんです。

以降、延々と安倍批判をやってきて、いまに至る。

須田 

どうしてそんなに安倍さんが憎いのでしょうか。

阿比留 

これには長いいきさつがあります。

小泉訪朝が行われたのは20029月ですが、翌年126日に、当時小泉内閣で官房副長官だった安倍さんが講演でこう話しました。 

「朝日新聞の元日の社説には『原則論を言うだけじゃなくて、落としどころを考えろ』との論調があった。こういう論調が交渉の障害になっている」 

200311日の〈「千と千尋」の精神で 年の初めに考える〉と題する社説を読んでみると、こう書いてあります。 

〈拉致の被害者たちに寄せる同情や北朝鮮への怒りがあふれたのは自然として、そうした感情をあおるばかりの報道が毎日繰り返される〉〈(拉致問題という)同胞の悲劇に対してこれほど豊かに同情を寄せることができるのに、虐げられる北朝鮮民衆への思いは乏しい〉 〈厳しい国際環境はしっかりと見据える。同時に、複眼的な冷静さと柔軟さを忘れない。危機の年にあたり、私たちが心すべきことはそれである〉 

安倍さんの指摘は「論評」ですし、何も言っていないに等しい社説ですから、批判されても仕方がないような内容です。 

ところが、朝日新聞は安倍さんの講演翌日の27日に、〈安倍さん、よく読んで 社説批判〉と題し、社説で名指しの批判を展開したのです。

内容も、〈安倍氏にはまず、社説をきちんとお読みになったのか、と問いたい〉〈さて、安倍氏はこの社説もまた「交渉の障害」になるというのだろうか〉などと敵意剥き出し。 

そんな安倍さんが総理になったものだから、朝日新聞は第一次政権の時には「安倍叩き」どころか「安倍潰し」に走った。

第一次安倍政権は朝日の思惑どおり、短命に終わりましたが、安倍さんは復活した。

もちろん、朝日の言うことも聞かない。 

朝日は第二次政権になってからも安倍叩きに奔走していますが、安倍政権はむしろ長期政権になってしまった。

朝日としては悔しくて仕方ないのでしょう。

朝日新聞は、もはや「安倍憎し」をこじらせた偏執狂の域に達しつつあります。

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朝日はもはや偏執狂の域 安倍総理に敵意剥き出し

2018年04月20日 13時53分52秒 | 日記

以下は先日発売された月刊誌HANADAセレクションに掲載された須田慎一郎 東島衣里 阿比留瑠比 小川榮太郎 門田隆将 花田紀凱の各氏による対談特集からである。

朝日はもはや偏執狂の域

安倍総理に敵意剥き出し

東島 

ニッポン放送、「須田慎一郎のニュースアウトサイダー」公開収録。本日は「メディアの印象操作と偏向報道」をテーマにディスカッションしたいと思います。

須田 

まず、最近のメディアの動きで気になるのは、いわゆる「リベラル系新聞」による、過剰とも思えるような「安倍バッシング」。

批判すべき具体的な事柄、テーマや言動があれば、遠慮することなく政府を厳しく追及すべきでしょうが、いまメディアがやっているのは「批判のための批判」のように思える。

そのあたりについて皆さん、どうお考えですか。

阿比留 

「安倍バッシング」といいますか「安倍叩き」といいますか、そういうことが行われていることは最近、世間でもよく知られるようになってきました。

でも、実は十年前の第一次安倍政権の時もそうだったんです。 

当時は政権が始まるや否や、「安倍叩き」が始まり、第一次安倍内閣が発足した翌日の朝日新聞の見出しは「学級会内閣」でした。

新しくできた内閣をいきなり「学級会」と茶化す見出しをつけたんです。

以降、延々と安倍批判をやってきて、いまに至る。

須田 

どうしてそんなに安倍さんが憎いのでしょうか。

阿比留 

これには長いいきさつがあります。

小泉訪朝が行われたのは20029月ですが、翌年126日に、当時小泉内閣で官房副長官だった安倍さんが講演でこう話しました。 

「朝日新聞の元日の社説には『原則論を言うだけじゃなくて、落としどころを考えろ』との論調があった。こういう論調が交渉の障害になっている」 

