以下は前章の続きである。
東條英機首相を高く評価
前掲の開戦社説の後段は、東條英機首相の発言を高く評価している。
ここだけではない。「首相必勝の信念を叶露」(昭和18年1月29日)と題する社説では、以下のように述べている。
―首相が心をゆるめるなと警告を与えつつも、かれの出撃こそ「以て我の最も乗ずべき所である」との雄渾にして不敵の自信を示せるは、右の如き絶対徹底捨身の国歩に根拠を置くものと信ぜられ、国民のもっとも意を強うし感銘を新にする所といわなければならぬ。 而して首相がさらに語をついで「洵に本年こそは、過去一年有余の間に獲得したる大戦果を更に拡充し、我必勝の条件を弥が上にも確立すべき決戦期とも称すべき年である」とし、「帝国は盟邦諸国との提携を愈緊密にし、相呼応して米英に対し益々攻勢に出で遂に米英をしてその戦争遂行能力を喪失しその戦争遂行意志を放棄せしめ、以て速に戦争の目的を達成せん」と強調せるは、外相演説の骨子と等しく、不退転る必勝信念を吐露して余すところなく、国民をして感奮興起せしめずには措かないのである―。
朝日新聞は、東條英機首相の発言を「国民をして感奮興起せしめずには措かないのである」とまで絶賛していたのだ。
ところが戦後は、GHQの占領が終了してからも、朝日新聞に「東條英機」の名前はA級戦犯の代表としてしか登場しない。
驚嘆する社説
A級戦犯といえば、彼らが合祀された靖国神社への公職者の参拝に対して、戦後の朝日新聞は強い反対論説を掲げ続けている。
しかし、戦中の朝日新聞社説を見ればどうか。
驚嘆すべき社説が載っている。
-一旦緩急あれば一死もって君恩に報いることはわが国民精神の伝統であり、殉国の大精神こそは国民道徳の根本である。これら殉国の忠魂は不朽にその英名を留め、永く皇室の御殊遇を辱うすること誠に無上の光栄というべきである。
征途に出でたつつわものの唯一の念願は靖國の御社に凱旋することである。戦場で戦友が交わす訣別の挨拶は九段での再会を期することである。父を子を、夫を兄を御国に捧げた遺族は、靖國の御社へ詣れば懐しの対面が叶うのである。靖國神社こそは護国の忠魂を永世に追慕する崇敬の的であると同時に日本国民一人一人の魂の故郷であるのである。靖國神社大祭が国家的大典たる所以も実にここにあるのである(昭和十七年四月二十五日、靖國神社に行幸啓)
この部分も現代語訳をして、高校生用の社会科の教科書に参考資料として掲載するのがいい。