200311日の〈「千と千尋」の精神で 年の初めに考える〉と題する社説を読んでみると、こう書いてあります。 

〈拉致の被害者たちに寄せる同情や北朝鮮への怒りがあふれたのは自然として、そうした感情をあおるばかりの報道が毎日繰り返される〉〈(拉致問題という)同胞の悲劇に対してこれほど豊かに同情を寄せることができるのに、虐げられる北朝鮮民衆への思いは乏しい〉 〈厳しい国際環境はしっかりと見据える。同時に、複眼的な冷静さと柔軟さを忘れない。危機の年にあたり、私たちが心すべきことはそれである〉 

安倍さんの指摘は「論評」ですし、何も言っていないに等しい社説ですから、批判されても仕方がないような内容です。 

ところが、朝日新聞は安倍さんの講演翌日の27日に、〈安倍さん、よく読んで 社説批判〉と題し、社説で名指しの批判を展開したのです。

内容も、〈安倍氏にはまず、社説をきちんとお読みになったのか、と問いたい〉〈さて、安倍氏はこの社説もまた「交渉の障害」になるというのだろうか〉などと敵意剥き出し。 

そんな安倍さんが総理になったものだから、朝日新聞は第一次政権の時には「安倍叩き」どころか「安倍潰し」に走った。

第一次安倍政権は朝日の思惑どおり、短命に終わりましたが、安倍さんは復活した。

もちろん、朝日の言うことも聞かない。 

朝日は第二次政権になってからも安倍叩きに奔走していますが、安倍政権はむしろ長期政権になってしまった。

朝日としては悔しくて仕方ないのでしょう。

朝日新聞は、もはや「安倍憎し」をこじらせた偏執狂の域に達しつつあります。

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日本が輝ける文明から後進国へと急激に後退してしまったことを自覚し、受け入れるところからしか、言論の自由の再建は不可能だ

2018年04月20日 13時21分32秒 | 日記

以下は前章の続きである。

統計調査機関が必要 

むろん、言論は車に較べても、責務を明確にするのが難しい。

「事実」と「捏造」を法的制裁で切り分けるのは、「爆発する車」を禁じるのとは較ぶべくもない難事だ。 

だからこそ、言論においては自責、自制、自浄の良識と高潔さが求められ、市場の「信用」という原理による淘汰が本来はふさわしいのである。 

だが、マスコミに良識と自浄を期待できない以上、「見出し」「事実報道」「印象操作」「繰り返しによる輿論誘導」などについて、まず、国民的負託を受けた客観的な統計調査機関を立ち上げるなどして、現状の統計的把握、問題点の把握と国民への周知が急務だ。 

マスコミの正常化を非力な民間ではできない。

言論と並び、信用毀損が社会に致命傷を与える金融に関しては、自由主義市場であるにもかかわらず、金融庁の厳しい監督がある。 

言論の信用毀損について、同じく国の機関にすべきか、政権と完全に切り離された機関において中立性を確保すべきかは議論の余地があるが、日本の現状では監督機関の設置は不可欠だ。 

安倍政権は、逆に放送の政治的中立や事実に則って報道するなどを定めた放送法四条の撤廃と電波の自由化を提唱しているが、私は無原則なままの自由化には反対である。

こうしたメディアの自由競争化は先進国規準だが、日本のメディアや有識者は、残念ながら後進国水準であり、自由に伴う責務、自由を守るための戦いを全く理解していない。

自由競争の原理を導入すれば、中国、北朝鮮、ロシアをはじめ、あらゆる工作意図によって、日本のメディア状況は壊滅的な混乱を呈するに違いない。 

日本が輝ける文明から後進国へと急激に後退してしまったことを自覚し、受け入れるところからしか、言論の自由の再建は不可能だというのが、一年二ヵ月の愚劣な騒動を止め得なかった非力な一言論人としての、私の率直な結論である。 

森友・加計騒動からそれを学ばないなら、日本の「自由」に本当に明日はない。

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自由競争の原理を導入すれば、中国、北朝鮮、ロシアをはじめ、あらゆる工作意図によって、

2018年04月20日 13時19分08秒 | 日記

以下は前章の続きである。

統計調査機関が必要 

むろん、言論は車に較べても、責務を明確にするのが難しい。

「事実」と「捏造」を法的制裁で切り分けるのは、「爆発する車」を禁じるのとは較ぶべくもない難事だ。 

だからこそ、言論においては自責、自制、自浄の良識と高潔さが求められ、市場の「信用」という原理による淘汰が本来はふさわしいのである。 

だが、マスコミに良識と自浄を期待できない以上、「見出し」「事実報道」「印象操作」「繰り返しによる輿論誘導」などについて、まず、国民的負託を受けた客観的な統計調査機関を立ち上げるなどして、現状の統計的把握、問題点の把握と国民への周知が急務だ。 

マスコミの正常化を非力な民間ではできない。

言論と並び、信用毀損が社会に致命傷を与える金融に関しては、自由主義市場であるにもかかわらず、金融庁の厳しい監督がある。 

言論の信用毀損について、同じく国の機関にすべきか、政権と完全に切り離された機関において中立性を確保すべきかは議論の余地があるが、日本の現状では監督機関の設置は不可欠だ。 

安倍政権は、逆に放送の政治的中立や事実に則って報道するなどを定めた放送法四条の撤廃と電波の自由化を提唱しているが、私は無原則なままの自由化には反対である。

こうしたメディアの自由競争化は先進国規準だが、日本のメディアや有識者は、残念ながら後進国水準であり、自由に伴う責務、自由を守るための戦いを全く理解していない。

自由競争の原理を導入すれば、中国、北朝鮮、ロシアをはじめ、あらゆる工作意図によって、日本のメディア状況は壊滅的な混乱を呈するに違いない。 

日本が輝ける文明から後進国へと急激に後退してしまったことを自覚し、受け入れるところからしか、言論の自由の再建は不可能だというのが、一年二ヵ月の愚劣な騒動を止め得なかった非力な一言論人としての、私の率直な結論である。 

森友・加計騒動からそれを学ばないなら、日本の「自由」に本当に明日はない。

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こうしたメディアの自由競争化は先進国規準だが、日本のメディアや有識者は、残念ながら後進国水準であり、

2018年04月20日 13時17分42秒 | 日記

以下は前章の続きである。

統計調査機関が必要 

むろん、言論は車に較べても、責務を明確にするのが難しい。

「事実」と「捏造」を法的制裁で切り分けるのは、「爆発する車」を禁じるのとは較ぶべくもない難事だ。 

だからこそ、言論においては自責、自制、自浄の良識と高潔さが求められ、市場の「信用」という原理による淘汰が本来はふさわしいのである。 

だが、マスコミに良識と自浄を期待できない以上、「見出し」「事実報道」「印象操作」「繰り返しによる輿論誘導」などについて、まず、国民的負託を受けた客観的な統計調査機関を立ち上げるなどして、現状の統計的把握、問題点の把握と国民への周知が急務だ。 

マスコミの正常化を非力な民間ではできない。

言論と並び、信用毀損が社会に致命傷を与える金融に関しては、自由主義市場であるにもかかわらず、金融庁の厳しい監督がある。 

言論の信用毀損について、同じく国の機関にすべきか、政権と完全に切り離された機関において中立性を確保すべきかは議論の余地があるが、日本の現状では監督機関の設置は不可欠だ。 

安倍政権は、逆に放送の政治的中立や事実に則って報道するなどを定めた放送法四条の撤廃と電波の自由化を提唱しているが、私は無原則なままの自由化には反対である。

こうしたメディアの自由競争化は先進国規準だが、日本のメディアや有識者は、残念ながら後進国水準であり、自由に伴う責務、自由を守るための戦いを全く理解していない。

自由競争の原理を導入すれば、中国、北朝鮮、ロシアをはじめ、あらゆる工作意図によって、日本のメディア状況は壊滅的な混乱を呈するに違いない。 

日本が輝ける文明から後進国へと急激に後退してしまったことを自覚し、受け入れるところからしか、言論の自由の再建は不可能だというのが、一年二ヵ月の愚劣な騒動を止め得なかった非力な一言論人としての、私の率直な結論である。 

森友・加計騒動からそれを学ばないなら、日本の「自由」に本当に明日はない。

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